暗闇の中から目覚めた小さな灰色のカラスは、そっと瞳を開きました
目に映るのは果てしない草原。そして、伝わってくるのは柔らかな腕の温もり
カラスさん、まだ痛む?
耳元から響く声は、強くあろうとしながらも、どこか悲しみが滲んでいます
小さな灰色のカラスが顔を上げると、少女は涙を流しながらカラスに向かって微笑んでいました
カラスは彼女の顔に触れようとしました。けれど伸びたのは、傷だらけの翼。痛みに阻まれ、彼女の涙には届きません
カラスは彼女に声をかけようとしました。けれど傷の疼きがそれを遮り、喉は震えるばかり。視線を落とすと、血に染まった翼がそこにありました
少女は舞い散った紙を拾い上げ、その破れた紙を両の手で灰色の羽へと蘇らせました
彼女は新しい羽をカラスの傷に重ね、涙でそれを繋ぎ合わせたのです
傷は癒え、痛みも次第に薄れていきます。少女は小さな灰色のカラスをそっと手に乗せ、ゆっくりと抱き上げました
さあ、行っておいで。あなたの青空へ……
強い風が吹き抜け、本能に導かれるようにカラスは翼を広げました
飛べ、飛べ――高く雲の彼方へ、帰るべき場所へ
あの少女は……彼女はともに空を飛ばないのだろうか?
小さな灰色のカラスは思わず振り返りました。白いドレスを纏った少女は、別れに慣れたような微笑みで手を振っていました
この果てしなく寂しい大地の中で、その姿はあまりにも儚く見えました
カラスは、驚いた目で見つめる少女の手の平へ舞い降りました
迷子になったの?
じゃあ……私がひとりぼっちにならないように、戻ってきてくれたの?
彼女は嬉しそうに、その小さな体を胸に抱きしめました
その時初めて、カラスは彼女の涙のない笑顔を見ました
――『エデンの園の少女·II』――
指揮官……指揮官?
指揮官!
無意識に手を伸ばして確認する――そこにあるのは灰色の羽ではなく、人間の肌だった
さっき見たものは何だ?なぜ、自分は羽を確かめようとした?
大丈夫ですか?また熱中症ですか?
リーフは心配そうに額へ手を当ててきた
見る限り、異常はなさそうですね
無理せずに、少しでも辛かったら言ってください。傍にいますから
子供たちに教えられた道を進み、ウェンキスへ向かった。森の木陰が強い陽射しを遮り、鳥や虫の声が四方から響いている
あと5分ほどで着きます
森の小道を抜けると、目の前に風景が緩やかに広がった
まるで神が大地に墨彩を落としたかのように、山と空が自由に溶け合い、幻想の絵巻を描き出している
ここが、ウェンキスです
低く古びた家々が山を抱くように寄り添い、建物の多くは老朽化していた。山道には土に埋もれた瓦やレンガがあちこちに散らばっている
山からの風が草木の香りを運び、桃源郷に迷い込んだような心地にさせた
どう?綺麗でしょ?
いつの間にか隣に、カラフル……いや、全身絵の具まみれの女性構造体が立っていた
彼女はスケッチに向かう途中らしく、細身の体に不釣り合いなほど大きなキャンバスを抱え、絵筆がそこかしこのポケットに無造作に差し込まれていた
あ、自己紹介がまだだったわね。芸術協会のヴェミニよ、よろしく
こんにちは、ヴェミニさん。私たちは……
知ってるわ、グレイレイヴンでしょ?隣の人の制服、すごく格好いいわね
でも、このタイミングでここに執行部隊が来るなんて珍しいじゃない
ああ、社会学の研究ね。いわゆるハネムーンでしょ?
もっとロマンチックに言ってくれるかと思ったのに。例えば……ハネムーンとか
ヴェミニはいたずらっぽくリーフにウィンクした
わ、私たちは……
ふふ、じゃあご両親にご挨拶ってわけね?
残念だけど、多分もうウェンキスにはいないわ
パニシングが爆発したあと、皆、空中庭園に逃げたから。皮肉なことに山と海に囲まれたこの場所は、侵蝕をほとんど受けなかったけど
最近、空中庭園がこのエリアを奪還したでしょ?だから私たち芸術協会がスケッチに来ているの
辺りを見渡すと、芸術協会の制服を着た構造体たちがスケッチをしていた。先日の絵画展の絵も、ここで描かれたものだったのだ
夏の陽射しの下、苔むした低い廃墟は独特な美しさを放っていた
この辺りはもう描き尽くしたし、一緒に風車塔まで行かない?まだ完成していない絵があるの
お誘いいただき、ありがとうございます。でも、まずは家に寄りたいので……
まあ、それも当然ね。長い時を経て、ようやく帰ってきたんだもの
…………
あなたが帰ったら、アンソニアもきっと喜ぶわ
……母をご存知なんですか?
