Story Reader / 本編シナリオ / 33 光追う錆夜 / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
<

33-14 「高壁」

>

ハーブティが仄かに温かい湯気を立ち昇らせている。「イシュマエル」と名乗る高次元の存在は、「答え」を急かすこともなく、静かに片隅に座っていた

ゆっくりと昇る遠くの朝陽を眺めながら、いつしか思いは冷たい風に乗り、更に高く、更に遠くへと飛ばされていった

赤潮に入り、新たな0号代行者と権限を争うべきか、それとも再び異重合塔に入り、「扉をくぐる」べきか?

前者は、人類に安定した生存をもたらせる可能性がある。だが、もし本当に「扉をくぐり」、イシュマエルが語る「より高次元の力」を得ることができたなら……

以前の日々に戻るチャンスがあるのだろうか?

この瞬間に時間は止まった。日光は松林の梢に凝固し、寒風もやんだ

イシュマエルはカップを持ったまま、こちらを見ながら微笑んでいる

どうしますか?

心は決まりましたか?

イシュマエルは確かに人類に敵意を抱いてはいない。しかし、彼女は人類ではない

以前、彼女がフォン·ネガットと一緒にいたところを目撃した者もいる。彼女の言葉を全て鵜呑みにすることはできない

ましてや、彼女の約束はあまりにも漠然としており、新たに提示された「選択肢」にも根拠はない

わかりません

「扉」が与える「試練」は一様ではなく、私にはその意志を左右することはできないのです

そう理解してください

「未知」の結果に賭けるよりも、地に足をつけた選択の方がいいのかもしれない

赤潮に入った時、言葉では言い表せないほどの激痛以外に、自分は確かに何かを掴み取ったんだから……

カイウスの意識はまだ消え去っていない

カイウス

違う……まだ……その時じゃ……

水が水に溶けるかのように、自分の意識が完全にカイウスの意識と融け合ったようだった

その瞬間――あるいはもっと長い時間の中で、無数に散らばった記憶が脳内をよぎった。それらは……全てカイウスの記憶だった

フォン·ネガット、イシュマエル、そして……異重合塔内での無数の昼と夜

慈悲者

「ビリー·ピルグリム」はどうかしら?それともこの名前、今のあなたの方がお似合い?

なるほど、これが……あなたたちの選択

ここで彼女を殺したとしても、彼女は新しい身分で再び現れるでしょう。コレドールではない別の「キャラクター」として

「正解」の者がその位置に立つまで続くはずです

ええ。ですが、まだ試していない可能性がある限り、あなたはあの指揮官を囮にすることを許さないのでしょう?

あのふたりがコンステリアで本当に対峙すべき敵が誰なのか、理解するといいのですが

記憶の断片が細い糸のように意識に絡みつく。だが、これで確信できた……

赤潮に入ったあと、カイウスと手を組み、新たな0号代行者に対抗することが、ひとつの現実的な道であると

……どうやら、心は決まったようですね

招待を拒絶する、そうでしょう?

彼女は全てを察したように微笑んだ

地球が危機に瀕している中、自分は「高次元の存在」を信用することはできない

いいえ、あなたの選択は理解できます

以前の私も……きっと奇妙なフードを被った「高次元の人間」なんて簡単には信じなかったでしょう

イシュマエルはカップを置いて立ち上がると、フードを被り、また「監察院のイシュマエル」の姿に戻った

これから、どうするつもりですか?

