彼らと別れる前の最後の夜を、彼女は永遠に忘れられない
手を出しなさい
アウリスは恐る恐る右手を差し出した。彼女の手には、少々雑な造りの宇宙船の模型があった
わ……私、倉庫で見つけたものを使って作ったの。こ……これ、「奇跡号」に似てない?パパたちが今度……
アウリスの声は震え、俯きながらも上目遣いに父親の顔を見ていた
回路基板に電線、電球……またこんなゴミで!あんな汚いものを触るなって言ったはずだが?
父親はしかめ面で機械オイルの臭いがするおもちゃを睨みつけ、嫌悪感を隠さなかった
お前の体にはアディレと環大西洋の貴族の血が流れているんだ。その指はピアノを弾くため、礼儀を学ぶためだ。ゴミを拾って、こんなガラクタをいじるためじゃない!
彼はぐっと手に力を込め、一瞬でその宇宙船を粉々に砕いた
パパ……!
私たちは明日には出発する。6カ月、いやそれ以上だな。世界中の目が私たち一族に向けられる。それなのにお前は家の前で……ゴミを拾うのか?
鏡で自分を見てみろ。顔はオイルまみれ、体は埃だらけで、どこに貴族の令嬢らしさがある?もし記者がお前を撮りでもしたら、私はホームレスの父親にされるだろうな!
私はただ……ただ……
ただ、両親が恋しいだけだった。焦ったアウリスは目に涙をため、言葉を失った
アウリス、私たちは全人類のために最も崇高な使命に挑むんだ。お前がするべきことはただひとつ、私とお前の母親に余計な心配をかけないことだ!
アウリスがしょんぼりしながら玄関の方を見ると、母親は目をこちらに向けもせず、片隅で煙草を吸っていた
……あなたは宇宙軍の娘だということを忘れないで。外では皆があなたの身分を尊重し、多少の過ちも許してくれるでしょう
でも家では、その栄誉にふさわしい振る舞いをしなさい。私たちを……失望させないで
アウリスは頭を振った。彼女は彼らに叫んで伝えたかった。自分に本当に必要なのは、別れのハグだけだと
しかし父親はすでに背を向け、「奇跡号」の破片を踏みつけながら荷物を持ち上げた
私たちが帰るまでにこの「趣味」をやめておくように。勉強と訓練に集中しろ。私たちの名に泥を塗るな
面倒はナニーが見るわ。問題を起こさないでよ
ドアがバタンと音を立てて閉まった
まあ、またあなたは!どうして毎日男の子と喧嘩ばかりするの?少しはおとなしくしないと
痣だらけのその顔を自分で見てみなさい。女の子らしさのかけらもないじゃない
ふざけんな!あいつらが先にいじめたんだ!
そ……そんな汚い言葉を使って!外に出て立ってなさい!
まあまあ、我慢することだ。彼女はズビスコの娘、烈士の遺児だ。政府が払う君の給料にも、彼女の分が含まれているんだ
ああ、そんな立派な人たちの娘がどうしてこんな……乱暴なのかしら?
アウリスは猛然と顔を上げた
娘、娘、娘って!私は誰かのペットでも服でもない!私には自分の名前がある!アウリスっていう名前がね!
彼女は叫び、目は鋭い刃物のように大人たちをじっと見据えていた
馴れ馴れしくしないでよ!なんで私が、あんたたちが望む姿にならなきゃいけないの!?
私の両親が完璧で偉大だとでも?いいわ、教えてあげる。ズビスコは毎週血を吐くまで飲んでた。ダヌーシャは毎晩年下の彼氏の家に入り浸ってた!
な、なんてことを、今すぐ黙りなさい!
ほらね、あんたたちはことの善悪なんて気にしない。ただ、自分が聞きたいことだけを聞きたがってる!私が黙れば、あいつらがつけた「アウリス」の傷が消えると思ってるの?
あいつらは高潔で完璧な英雄なんかじゃない!あいつらも人間で、過去に汚点がたくさんある夫婦で、親らしくもなくろくでもないやつらよ!
アウリス!出てい……
まあまあ
士官は頭を振り、女教師の話を遮った
アウリス、ご両親が亡くなって君が辛いのはわかる。だが……
うるさい!!
彼女は叫び、その場にいた全員を驚かせた
両親!ふた言目には両親!なんで誰もがあいつらのことばかり言うの!?
