体は高濃度のパニシングの中でバラバラに崩壊し、白い光が全ての生命の輪郭を呑み込んだ
ルシアが読み取れる情報はそこで途切れた
しかし、指揮官の夢はまだ終わっていない――
視野はなおも広がり、この夢は夢の中にいる者以外、誰にも見えない
あなたは誰?
悪夢の視線が白いマントをまとった女性に向けられ、彼女もその視線に気付いた
なるほど、まだ夢の中にいるのですね。自分の目を自由に動かせないのなら……一緒に見続けましょう
彼女の視線の先に目を向けると、無数の屍が連なってできた長い道だけが見えた
空から街を見下ろすと、幾千万もの細い糸が街道を駆け巡り、無数の赤い破片を巻き込みながら我先にと深い絶望の淵に落ちていく
地球の生命と文明の情報を載せた糸が集まり、次第に編み上げられ、膨らんだ「繭」を形作る
……この星が、まもなく孵化する
彼女は、かつてどこかで聞いた言葉を口にした
ここでも奇跡は起こらない
彼女は巨大な「繭」に包まれた「蛹」を見つめた
それは屍を養分に、無数の糸とそこに含まれる情報によって、新たな体を再構築している
その成長が進むにつれて、世界は徐々に輪郭を失い始めた
意識は徐々に虚無へと溶けていく地面から遠ざかり、彼女の体も次第にぼやけていく
全ての悲しみが地球の引力の消滅とともに浮かび上がり、周囲を取り囲んだ。如何なる魂にも解放や安息は許されない
地面は遥か手の届かない場所にあり、星の海は頭上に浮かんでいるのに、やはり手が届かない
救済も奇跡もない。かつて生きていたもの全てがデータとなって、「繭」の一部に取り込まれていく
あら?これは恐らく、本当の結末ではありませんね
彼女は微笑みながら、裂けた「繭」を指差した
誰か逃げだしたようです
あれの目的は「収穫」です。「誤った」文明を消滅し、この文明の全てのデータを「扉」に持ち帰ること
もちろん……正しいかどうかは、「試験」によって定義されます
あれに打ち勝つことができれば、「扉」を越える資格が得られる――完全に「扉」を通過できるかどうかは別問題ですが
そう、これは与えられた「試験」です。もしあれを掌握できれば、あれは星の海へ向かう「乗船券」になる。あれは、ここでは「カイウス汚染」と呼ばれているもの
…………
もし奇跡を起こせるなら、私はこの星に訪れます。その時、またお会いしましょう
再び目を開けると、<phonetic=指揮官>その人</phonetic>は反転異重合塔に戻っており、カイウスに見つめられていた
現実と夢の記憶が、死と時間遡行の影響で混乱しきっている
体はまるで、5月3日の処刑台に磔にされた時のように、少しずつ剥がされていく
耳鳴りと頭痛が同時に襲いかかり、力を振り絞ってなんとかふらつく体を支えた
現実だよ……崩壊する反転異重合塔とともに変動を続け、悪化している現実……
…………
……0号代行者の影響で、コレドールの体と人格が……かえって彼女自身を妨害してる
彼女の意識と自我は不安定で、だから……
カイウスは頷いた
異重合塔のコアを、0号代行者が元に戻してしまわないようにしてる
人間は俯いて両手を見つめながら、以前その手に握っていた大切なものを思い出していた
その際は有効化した「招待状」を使用して反転異重合塔に入ることができる。必要な時には、その招待状で異重合塔のコアを破壊し回収することができる
覚えておいて欲しい。塔のコアの破壊は深刻な結果をもたらす。これは最後の手段だ
<color=#ff4e4eff>暴走</color>する
塔は0号代行者の支配を離れ、「鍵」でも制御できなくなる。全ての問題が外部へ漏れ出す
反転異重合塔は、今阻んでいる全て……赤潮や裂け目を……「反転」しなくなる。同時に塔は誰でも進入可能になり、入った人は自分がどの時間へ行くか制御できなくなる
――完全なる混乱だ
そうなったら、コアを回収する意味はあるのだろうか?
今もうすでに問題が起きてる……このままじゃ、0号代行者はコアの融解と同等か……それ以上の悪い結果をもたらすかもしれない
…………
それからもうひとつ……
それを知ってるの?
カイウスは少し驚き、考え込むように俯いた
……ドミニクもコアを融解できなかったのに、それを成し遂げられるの?
