「……」
「うたおう、きっとすてきなあしたがくる」
「おはなとおすな、ミルクとやきたてのパン、しかをかって、たきびをもやそう」
「…………じゅんびをしなきゃ、うまくいなかい」
「どろのぬま、おもいあし、けむりとはがねのおと、めのまえはまっくら」
……[player name]……
もしあの時出会ったのがあなただったなら……
ルナは集噛体の口の中にいた。まるで子宮のようなカプセルに閉じ込められている
……[player name]、リンクして
……お疲れでしょう
指揮官?
指揮官……お疲れでしょう。こんな時に指揮官の手を煩わせてしまって……
システムに返ってきたデータを復元しました。赤潮中のデータはルナのもので間違いありません
窓際の少年は手元の資料から顔を上げ、こちらを見た
ファウンスの槍の二次再構でデータチェックを行いましたが、僕は指揮官ではありませんので、実際の意識侵入時と復元データにどの程度の誤差があるかはわかりません
作業の再開は十分に回復されてからで大丈夫です。アシモフには僕から説明しておきますから
……
だが、リーは返事をする代わりに黙ってこちらをじっと見つめるだけだった
……いえ。準備ができていると仰るのなら、それで結構です
では、赤潮からサルベージされたルナ関連データの確認をお願いします
プッ
指揮官、顔に……跡がついてますよ
きっとうつ伏せに寝てらっしゃったから……!大丈夫です、すぐに消えると思います、すみません……
そっと頬をなでてみると、確かにでこぼこしている感触がある。少し熱も持っているようだ
ガラスを鏡代わりにして頬をなでる自分の姿が、ふと過去の記憶と重なる
あなたは……私の夢の中の存在なの?
ええ。これまでの経緯から推断するに、捕捉可能なのは赤潮で瀕死体験をした意識のデータだけのようです
人間にせよ構造体にせよ、死に直面した時、記憶の最深部にある感情が表出する。現在僕たちが観測できる意識データはおそらくそれです
会話のかたわら虹彩認証をパスし、そろってラボへ入室した
俺のいないところで勝手に結論を出すんじゃない
結論づけるにはまだサンプルが足りない
だが、いずれは解明してやるさ
当然、グレイレイヴン指揮官には全面協力してもらうぞ
お前はルナと意識をリンクしたことがある唯一の指揮官だ。しかも一度だけじゃないな?
一体何を……
おっと、そう慌てて指揮官をかばわなくてもいいぜ?今のは俺の単なる推論だ
グレイレイヴンの戦術展開にいちいち首席技術者の同意がいるとは思いもよりませんでした――
いや、戦場で何をどう戦おうとそれはお前らの自由だ。俺はただデータが欲しいだけなんだよ。わかるだろ?
よし、これを装着しろ。赤潮で発見されたルナの意識データが入ってる
今回は「赤潮」のルナの意識データサンプルが、「観測対象」のルシアに対して起こす反応をシミュレーションする
お前はルシアの指揮官で、ルナとリンクしたことがある。そのうえ感情的になりにくいから「監視」にはおあつらえ向きってわけだ
じゃあいくぞ
データ読み込み<<<<意識リンク検出<<<<<<<
目を開けると、そこは長い廊下だった
お姉ちゃん、何してるの?
視界の端から金髪の小さな女の子が現れ、こちらに向かって微笑みかけてくる
赤潮の中にある「意識」は「意識体」そのものじゃない。赤潮に飲み込まれ、分解された断片が釣り餌代わりに残された代物だ
だから、人を一番引きつける姿で現れるってわけだ
前へ歩き出すと背後の「ルナ」はすぐに消え、今度は別の「ルナ」が現れた
お姉ちゃん、見て!食べられる肉の缶詰めだよ……ほめてくれる?
返事はするなよ
お姉ちゃん、雪が降ってるの!雪だるま作ろうよ!
お姉ちゃん……ヘクション!へへ、寒いね……お姉ちゃんの手、温かいから……つないでもいい?
「ルナ」は次々に現れて、消えていった
純真で、楽しげで、お転婆なルナ。おそらくはルナにとってこの頃が一番幸せな記憶なのだろう
だが、これは赤潮のもたらす幻だ。赤潮が創り出す影を極力気にしないようにしながら、前へと進んでいく
うれしい、これ大好き!ありがとう!
手が冷たいよ……手、すりすりしてくれる……?
……どうして無視するの……
今回の「ルナ」は消えなかった。背中に彼女の悲しげな視線を感じる
ルナがいい子じゃないから……?ごめんなさい……もっと頑張るから……強くなるから……だから置いてかないで
ずっとそばにいて……何もかも変えてくれるんじゃなかったの……?
集中しろよ
廊下の突き当りにたどり着いた。周囲は暗転し、目の前の扉だけが浮いているように見える
キ―――――
扉から光が漏れた。扉の向こうは簡素で古ぼけた子供部屋だった
なんだ
そうだろうけど、どうかしたか?
そっと部屋へと踏み入れる。小さなベッドにはルナが横たわっていた
だが、枕に広がる髪が白い。……横たわっていたのは金髪の小さなルナではなく、昇格者になったあとのルナだった。見た目はとても「安全」そうに見える
心拍数が跳ね上がったな。何か見つけたか?
……「溺水現象」のことか。急にどうした?
研究初期にしょっちゅう見られた現象だ。リンクしてる指揮官のマインドビーコンが不安定だったり相性が悪かったりすると、構造体の意識海の自己防衛システムに排除されちまう
意識海が海だとするなら、構造体はそこで溺れている存在だ。溺れる者は周辺のものを手当たり次第につかんで海に引きずり込んでしまう
否定はできないな。だがまあ当時の遠隔リンクは指揮官の精神に不可逆的なダメージを与えるものだった。それが最大の原因さ
なに、心配することはない。今は研究が進んで構造体の受容性も飛躍的に向上してる。「溺水現象」の発生は100%阻止できる
なんせ「溺水現象」が起こった日には、指揮官が脳死しちまうからな。しゃれにならん代償だ
で?なんでまた突然?
理論上はな。だが俺も結構な時間、第一線から離れているからな。何か新しい仮説でも思いついたか?
通信越しにアシモフが鼻を鳴らしたのが聞こえた
注意深く、子供部屋の中を観察する……温かく、静かな部屋だ
これはルナの意識海の最深部にあった絶対的安全圏だ
ルシアはここでルナとともに幼少期を過ごしている。ルシアにとって、かけがえのない時間――
……で、どうだ?
ルシアも同じ答えだった。彼女が言うには、確かにこれはルナの記憶データで、なんだっけか……「大切な思い出」だと言っていたな
じゃあ戻ってきてくれ
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それから、アシモフを手伝うというリーとリーフをラボに残し、ひとり退室した
意識の影で見た光景は、不思議なことに以前ルナの意識海で見た光景と一致していた
静かに眠る少女の枕元には、確かにあったのだ――――あの赤い光を放つナイトランプが。あまりにも見覚えのある小さなランプ……
疑念は確信に変わる。あの時意識海の深層で起こったことは決して夢ではないし、無意味なことでもなかった
もしかしたら、そうあってほしいと願うこととはまるで違うかもしれない。だが、何かはすでに変わり始めているのだ
空中庭園の回廊、巨大な舷窓の遥か向こうで自転する青い惑星
あの壊れかけた惑星に生きる、雪のように白い少女
……まだ、そこにいるのだろうか?