私を罰したいんでしょう?いいわ、今すぐあのガキを何発か殴りに行くから。もう二度と誰かをいじめないように、誰にも告げ口できないようにね!
彼女はさっと身を翻し、部屋の扉を開けた
それからよく聞きなさいよ、両親が死んでから……
私は1度も!1度だって悲しんだことなんてない!
バシン!彼女は乱暴に扉を閉めて出ていった
あの夜から、アウリスにとって恐怖と切望の象徴だった家族は
万人が敬愛する烈士へ一変し、人類の最も輝ける星となった
生前、母親が言っていたように、誰もが両親の身分のために彼女を尊重し、彼女が犯した全ての過ちを許してくれた
彼女がどれほどこの<color=#CD2626>血統</color>を<color=#CD2626>嫌って</color>いても
彼女が決して<color=#CD2626>栄誉</color>を<color=#CD2626>望まなく</color>とも
彼女はただ<color=#FFD700>自分自身</color>でありたかった
<color=#FFD700>アウリス</color>として
自由で<color=#FFD700>独立した存在</color>として生きたかった
大人たちが彼女の出自を理由に偽りの忍耐をするのなら、彼女は更にやりたい放題をしてその忍耐の限界を試し、自分の個性を主張しようと決めた
そこで期末試験の日、彼女は端末のデータを改竄し、カンニングをして学校で1位を取った
しかし期待に反して、誰も彼女の小細工に気付かなかった
……アウリス、私が出した課外図書を読み込んだようね?あなたがクラスで唯一答えられていた
あなたは国語になんて興味がないと思っていた……ごめんなさい、この前は先生が言いすぎたわ
今、少し時間があるかしら?あなたが答えられなかったいくつかの問題を、個別に解説したいと思って
彼女は、自分が望んでいた尊敬と理解が、まさかこんな形で実現するとは思ってもみなかった
この栄誉が本当は自分のものではなかったとしても、それでもこれは他人から「アウリス」への称賛を聞いた、初めての瞬間だった
アウリス、この表彰旗を君に贈る
ここに君の名前が書かれている。君はクラスで最も優れた生徒として、この栄誉を受けるにふさわしい
それに君は運動神経も素晴らしいな。前回、あのチョウという名の学生に圧勝していた。体育教師たちも、君には追いつけないほどだ
何か助けが必要なことはないかね?勉強でも生活でも……
あなたのスカイダイビングクラブから航空兵を多く輩出しているそうですね。私も入りたいんです
クラブに?……年齢が若すぎる。それに、普段から多くの訓練があり続けるのは難しいと思うが……女性の生徒を今まで受け入れたこともない
それならむしろ最高です。私がひとり目になれるから
それと再度言いますが、私は誰かの影じゃないし、「誰々の娘」でもない
私はアウリス。私は彼らよりもっと上手くやれます
それからというもの、アウリスは偽りのこの貴重な栄誉を守ろうと、必死に努力した。必死に羽ばたき、人々の期待以上に高く飛べることを証明しようとした
机の前で
グラウンドで
彼女は全力を尽くし、自分の限られた才能を絞り出し、あらゆることにおいて1位を取ろうとした。いつか、両親よりも優れていると証明できる日が来るまで
勉強、スポーツ、喧嘩……そして社交。彼女は他人から称賛を得るだけでなく、他人の賛辞に酔いしれることも好きだった
新学期の初日、アウリスは校庭の隅で言い争う声を聞いた
私たちは友達だと思っていたのに、あなたは私たちの顔すら見分けられないの?
わざとじゃないの……
ねえ!何してんの?
知らないの?今、皆が彼女のことを話してて。この子、昨日全員に挨拶して回ったのに、今日になったら顔を見ても覚えてないって
ごめんなさい……私……
なんで被害者ヅラ?昨日私からたくさんお菓子をもらったくせに。絶対にわざと私たちをからかってる!
もう誰もあんたと友達になんかなるもんか。行こう!
……
学生たちが一斉に散り、残っていたのはアウリスと、目の前にいる見知らぬ少女だけだった
少女はうなだれ、銀色の髪は額に乱れて貼りついていた。その指は制服のスカートをぎゅっと掴み、スカートの裾をしわくちゃにしていた
近付いたアウリスは、思わず少女の瞳に引き込まれた――淡い紫色で、まるで朝霧をまとった紫羅欄花のような色だ。だがその目は茫然とし、うっすらと困惑を漂わせていた
彼女はこの眼差しを知っていた。「英雄の娘」という肩書のせいで何度も他人に寛容に対応され、注目されていた自分は、鏡の中でいつも似たような目をしていた
……
ふと、馬鹿馬鹿しくも、あるはっきりとした思いが心をよぎった
もし顔さえ覚えられないような人に、誰も近付こうとしないなら
私なら……「最初のひとり」になれる?
