あらゆるものが浮いている。まるで身体が質量を失ってしまったかのように、制御できなくなっている
無数のデータキューブが現れ、変化し、再構築し……地面が、壁が……あらゆるものが創造されていく
ようやく地面に降り立った時、そこはすでに新たな世界だった
ここは地底深く。巨大な断崖と冷たい鋼鉄で構成された地下都市だ
直感が「あの場所」へ向かえと告げている。中心区に向かえと。記憶をたどりながら進むさ中、落ちている武器を見つけた。――自分があの戦いで落としたものだ
道の先に、見慣れた白い人影。そしてその傍らには……やはり見知った影がもうひとつ
……ガブ……リエル?
ルナ様……先ほどの非礼をお許しください
お約束いたします、ルナ様。私は昇格ネットワークに選ばれし者のひとりとして、しかるべき職務を果たします……
ルナは深淵の縁に立っていた。隣のガブリエルは巨大な機械翼を広げ、地獄から這い出てきた堕天使さながらだ
巨大なガブリエルの横で、ルナはいつも以上に小さく見える
つまりは——不純な代行者の排除
私の力では足りないというの……
まだおわかりにならないのですか?あなたの心には綻びがある。あなたの感情こそが、あなたの弱点なのです
ガブリエルは手を掲げた。その鋼鉄の手は、人間の心臓を握りしめていた。巨大なガブリエルの手中にある心臓は、あまりにも儚く見える
だめよ……!
あなたの姉が昇格者になってからというもの、あなたの代行者としての力は弱まり続けている
あなたにはもはや代行者を名乗る資格はない……我々を導き、宿願を成就させる資格はないのだ!
ガブリエルは心臓を握りつぶした。指の間から粘度のある鮮血が滴り落ちる
……現実でないとわかっていても、目を背けたくなる光景だ
……もう十分よ……
ルナの顔が苦悶に歪んだ。そのうめき声に呼応するように、周囲の空間が歪み始める。あたりは壊れたテレビのような砂嵐に覆われ、喉を灼くような熱が充満した
…………
銃弾はガブリエルの胸に命中した。人間であれば心臓を貫く位置だったが、ガブリエルの急所はそこになかったようだ
どうやら、巨人に小石を投げつける程度には無意味なことだったらしい。ガブリエルはこちらを振り返り、銃を持った人間を視認した
……
どこの馬の骨だ?
…………
……あなたの処理は、あれを片づけてからにしましょう
……
ガブリエルと話しながらも徐々にルナに近づき、彼女を後ろにかばうことに成功した
……愉快、実に愉快
偽りの「代行者」に、脆く醜い下等生物か……
……
ルナは目を見張ったが、いまだ「悪夢」に囚われているようだ
なに……
続けざまに発砲する。だが、弾がガブリエルに当たることはなかった
は……実にくだらん。人間よ、無駄に時間を浪費するだけの行為に何の意味がある?私は飽きたぞ
ルナ様。かように下等な生物に守られ、恥ずかしいとお思いにならないのですか?
だがどうかご安心を……私がすぐに終わらせてさしあげましょう……
だがその言葉は巨大な衝撃音に遮られた。実のところ銃の標的はガブリエルではなく、その背後の建造物に吊るされていた鉄の板だったのだ
なっ……
鉄の板はガブリエルをしたたか打ちつけ、そのまま一緒になって深淵へと落ちていく。その隙を逃さず、ルナの腕をつかむと外へ向かって一目散に走り出した
もういい……放して……!
数十m走ったところで、ルナが突然抵抗を始めた
その瞬間、ルナの手首をひねり上げて身体を回転させる。そのまま腕を背中に押しつけ、関節をきめて壁に固定すると、銃口をこめかみに当てた
……!
こんなことで私に言うことを聞かせられると思っているの?
放して!こんな屈辱的な姿勢……!
ルナを押さえつけていた手を緩めたが、拳銃は下ろさない
……それはこっちのセリフだわ。説明して
ルナは正気を取り戻したようだ。銃を向けられていても動揺ひとつ見せず、落ち着いた表情をしている
……え?
……言って
私の……意識海……?
意識海……
私の……
……何を言っているのかわからない。ガブリエルは私を裏切ったわ。罰を与えなくては
私自身のこの手で
意識海の主であるルナの感情は、意識海全体に影響を及ぼす。つまり、ルナの安全はその感情次第だということ……
私も訊きたいことがある
あなたは……私の夢の中の存在なの?
……では、なぜあなたはここにいるの……?
さっきはなぜあんなことをしたの?
それなら、あなたも……
ルナは小声で何かつぶやきながら、手を伸ばしてきた。まるで真贋を確かめるかのように
ルナはすぐに手を止めた
もう少しで指先が顔に触れるという時になって、ルナは手を止めた
……なぜこんなおかしな人が夢に出てくるの?
さっきの行動の理由を教えて
わかったわ…………あなたは夢を食らうバクなのね?
ルナは大真面目な様子だ
姉さんが教えてくれた。悪夢を見ると、「バク」が夢に入ってきて悪夢を食べてくれる。そうしたらもう悪夢を見なくて済むんですって
……子供の頃のルシアは、ルナに色々な物語を聞かせてやっていたのだろう
……そうなの
夢から目覚めさせてくれる?
どうしてか……ずっと……夢の中にいるの……
……でも、あなたを完全に信用したわけじゃない
ルナに向けていた銃をそっと下ろした
銃を下ろした瞬間、ルナは片手をあげた。よく知る動作だ。ここが現実なら、空間さえも引き裂くほどのエネルギーによって自分はばらばらになっていただろう
だがここでは何も起きなかった。それでも彼女は、その動作を続けた
あなたも他の怪物と同じように、私の夢で私を殺そうとしてるんでしょう?
そんな簡単には騙されないわ。夢だとしても、私は警戒心が強いの。がっかりした?
あなたを殺さなければ、あなたが私を殺す。わかってる。それが悪夢の仕組み
……私に殺されると思わないの?
……きっと後悔することになるわ
…………!!
本当に……図太い人ね
そう言ってルナは手を下ろした
私は……
ルナが答える前に、辺りの景色が歪み始めた。ルナは必死に何かを話しているようだが、その声は崩れ落ちる壁の音に遮られている
やがてふたりとも宙に浮き上がり、データの渦に巻き込まれてしまった
その声がルナに届いたかはわからないが、視界がデータの海に覆い尽くされるまでルナはまっすぐこちらを見つめていた