もちろんよ。よいっしょ――
ヴェミニはそう言いながらキャンバスをぐっと持ち上げ、歩きながらリーフに「あなたが小さい頃、抱っこしてあげたこともあるのよ」と目で伝えた
あなたが小さい頃、抱っこしてあげたこともあるのよ
待ってください。母のご友人なら、一緒に家へ帰りませんか?
晴れてるうちに仕上げたいの。ここ数日、風が強くなってきてるし、台風が来たら描けなくなるから
ウェンキスの夏の風物詩よ――というのは口実で、早く絵を仕上げたいだけ
とにかく、ここ数日は山の反対側にいるから暇があったら会いに来て。じゃあね!
はい……さようなら、ヴェミニさん
ヴェミニは片腕を大きく振って別れの挨拶をすると、軽快に山の方へと去っていった
私たちも行きましょう。もうすぐです
庭の木の柵を通りすぎる。陽射しはリーフの記憶の中にある幼い日と同じように眩しかった
風が門扉を揺らし、ギイギイと音を立てる。それはまるで、ブランコが揺れる音のようだった
リーフ?
お母さん……?お母さん!
夢の中のあの背中を追いかけて、リーフは思わず駆け出した
リーフ、慌てなくて大丈夫よ。ここにいるわ
はぁ……はぁ……
母が振り返ったその瞬間、リーフはその姿を強く抱きしめた。けれど、慈しむように髪をなでるその手は、砂のように崩れて消えていった
リーフはその場に呆然と立ち尽くし、何が起きたのか理解できずにいた
え……?
昔……家に帰ると、いつも母がブランコに座って待っていてくれたので……つい……
チクチクと肌に刺さる雑草をかき分けながら、リーフはそっとこちらの手を引いて裏口の扉へと導いた
コンコン――かつてと同じように、彼女は恐る恐る扉をノックした
老いた家は静かに沈黙を守っている
ありません……でも、正面玄関なら開いているかもしれないので見てきます
そうですね
蜘蛛の巣が張った窓の、僅かに緩んだ隙間が目に入り、そっとこじ開けてみた
リーフが立ち去ってすぐ、リーから渡されていたツールボックスを使うこともなく、がらんとした家の中にあっさりと入れた
木の床は埃で覆われ、湿気に侵された白い壁紙はカビている。長い間、人が住んでいないのは明らかだった
リーフは家の外縁を歩いていた。その足取りは少し重い――彼女は正面玄関があまり好きではなかった
アンソニアが生きていた頃、彼女はよく庭で羊と遊び、疲れたら庭の脇にある裏口から家に入っていた
「リーフ、おかえり」
裏口を開けると、迎えてくれるのは母の優しい笑顔か、メイドのカーリッピオが心配する声だった
そこにはお菓子があり、人形があり、子供が安心して眠れる港があった
だが母が亡くなってから、その裏口で小さなリーフを待っている人は誰もいなかった
…………
彼女は玄関前の階段に立ち尽くし、1歩を踏み出せずにいた
もし父が出てきたら「早く入りなさい。今夜は会議があるんだ」と言うだろう
継母なら「こんな遅くに帰ってきて、頼んだ家事はちゃんとやったの?」と言うだろう
兄なら自分の成績を自慢し、姉なら新しい服を褒めろと言ってくる
幼い日の記憶は告げていた。正面玄関は温かくもなければ、愛おしくもない。そこは冷たく、よそよそしく、リーフの帰りを歓迎してくれる扉ではなかった
古い記憶が彼女の足下から芽を出し、蔓を伸ばし、体を絡め取る。前へ1歩進むごとに、その束縛は強くなる
蔓は彼女の耳元で囁き、叫んだ――「戻るな、誰もお前を待ってなんかいない」
彼女が玄関にたどり着いた時には、全身は枝葉と蔓にきつく縛られていた。微かな光の隙間から、やっとのことで手を伸ばし、扉をノックする
コンコン、コンコン……もしかしたら、今回は父が穏やかな笑顔で出てきてくれるかもしれない。カーリッピオの嬉しそうな顔が見られるかもしれない
そんなささやかな願いが叶うことはないと、とっくに知ってはいるけれど――
でも、もしかしたら?
ただ彼女が望んでいたのは、扉を開けた時に誰かが言ってくれること――
おかえり
…………
体を縛っていた枝葉と蔓は一瞬で萎れ、はらはらと解けていった
かつての温もりが、扉の向こうから一気に押し寄せてきた
指揮官……
ただいま
リーフはぎこちなくもまっすぐに、その胸の中へ飛び込んだ――長い年月を経て、やっとたどり着いた安らぎの港へ