ねぇ、あの……
孤独な魂を抱えていた彼女は、家庭で長い間欠けていた愛情を埋め合わせるため、病的なほど他人からの依存を渇望していた
彼女は微笑み、目の前の少女に手を差し出した
私はアウリス、名前は?
当初、友情を築くのは簡単ではなかった。マルガリータはアウリスに黄金色のブレスレットを着けることで、ようやく人々の中から彼女の姿を見分けられるようになった
アウリスは人生のトラックを駆け抜け、賞状と栄誉を積み重ねていった。彼女とマルガリータの関係も、ますます真摯で細やかなものになっていった
ある週末の夕方、トレーニングが延長された。アウリスがいつもの待ち合わせ場所の古い倉庫の屋上に駆けつけた時、空には最後の金色の光がひと筋残っているばかりだった
ア――ウ――リ――ス!
マルガリータは膝を抱えて座っており、側にはリボンを結んだ小さな箱が置かれていた
全然時間を守らないんだから!私、すっごく長い時間待ってたんだよ!
次にこんなことがあったら、私ひとりだけでケーキを食べちゃうからね、ふふん~
……ごめん
彼女はマルガリータの隣に座り、肩で相手の肩を軽く押した
ケーキは……何味?
彼女は息を切らし、汗ばんだ額の髪を耳の後ろにかけた
うーん~食べたい~?
……うん
マルガリータはリボンを解くと、まるで宝物を扱うように、いい匂いのするケーキをそっと持ち上げた
ケーキの外側は金色に透き通っており、アウリスの髪の色のようだった
はい、あーん~
マルガリータはキラキラした笑顔を見せた。夕陽がちょうど彼女の指先を掠め、小さな銀色のスプーンがキラリと輝きを放った
あーん~
知らず識らず、彼女はこの関係性にのめりこんでいった。次第にマルガリータの全てが気になり始め、ついには「依存」する側になっていた
彼女は、このふたりの間の特殊な依存関係はずっと続き、彼女の心の最も空しい部分を埋めてくれると思っていた
しかしある日、転校生が彼女の世界に闖入した
人の物を勝手に触っていいなんて、誰が言ったの?
教科書を最初から最後まで読んだので、全部覚えています
彼女もアウリスに多くのものをもたらしてくれたが……
しかし最後の最後で、彼女は自分の指を無理やり引き剥がし、戦火の中でマルガリータを奪い取った
彼女はアウリスが信じ、愛していた全てを奪った。無数の人と別れの言葉を交わすチャンスも奪った
以来数十年、彼女は寝返りを打ちながら眠れぬ夜を数えきれないほど過ごし、何度も自分を引き裂き、彼女に関する記憶を消し去ろうとした
でもなぜだろう……彼女と再会した時……
私は彼女を……憎めない?
彼女がためこんでいた全ての感情は、実際にその目を見た瞬間に砂のように無力に崩れ落ち、握りしめた指の隙間から音もなくこぼれていった
ザ――
赤霧が無意味に思考をかき乱し、広大な深宇宙が静かに周りを覆っていく
だから、どれだけ時間が経とうが、姉貴は永遠にこの土地のことを気にかけているんだ……
無限の暗闇の中で、曖昧で粗い輪郭の人影がゆっくりと浮かび上がり、彼女の傍らに腰を下ろした
姉貴、気付いてる?姉貴は実はあの日からずっと抜け出せていないってことに
チョウ?あんたはもう……
怖がらないでよ、姉貴。姉貴は体も頑丈だし、まだ走馬灯を見る時じゃない
僕はチョウであると同時に姉貴でもある。僕は、姉貴が救えなかった人たちであり、姉貴の心に巣食ってる傷の集合体だ
トン……トン……
一瞬、何かがこの暗闇の世界を叩いているような気がした
姉貴は一度もそれを手放していない、そうだろう?
