ジョン·ドゥの腕に貫かれ、ドールベアの体から循環液が滴り落ちた。モワノは慌てて前に出てジョン·ドゥを撃退し、ムーアはドールベアを助け起こして後方に移動した
状況は?
ただ機体が損傷しているだけよ。後で直せる
――グッ!?
すぐにドールベアはこれがただの傷ではないと気付いた。傷口に残された何か特殊な物質が侵蝕して機体に広がっていく。ダメージが劇的に増えていった
より複雑な病原体プログラムだわ。今の段階では、すぐに治療も阻止もできない
ドールベアはそう遠くない場所で戦っているモワノとジョン·ドゥを見た。このまま何もしなければ、必然的に負けることになる
ジョン·ドゥに対抗できる存在を一刻も早く見つけなければ
エリシオンのコア……
ムーア、モワノと一緒に彼を足止めして
任せろ!
ムーアはそう言ってすぐに駆け出し、モワノとともにジョン·ドゥを攻撃し始めた
ドールベアは痛みを必死にこらえてビルに潜入した――機体が病原体に完全に侵蝕される前に、一刻も早くコアを見つけなければならない
暴動で電力の供給がとっくに止まったビルの中は真っ暗だ
ドールベアは機体がますます重くなっていくのを感じていた。循環液がポタポタと滴り落ちる音が静寂の中で響いている。彼女はよろめきながら、唯一の希望を探した
――あった
彼女は目の前で浮いているものに近付いた。シンプルで小さなコアが、広大な仮想都市を支えている。それほど強大なアルゴリズムを持つならきっと病原体プログラムも書き直せる
ドールベアは迷いなくコアとリンクした。膨大なアルゴリズムが彼女の機体に流れ込む。侵蝕された部分を修復しているのに、彼女の心ではなぜか更に動揺が増していた――
修復された機体で再びジョン·ドゥとの消耗戦に加わり、勝敗の見えない戦いを?あるいはそれよりも先に空中庭園が墜落する?
この期に及んでもまだ、彼女はこの難題を解決できる真の鍵を見つけられないでいた
まだ何か他の――
何かが変だ。コアの中に想定していた膨大なアルゴリズム以外の、何かがいるようだ
彼女が考え、判断する前に、それはアルゴリズムとともに彼女の意識海に流れ込み、新しい情報を展開した
彼女はこれが一体何なのかを言葉で言い表せなかった。だがきっと意識海と同源の何かが――彼女を変えつつある
時には羽根のように軽く、時にはいくつもの山を背負ったような重さを感じながら、彼女の意識は極端かつ矛盾するさまざまな体験の中を漂泊していた
ドールベアはもはやここがどこで、今がいつなのかわからなくなった。彼女の意識は最も純粋な空間という概念に戻り、訪れた変化を冷静に受け入れた
これら全ては【それ】が彼女に見せたかったものだ
彼女はエリシオンがエリシオンであることの礎となるコードを見た。自分の機体が生物学解剖のように分解され、あらわになった全構造を目にした
しかしこれは彼女を形作る「全て」ではない。それゆえ、「それ」は彼女に更に多くのものを見せようとしていた
彼女は鳥のように降り立ち、地を踏みしめてゆっくりと歩いた。ここはエリシオンのごく当たり前の道ではあったが、いつもの純粋な仮想都市ではなかった
彼女は街角に並ぶ無数の背中を見た。彼女はそのひとりひとりに名前を呼びかけることができた
彼女はひとりひとりに歩み寄り、改めて相手の姿と自分自身を見つめ直した
ヴィクトリア、レオナルド
俺に任せておけばいい……こんな汚れ仕事でお前の手を汚させたくはない
子供は、年長者を信じるだけでいい。お前たちにこんな早々に、暗くて恐ろしい世界に直面させるなんて、大人の俺としたことが、しくじったよ……
泣かないの。さあもう戻りなさい……ヴィクトリア
戻りなさい。子供は大人を信じていればいいの
じゃあね。祝賀会ではさくらんぼ味の電解液を用意しておいて
私、ヘラルド計画を再開するつもりはもうないの。計画で得た情報は、全部空中庭園の軍に提出したから
命と引換えに得た栄光なんて、ノルマングループには必要ないもの
ドミニク
私が戻ったら、お前は自由に、なりたい自分になっていいんだぞ
でも……今までのヘラルド計画では誰も戻ってきていない……
私は必ず戻る。これは私たちの約束だ、私の小さなドールベア
モワノよ
でもそれが何になるというの?小さな檻から逃げたところで、より大きな檻に飛び込むだけよ
結局どこに逃げられるというの
…………
それでも、ずっと同じ檻の中にいるよりはマシよ
少なくとも……外に飛び出せる
彼らは誰も彼女を引き留めはしなかった――なぜなら、彼女はこれから前に進むべきであり、前に進まなければならないことを知っていたからだ
彼らは過去それぞれのクリスティーナを見守りながら、未来へと進むドールベアを見送った
ドールベアは結局、ひとりきりで道の果てまで歩いた
彼女は目の前に自分と同じ顔の人物を見た。この時点ではまだ「それ」だが、まもなくそれは彼女となる
これがあなたが私に見せたかったものなのね
そしてこれが、あなたの力
いいえ、これは私の力じゃない
私はただの「空白」、ただの「アイデンティティ」にすぎない。そしてあなたは今、それを埋めるために選ばれた人
この空白の使命って?
私があなたに見せたのは【基盤】であり、【虚偽】でもある
あなたは【真実】になる必要がある。私も、あなたが【真実】になり、【質点】になるのを望んでいる
あなたは自分がいかにして今の姿となったのかを見た
今、可能性はあなたの手の中にある。あなたは自らの手で摩天楼を積み上げることができる
希望へ通じる摩天楼?
【基盤】か
これらが……私を形作る基盤
全てが私の未来の力であり、あなた自身でもある
いえ、まだ完全ではない
今のあなたも【基盤】なの
あなたという最後の礎を補ってようやく、未来の「ドールベア」を築くことができる
ドールベアは「ドールベア」に手を伸ばして触れた
時が刻一刻と流れていく。流れる水は次の瞬間にすぎ去った水となる。未来にとっては、現在の彼女もまた、基盤の一部だ
これは茨の道よ。私は切実に願っている……
日の光があなたに降り注ぐことを……
ドールベアは、まだ理解できない言葉とともに、少し悲しそうな「それ」に抱きしめられた
彼女たちは融け合い、意識は未来へと流れ――最新の躯体の中に定着した。今の彼女はまったく新しい「ドールベア」だ
物語は開始する前にとっくに終わっていたことを。ここで起きたことは事件を巡る捜査の物語ではないことを
更に巨大で、強烈な陰謀と復讐が起きていた
エリシオンはただ荒唐無稽な夢にすぎない。そして夢から目覚めるのに「事件を完了」する必要はない。それは予期せぬタイミングで発生する
まるで半分まで撮影が終わった映画が雑に編集されたように、全ての人と物は手綱を離れた野生の馬であり、墜落と死は広大な草原となって広がっている
ドールベア、あなたはこの夢に飛び込んできた、招かれざる客
今こそ、あなたが駆ける時
ドールベアは急いで戦場へと駆け戻った。今、ようやく対抗できるアルゴリズムを手に入れた
彼女は駆け抜け、踏みしめる度にその足に大地の堅牢さを感じていた。それはしっかりと揺るぎなく、この街、そして彼女を支えていた
彼女はこれらの礎を支えに、人類の未来を支えなければならない
