Story Reader / 本編シナリオ / 37 厄夢の淵に眠る / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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37-6 網を張る蜘蛛

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夜、暗い雲が月明かりを遮った

保全エリア内では、外周を巡回する兵士を除き、全ての者が眠りについていた――そっと忍び足で部屋から出てきたグレイレイヴンのふたり以外は

……やっと全員が寝たようです

ふたりふたりが中央広場から部屋に戻って以降、何人かの住民がふたりふたりの仮住まいの周囲に姿を見せるようになった

好奇心などではない。あれは明らかに……監視だ

リーフがわざと部屋の明かりを消してから更に30分がすぎた頃、部屋に動きがないと判断したのか、彼らはようやく立ち去った

巡回中の兵士が持つ灯りが、保全エリア内の建物の影を奇妙な形に引き裂いていた。ふたりは揺らめく光を避け、建物の裏に広がる影の中に身を潜めた

だいたいの見当は。医療室からそう遠くはないはずです……指揮官、こちらです

巡回中の兵士を避け、家の軒先の暗がりに身を潜める。リーフの案内に従い、粗末なテントへと近付いた――

意外にも、テントの中には柔らかな黄色の明かりが広がっていた――モリノアという名の医師は、もう隠れる気はないようだ

あ……あなたたちなのね、いらっしゃい

彼女はテントの入り口に立ち、ふたりが来ることをあらかじめ予期していたようだった

あなたたちが来るだろうと思って……どうぞ、中に入ってお座りください

私たちは敵ではありません。知りたいことがあれば、何でもお話します

穏やかに微笑み、モリノアはテントのカーテンを開け放った――温もりを帯びた、木々の繊細な香りがふわりと流れ込んできた

お待ちください、指揮官

リーフは慎重に先に立ち、室内を簡単にスキャンして武器や罠がないことを確かめてから、ゆっくりと室内へと入った

このテントはそれほど大きくはなく、温かく柔らかな黄色の光が天井から吊り下げられていた。壁や床には、手編みの厚い毛布が何枚も積まれている

たとえこれらの家具が簡素で粗末な材料で作られているとしても、この深夜に僅かな温もりをもたらしていることは間違いない

……おかけください

モリノアはグレイレイヴンのふたりをテーブルの方に招き、炉の側にあるヤカンを持ち上げてカップに白湯を2杯注ぐと、テーブルに置いた

彼女は自分の非人間的な両手を隠さなかった。鋼鉄等の金属で構成された骨格は、長い間メンテナンスされていなかったためか、微かに摩擦音を立てていた

1体の機械蜘蛛が隅をよじ登り、8本の細い脚を動かして、蜘蛛の巣を静かに編み続けていた

人間の礼儀では、お客様にはお茶なのでしょうが……生憎、ここには他に淹れられる飲み物がないのです

モリノアは少し申し訳なさそうに微笑んだ

失礼しました、自己紹介がまだでしたね……

モリノアはヤカンをそっと置き、姿勢を正すと、静かに語り始めた

私はモリノア。ご覧の通り、機械体です

意外にもモリノアは自分の正体をあっさりと認めた

これは問いかけではない――明らかに、保全エリアの住人たちはこの医師の秘密を共有し、守っていた

はい、彼らは皆、私のことを知っています。私はこのことを隠そうと思ったことはありません

モリノアは緊張を隠すようにヤカンを手に取り、カップに水を注いだ

彼らを傷つけたこともありません。ただここに暮らし、彼らの生活の手助けをしているだけです。たまに医師としての仕事もしますが、まだ不慣れで……

本当にそれだけなんです。えっと、その、私には戦闘能力なんてありませんから……

彼女は、自分が危険な存在ではないことを懸命に証明しようとしていた

もし、さっきのことについて訊きたいのであれば……リオンの「苦しみ」の感情は、確かに私が「吸収」しました

彼女は落ち着かない様子で両手をそわそわと動かしていた

感情を吸収する……それはあなたの能力ですか?

いいえ、それは……私の仕事です

まるで会話の糸口を見つけたかのように、モリノアは小さく息を吐き、その話題について話し始めた

正式に自己紹介しますと……私は「サイコロジスト」型の機械体で、サイコロジスト第3世代、番号はIII-0007です。「モリノア」は会社が私につけたコードネームです

黄金時代、確かにこうした機械体が医療用に開発されていました。第2世代の開発段階で倫理的な問題により、それまでのプロトタイプの開発中止と破棄が行われたそうですが……

でもこうした能力を利用して、何かを企む人は必ずいるでしょう?