そんなわけないでしょ?じいさんと一緒に去ったあの日から、私はもう、ここにある全てを手放した
人の傷ってのは、嘘をつかないものなんだ
青年は優しく微笑んだ
私はオブリビオンに加わり、世界各地を放浪し、侵蝕体を倒し、空中庭園とも戦ってきた
20年もの間、あれよりも凄惨な争いに何度も巻き込まれ、悲痛な別れを数えきれないほど見た。私はレンジャーだし、いつだって多くの戦場へ赴く運命にある
それなのに、どうしてカヘティが私を一生縛る牢獄だと思うの?
姉貴は半分しか話してないよね。多くの戦場へ赴いて、それから何をするの?
私を必要とする人たちを救う
つまり、あの日に果たせなかったことを、ただ繰り返しているだけだ
彼の声は穏やかだったが、その言葉は鋭く心を突き刺した
数十年もの間、繰り返し続けて満足した?その欲望は、ほんの少しでも満たされた?
…………
彼女はまた無意識に髪の毛を指に巻きつけていた
だからね、ほら、傷は嘘をつかないんだってば
トン……トン……闇の中に響く鈍い音が、ますます大きくなった
教えて、あんたは……一体何を望んでいるの?
人類で最も脆く、同時に最も強いものは常に、熱く脈打つ心/私>だ。それで自らを見つめれば、どんな傷跡も逃げ場を失う
それ/心>はすでに答えを姉貴に見せているんだ。それ/私>は、姉貴の口からそれを言わせたいんだ
私は……
心臓の鼓動のような鈍い響きが、光なき暗い世界を震わせた
あの日に戻りたい。マルガリータを救いたい
遠くから、何かが砕ける澄んだ音が響き、一条の微かな光が差し込んだ
彼女に見せたい。私はもっと速く走れて、もっと強くなったって……彼女に伝えたい。私はもう大人で、あんたをもっとしっかりと守れるようになったって
彼女は血のかさぶたを引き剥がし、血まみれの傷の根源を直視した
あの日に戻りたい。正気を失ったネイティアを止めて思い切り2発ビンタして、そして大声で言いたい――
私たちは家族じゃないの?どうして何もかもひとりで背負うの?うぬぼれんな!私はあんたよりずっと強い!だから……
私にも、一緒にその悲しみを分かち合わせなさいよ!
私は本当に!本当にあんたが嫌い!マルガリータを奪ったあんたが嫌い!何もかもを気にかけて大切にしているくせに、どうでもいいふりをするあんたが嫌い!
私はどんなことでもあんたに負けたくなかったのに、あんたが何かで後れを取ることも怖かった。それは……何でだと思う?
私はあんたに、そして私に温もりと包容をくれたこの家に、心から焦がれていたからよ!
彼女は声を枯らし、暗闇だった人生に向かって叫び声を上げた
生きるってなんて苦しいの!何度も倒れては立ち上がり、血にまみれ傷だらけになって、あの日、あの瞬間に戻ったふりをしたのは、もう一度あんたたちに会いたかったからよ!
迷って、行き詰まっても私は耐え抜いたのに!望み通り、信頼に足る大人になれたのに。どれほど努力して自分を燃やしても、二度とあんたたちの笑顔は見られない!
華やかな人生なんて欲しくない……ただ過去に戻りたい!あんたたちと一緒に笑って、泣いて、何も知らないまま一緒に明日に向かって駆けていきたかった!
よりよい――明日に――駆けていきたかった!!
マルガリータ、ネイティア……あんたたちは……一体どこなの!
私たちは、ここに――
時空を超えた温かな力が、アウリスの腕を掴んだ
――!?
