4月15日、グレイレイヴン指揮官が失踪してからすでに15日がすぎていた。グレイレイヴンの隊員もまた、冷静な暴走を15日間続けていた
エリート小隊として、彼らは常人には想像すらできないほどの困難を乗り越えてきた。当然、生き別れや死別の覚悟もあった
彼らの胸には同じ考えがあった――いつか指揮官の死を受け入れるしかない日が来ても、その場所は戦場もしくは老いた指揮官のベッドの前であるべきだと
彼らは信じている。別れは、共通の目的のために命が尽きるまで奮闘した結果であるはずだ
そして彼らは期待している。その輝かしい魂を見送るのは、大切な人の傍らで……それがどれほど耐えられない辛さだとしても
だからこそ、彼らはそうあるべき別れの形を望んだ
あの日の、あんな形での別れではない
「また後で」という言葉を残して、指揮官は撃墜された――赤潮の川に墜落する運命を迎え、悪意と利害の渦に引きずり込まれた
我々の任務は今日で終わらせる
廃墟の一角に立っているストライクホークの隊長は、端末からルシアに資料を送った
これから我々は南極の近くでパニシングが凝集している異常を調べに行きます
パニシングが凝集?……わかりました
ちっ、何が緊急任務だ。俺らが邪魔なだけだろうが
その確証はない
やつらには動機が十分あるだろう!
カムはギュッと手を握りしめ、力一杯、廃墟の壁に拳を叩きつけた
あいつがどうやって失踪したかわからない、とは言わせんぞ!
もちろん判明してる。でも今はまだ命令に従う必要があるんだ
もし彼らに弱みを握られれば、更に動きにくくなる
これは俺に――
カム
黙れッ!
グレイレイヴンを信じろって
俺らよりあっちの方が焦ってるだろ
……チッ
端末に送った3つのファイルは、この10日間で我々と粛清部隊が調べた場所です
最初のファイルは、バンジによる075号都市の離反者の臨時拠点の調査データ。代行者ルナは地下拠点から離れているが、まだ近くで離反者が徘徊しています
彼らの目的は意識海の安定性テストをすることでした。でもあまりに危険なテストのため、多くの者が不可逆的なダメージを負ってしまっている
ふたつ目のデータは、あの汚染された川の下流を調べたものです。カムが粛清部隊から装置を借り、残骸から惑砂と離反者たちの痕跡を見つけました
この報告はそちらの推測を裏付けている。昇格者たちは確かに4月1日、あの川の畔で待っていました。そしてある老人がその場に一緒にいた
今、ビアンカがその老人を調べています。だがこれといった特徴も登録もないらしく、捜し出すのは困難そうです
難民に詳しい誰かに訊いてみるのは?例えば……オブリビオンとかノアンとか
クロムはしばし黙り込んだ
オブリビオンの方はもう訊いています、だがほとんど情報がなかった。しかも彼らの態度には、手伝おうという意思が感じられなかったんです
そして、昇格者たちがその場を離れて6時間後に、その現場にもうひとり男が現れています……ノアンです
……何だって?
その報告を受けて、私は彼の行動を調べました。あの夜、彼はバロメッツの他のメンバーと一緒に清浄地にいたと、同じ小隊のメンバーが証言しました
…………
藪蛇になりかねないので、この報告をしたのはビアンカのみにとどめています
……わかりました。しばらくはそうするのが妥当でしょう
3つ目は赤潮の天啓に関する情報です。私とカムイがグレースからの情報を元に、再度カッパーフィールド海洋博物館を調べたところ、倒壊していない別館を発見しました
別館?
実はあの博物館、6層構造だったんだ。上の3層は水深の浅い海中で、下の3層は後から昇格者が造ったらしい。グレースすら噂のみで入ったことがなかったんだと
つまり……異合生物に襲われたり、カッパーフィールド海洋博物館が崩落したのも、その下の3層を隠すためだと?
その可能性はあるかと
我々はそこでクティーラ計画に関する情報や、「宿体」研究の痕跡を見つけました。昇格者の研究所だったと推測されますが、今はもはや無人でした
フォン·ネガットの手下の多くは科学研究に優れ、ウィンター計画に参加していた研究者だったと思われます。赤潮出現後、異合生物の研究に転向したのでは
こちらの調査結果もそちらと似たようなものです。理由なき失踪人や、違法の意識海安定性テスト……
でも手がかりをつかんだと思ったとたん、その先で途切れてしまうんです。あの輸送機に関係していた者は、全員非業の死を遂げています
……誰かが本当に追い詰められたらしい
そちらも尾行されていないか、くれぐれも気をつけてください
昇格者たちがより大きな陰謀を企てているのはどうやら間違いなさそうです。しかもその陰謀には「非常に安定した意識海」が必要らしい
網を張って目標とする者が見つからなければ、彼らが次にやることは……意識海が安定していることがすでに明白な者を毒牙にかけることだ
ストライクホークの任務報告は以上です。後は……
クロムは任務引継ぎの際の決まり文句、「後は任せました」を今回は口にしなかった
モニターに映る3人のグレイレイヴンを見つめたまま、彼はゆっくり左手を自分の右の胸の上に置いた――グレイレイヴンのマークのもうひとつの片翼を形作るように
ストライクホークはグレイレイヴンとともに。希望を捨てないでください
……感謝します!