…………

「サイコロジスト」型の機械体は黄金時代に開発され、人間の感情を「調節」する能力を持った機械体です……

人間の感情を「調節」する能力を持った機械体――かつてファウンス士官学校で見た、この種の機械体に関する記録を思い出した……

黄金時代、科学技術は飛躍的に発展した。しかしその急速な発展の裏で、精神的な病いを抱える人間の数も次第に増えていった

人間の精神科医への高額な診察料を支払える人は限られており、多くの貧しい人々はより直接的な方法を選択した――

年々高まる死亡率を食い止めるべく、メンタルケアモジュールを搭載した機械体――「サイコロジスト第1世代」が誕生した

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リーフの端末に黄金時代の映像が投影されていた。医療セールスマンは、人間に似た顔立ちの女性型機械体を背後に立たせ、賑やかな口調で紹介していた

……もちろんそれだけではありません

何かあまり楽しくはない話題を思い出したらしく、モリノアは眉根を寄せた

ポジティブな感情モジュールには、基礎的な心理学の資料がいくつか保存されているだけで、役に立たないんです。本当の効果は……その後に行う「感情剥離」治療です

負の感情の脳波を変換し、神経活動の信号を分離したあと、逆方向にプログラムを解析して、彼らの脳へと戻す――

「負の感情」に関わる神経活動信号を除去すれば、自然と「負の感情」は生じなくなります

私の父が医学研究センターの理事だったので、いくつかの関連プロジェクトに携わったことがあります。「サイコロジスト第1世代」が発売された際は、大変な好評を博しました

その後すぐに「サイコロジスト第2世代」機械体の開発に着手し、第2世代が発売された直後……初めての医療事故が発生したんです

ある企業の従業員が、談笑中に19階の階段から足を滑らせて転落した

少し前に彼は「サイコロジスト第2世代」の治療を受けたばかりだった。その理由は、「過度なストレスによって生じた仕事に対する恐怖心」からだった

彼は「恐怖」という感情を失っていた。「落ちるかもしれない」ことをまったく恐れず、いとも簡単に足を踏み出した

その後、「サイコロジスト第2世代」に起因する医療事故が多発しました。関係部門は複数の同型機械体を解体し、その動作に組み込まれた深層ロジックを発見し……

モリノアは大きくため息を吐いた

「感情剥離」が効果を発揮しない場合、「感情捕食」プログラムが起動し、対応する帯域の神経活動信号を直接呑み込んでしまうんです

神経活動信号が呑み込まれてしまうと、短時間のうちに人間は対応する「感情」を失う――

このような処理は、人間の倫理的基準にやや反しているとされ、第1世代及び第2世代は番号順に一斉に回収、破棄されました

そして私は、秘密裏に開発された「サイコロジスト第3世代」の機械体なのです

モリノアは悲しげに首を振った

第2世代の販売が開始された頃、私たちはすでに開発中でした。幸い、極秘プロジェクトとして非公開だったお陰で処分を免れたのです

その後、第3世代は密かに製造されました。会社はこの利益を手放すつもりはなく、「サイコロジスト第3世代」の最終ロットを、秘密裏に高額な競売にかけました

私はこの鉱業会社に買われ、「家事用機械体」という名目で働いていました。鉱坑内の作業員の負の感情を吸収し、暴動の発生を防ぐ役目でした――パニシングが爆発するまでは

私はずっと鉱坑の中に閉じ込められたまま、長い長い時間を過ごしました

作業員の一部はパニシングに侵蝕された機械によって命を落とし、あるいは物資を巡る争いで亡くなりました。私自身も……状況を把握できず、ただ……目を開けただけです

彼女は戸惑いながら、自我の芽生えを抽象的な言葉で表現した

私が目を覚ました時、周囲にはもう誰もいなかった。まだ崩れていない鉱坑をたどって外に出て、この保全エリアにたどり着いたんです

最初は隠れ続け、保全エリアに入れませんでした。でもここにいる人間たちは私を怖がっていないらしいと気付き、私はここに留まり、一緒に暮らし始めた……

……ごめんなさい。空中庭園は機械体に対してあまり友好的ではないという噂を耳にしたことがあったから……

モリノアは少し気まずそうな顔をして、咳払いをした

最初にローデンツ小隊が到着した時、私もしばらく身を隠していたんです。彼らに敵意がないことを確認するまでは

ローデンツ小隊にあなたたちのことを聞きましたが、彼らも詳しくは知らないようでした。ただ、「とても優秀な精鋭小隊」と

あなたたちに追い払われるんじゃないかと不安で……だって、私は人間じゃないから