目の前の幻がガラガラと音を立てて崩れ去り、アウリスがはっと目を覚ますと、そこは炎が渦巻く「墓場」だった
轟音の方向には赤霧が立ちこめ、「黄金樹」はすでにそびえ立っていた記念塔を突き破り、天を衝く巨木へと成長していた
ドォン――爆弾の炸裂音が天を震わせ、巨木の枝が唸りを上げて揺れ動く。アウリスはその時ようやく、川の向こうの戦闘音が自分を呼び戻したのだと悟った
ネイティア……グレイレイヴン指揮官……彼らはまだ戦っている
アウリスはよろよろと苦しげに立ち上がった。骨に食い込むような激痛を歯を食いしばって耐えながら、一歩また一歩と、見覚えのある方向へ体を引きずりながら移動した
彼女は腰のポーチに手を伸ばし、一番奥からそっと貴重な宝物を取り出した
今度こそ……絶対にあんたたちを救ってみせる
彼女はその宝物をはめた手で格納庫の扉を開くと、時の中で眠っていた英雄たちを再び陽の下へと解き放った
今、彼らは出発する
家族を取り戻すために、彼らの悲劇的な勝利を取り戻すために
リン長官が我に返った時、目の前の人々の姿はすでに跡形もなく消えていた
濃い霧は静かに退き、めまぐるしく色を変えながら、広く湿った街路を形作っていく。その真上では、建物の間に掲げられた赤い横断幕が、騒がしい音楽の中で風に揺れていた
彼は思い出した。これは遠い昔の、「勝利の日」の当日だ
あの日、空はどんよりと曇り、細かな雨が降っていた
まだ少佐だった彼は、ほとんど駆けだすように車を降りた。制服に付いた血の汚れを洗い落としもせず、磨き上げられた勲章だけが軽やかな音を立てていた
彼は見慣れた大通りを駆け、待ちわびる人々をかき分け、真っ直ぐに母親の住まいへ向かった
兵団司令部で唯一の生存者であり、放射区の拡大を阻止した功労者として、リン少佐は世界連合政府から「人民英雄」という崇高な栄誉を授与されていた
今の彼の体は、戦火に砕かれ、再び繋ぎ合わされたようなものだった。ただひとつの思いは、長年会っていなかった母親に無事を告げることだ
入り組んだ支給住宅の下にはいつものように、前線の話を聞きたがる子供たちが大勢集まり、色褪せた国威発揚の宣伝壁画の下、どこか面白そうな遠い戦争に思いを馳せていた
ハァ……ハァ……
リン少佐は人混みの中で必死に母親の姿を探した。疲労と傷、そして帰郷したことへの激しい感情が重なり、目まいがしそうだった
ついに彼はその姿を見つけた。ややふくよかな見慣れた背中が、少し離れた水場で何かを洗っている
その瞬間、戦場で押し殺してきた無力感や悔しさ、苦痛が一気に込み上げ、彼はようやく家に帰り着いた子供のように目を潤ませ、自分を救うであろう人影に向かって叫んだ――
母さん――!
故郷を離れた者の、裏返ったような呼び声が支給住宅の間に反響し、白鳩の群れを驚かせた
時間が一瞬凍りついたかのようだった。続いて、少佐は生涯忘れ得ぬ光景を目にした――
水場の側、木陰や窓辺で、子供の帰りを待つ切なる願いと期待を宿した数十もの視線が、一斉にこちらを向いたのだ
…………
リン少佐はその場に立ち尽くした
ふくよかなその背中の女性も振り返ったが、それは見知らぬ、憔悴した表情の中年女性だった。彼女の青年を見つめる目には一瞬だけ希望が灯り、すぐにそれは暗く消えていった
彼女は首を振り、ため息をついて下を向くと、再び自分のサイズに合わない上着をゴシゴシと洗い始めた
ワンおばさん、母さんは……?
彼は知り合いを呼び止めた。彼女の息子は第3大隊の小隊長で、カヘティで爆薬を抱えて侵蝕体に突撃した
……
彼女は首を振った
オウおばさん、母さんは?
彼女の娘は自分の書記官だった。彼女は参謀のアリョーシャとともに、燃えさかるカヘティへ向かった
……
彼女は黙ったまま、手を振った
母さ――――んッ!
少佐は焦りながら、再び大声で叫んだ
しかし今度は、それに応える視線はひとつもなかった
雷雲が地平線の辺りでうねり、低く唸るような雷鳴を響かせている。気付くと温厚そうな老人が長い間黙って立ち尽くす少佐の傍らに立っていた
……先週、数体の侵蝕体が郊外まで攻め込んできたんだ
ピンさんとマーさんは……あの時そこにいた
少佐の瞳孔が急激に縮み、手にしていたブリーフケースが地面に落ちた
……今、何と?