通信を切ると、また静けさが戻った
……彼らが安定した意識海の持ち主を探しているのなら、なぜまず私たちのところに来ないんでしょうか?
僕たちを拉致できる自信がないのか、それとも僕たちですら基準を満たしていないのか
……少なくとも、指揮官があの川で亡くなった訳ではないことは確かです
任務を継続しましょう
リーフ、シーモンに確認してもらえませんか。あの人が逃げ出すとは思えませんが、時に個人の選択すら忖度されないこともありますから
わかりました
僕はノアンの動向を見張るようにします
ええ、次に目指す場所はウィンターキャッスルの後方にある廃墟です。そこで惑砂の目撃情報が上がっています
では、出発しましょう
ルシアは刀についた離反者の循環液を振り払い、刀の柄をグッと握りしめた
……私は決して諦めません。こんな……こんな結末は絶対に認めません!
見つけたぞ!
3時間にわたる捜索で、3人はやっと補給物資や、グレイレイヴンのマークのあるコートを見つけた
俺がこの瓦礫を持ち上げるから、すぐにコートを引っ張ってくれ
山積みの瓦礫の下からコートを一気に引き出した瞬間、シュトロールが手を離し、たくさんの瓦礫が地面にぶちまけられた
はぁぁ、こりゃ疲れたな。年寄りが改造手術を受けるとこうなるってことだ
じゃあ、少し休ませてくれ……
彼はクタクタの様子で地面に座り込んだ
リリアン、お前、補助型構造体だったな?ちょうど医薬品も見つけたし、傷を縫ったりとかできるだろ?指揮官の手当をしてやってくれ
わ、私は構造体専門で、できるのは包帯を巻くくらいなんだけど?
シュトロールはやれやれとため息をつき、それ以上は何も言わなかった
それでもいい。任せた
リリアンは頷くとおどおどしながら包帯を取り出し、まるでこちらに触れたくないかのように最大限に距離をとって跪いた
疑われたのを察した彼女は明らかに慌て出し、無理にこちらに近寄ろうとした
ちちち、ち、違うの!わ、私はただ……自分の医療技術に自信がなくて
彼女は更にもう少しだけ近付いてきた
傷口は、どこに……
……じ、じゃあ……見せて
惑砂のやつ、あんたに一体何をしたんだ?背中が爛れてる。パニシングの侵蝕か?
シュトロールはゴホンと空咳をして、こちらに気を遣ってか目の前の瓦礫を観察しているフリをした
怪我が……とても酷い。爛れている部分は侵蝕のせい?
全員が黙り込んで静けさが広がる中で、「リリアン」が包帯を巻く音だけが響いた
慣れた補助型構造体なら自分の力加減をうまく調整できるので、これほどビクビクと慎重にはならない。リーフのように優しい手つきでも、手当はテキパキとしているものだ
…………
また疑いの目を向けられていると気付いて、彼女の動きは更に慎重になった
…………
もちろん、ラミアは疑われている理由をよくわかっている
もし今、端末に音声入力をしろと言われれば「……」の時間が倍になるだろう。今、彼女は自分の感情をうまくコントロールできないのだ
目の前のふたりと合流してから、彼女は二重の危機に陥った。惑砂と、この人間だ。しかも今はリリアンという、本来の自分と体型が大幅に違う姿をしている
少しでも油断すればラミアはこの孤立無援の場所で正体を暴かれ、逃げ場もなく殺されてしまう。あれらの残骸に仲間入りするしかない
そんな恐怖に怯えている彼女だけに、慎重に行動せざるを得ないのだった
いっそここで昇格者らしく、目の前のふたりが油断している不意をついてどちらか一方に手を下すのも……
しかしすぐに彼女は目の前の傷だらけの人間が、彼女を檻から助け出した時のことを思い出した
――感謝はしないまでも、また檻に閉じ込められないとは誰も保証できない
コートの中に端末があるか確認してくれ
シュトロールは疲れ切ったようにため息をつくと、体を起こしてすでに壊れている端末をいじり始めた
さっき、ガラクタの山から別の端末をいくつか見つけた。分解して組み直してみようかと思ってな。外とはムリでもこのエリア内で使えれば十分だ
万が一はぐれても、端末を使って連絡できれば
シュトロールはボロボロの端末を修理しながら、苦笑いを浮かべた
へっ、ヴァレリアはな、あんたのことを「運のいいクソ人間」って呼んでた
ああ、卒業してすぐ凄腕の隊員と出会ったから、何度も窮地に陥ろうが死ななかったって。あんたが幸運じゃなきゃ誰が幸運なんだ?あ、俺がこう言ってたって、言うなよ
でもまあ、今まで生きられたやつは皆、運がいいのさ
俺たちスカラベの指揮官のことだよ。糞掃除の昆虫の名を持つ小隊は「汚れ仕事」担当なんだ。あんたらみたいに表舞台に立つ英雄とは違う
ま、今は皆、同じ境遇だがな
彼は自分の認識票を触りながら話しかけた
あんたは首席だ、学校でも順風満帆だったろ?
