空中庭園、昼食後の休憩時間――
空を見上げると、人工天幕の光が眩しかった。アイラは目を覆っていた手を下ろして、地面に反射する太陽の光を踏んだ
端末が鳴った。マネージャーの叫び声が廊下中に響く
アイラ!最後の警告よ!新しい展示会の申請は、明後日が締切なの!
先月、約束した新しい作品集!今日になっても、まだ一枚ももらってないけど!
あぁぁぁぁもうっ、急いだっていい芸術は生まれないでしょ!
これ以上、待てないからね!今日中に!作品集を見せなさい!
急かさないでよ~作品を整理するにも、インスピレーションが必要なんだから……
次の角を曲がれば、目的地は目の前だった
わかった、わかったから。今からインスピレーションが閃くから、バイバイ!
アイラはさっさと端末の通信を切って、マネージャーの怒号ごと消した。グレイレイヴン休憩室のプレートが掛かったドアを静かに開けて、こっそりと中に入る
んふ、この時間、指揮官は――書類の整理をしているはず!
午後の太陽はぽかぽかと机を温めている。疲れた目を必死に開けて、机に積み上がった書類を片付けようとしていた
いつまでも繰り返される事務処理は、いつになったらなくなるのだろう……
心地いい室温が、書類なんか放り投げて昼寝しようと誘ってくる。しかし「大至急」と記された資料は「今日中に終わらせろ」という警告を発している
うとうとしていると、ドアの方からコソコソと動く音が聞こえた。ルシアたちがまたぞろ何かを企んでいるのだろうか……
ビンゴ!指揮官、やっぱりここね!
白い塗装でピンク色の髪の構造体が元気よく部屋に入ってきた。フレッシュなフルーツの香りが、午後の気だるい空気を吹き飛ばした
しーっ!ここにいることは絶対、マネージャーに内緒ね!
アイラはソファの一番快適な場所に座り、持ち歩いているバインダーを取り出した
マネージャーが新しい作品集を出せってうるさいの。でも、実はまだ最後の1枚が完成してないのよね
芸術家に、納期ほど無駄な言葉ってないのにね~
静かにしてるから、ここに隠れさせて。お願い、お願い~!
アイラは、目を細めて懇願するような表情を見せ、両手を合わせてお願いという仕草をした
ふふふ、ありがとう、指揮官。ちょっとインスピレーションが閃いた!
口ではそう言うが、アイラには急いでいる様子がまったくなかった。彼女は筆を握って、周りを見渡しながら、キャンバスに何かを描いている
一体どんなインスピレーションなんだ……
好奇心を抑えて、「大至急」と記された書類を整理している内に、気付いたら2時間がすぎていた
太陽が沈み始め、鮮やかな金色だった光がオレンジ色に変わっていた。アイラは集中して何かを描いている。静かな部屋の中に筆の音が響いている
アイラのキャンバス上に、グレイレイヴン休憩室が完全に再現されていた
机に置かれた飲みかけのコーヒーカップ、椅子に掛けたコート、いつのまにかソファに落ちていた万年筆、全てが小さなキャンバスに描かれている
絵の中に自分の姿はないが、いたるところに自分の痕跡があった
ふんふん~
アイラは鼻歌を歌いながら、素知らぬふりをして、こちらをチラリと見た
彼女はニヤリと笑うと、さっと筆を動かした。アニメ風の小人が机の後ろの椅子の上に現れた。書類の山に埋もれそうになっている
盗み見していることに、とっくに気付いてたわ!
見て、リアルでしょ?書類に埋もれてる、かわいそうな指揮官?
ちょっと大袈裟にしただけ~
アイラは自分の傑作を眺めて、アニメ風の小人に数本の猫の髭を付け加えて、いたずらっぽく笑った。以前、彼女を猫顔に描いた「仇」を取っているようだ
え?指揮官?
机の上の筆を取り、ソファの上に人の輪郭を描き加えた
これ……私の新しい塗装?