それはパンドラの箱のようなものだ。最後の希望を手にするためには、まずそれが解き放つ大惨事を経験しなければならない
あの、避けられない結末のように――
…………
もしその道を選びたくない、あるいは選べないのなら、残された最も確かな方法はただひとつ――時間を稼いで、反転異重合塔とコアを維持することだ
異重合塔の問題を解決できなくても、解決までの時間を作ることはできる
……私が0号代行者になること
彼女は残り半分の言葉を言わなかった――そのために、もうひとりの犠牲が必要だということを
あるいは……回収したコアを私に渡せば、0号代行者の権限を継承できるかもしれない……コレドールと同じように、私の意識の安定度では長くは維持できないけど
…………
もう少し試せる時間があれば、他の選択肢もあるかもしれないけど……
彼女はその生気のない目をそっと上げ、次の質問を待っていたが、返ってきたのは沈黙だけだった
ここに立つ人間と人形の両名は理解していた。この沈黙の中に、語り尽くせないほどの失敗と退路のない絶望が含まれている
無数の無意味な試み、長年の苦痛。異重合塔はまるでハサミのように、時間を弄ぼうとする者を次々と切り裂いていく
……もしかして、もう本当に打つ手がないのだろうか。この危険な道の先にあるのは越えられない断崖だ。犠牲を払わなければ前進できないのかもしれない
再びその名を呼び、苦笑しながら異合生物である彼女の方を振り返った
…………
その問いに返ってきたのは、あまりにも長い沈黙だった
…………
……ルシアの予想通り、指揮官も同じ理由で犠牲となる道に目を向けていた
あの人が犠牲になるのを止めるためには、これからの一歩一歩を慎重に歩まなければならない
……もう、私に黙ったまま、ひとりで誰にも見つけられない場所へ行かないで
彼女はこの先、自分がそうできるかどうかわからない願いを小さく呟いた
……この後……
コアの融解はもう避けられないのかもしれない
もし回収したコアを持って元の時代に戻り、皆の知識と力を借りて、次の策を考えられれば……
そうすれば、彼女が払った全てが無駄になることはない
――しかし、彼らはまだ無事なのだろうか?
5月3日、果てしなくループする虐殺の中で、指揮官はすでにリーフとリーの死を目撃していた。それは未来の出来事ではなく、すでに過去に起こったことだ
0号代行者が生きている限り、彼女は指揮官に苦しみを与え続けるだろう。死という終わりすらなく
0号代行者の問題を解決するには、カイウスの意識にならないといけない
カイウスが補完されないまま0号代行者となるには、まずコアを融解する必要がある
……これは答えのない無限ループといえた
…………
……コンステリアに入ってからの唯一の進展は、「果実」によってコレドールが抑えられていることだけ
彼女はフォン·ネガットから受け取った端末をしっかりと握り、手の中の切り札について考えた
……これを使えばあなたの機体には大きな負荷がかかります。1度の使用くらいでは致命的とはいえませんが、繰り返せばあなたが耐えられる限界を容易に超えるでしょう
…………
何回使えば限界を超えるのか?フォン·ネガットに訊いたところで、彼は答えないだろう
……チャンスは一度だと考えた方がいいですね
一度でも失敗すれば、彼女はその果てしない戦いの中でついに耐えきれなくなる可能性が高かった
それなら……
ある計画が、彼女の心の中で少しずつ形となっていった
カイウス
確か、あなたはずっとローズと接点を持っていましたよね。最初にコンステリアで会った時もそうでした。彼女のこと、守りたいと思いますか?
カイウスは頷いた
彼女を守りたいなら、コンステリアから送り出しましょう。私がその役目を引き受けます。コンステリアに閉じ込められている人たちも、私なら元の世界に送り返せます
その代わり、ふたつ協力してください
ひとつは、コンステリアのフィールド障壁に出口を作ることです。彼らを逃がすのと同時に、赤潮を食い止めなければなりません
カイウスは真剣な顔で頷いた
もうひとつは、私たちが反転異重合塔に入ったら、今のように正しい時間に送り返して欲しいのです
…………
無理でしょうか?保証できませんか?
……保証はできない……
反転異重合塔の崩壊はかなり深刻だから。でも、できるだけやってみる
時間の誤差を1カ月以内に抑えられますか?
1年かな
反転異重合塔の状況がこれ以上深刻にならなければ、1年
――もう時間がない。0号代行者は反転異重合塔の破壊をやめないだろう。しかし、ルシアは今の自分に選択肢がほとんど残されていないことをよくわかっていた
…………
あなたの計画を少し使わせてもらいますよ、フォン·ネガット
彼女は奇妙な形状の端末を手に取り、機体のスキャン機能を使ってリンク装置を隅から隅まで何度も確認してから、自分の機体に接続した
リンクはすぐに完了した。エネルギーの伝送中、何度か不安定にはなったが、幸い試行錯誤による不具合もなく、しばらくして鍵は元の姿に戻った
新しい光が表面のひびを全て覆っているように見えるが、その光の膜がいつまで持つのかはわからない
競争しましょう……指揮官。あなたが教えてくれた方法で、同じ目的の「死」に向かって
…………
ルシアの独り言を聞きながら、カイウスはハッと何かを悟ったようだ。彼女はルシアが端末の装備を着実に整えるのを見ながら何かを言いかけ、結局は俯いてしまった
何か話したいことでも?
俯いて眉を曇らせている人形は、視線を彷徨わせた
…………
言いたいことがあるなら、どうぞ
あのコアは……
……?
……ラミアが持っていった卵で……作ったものなの?
…………
リンクが完了した「鍵」は反転異重合塔の範囲内で起動し、時間が流れ始めた
全ての始まりへ引き戻される直前、ルシアは人形自身が持つある点に不審を抱いた
完全な会話ができる異合生物は、体内にある程度完璧な人間の意識を持っていると聞いたことがあります
……
あなたの意識は……一体誰なんです?
ルシアの問いに返ってきたのは、長い沈黙だけだった
だがルシアも特にこの答えに興味はなかった。彼女はカイウスの沈黙を受け入れ、心の中で時間をカウントダウンし始めた
そのカウントがゼロになり全てが遡行する瞬間、人形はようやく嘆くような声で口を開いた
……忘れてしまった。ただ、覚えているのはカイウスという名前だけ