天航都市までお送りしましょうか?あなたを赤潮から勝手に連れ出したのは、私のせいでもありますから

0号代行者がすでに天航都市を包囲していますから、今のあなたの状態では戻るのは難しいかもしれませんよ

イシュマエルの言葉で改めて確認すると、防護服は赤潮によってボロボロに腐蝕していた

ええ、喜んで

暗い天幕に視界を覆われ、再び目を開けた時には、以前赤潮へ飛び込んだ山頂に戻っていた

高次元の存在の姿はすでになく、空気中に彼女の最後の言葉だけが残っていた

イシュマエル

途中で気が変わったら、私の名前を呼んでください

……イシュマエル、と

冷たい朝の光が差し、空が白んできたが、大雪は依然としてやむ気配がない

端末を見ると、赤潮に入った時から時間は進んでいないらしい。天航都市はまだ眠っており、時折、数人の歩哨が雪を踏みしめながら城壁の上を巡回しているだけだ

これ以上、迷う必要はなさそうだ

天航都市の今後の全てについては、ロサ、エマ、シュエットの端末に送信済みだ。自分がいなくなったとしても、彼女たちなら都市のことにうまく対処できるだろう

結末が予測できない「試練」に挑むより、全て自分の手でコントロールできる方がよほど安心できる

自嘲するように呟いた直後――

黎明の中、山の麓の赤潮の中へと身を躍らせた

赤潮が視界を覆い、全ての血肉と瞳を侵蝕する

赤潮の中から最後に見たのは地球の空だった

雪は、まだ降り続いている

指揮官が塔を出てから、今日で902日目

指揮官が去って62日が経過

指揮官が去ったあの日、あなたが残したメッセージを受け取りました

メッセージを受け取って、シュエットやエマとともに天航都市を飛び出しましたがあなたを見つけることはできませんでした

その後、何か起こったのかは誰にもわかりません

変異赤潮は都市の外で激しく逆巻き、数百mの大波を起こしました新型の浄化塔がなければ、天航都市はとっくに呑まれていたことでしょう

でも、その「嵐」がすぎたあと、意外にも変異赤潮は騒ぐのをやめ更に天航都市の本来の安全区域からも後退していきました

シュエットが警備隊を率いて慎重に外を調査しましたが、変異赤潮はそれほど攻撃性を見せませんでした

警備隊が持ち帰った物資のお陰で、私たちはなんとかこの「寒い冬」を乗り越えることができました

指揮官、ロサです

今、天航都市でこの手紙を書いています

指揮官が去り、私は何度も何度も赤潮を調査し、深く追究し

赤潮の縁で、喉がかれるほどあなたの名前を呼びましたが、あなたは一度も姿を見せませんでした

でもあなたが去って、「嵐」がすぎたあと、新たな0号代行者もまた、姿を消しました

赤潮はこれ以上広がってはいませんが、衰えてもいません今でも、赤潮に惑わされ、その懐へ堕ちていく人はいます

指揮官、あなたは成功したのですか?あなたが言っていたように、赤潮の制御権を奪い取ったのですか?

そうであることを……願っています

私は、彼らとともに生き延び、そのための努力を諦めはしませんあなたが人類のために勝ち取ってくれた、この貴重な時間を無駄にはしない

この手紙を赤潮に投じます。どうか、指揮官に届きますように

私たちは信じています。いつか指揮官が戻ってくることを

人類の灯火は、永遠に燃え続けます

書き終える前に、インクが足りなくなってしまった

ロサは最後の数文字を刻むように強く書き、手紙を小さな舟の形に折り畳んだ

天航都市の外は、まだ雪が積もっている

変異赤潮は天航都市の外に身を潜めている。積極的に攻撃してくることはないが、衰えることもない

人類の活動範囲は、井の中の蛙のように、天航都市付近の狭い区域に制限されている

変異赤潮は依然として彼らの脅威であり、人類がいつ完全に呑まれるかは誰にもわからない――

それは今日かもしれないし、明日かもしれない

人類の結末――「高き壁」

人類の文明は、ここで停滞した

イシュマエルに……人類への敵意はない

彼女の単なる好奇心か、それとも本当に新しい「物語」を聞きたいだけなのかもしれない

信じていいのだろうか……

私を信じるかどうかにかかわらず、あなたにとって悪いことではないでしょう

こちらの考えを察したのか、イシュマエルは穏やかな表情でカップを持っていた

確かに、私はあなたが「試練」を突破できるかどうかの保証はできません。「扉」が与える「試練」は一様ではなく、私にはその意志を左右することはできないのです

でも……あなたは失敗しないと思います

あなたが持っている力は、あなたが「思っている」以上に遥かに大きいから

イシュマエルは、一瞬だけいたずらっぽい笑みを浮かべ、穏やかな表情に戻った

焦らなくて大丈夫です。考える時間は十分にあります

カップを持ったまま、彼女は悠然と視線を逸らした

さまざまな思考が頭の中をグルグルと巡っていた。朝の光が一瞬、時を止めたかのように、薄いベールのような光が下にある天航都市を覆っている

もし本当に異重合塔に入り、「試練」を突破できたのなら……

ん?あの……異重合塔から伸びる、あのトンネルのことですか?

うーん……あるいは可能かしら

いつものように、彼女は曖昧な答えを返した

「扉」をくぐり、「より高次元の力」を掌握できさえすれば、時間を正しい未来には巻き戻せなくても、ナナミの足跡を追い、過去に情報を送るくらいはできるかもしれない

そうすれば、また「改変」のチャンスを得られる可能性がある

どのみち、最悪死ぬだけだ

どうやら、心は決まったようですね

イシュマエルは手にしていたカップを置いて立ち上がった。彼女が手を振ると、古めかしい奇妙な扉が、彼女の側に静かに現れた

正確に言えば、私の権限で開けた、異重合塔への近道です

準備はできましたか?もしくは……天航都市に戻って、何か伝えておきたいことがありますか?

赤潮に入る覚悟を決めた時、今後起こりうることは全て書き記し、ロサ、エマ、シュエットの端末に送信しておいた

どうあれ、最悪の場合は死ぬ。たどり着く目的地が違うだけで、遺言を修正する必要はない

では……

扉がゆっくりと開き、眩い光が溢れ出した

中が安全だと保証するかのように、イシュマエルは先に扉の中へ入っていった

凍てついた時間が再び流れ始める。空は淡く白み、風が松林を優しくなでて、サヤサヤと音を立てていた

雪は、まだ降り続いている

無数の思考が時間の流れを遡り、過去の光景が次々と目の前に浮かび上がる

地球、グレイレイヴン、これまでに経験した無数の戦い、心に刻まれた全ての瞬間……

青い空は雪が舞い散る暗い雲に隠れ、もうため息もでない

もしかしたら……これが地球を見る最後の瞬間になるかもしれない

何かを言いたくて口を開いたが、誰に向けるべき言葉なのかもわからない

空から広がる光が崖を包み、「過去」の自分をも包み込んでいく

人間の最後の低い呟きを、風が静かに運んでいった。人間は背を向け、この孤独な帰途を歩み始めた

漆黒の扉は音もなく静かに閉じ、風ひとつ立てなかった