気の毒に……
ガァァン――
少佐は頭が爆ぜたように感じ、視界の全ての色がぼやけ、焦点を失った
彼が真っ先に感じたのは悲しみではなく、計り知れない理不尽さと悔しさだった。無数の疑念が蟻の群れのように集まり、理性と思考の全てを覆い尽くした
彼は地面に膝をつき、感情を爆発させようとしたが、それよりも先に胃の中の物が込み上げ、喉を塞いだ
ピンさんはずっとお前さんには言わなかったが、マーさんは彼女にとって、生き残った戦友の最後のひとりだった
お前さんを産んだその日、彼らの小隊は反乱軍の待ち伏せを受け、ほぼ全滅し、死んだふりをしたマーさんだけが生き延びたんだ
それ以来、ふたりは常に死んだ戦友たちへの負い目を抱え、いつでも誰かに見つめられていると感じていた
それはともに笑い合い、ともに血を流し、ともに雨に打たれ、20歳を迎えることもなく、永遠にその年齢に留まった戦友たちの目だ
風が彼らをひとつに吹き寄せ、大地の塵と変え、今となってはもはや分かつのが難しい……
今日に至るまで、リン長官はあの日、自分が涙を流したのかどうかさえ覚えていない
だが、彼は永遠に覚えている。希望を失ったあの眼差しの数々を。母の死が彼に残した教訓を――
生きることそのものが重い罪だった。それは生者に全ての死者の祈りを背負わせ、歴史のあらゆる苦痛を明日へ運ぶことを要求した
彼は残された人生を、他の戦友たちの犠牲を背負い続けることになった。あの大爆発の日から永遠に抜け出すことは許されない
ドォォォォ――ン
突然、くぐもった雷鳴が轟音へと変わり、天を震わせ、彼を混雑した行列の中へ引き戻した
――!
リン長官はびくりと身を震わせ、たった今水中から引き上げられたかのように、現実世界の音を耳にした――風の音、遠くで曖昧に響く爆発、周囲の人々の息遣い……
彼は我に返り、遠くの「黄金樹」が都市の束縛を突き破り、天へと迫るのを見た。巨大な枝が轟音とともに震え、霧に包まれたその姿はかつての爆発の濃煙のようだった
さっきのは……赤霧か?
リン長官は無意識に声の方を見やり、同じように茫然と見上げている無数の目を見た
俺は……親父を見たんだ
親父はストーブの前に座ってた。下を向くな、前に進めって言われた……
君たちも……あれを見たのか?
うん、お母さんを見た……霧の中で笑ってた
お母さんは悲しまないでって……側にある色々なものに姿を変えて、ずっと一緒にいるからって……
それから、すごく、すごく明るくなって……最後に、あの爆発をまた見た。何も残ってなかった……
…………
凄絶な悲しみの感情が渦巻き、誰もが幻の中で自身の傷を垣間見ていた
それぞれの傷痕は異なっていたが、全てが同じ日、同じ瞬間に刻まれていた
「墓場」との連絡が途絶えました。プランBを実行します。車両を奪還できなければ、生き残る道はありません
本当にこの霧から逃げられるのか?空を見ろ、やつら、スピードが速すぎる……!
弱音を吐いて何になる!やらなきゃ全員ここで死ぬぞ!
外に出たとして……私たちカヘティ人は……どこへ行けるんだ?
長官……ご命令を
混乱の中、ひとりの副官がリン長官を見た
……
喉仏がゴクリと動いたが、彼は何も言わず、霧の奥でますます禍々しさを増す巨木の輪郭へ視線を投げた
第4リアクターの底から噴出する霧状のパニシングが止められない。止めなければ、パニシングはどんどん拡散し……2カ月もすれば、空中庭園から見る地球は血の色で真っ赤だ
赤霧はなおも広がっている。制御できなければ、カヘティ人の生死はおろか、他の保全エリア、地球全体の存亡さえおぼつかない
ネイティア……それに、グレイレイヴン指揮官
彼は小さく呟いた
たったふたりで、本当にこの巨木を伐り倒すことができるのか?
