勇者は呪いの赤い薔薇を持って、魔王の大広間に向かい、偽りの想いを打ち明けて魔王の信頼と好感度を勝ち取った
その後、勇者はとっさの判断で魔王でも解けない呪いを誘き寄せ、跡形もなく引き裂いた
データフローは滑らかだったが、時折不明な文字が飛び出しては無作為に組み合わさり、またフローへと戻っていった
……データの改造を検知
シナリオプログラムはしばらく沈黙したあと、新たな文章を打ち出した
魔王が消え去る前に、勇者は城の大広間へ戻り、魔王に「一緒に踊ろう」と誘った
0時まで踊り、魔王が影に消え去ろうとするその瞬間――勇者もまた影に足を踏み入れた
天命を帯び、百毒に侵されぬ体質を持つ勇者は、影を掴むやいなや跡形もなく引き裂いた
データ訓練、完了
プロセス終了、テストID解除――
解除、解除、解除、テスト、テストテスト……%*&*(%)/~*@)@#!――#
影を引き裂いた人間は歯を食いしばり、ハムレットの混乱したデータフローをぎゅっと「掴んだ」
#*~&¥<*!)@*/*/!@{!#!#¥~#@*#)――
……指……起きて……
人間の意識は果てしない虚空を漂い、耳には舞曲の余韻と外から呼びかける声が響いている
しかし、人間はそれらの音を気にかける様子はなかった。今はこの狂った自己修正システムを壊したいだけだった
……指揮官……!
どうしよう、いくら呼んでも反応がない……
緊急救命装置を使おう!確か……
ドンッ
人間は胸を押さえて、テストカプセルから飛び上がった
目を開けると、アイラとレオニーが心配そうな顔で覗き込んでいた
よかった!指揮官が起きたわ!
さっきまで、すごく危険な状態だったのよ。スターオブライフの救急もまだ来てないし……だから、とりあえずAEDを使ったの!
今はどう?はい、瞬きして。手を上げて……これは何本?
アイラの仕草を見ながら、人間はまだ言葉をまとめられないまま必死に手を上げ、大丈夫だと示すことしかできなかった
ふぅ……びっくりした。ハムレットが一時的に外部から操作されたみたいで、あなたともうひとりの被験者の権限がロックされちゃったの
命に関わるところだったのよ。実験事故が起きなくて本当によかった
被験者に大きな問題がないことを確認したあと、アイラとレオニーは1歩近寄り、体につけたバーチャルリンク装置を取り外した
両足が再び「現実」の床を踏みしめた瞬間、逆に少し現実じゃないような感覚に襲われる
手を上げ、何度も力強く握りしめ、筋肉から伝わる微かな反応と抵抗の中に、自分のいる「現実」を再確認した
まだどこか痛んだりする?スターオブライフのVIP病室が空いてるわ。ベッドを確保してあるの
レオニーは手の中の携帯端末を見て、慣れた手つきでコントロールパネルを呼び出し、データを確認し始めた
うん、大丈夫そう。関連データは全部順調に収集できてる。でも、こんな危険な状況下でデータを収集したと思うと、ちょっと……
これはテスト史上の最悪のトラブルね。「ハムレット」の全テストを停止して、今回のデータをフィードバックして、徹底的な調査と改善をするわ
強烈なデータの波形がたくさん……被験者のシナリオに関する感情のショックがとても豊かで、すごく貴重なサンプルね
約束します!絶対に起こしません!
レオニーは敬礼をすると、すぐに駆け出した
問題の起きたモジュールを見つけたかも。指揮官の努力を無駄しないように、すぐに追跡するわ!アイラは残りの意見のフィードバックをお願いね~!
レオニーは風のように部屋を去り、アイラだけが取り残された
アイラは手の中の端末をいじりながら、少し緊張しているようだった
あの、指揮官……もう少しシナリオ面のフィードバックをもらえる?アンケートも用意してあるの!
