翌早朝、ワタナベとともに保全エリアから逃げ出した難民に扮して、「レジスタンス」たちのキャンプへと向かった
ふたりとも入念に変装し、砂漠でよく使われている風よけマントで自分たちの顔をしっかりと隠した
コンコン――
2回ノックすると、ボロボロの木製の扉が中から乱暴に押し開けられた
誰だ?
保全エリアから逃げてきたんです。食べ物を何も持ってなくて……
お前は?
なんだ、咳なんかして。病気なのか?我々「レジスタンス」は、病弱な者は受け入れんぞ
違います、病気じゃありません。ただ長らく何も食べてないので、話すのもやっとで……
ワタナベはマントの下から、痩せ細った弱々しい義肢を伸ばして見せた。自分には誰かと争う意思も力もないと示す――そのためにわざわざ塗装を換えてきたのだ
待て、それだけで受け入れるとは決められん。どの保全エリアから来た?
兵士は見知らぬ誰かから助けを乞われるのは慣れっこという様子だった。うんざりしながらふたりの難民をジロジロと眺めている。これでは同情心を誘うのは難しそうだ
148?なぜだ?あそこの食事はいいと聞いているぞ。それなのになぜ逃げてきた?
兵士は瞬時に武器を握る手に力を込めた。その顔には疑念と警戒心がはっきりと浮かんでいる
我々の目的は難民に扮して、「レジスタンス」たちの傾向を調査することだ。そのためには彼らの同類のように振る舞い、信頼を得なければならない
「レジスタンス」メンバーの多くは行き詰まり、物資輸送車の襲撃を企むような者たちだ。上流階級を最も嫌い、自分たちよりも更に厳しい状況にある者たちに同情を寄せる
確かに彼らは多くの物資を奪ってはいるが、食料を本当に必要としている人々へ分け与えてもいる。だから、彼らの行動の全てが悪という訳じゃない
そうなんです。十分な衣食は一部の人たちだけの特権で、私たち庶民にはそんなものは回ってきません
全てを捨ててやっとここまで逃げてきたんです。もしここで受け入れてくれなかったら、もう他に行くあてがありません……
それを聞いて、冷たい態度だった兵士も心を動かされたように表情を緩めた
わかったわかった、ぐずぐず泣き言を言うのはやめろ。入れ
俺たちは、自分たちのリーダーを殺すようなオブリビオンとは違うぞ。あのワタナベってやつなんか、今頃温かいベッドでぐっすり高いびきだろうさ!
…………
何を突っ立ってる、こっちへ来い。食堂に連れていってやる!
門番の兵士は乱暴な動作でふたりにキャンプ内の施設を簡単に紹介し、これ以上ないほど薄いポテトスープを2杯持ってきた
早く食え。ここでは働かざる者食うべからずだ。食べ終わったら仕事に連れていく
普段の仕事はリーダーが決めるんだが、今日はリーダーがいないから、俺がお前らを引き受けておく
ありがとうございます。リーダーのお名前は?
名はシュナイダー、俺たちはボスって呼んでる。前はバラードの右腕だったが、残念ながら……ああ……
兵士は拳でドンとテーブルを叩いた。テーブルが揺れたせいで、もともと少なかったスープがこぼれて更に少なくなってしまった
ワタナベめ、あいつが余計なことをしなければ、俺たちはもっといい暮らしをしてたのに!
ワタナベの名前を口に出す度に、兵士は抑えきれない怒りを露わにした。場の雰囲気をこれ以上悪化させないため、急いで話題を変えることにした
戦闘の腕前はどうだ?腕があるなら、オブリビオン奇襲部隊に入らないか?
当然だ、扇動計画が失敗に終わってやつらの勢力はますます大きくなった。ボスの準備は整っている。武器や人員さえ揃えばあの偽善者どもを痛い目に遭わせてやれるんだ
じゃあお前はどうだ?痩せているが背は高いな。お前は力があるんじゃないか?
