もう夜も更けてきた。端末を見ると、0時まで後少しだ
残りの時間は、休憩室に戻ってすごそう――
指揮官!早く!
休憩室のドアを開けた瞬間、リーフが珍しく勢いよくドアを開け駆け込んできた。その勢いのままこちらの手を引っ張って、外に連れて行こうとしている
せ、説明している時間が、ないんです、指揮官!
走って来たせいで、少女の息は少し乱れていた。彼女は手を強く引っ張り続けている。大切な宝物を絶対離さないというように
す、すみません、指揮官、で、でも、説明する時間がないんです……今はとりあえず、つ、ついてきてください!
事情はわからないが、リーフの勢いにおされてそのまま長い廊下へと飛び出した
夜が更け、きらめく星々が暗い夜空に輝いている。涼しい夜風が、疾走するふたりの横を通りすぎ、少女の髪を優しく乱れさせる
理由がわからないまま、初めて通るたくさんの近道を経て、リーフはついに立ち止まった
やっと……着いた……
彼女は端末に表示された時刻を見ると、安堵のため息をついた
目の前の建物は、貴重な植物を栽培するためのガラス張りの温室だった
よかった……間に合いました
改めて端末に表示された時間を確認すると、リーフは慣れた手つきで温室のドアを開け、無菌消毒室に入った
周囲から霧が噴き出し、濃くなっていく霧の中に少女の声も次第に吸い込まれていくようだ
以前、この温室のボランティアに応募したことがあるんです。というのも、こうして運ばれてきた植物が……
シュ――!
大きな扇風機の音が、続きの言葉を一瞬にしてかき消した
周囲を見回すと、消毒ミストが扇風機の風で吹き飛ばされていた。少女は急いで時間を確認し、こちらを引っ張って足早に消毒室を出ていく
よかった……時間ばっちりです!
生い茂る数本の植物を取り囲んで、小さなガラスの囲いがいくつか見えている
指揮官、早く、ここです!
もうすぐ咲きます……
彼女は自然と身を乗り出していた。その瞳に喜びと優しさを宿しながら、ガラスの囲いの中の繊細な白い花の蕾をじっと見つめている
はい。少し前に、白い花がここへ運ばれてきたと聞いたんです。それで、ここの温室のボランティアを希望しました
もしかしたら指揮官のお誕生日に咲くかもしれないと思っていたんですけど、まさか本当に……
少女はガラスの囲いに指でそっと触れた。蕾がふわりと揺れ、静かにゆっくりとその半透明の花びらを広げていく
しー……この子も咲きそうです
煌めく月光がガラスの天蓋を通して柔らかく屈折する。半透明の花びらは月明かりに照らされ、最高の技術でカットされた宝石のように輝いていた
一度だけ、端末で開花の映像を観たことがある。まさかこんなにも美しい光景を目の前で見れるとは。無意識の内に、この花が現実のものなのかを確かめたくなって……
し……指揮官?
手の平に、ガラスの囲いではない冷たい感触が伝わってきた。その時初めて、少女の柔らかい手に自分が触れていることに気付いた
いえ、大丈夫です……
彼女はこちらに顔を向け、少し冷たい指でこちらの手をそっと握り返してくれた
あの紙の月下美人……まだ覚えておられますか?
枕元に置かれた、針で紙を固定して作った月下美人。それは微かに埃と血の匂いがするものだった
忘れている訳がないだろう?あれはリーフが決意を固めたあの時に、自分に託してくれた贈り物だった
かつて……白夜の機体に換装した時に、私が指揮官に残したあの、紙の月下美人です
その時、私は思ったんです。いつか指揮官と一緒に、本物の月下美人が咲くのを見ることができたらどんなに幸せかと
でも……まさか本当にこんな日が来るなんて……
彼女の目は水晶のように美しく輝いていた
指揮官……この世に生まれてきてくださって、ありがとうございます
危険を冒して私のところまで来てくださって、ありがとうございます……
……はい!
な……泣いてなんかいないです
そっと顔に手をやるリーフの仕草を、見て見ぬふりをしてあげた。少女は目尻からこぼれた水滴の跡を静かに拭っている
ただ……残念なことがひとつだけ
最近、休憩時間はずっとこの月下美人のお世話をしていたんです。だから指揮官にお渡しするためのプレゼントを、用意することができませんでした……
えっ、何をでしょう?
端末で録画した映像をタップすると、清らかな白い少女と清らかな白い花が映し出された。両者は同じように聖なる美しい光を放っている
その出来事はほんの一瞬、でもその記憶は永遠に残すことができる
リーフは何も言わなかった。彼女はただ静かに少し近寄って、自分と並んで立っている
月下美人はまだひっそりと咲いている