どんな意見であっても、芸術協会は真摯に受け止めるから!
人間はアイラから渡された端末とタッチペンを受け取り、びっしりと用意されたアンケートに目を通した
どんな「フィードバック」を書くべきだろうか?タッチペンを握ったまま、何を書けばいいのか途方に暮れた
このシナリオを体験したあと……気持ちは、最初と大きく変わっていた
その時――ドアの開く音によって思考が中断させられると、ある人影が部屋に入ってきた
[player name]?まさか、あなたもここに隠れて仕事をサボってたの?
来訪者の赤い髪と新しい塗装を見て、一瞬恍惚とした気分になった
浮遊する思考を抑えることができず、まるで芸術協会の部屋にいるのではなく、あの古城に戻ったかのようだった
……目玉も動かせないの?修理してあげましょうか?
ヴィラはドア枠に寄りかかり、目の前の人間の顔を見て意味深な微笑みを浮かべた
もうすぐ任務よ。グレイレイヴン指揮官の自由時間はもう終わり。セリカから、あなたの行方がわからないから探してほしいと頼まれたの
絶対にここにいると思ったわ。やっぱり私の「捜査」からは逃げられないわね
保全エリアの定例調査と周辺整理よ。名高い「勇者」にとっては退屈かしら?
ちなみに、今回のあなたのパートナーはこの私よ
難易度の高い任務じゃないからつまらないけど……あなたを連れていれば、他の楽しみを見つけられるかもね
屋根裏部屋に引き留めておけば……全てが終わる前に、もう少し楽しめたかもしれないのに
ぼんやりと、懐かしいセリフがまた心を揺さぶった。一瞬、現実に戻ったのか、それともまだあのバーチャルな城にいるのかわからなくなった
城の中での姿と、目の前のヴィラが徐々に重なり合う
いつまでぼーっとしてるつもり?さっさと任務の準備をしなさいよ。置いていくわよ
一瞬の空想をヴィラに引き戻された。それ以上話す間もなく、先に立ち去るしかなかった
人間は急いで芸術協会をあとにして、これから始まる新たな任務の準備を始めた
――その背後で、赤髪の構造体が去りゆく背中を見つめ、考え深げな表情を浮かべていることに気付かないまま
シナリオは明らかに私が用意した『勇者と魔王城』だったのに、どうしてあんなメチャクチャに……?
……責任追及はまた別の日にするわ。アイラ、私ももう行くから。前に約束した通り、もうひとりの被験者が私だということは指揮官に言わないで頂戴
ええ、もちろん
それから3カ月分のオペラチケットもね。約束でしょ?
ヴィラとの地上任務は無事に終わった。彼女が言っていたように単純な任務だった
ヴィラが同行していれば、何をするにしても安心だ。今回は掠り傷ひとつ負うことなく任務を完遂できた
ついに全てが終わったこの平凡な午後――久しぶりに自由な時間を楽しむことができる
セリカによると、今日は空中庭園で舞踏会が開かれるらしい。スタッフも構造体も自由に参加できるという
舞踏会は夕方に幕を開け、夜通し続くとか
昼に、廊下で多くのスタッフが舞踏会での衣装について話し合ったり、ダンスパートナーを誘う計画を立てているのを見かけた
しかしなぜか今日に限っては、その熱気に溶け込みたいとは思えなかった
ソファにもたれかかり、暖かいブランケットに包まれながら、少し黄ばんだ紙の本をパラパラと適当に捲る
革の表紙は少し古びていたが、箔押しされた筆記体の『勇者と魔王城』という文字はまだ輝いていた
図書館でこの本を借りた時の、司書の少し驚いた表情を覚えている
この本を借りられるのですか?
