指揮官とロゼッタはブリザードを天然の遮蔽物とし、敵の鉄壁の包囲網を突破することにした
雪原は瀕死の獣のような咆哮をあげている。空と大地は攪拌され、煮え立った白い石膏の鍋となり、窒息しそうなほどに濃密な空気が立ち込めていた
光は不気味に拡散する灰白色となり、方向感覚を喪失させる。世界は収縮し、狂気を帯びて旋回する白い牢獄へと成り果てた。それ以外には何もなかった
吹雪によって構築されたこの檻の中で、指揮官はロゼッタを見失ってしまった
[player name]、見えない……
このままじゃいけない……先に行って……指揮官、ふたりで決めたでしょう?
吹雪の中ではぐれても、互いを探さない。敵に気付かれる恐れがあるから
ない、あるのは雪、それと……
……何でもない。前進を続けて、撤退ポイントで合流を
お爺ちゃん、そんなに早く行かないで。待ってよ
雪の檻は、死者の国へと迷い込んだロゼッタだけをわざと見逃したかのようだった。数日間で悪化した意識海の損傷は、彼女の中の生と死の境界を曖昧に溶かした
老人と少女は小高い丘を越え、森の方へとゆっくり歩いていく。穏やかな風が吹き、足下で雪解け水が跳ね、黄金のような朝日がそこら中に降り注いでいた
ここだ……
ヒョードルはひと際高い丘の上で足を止めた。彼は手を掲げてそれほど強くない日差しを遮り、遠くを見つめる
ロゼッタ、見てごらん!
ヒョードルが指差したのは、ここ数日ロゼッタが滞在していた小さな町だった。遠くの港では漁船が次々と出航し、朝の光とともに朝食を準備する炊煙が立ち上っている
極地でこれほどいい天気にはそうそうお目にかかれない。次にこの景色が見られるのは、いつになることやら
ロゼッタはヒョードルの後ろについて丘を登り、指差す方角を見ようとした
ロゼッタ!待って……
背後から聞こえた叫び声のせいで、ヒョードルが見せようとした景色はお預けとなった。声の主を確かめるため、彼女は振り返る
だが、声の主の姿を確認するよりも早く、柔らかい雪玉が彼女の顔面に命中した
機械体の追跡者たちは依然として猛吹雪と戦っていた。機械の体を持つ彼らであっても、この雪嵐の中では行動が制限される
だが、彼らには「臨機応変」という概念はない。「悪天候」と「外出中止」を結びつける回路がないのだ。そもそも、ブリザードなど「悪天候」のうちに入らないのかもしれない
ブリザードを小雨程度にしか認識していない可能性がある追跡者たちは、「ウサギの穴」に足を取られ、立ち止まっているロゼッタを発見した
任務目標を発見、任務目標を発見……
荒れ狂う猛吹雪の中、機械体特有の冷たい光が次々と灯っていく
雪玉のコントロールの悪さがその持ち主の正体を物語っていた。しかし、ロゼッタは怒りもせずに顔に付いた雪を払い、追いかけてきたリーシャを見た
極地には珍しい春めいた陽気に誘われたのか、死者の国の住人たちも、次々と集まってきていた
皆……どうしたの?
見送りにな
見送り?誰か、ここを離れるの?
何言ってるの、ロゼッタよ。自分で行くって言ったんじゃない?
私?
気がつけば周囲にはゆっくりと人の輪ができ始めていた。ロゼッタは微かな戸惑いを覚える。暖かい朝日の中で彼女は身震いをした
もし……まだ決心がついてないなら、もう少しここにいればいい。今日発たなきゃいけないわけじゃない
ねえ、もうちょっとだけここにいなよ。空中庭園の面白い話、まだ全部聞いてないし……
今、行っちゃったら……もう二度と聞けなくなっちゃうもん
リーシャ……
二度と会えなくなっちゃうよ。だから、もう少しだけいてよ……お願い
目の前の永遠に過去に留め置かれた少女の瞳には、今にも零れ落ちそうなほどの涙が溜まっていた
お爺ちゃん、私……
哀願する顔を直視できず、ロゼッタは助けを求めてヒョードルの方を見た。しかし、老人は彼女に背を向けたまま港を見つめている。微かに震える肩が、彼の答えを物語っている
(私が……ここを離れる?)