兵士は相手が一度もポテトスープに手をつけていないのには気付かず、下卑た笑みを浮かべながら背の高い「難民」の肩をポンポンと叩いた
あいにくですが……私もその部隊には入れません
身体面に問題はありませんが、暴力行為には参加したくないんです
その言葉に含まれる抗議の意味に気付き、兵士のニヤニヤとした笑顔が固まった
おいデカブツ、そりゃどういう意味だ?今になって、「私は高潔な道徳心を持ち合わせているから、あなたたちのような野蛮な強盗には手を貸せません」ってか?
しかしワタナベはただ静かに彼を見つめるだけで、兵士に対して怒りを見せることはなかった
彼がそう言ったのは、自分の立場や私情によるものではないからだ
いえ、あなたたちの選択は理解しています。私たちも……生きるために保全エリアから逃げてきた
ですが生きるためにやむを得ない決断と、自発的に他人を傷つけることは違います
どんな汚れ仕事や辛い仕事を与えられても文句は言いません。でも進んで他人を傷つけることは……私にはできません
きっとあなただって最初に「レジスタンス」に加わったのは、戦争のためじゃなかったでしょう?
その言葉が放たれたあと、狭い食堂は一瞬にして重い沈黙に包まれた
顔を上げると、ワタナベの目に宿った燃える熱意とその下に隠された謝罪の意が見て取れた。そのことで、ワタナベが突然、強固な態度を取った理由を理解できた
彼はこの兵士の立場も、こういう時は適当な理由で誤魔化すのが無難だということもよく理解している。それでも彼はこの瞬間、自分の本音を語ることを選んだ
彼は本音を語ることで兵士たちの善意を――心の底に長い間埋もれていた良心を呼び覚まそうとしているのだ
もういい。お前らの言いたいことなら、わかる……
兵士の口調は何かをこらえているように重く低かった。ふたりに思わず緊張が走る
……俺たちのしてることが立派なことじゃないのはわかってる。やりたくないやつに無理やりやらせるつもりはないよ
気が向かないならやらなくていい。足手まといがいたら俺だって面倒だからな。お前たちは見張りをしてくれればいい
意外なことに、ふたりから話を聞いたことで、兵士から向けられていた敵意は消えていた
ご理解いただき、感謝します
ふたりはようやく安堵の息をつき、この兵士が予想していたほど洗脳されてはいないことに感謝した
ここじゃ遠慮はいらない。皆、一筋縄じゃいかないやつらばかりだ。保全エリアから逃げた者の集まりだからな
それにデカブツ、お前の話は正直いい気はしなかったが、その勇気は認める。いい顔しておいて敵前逃亡するような臆病者より、お前のように率直な方が俺は好きだ
兵士は立ち上がると、今度は敬意を込めてワタナベの肩を叩いた
礼を言うぜ、お前のお陰で思い出した。今みたいになる前には、俺にも強い意志があったんだ
……あなたさえその気になれば、今からだって手を引くことはできるでしょう
方法はたくさんありますから。戦争を始めなくたって、生活の問題は解決できます
手を引くって?いや、もう誰もボスの狂った計画を止められないさ。今更手を引いたって始末されるだけだ
全てを止めるには空から英雄でも降ってこない限り無理だな……そんな都合のいい英雄なんて現実にはいやしない
自嘲的に笑う兵士の顔には、僅かな無力感がにじんでいた
その日の午後、ふたりでキャンプの見張りを務めた。夕日が西に沈むと、世話役の兵士が「難民」のふたりにテントで休むように指示した
新人に提供される住環境はかなりひどいのものだが、文句を言う者はいない。夜になると氷点下になることもある砂漠では、布団が1枚あるだけでこれ以上ない幸運だ
ワタナベはテントに戻るとすぐに、顔をしっかりと覆っていたマントを引き下げた