…………
背後の地平線は血の色に染まり、まるで空全体が震え、燃えているかのようだった――その光景は彼にあの血生臭い朝に戻ったような気にさせた
彼は周囲の人々を見回した――暗黒の年月を必死に走り抜けてきた人々を
一瞬、彼らの眼差しを通して、戦友たちの顔が見えたような気がした
同志諸君
この時、彼はかつて自分は口にする資格がないと恥じていたその言葉を、ついに口にした
今この瞬間も、グレイレイヴン指揮官とネイティアは川の向こうで、この世界を、そして我々を救うために死を賭して戦っている
彼らには助けが必要だ。だから……
人々は次第に動きを止め、黙ったまま彼を見つめた
あの日、同じ沈黙に向かって、自分は何を言ったのだったか
彼はもう忘れてしまった
だが、カヘティの人々が下した選択だけは、決して忘れはしなかった
私は戻る
リン長官は外套を脱ぎ、軍帽を被った
河岸の港には、かつて我々を生還させた「スパルタクス号」が停泊している
私は衛星都市へ戻り、あれを操って、グレイレイヴン指揮官の「黄金樹」破壊を支援する
力の限り最後の瞬間まで戦い、あなたたちの撤退に最後の希望を作ろう
今回、彼は一瞬もためらうことなく、決然と背を向けた
あなたたちの親世代とともに過ごした年月の中で、私はひとつの道理を理解した――
歴史に刻まれる一行一行の文字は、我々が、幾百万もの一般人が必死に生きた一生を描き出している
その重みを決めるのは、美辞麗句が連なる言葉でも、筆致の素晴らしさでもない
――必死にもがく道のりの中で、正しいことのために、どれほど自分が幸福を手放せるのか、ということだ
この大地に残る最後の空気を肺に取り込むかのように、彼は深々と息を吸った
あなたたちに伝えたい。私は素晴らしい人生を生きた!これぞ輝ける我が生命の賛歌だ。私は英雄のように罪を背負い、希望と灯火を明日へ運ぶ!
私が行ったあと、カヘティ……あなたたちの未来は、あなたたち自身で決めるんだ
同志諸君……達者で!
そう言って、彼は足を踏み出し、炎に照らされた死の道へ駆け出そうとした
――リン長官!
彼はハッと立ち止まり、振り返った
カヘティは、あなたひとりしかいない街だとでも?
人々は微笑み、親世代と同じように手を振り上げた
私たちは小さい頃から親の物語を読んで育ったんです。今、同じことが自分たちに降りかかっているのに、見て見ぬふりをしろと?
彼は見た。若い少年が、身の丈ほどもある武器を背負うのを
あんたひとりじゃ石炭も掘れないぜ。俺たちが「スパルタクス」を動かすのを手伝う!
彼は見た。労働者たちが、分厚いタコに覆われた手を掲げ、歯を見せて笑っているのを
長官、私たちは最後のカヘティ駐屯兵団です。私たちは連合政府の旗の下、地球の民ひとりひとりに忠誠を誓ったんです
彼は見た。片腕の兵士が、残る手で拳銃をしっかりと握り、歯で固定ベルトを締め、彼に向かって頷くのを
彼は見た。顔を煤で黒くした若い鉱員、古いエプロンを着た食堂のおばさん、そして父親が爆発で亡くなり、記念碑の前でいつも物思いに耽っていた寡黙な少年さえも……
この時、彼ら全員が、自分の背後に立った
皆……
叫びも誓いもなく、ただ無言の静かな微笑みと、穏やかだが永遠に消えることのない炎を宿した眼差しだけがあった
彼はゆっくりと向き直り、敬礼した
長官……
少年が歩み寄り、彼の前で立ち止まると、彼の整った制服を軽く叩いた
今のあなたは、どんな時よりもこの制服がお似合いです
更に何人かが前へ進み、自然とリン長官の隣に立ち、肩を並べた
一瞬、リン長官は呆然とした。目の前の生き生きとした、確固たる意志を秘めた顔ぶれの向こうに、別の見覚えのある姿が重なって見えたからだ――
グレゴリーがヘルメットを正し、励ますように微笑んでいる
ザーナ大隊長が顔の血と埃を拭い、鋭い眼差しのまま敬礼している
最後にアリョーシャ参謀が彼の肩をポンと叩き、微笑みながら烈火の中へ突き進んでいく
彼は見た。昔の作業服や濃い緑の軍服を着た無数の人々が、逆まく奔流の中から振り返り、彼に向かって微笑みかけるのを……
リン長官は、永遠に情熱に燃える若き生命たちを見つめ、熱い涙を浮かべ、微笑み返した
さあ、同志諸君……
彼は軍帽を正し、燃え盛る故郷へと向き直った
勝利のために叫ぼう。この世界に告げよう、我々は確かに生きたと――
彼の背後にあるのは、もはや孤独な影ではなく、労働者や兵士、学生で編成された戦線だった
それはカヘティ全ての灯火を集め、希望を諦めない生命が形作る、逆行する奔流となった
カヘティのために!生ける者、犠牲となった全ての人々のために!
よりよい明日のために――!!!
数十年の苦難を経てなお、奇跡的であり偉大にも、民は同じ選択を下した
たとえその声が微かで、その名が誰にも顧みられなくとも
彼らは一切ためらうことなく、決然と歩き出した