死者たちがロゼッタを取り巻き、積もり積もった慕情と果たされぬ想いを囁いた。それは重力のような重みを帯びて、彼女を彼らの世界へと沈めようとしていた
朦朧とするロゼッタの意識海に[player name]の記憶が自然と湧き上がってくる
かわいい子よ……[player name]はここにはいない。お前たちにとって、ここはまだ早すぎる
帰りなさい、かわいい子よ。
機械体追跡兵たちの包囲網が迫る。ブリザードが彼女をこの地に閉じ込め、追っ手はその機体を奪おうとしている。そして彼女自身は、自らを「死者の国」に縛りつけていた
撤退ポイントへの旅路は、今まさに最大の難所を迎えていた
任務目標の状態に異常あり?なぜ、単独行動を?
何にせよ好都合だ。目標が意識混濁状態ならば、こちらの損害を抑えられる
あいつ、ひとりで何をブツブツと話しているんだ?聞き取れるか?
意識混濁による症状かと。内容なんてどうだっていい、慎重に……消息を絶った先発隊はやつらにやられた可能性が極めて高い
ロゼッタは完全に包囲されていたが、かつての彼女の恐るべき戦果が追っ手たちの足を竦ませた。周囲は緊張に包まれ、誰ひとりとして決定的な一歩を踏み出そうとしなかった
警戒!警戒せよ!ヤツが動き出したぞ
死者たちのツンドラの上で帰還を決意したロゼッタは、もう二度と会うことはないかもしれない懐かしい人々へ、最期の別れを告げていた
ごめん……リーシャ。私、戻らないと。私を待っている大切な人がいるの
私たち、親友でしょ?ロゼッタ……
私は一度、あなたを失った……リーシャ。あなたの葬儀に出られなかったことを、私は一生悔やむと思う
でも……こんな無念を背負うのは、私ひとりで十分
[player name]にまで同じ思いをさせるわけにはいかない。
ロゼッタぁ……うわーん……
泣かないで、リーシャ……[player name]が言ってた。「私たちは誰もが死者になる。そして『死』とは、現在進行形なんだ」って
私はこれから、大切な出来事を何ひとつ見逃したりはしない
だから……ごめん。もう少しだけ待ってて。他の生者たちのために命を尽くしたら、もっとたくさんの素敵な物語を携えて、きっとあなたのもとへ帰ってくるから……ね?
損傷した機体からオーバーワークの軋んだ音が響いた瞬間、ロゼッタはずっと立ち尽くしていた場所から忽然と姿を消した
ウグッ……
斧槍が胴体を貫き、猛然と振り抜かれる
切断されて吹き飛ばされた機械体は、彼女の即席の盾となる。そしてその死が、他の追跡者たちへの開戦の合図となった
取り囲むだけで攻めあぐねていた追っ手たちも同胞の死に危機感を覚えたのか、暴れ狂うロゼッタへと一斉に猛攻を開始する
リーシャへの別れを済ませたロゼッタの前に、顔がぼやけた男女の研究員が現れた。彼女の意識海には、このふたりの顔に関する記憶はない
もう少しだけ、ここにいてもいいじゃない……あなたの顔、もっとよく見せて
私たちはまだ、食卓を囲んでゆっくり食事をしたことすらないじゃないか
ごめんなさい……
私たちの愛しい子、どうしてあなたが謝るの?親としての責務を果たせなかったのは、私たちの方なのに
そうだ、チャンスをくれないか。私たちの過ちを償わせてくれ……
インブルリアへの過ちを償った時のように?
ロゼッタと向かい合っていたふたりは、言葉を失い、立ち尽くした
お爺ちゃんが言ってた。あなたたちは、私が健やかに、幸せに生きることを望んでいたと。それがインブルリアに対する、あなたたちの最大の贖罪なのだと
ロゼッタは手を伸ばし、腕にある改造の痕跡とバイオニックスキンの下に覆われた無数の傷跡を見つめた
人間の基準で、私が「健やか」といえるかどうかはわからない。あなたたちがくれたこの体を、いささか無茶に使いすぎている自覚はある
これが、私があなたたちに謝る理由……そして、あなたたちが私をお爺ちゃんに託した時の願いを、私はまだ叶えていない。だから、ここには留まることはできない
お父さん、お母さん。その願いが何だったか、覚えてる?