小さなオイルランプに火を灯すと、弱々しい光がテントの半分ほどを照らした。ワタナベと一緒にオイルランプの側に座り、貴重な光の中で今日のことを振り返る
寄せ集めの小さな組織だとばかり思っていたが……いつの間にかここまで大きくなっているとは
だがまだ幸運だった、午前中の件からしても全員が喜んでこの道を選んでいる訳ではなさそうだな
当初、ほとんどの者の目標は腹を満たすことだけだったはずだ。シュナイダーはその弱みにつけこんだ。まず彼らに希望を与え、次に武器を取らせて同胞に向けさせた……
非常に卑劣ではあるが、前から効果的な洗脳方法として使われてきた手段だ
ワタナベは頷いた
食料が豊富で安売りされるような時代であっても、シュナイダーのような多くの策略家たちは、権力や利権のために戦争を引き起こしてきた
立場の違い、利益の違い、地位の違い……戦争を起こす理由は欲望の数だけ存在する
だが、その死の商人たちがいかに体裁のよい理由を作って戦争を引き起こしていようが、彼らが身勝手な本性を隠しおおせることなどない
目的が達成されるやいなや彼らは冷酷に、そしていとも簡単に、それまで従えてきた人々を捨ててしまうのが常だ
ああ。だからこそシュナイダーは見逃せない
彼は旧時代の負の遺産だ。人類が平和を維持するためにどれほどの労力を費やしたかを知りながら、今再び人心を弄ぶ術を用いた。それも、ただ私欲を肥やすためだけに
ワタナベは拳を握りしめた。彼が怒りを抑え込もうとしているのがありありと伝わってくる
ワタナベの怒りの理由はよくわかる。彼が話したような過去を共有していなかったとしても、誰かが同胞に銃口を向けるのを見たくないという気持ちは同じだ
軽く息を吸ってひと息を入れた。そして改めて口を開くと、口調がかなり軽やかになった
その質問が予想外だったのか、ワタナベは一瞬驚いた顔になった。しばらくして、その瞳に珍しく懐かしさを帯びた輝きが浮かんだ
読んで字のごとくだ、本当に黄金のように輝いていた時代だった。今、あの日々を振り返ると、映画館でフィクションを見ているように感じる
あの時は皆、人類は団結できると信じ、技術は発展し続けると疑わなかった。誰もが遥かな星の海と輝かしい未来を見つめ、日々新しいニュースに耳を傾けていた
そんな日々が突然終わるなんて、想像すらしていなかったよ。確かにさまざまな兆候はあったが、そんな心配はSF映画の見すぎだろうと笑い飛ばされるものだったからな
人類はゲシュタルトを創造し、空中に人工のエデンを建設し、零点エネルギーを掌握した――あの時代の我々は奇跡の引き金であり、支配者だった
――深海のアトランティスから、最初の救難信号が届くまでは
ワタナベはわざとこの物語の結末を語らなかった。彼がそれ以上深く話さない理由はよくわかった
いつか見れる日が来るだろう。あなたたちは、地上の復興のために日々努力している
違いなんかないだろう。文明がある限り、街は何度だって再建される
違うとしたら呼び名だけだ。別に空中庭園をコンステリアと呼んだって支障はない
彼の例えがあまりにも突飛すぎて、ふたりは同時に笑い出した
あなたも大小さまざまな街を訪れてみるといい。私の言っている意味がきっとわかる
その街の名前を知っておくよりも、地図上でその位置を迅速に見つける方がより現実的だと気付くはずだ
ワタナベはテントの端に置かれたオイルランプを手に取った。粗末な手作りのランプには防風機能がなく、彼の手の中でいつ消えてもおかしくない弱い炎が揺れていた
さあ、夜も更けた。明日の朝はまた見張りなんだ。もう休むとしよう
ワタナベはオイルランプの蓋を取り、火種を遠くの砂に向けて大きく解き放った
その姿はまるで古代神話の中の、星を手に恐れず歩む旅人のようだった
ワタナベは迷うことなく答えた
答えは当然「今」だ
私は今を生きる存在であり、今は永遠に最良だからだ