『勇者と魔王城』……実を言うと、この本は図書館に収蔵されて以来、ほとんど借りられたことがないんです
グレイレイヴン指揮官がお借りになるなんて、珍しいですね……
以前「ハムレット」のプラグインモジュールが暴走して以来、あの勇者をテーマにした本を探していた。本来はどんなストーリーなのかを知りたかったのだ
なるほど……それなら、この伝説の物語はいい選択ですね
司書は満面の笑みで本を差し出した
姉妹編もありますが、一緒に借りられますか?
作者が大きな変化を経験したあと「心機一転」して再構成した物語だそうです
『転生――勇者、世界を支配する』
では『勇者と魔王城』だけで――あら?珍しいこともあるものですね。今週この本を借りるのは、あなたでふたり目です
貸出記録を確認しますね。えっと、もうひとりは……
恐らくここ数日の神経疲労のせいだろう。人間は少し黄ばんだ紙を手に、温かな眠気に身を委ねていった
体はまるで記憶の中にある小道をたどるように進み、魔王城の門の前に戻っていった
空一面の吹雪が城を覆い、視界は一面の白に染まっている
大広間の扉を開けると床一面の薔薇の花びらが舞い上がり、自分に寄り添うように漂って、微かな香りを放っていた
それから薔薇の香りがますます濃くなり、花びら特有の柔らかな感触が頬を優しくなでた
よく眠ってるわね……
こんなに油断した表情、珍しいじゃない
もしかして……首に刃を当てても気付かないかしら?
顔に何かが触れている感覚があったが、冷たい刃物ではなく、むしろ柔らかな質感だった
触られた感覚が頬から滑り落ち、首筋へと優しく移動する。微かな心地よさを感じた
目を開けると――真っ赤な薔薇と、その薔薇よりも鮮やかな赤髪の持ち主が目に入った
もう目が覚めたの?
残念ね。何かしてあげようと思ったのに
アハ、「寝てないよ」ですって?自分の疲れた声を聞いてみなさいよ。明らかにぐっすり眠ってたじゃない
なぜこのタイミングで休憩室を訪れたのかを訊きたかったが、どう言葉にすればいいのか一瞬迷った
幸いにも、ヴィラはすでにこちらの表情から考えを読み取っていたようだ
どうしてグレイレイヴンの休憩室に来たのか訊きたそうね?私が来るのはイヤ?
しばらくずっと忙しかったから、グレイレイヴン指揮官の作戦パートナーとして、あなたを「お見舞い」しにきたのよ
でも今回は「差し入れ」がないから、温室に行ってこの花をもらってきたの
ヴィラは手に持っていた薔薇をテーブルの上のコップに挿した。花びらにはまだキラキラと宝石のような露が輝いている
あら?何の本を読んでるの?
興味を示したヴィラが、ぐっと近寄ってきた。柔らかな赤髪が頬をなで、毛先から爽やかな香りが漂う
『勇者と魔王城』をブランケットの中に隠す間もなく、ヴィラはこちらの手首をしっかりと掴み、開いたままの本を奪った
自分のことを過大評価しすぎじゃない?そんな子供騙しみたいな隠し事を私が見逃すとでも?
ああ……私に隠し事をするとどうなるのか教えてほしいの?[player name]?