あなた方は鉱坑内の異合生物掃討の支援に来たと聞き、その任務が終わるまで私は隠れているつもりでした。でもリオンが……

リオンの苦しがりように、見て見ぬふりはできなかった

彼女の声は悲しみに染まり、沈んでいた

自分の存在が露見すること、それに私にできるのはリオンの恐怖と苦痛の感情の捕食だけで、怪我の治療には何の役にも立たないこともわかっていました。でも……でも……

モリノアの声は震えていた

彼は母親を呼び続けていた……

私にはできなかった。あれほど苦しんでいるあの子を、あそこに放置したまま、ただ見ているだけなんて……

私はデータベースで読んだいくつかの医療手段で、少しでもリオンを楽にしてあげたくて、できる限りのことをしました

でも、私にはそれ以上の医療手段はなかった。痛み止めも全部使い切ってしまって、私にはもうそうすることしかできなくて……

目尻からひと筋の涙がこぼれた。モリノアは、それが機械体が流すはずがない液体だと気付き、慌てて何かを探して拭き取ろうとした

ごめんなさい、私……

…………

リーフはそっとため息をつき、ハンカチを差し出した

あなたに危害を加えるつもりなどありません。実際、私たちも人間に友好的な機械体とたくさん交流してきましたから……

彼ら……つまり、他の機械体から連絡が来たことはないのですか?

……ええ……ありました

ゆっくりと落ち着きを取り戻し、モリノアは涙をそっとぬぐった

アルカナという名前の機械体から連絡がありました。彼女はある機械体の組織に属していると言っていました……

……お知り合いですか?彼らの存在が露見するのが心配なのですが

モリノアは避けるように目を伏せた

どうして彼らを、同胞を探さなかったのですか?自分の同胞と一緒にいる方が、安全だったはずなのに

彼らは確かに居場所を教えてくれました。そこに行けば合流して一緒に暮らせるとも。でも……

私は人間から離れたくないんです

涙を拭い、モリノアは柔らかな笑顔を浮かべた

人間から離れたくないんです。この子供たちのことが愛しい。私もまた彼らに頼って生きているんです

彼女は心からの笑みを浮かべていた

これは、全てのサイコロジスト型の機械体に共通するベースロジックです。たとえ自我意識に目覚めても、私はこのベースロジックから逃れたいとは思いません

私は彼らを愛し、彼らに頼って生きてもいます

モリノアの他意のない笑みを見て、リーフと無言で目を見交わした

この機械体には明確な異常はない――少なくとも、彼女の体内にパニシングは存在しておらず、ナナミや含英たちに似た機械体のようだ

聞いた限りでは、彼女の来歴も合理的に思える

だからといって警戒心を緩めるつもりはないが、鉱坑内の情報を知るチャンスでもあった

先ほど、鉱坑内でかなり長い間「仕事」をしていたと言っていましたが……内部の状況をお訊きしてもいいですか?

ご存知の通り、私たちの今回の任務は鉱坑内の異合生物の粛清ですから

ええ、もちろんです

モリノアはためらうことなく快諾した

もし鉱坑に本当に異合生物がいなければ、ここにいる子供たちも安心して生活できます……あなたたちは何を知りたいのです?

彼らが提出した治療対象者の資料によると、対象者の一部は採掘作業を行う採掘工で……彼らの負の感情の大部分は「恐怖」と「倦怠」です

別の対象者は、資料には「研究員」と記されていました。彼らの負の感情は主に「疲労」と「恐慌」でした

鉱坑内にかなり大規模な実験室があるようです。ただ、私の……「仕事」はかなり特殊なので、ほとんどの時間、自分の「診療室」にいました

申し訳ありませんが、私は鉱物には詳しくなく、該当するプログラムも搭載されてなくて。あそこで採掘されている鉱物が何なのかはわかりません

彼女はぎゅっと眉根を寄せ、データベースから該当する資料を必死に探そうとした

一見、何かの結晶のようです……鉱坑内の実験室は、この結晶を研究する目的で存在しています

ただ、私の……「仕事」はかなり特殊なので、ほとんどの時間、自分の「診療室」にいました。そのため、彼らの作業内容についてはよくわかりません

しばし沈黙しているモリノアの瞳にデータの輝きが走った。何かの情報を呼び出しているらしい

時間を推測すると、当時は黄金時代末期。彼らはずっとあそこで鉱物を採掘していました。掘り抜いた鉱坑は規模が非常に大きく、複雑で、地下都市と呼べるほどです

保全エリアに定住後も、私はたまにまだ使えそうな物資を探しに戻ることがあります……あなたたちがいう異合生物に遭遇したこともありますし、他にも……

……子供です

……鉱坑の中に子供が?