丸い形をした伊達メガネ、ユニークな襟のデザイン、奇抜な形の帽子……
アイラは隣に座り、静かに集中して筆先を見つめている
絵の腕前は未熟なので余計な線もあるが、筆を走らすにつれてアイラの輪郭と姿形が浮かび上がってくる
何度も修正して、絵が完成した時には太陽がすでに沈んでいた
オレンジ色の光がキャンバスを照らし、絵の中のグレイレイヴン休憩室を温かい色に染めた
へぇ……上手になったわね
ここの線、とてもうまく引けてる
指揮官、もう一人前ね
目を細めて、アイラは満足そうに作品を眺めた
これは私と指揮官が「共同創作」した最初の作品ね、ちゃんと保存しとかないと!
彼女が続けて何かを言おうとした時、端末から大きな音が鳴り響いた
アイラ!アトリエにいないじゃない!!!
大丈夫、アトリエにいるよ、作品の準備をしてるの!
今、アトリエの前にいるのよ!もう5分間も!ずっとノックしてるけど!
作品集はまだ!?それなら明日、一緒にアトリエに監禁するけど、いい!?
ちょっと待って待って、落ち着いてって!今すぐ帰るから!
突然、何かを見つけた子猫のように、アイラはソファから飛び上がった
指揮官!新しい展示会は来週からよ!月曜日は時間ある?月曜日、一緒に展示会の設営を確認しに行こう!
約束したよね!時間があったら、私の最初の観客になるって!
時間があったら教えて!もう行くね!
突然現れたのと同じように、アイラは突然立ち去って行った
日が沈み切って、オレンジ色の光は徐々に部屋から消えていったが、残された温もりはまだ部屋中に充満していた
世界政府芸術協会にて――
マネージャーの目をすり抜けて、こっそりとアトリエに入った。アイラはほっと一息をついて、バインダーから絵を抜き出した
ふぅん……サボっている私はこんな感じなのね?
彼女は少し嬉しそうに、視線で絵の中の少女をなぞった。瞳の中に、自分でも知らない新しい色が塗られていた
もしかして、指揮官から見た私がこんな姿なのかな?
ふと何かを思い出したように、アイラは棚を開けて、丁寧に保管してある額をいくつか出してきた
ノートから切り取られた半分の紙や、画用紙、焼け焦げた破れたページ、そして血と循環液まみれの包帯まで、その額にはめられている
これらの雑多な物には全てが共通して、ある少女が描かれているのだ
絵の技術が徐々に上達し、影も上手く描けるようになったことで、筆で深い感情を表現できるようになっていた
アイラは額を吊るすための壁から紐を引っ張り、これらの額を一列に整然と掛けた
指揮官にとっての私は、「芸術家」と「戦士」の他に、こんなにもたくさんの「別の私」があるのね……
壁にかかった絵を眺めると、指揮官の目から自分を見つめているようだった
決められた肩書を捨てれば、別の角度から見た自分、弱い自分も許される……
絵の中に表現された繊細な感情は、水面に落ちる羽のように軽やかに、意識海の最も深いところに触れてくる
かつて、彼女は自分自身にいくつもの肩書を与えていた。「芸術家」、「戦士」……
いくつもの肩書で自分自身を守っていたせいで、彼女は、肩書のない本当の自分が、一体どんなものなのかを忘れていた
しかし、これらの絵は、彼女の肩書を1枚ずつ剥がし、全ての奥底にある最も本質的な「アイラ」を露わにしている
あ、新しいインスピレーションが閃いた
頭の中にあの人のイメージが浮かんだ。アイラはキャンバスを広げて、背景を輝かしい色に塗った
今度、指揮官は何を描くかな?
不毛の砂漠に鮮やかな彩りが加えられた。ひとつの美しい花がキャンバスの上に咲き、少女にもまた笑顔の花が咲いた
彼女の心はかつて、荒野を彷徨う渡り鳥だった。今、彼女の心はいつの間にか、居場所であり、自由に飛び回ることのできる空を見つけていた