彼女の顔が更に近付き、捉えどころのない笑みを浮かべた目で見つめてきた
すると彼女は片手を上げ、こちらの額に向けて銃を撃つような仕草をした
捕まえた
今、あなたは私の手の中にある戦·利·品よ
アハ……囚われの身として、私の遊び相手になるのよ。覚悟しておいて
彼女は片手でこちらの顎を掴み、強引に持ち上げ、彼女の瞳を直視させた
彼女のもう一方の手は『勇者と魔王城』を持っている。開かれたページは自分がまだ読んでいないシーンだった
彼女は顎を掴んでいた手の力を緩め、今度は指先でこちらの頬を優しくなでた
グレイレイヴン指揮官にも、こんな子供っぽい一面があるのね。意外だわ、こんな幼稚な物語を読むなんて
へぇ?どんな暇つぶしがあなたを眠らせるほど夢中にさせるのか、知りたいわね
ほら、私に読んで聞かせて
ヴィラは手を離すと、ソファの上に横に並んで寝転んだ――こちらをソファの隅に強引に押しやって
なぜヴィラが興味を持ったのかはわからないが、この彼女の要望が自分の琴線に触れた
時計の針が静かに進み、人工太陽が沈んでゆく――もう夕方だ
遠くから賑やかな笑い声と音楽が聞こえてくる。舞踏会が始まったようだ
しかし、この休憩室には静寂を楽しむふたりがいた
窓から差し込む夕日が、ふたりだけを温かく包み込む。世界中が静かな光の輪に包まれているかのようだった
ヴィラとの距離はかなり近い。衣服越しに構造体特有の温もりを感じる
視線を本のページに戻し、1文字ずつ丁寧に読み上げた
ページを捲って続きの文章を読もうとした時、ヴィラに止められた
もういいわ。気が変わった。もしあなたなら、この物語をどんなストーリーにする?
あなたが著者なら、勇者が城に入ったあとどうなるの?
宝石のような赤い瞳がこちらの瞳の奥を探る。彼女の瞳を見た時、ふと心が動いた
今、この瞬間にいる自分と彼女だけの物語を紡ぎたいと思った
本を置き、少し思考を整理して語り始める
……
頭の中の物語はすでに結末まで綴られている。心の中で答えを出した
――人間はお決まりの悲劇を受け入れることを拒否し、全ての終焉と消滅を拒否した。物語を虚無の結末で終わらせたくない、と
自分の心に従って何度も抗い、しぶとく追い求めれば……
いずれ必ず「ハッピーエンド」が自分を迎えてくれる
珍しいこともあるものですね。今週この本を借りるのは、あなたでふたり目です
貸出記録を確認しますね。えっと、もうひとりは……
ケルベロスのヴィラさんです
人間が語り直した物語は結末にたどり着き、休憩室は元の静けさを取り戻した
コップの中の薔薇はまだ静かに咲き誇っており、そよ風は舞踏会の旋律を運んでいる
ヴィラは人間を見つめていた視線を静かに窓の外に移した。彼女もまた楽曲のメロディに浸っているようだった
どうしたの?薔薇は嫌いだった?
……それとも、私からのプレゼントを拒むつもり?
人間は手を伸ばして、そっとヴィラの髪をなでた。絹のように滑らかな髪は流れる水のように、指をすり抜けていく
ちょっと……あなた、私の髪がそんなに好きなの?フェチ?
……フン、子供じみた遊びね
……まだかしら?
人間はヴィラの赤い髪を結い、薔薇を挿した
満開の薔薇がこめかみに留まり、艶やかな色が夕日に照らされ、ひときわ輝いている
ヴィラは微笑みながら手を伸ばし、誘いに応じた
彼女は「あの城」でのあの時と同じように、人間の手に自分の手を重ねた
互いの手を握り、部屋を出て、一緒に盛大な舞踏会に足を踏み入れる
薄暗い城も、冷たい呪いも消えた。そよ風が薔薇の爽やかな香りを運び、温かい夕日の光がふたりに降り注いだ
いいわよ、私の「戦利品」
このまま一緒に……「夜明けまで踊りましょう」
図書館
1カ月前――
本当にこの本を借りたいのですね?
カウンターの向こうで、白い「オオカミの耳」がぴょこぴょこ動いている。耳の持ち主はクンクンと匂いを嗅ぎ、頷いた
え?電子版を端末に転送してほしい?もちろんできますよ、少々お待ちください
ほどなくして、司書は明るい笑顔で戻ってきた
お待たせしました。『転生――勇者、世界を支配する』をご利用中の端末に送信しました
ちなみに、芸術協会が電子書籍の新サービスを開始したのですが……本を専用モジュールで読み込めば、リアルなバーチャル体験ができるんです。試してみますか?
え?他の方に試してもらうことは可能か?もちろん、可能ですよ!