リーフは驚いて訊き返した

……そうです。このご時世、人間も自分ひとりの分すら満足に食べられないのに、子育てなんてできるわけがありません

モリノアは悲しそうにため息をついた

恐らくは、通りすがりの流浪者でしょうね。子供が産まれたあと、育てられずに鉱坑に置き去りにしたのでは

あの時、私は鉱区のもともと倉庫だったところに、以前の痛み止めがまだ残っているかを確かめに行ったんです……

包帯……あっ、これはもう使えない

物資が積まれた倉庫の中。時間の経過で布はぼろぼろの粉のようになり、女性機械体の手からさらさらとこぼれ落ちた

彼女は空気中の埃をバタバタと扇ぎ、視覚モジュールを再調整して、封印されている別の箱を開けた

痛み止めがまだ残っている……よかった、こっちにも1瓶ある

辛うじて使える痛み止めを握りしめ、モリノアが保全エリアに戻ろうとした時、数匹の異合生物がある方向へ集まりつつあるのを目撃した

微かにその辺りから別の声も聞こえてきた……

……泣き声?どうして……

回路に組み込まれたデータコアが赤ん坊を守るというベースロジックを発動させ、彼女はその指令に抵抗することなく、真っ暗な鉱坑の奥へと真っ直ぐ向かった――

異合生物たちが群がり、まさにひとりの赤ん坊を攻撃しようとしていました

私は片腕を犠牲にして、やつらを追い払い、その子を連れ帰りました

ごめんなさい、私は戦闘能力が低くて……

彼女は首を横に振った

異合生物は私に興味はないようですが、あの鋭い爪は私の体を簡単に引き裂けますから

私の型番は特殊で、交換用のパーツを探すのが難しいんです。だから私は外周を徘徊することしかできないんです

…………

私はただの機械体です……人間の赤ん坊をどうお世話すればいいのか、わかりません

モリノアはぼんやりと片隅を見つめていた。そこでは機械蜘蛛が8本の細い脚を動かしながら、相変わらず蜘蛛の巣を編み続けていた

彼女に水を飲ませて、食べ物も少しあげたんですが……まったく口にしてくれなくて、ずっと泣き続けました

それから、私は……彼女の「不安」という感情を吸収しようとしました。けれど、彼女はまだ幼すぎて、すぐに新たな負の感情が生まれて、また泣き始めてしまうんです

私はどうやって彼女をあやせばいいのかわかりません……

彼女は、所詮ただの機械体にすぎない

彼女は今どこにいますか?

保全エリアのある夫婦が彼女を連れていってしまいました

彼女は保全エリアの名簿をめくり、その夫婦の登録名を指し示した

この夫婦は……自分たちの子供を、8歳になる前に亡くしてしまったんです

そんな……

368保全エリアの住民マニュアルを読みましたが、ここでは「8歳未満の子供には追加補給が与えられる」のルールが施行されているはずでは?

リーフは焦った様子で訊ねた

はい、その子は補給物資に頼って8歳までは成長したんです。その後……鉱区の中の鉱坑に誤って落ちてしまって

…………

私たちが彼を発見した時、彼はすでに息をしていませんでした

あの子を抱えて戻ると、私は……彼女をその夫婦の家に預けました。彼女が少しでも彼らに慰めをもたらせればと願って……

モリノアは目を閉じた

私はただの機械体でしかない……だから、人間の子供をどう育てたらいいのか、わからない

私は自分ができる限り、彼女に最善のものを与えようとしました。それでも彼女は成長し続けることができなかった

彼女を手放したくはなかった……でも他に方法がなくて、彼女をあの夫婦の家に預けたのです

たとえ……彼女が私のことをお母さんと呼んでくれなくても、ただ遠くから見守ることができれば……

それだけで十分です