呆然としていたふたりは黙り込み、答えについて短い思索に入った。だが言葉になるより先に、母親の喉は涙で塞がれてしまう
私たちが望んだのは、君が……健やかに、幸せに……生きていくことだ
この世界に「健やか」なんてほとんどないし、「幸せ」はもっとない……でも私は、あなたたちの願いを叶えるために努力する。全力で、生き抜いていく
だから……さようなら、お父さん、お母さん
「ブリザード」という言葉は、「熱」とは対極にあるようだ
敵の数と火力の優位性は雪嵐の中では意味をなさなかった。弾道は突風に煽られて予測不能となり、視界が5mにも満たない状況では全ての銃火器は鉄屑と化した
機械体部隊と単騎の構造体。この世界最高峰の軍事科学技術が結集した対立は、今や大自然の偉力の前にひれ伏し、原始的な兵器で絡み合うように戦うしかなかった
ロゼッタは敵の波を縫うように駆けた。空気は重く冷たく、呼吸の度に氷の粒が身体に入り、機体の熱を奪っていく。見えざる口が大地に残る最後の熱を貪り食うかのようだ
徐々にロゼッタの動きが鈍り始める。雪嵐は敵の武器を封じたが、同時に彼女をも拘束した。風雪は彼女の癒えぬ傷口を狙い撃ちにし、残された時間も空間も、もはや僅かだった
グハッ……
ッ……
敵の連携が乱れた一瞬の隙をロゼッタは見逃さなかった。斧槍のひと振りで2体の追跡者の胴体を同時に切り裂く
ハァ……ハァ……
彼女は大きく息を吸い込み、全力で「生きて」いた
ガギンッ――
ぐっ……うっ……
しかし彼女も無傷ではない。風雪だけでなく、敵もまた彼女の体に新たな傷跡を刻み込んでいる
この長い送別も、まもなく終着点を迎えようとしていた
さよなら……シュテッセン船長総代表
さよなら……エステバン
さよなら……デミア
……
引き留める死者たちをひとり、またひとりと拒絶する。ロゼッタを取り囲んでいた死者たちは次第に減っていった。最後に残ったのは、弓を背負った老人ひとりだった
お爺ちゃん……
ロゼッタ、もう行くんだ……
ロゼッタは沈黙する。別れの時だとわかっていても、足が動かなかった
お前が行ったら、わしはまた森をひと回りしてこよう。こんな天気じゃ、鳥や獣たちもじっとしてはいられないだろうからな……ハハハ
……
かわいい子よ、お前は頑張りすぎるところがあるからな。それではダメだ。全てをひとりで背負う必要なんてない。たまには誰かを頼るんだ
お前がいつも口にしているあの指揮官は、なかなか頼りになりそうじゃないか。わしの代わりに、
わかった。お爺ちゃんの言葉は必ず[player name]に伝える
老人はこれがほんの短い別れであるかのように振る舞った。まるで、孫を学校に送り出すのと同じように
ほら、これでも食べるか?
老人は新鮮な果実をひとつ、ロゼッタに差し出した
食べたら、もう行きなさい。わしのような年寄りのことなど、いつまでも気にかけなくていい
向こうには、お前を想ってくれる人がいるんだから……
激しい風雪の中、ロゼッタは最後の追跡者の胴体に突き刺さったままふたつに折れた斧槍を引き抜いた……
[player name]……
あっちには、お前が命を懸けて戦うべき世界がある……
ブリザードは無慈悲にもこの戦闘の残骸を消し去ろうとしている。ロゼッタは、自分自身がその掃除される瓦礫の一部にならぬよう懸命に体を支えた
お前のいるべき場所は、ここじゃない……
風雪の中で方向感覚を失いながらも、ロゼッタは必死に前進する。その身に刻まれた無数の凄惨な傷が先ほどの戦闘の激しさを物語っていた
ガブッ――!
ロゼッタは手の中の瑞々しい果実をひと口齧った
そして再び顔を上げた時には眼前に老人の姿はなく、ただ陽光に祝福されたツンドラが地平線へと伸びているだけであった
さよなら!ヒョードルお爺ちゃん……
彼女はついに全ての死者に別れを告げ、彼方の森へと歩き出した
ドサッ!――
ロゼッタは前のめりに雪原へと倒れ込んだ
雪の中から体を起こそうとあがくが、雪原は彼女を捉えて離さない。上体を起こすだけでも全力を振り絞らねばならなかった。傷が徐々に彼女の肉体を蝕んでいく
[player name]……待って……
ロゼッタは雪の上に突っ伏している。雪はなぜか焼けつくように熱く感じられた。静寂と暗闇が足下から這い上がり、白い大地が黒く染まる。混沌とした「死」が忍び寄っている
今ここで立ち止まれば、本当に死者の国に住まう者のひとりになってしまうことを、ロゼッタは肌で感じていた
朦朧とする視界の中、人影が吹雪をかき分け近付いてきた
彼女の傍らで止まり、しゃがみ込む――その視線に刺すような痛みを感じる。視線の主は、もうひとりの自分だった
どうして死者の国を訪れたのか、わかってたでしょう?
この自己欺瞞の「死にぞこない」が
雪嵐はいよいよ勢いを増し、この雪原に長く居座りすぎた死を急ぎ埋葬しようとする。「死にぞこない」が雪原に足跡で記した遺書も、戦闘の残骸とともに大半が埋もれてしまった
……