ん?あんたにとって、こういう状況は日常茶飯事か?
ワハハ、学校は学校、戦場は戦場だからな。この状況じゃ、いくらあんたでも大変だろう
今の俺たちには戦える者すらいない。まさに絶体絶命だな
ただの場を和ます雑談だ。言いたくないなら、訊かないさ
えっと、手当できたけど……
傷の上に簡単に包帯を巻かれただけの手当だが、今はこれで我慢するしかない
指揮官……またこんな傷だらけに……
リーフの悲しむ姿を見たくはないが、もし彼女がここにいれば、どんな怪我をしても行動に支障は出ないだろう
バンジは補助型構造体になる前は小児科医だったらしい。侵蝕や重度外傷を専門として治療していなくても、彼ならこんな適当な手当はしないはずだ。それに……
怪我人は休む時間だよ。後は任せて
……彼なら、こんな状況でも休ませてくれたはずだ
ゆっくりと指を動かしてみたが、まだ痛みを感じる。薬がまだ効いていないようだ
疲労感は骨身にまで達し、体を動かすためのエネルギーが傷口から流れ出る血のように失われていく。ついには視界さえも暗くなってきた
どうすればこの暗闇から光を取り戻し、いつもの自分に戻れるのだろう?
そうだ。あんたの端末は見つかったか?
シュトロールは折りたたみナイフを投げて寄越した
コートの裾を切り裂くと、リーがくれた小型端末があった。無傷ではないがまだ電源は入る
モニター画面のほとんどが割れているせいで、記憶を頼りにシステム切り替えメニューを探すしかない
しばらく奮闘して、端末からやっと微かながら起動音が鳴った
声紋識別中……クリア
ようこそ、27件のメッセージがあります。再生しますか?
ところどころ欠けたホログラムで、ルシアが浮かび上がった
指揮官、ずっと探していますから。今どこにいたとしても、希望を捨てないでください
続いてリーの姿が現れた
その予備端末の発信源を信頼出来る人員に共有しました。みんな探しています
そしてリーフ
指揮官……私たちは諦めません。必ずあなたを見つけます
再生し続けると、彼らの映像や音声はデータ破損のせいか、不明瞭になっていった
ストライクホークの皆は調査したルートを報告し、手がかりを得ようとしてくれている
ケルベロスも多くの疑わしい拠点を捜索したらしく、ヴィラは粛清部隊の尋問にも協力したようだ
バロメッツ以外、多くの顔見知りの小隊が捜査の報告や、激励のメッセージを寄越してくれた
未再生の最後のメッセージは、バネッサからだった
▂▄▁▅▇▅▃▆▅▄▁知っているか、もう▇▅▃▆も経っているんだ
彼女の音声と映像はデータ破損のために途切れ途切れだ
今日まで何の情報もないとは……普通の▁▅▇▅▃▆▅▄▁だったら、君はすでに「死亡が確定」している
皮肉なものだな、▁▃▆▃▆▁▂▄▁▁▃▆▅▄▃▆▁
彼女は髪の毛を耳にかけると、諦めたように端末をテーブルに置き、壁の隅の暗い影の方へ歩いた
…………
▅▁▇▅▂▄▁▃▆▃▆▁▂▄▁▅▇▅▃▆▅▄▁
卒業式での▁▃▆▃▆▁の姿、私はまだ覚えているよ
彼女は窓の外を眺めながら、小雨がポツポツと降るように細切れの感情を見せて過去の出来事を話すと、古い鼻歌を口ずさんだ
…………
君が壇上▁▃▆▅▄▃▆▁転び落ちるか、何回想像したと思う?
ふっ……こんな▁▂▄▁とは、▁▅▇▅▄▁想像しなかっただろう
まあいい、どうせ聞こえていまい、この話は、私の自己満足だと思ってくれ
君の死亡が確定▇▅▃▄▁、リーフを▁▅▇▅▄▁呼び戻させてもらう。せいぜい▇▅▃▄から憎んでくれるといい。死を悔いながらな
メッセージはそこで途切れ、その後はいくら操作しても端末は反応しなかった
ファウンスの校歌か……
彼は自嘲するように笑い声をあげ、組み立て直した端末を渡してきた
それ、もう壊れてるんだろ?これを持ってろ。有効距離は100mだ。少なくとも俺たちが互いに連絡するくらいはできると思う
昔、ヴァレリアと一緒に廃墟に閉じ込められた時、彼女も焚火の横でその歌を歌ってたよ
シュトロールは端末をいじりながら、昔の出来事を話してくれた
彼女が、その歌は多くの人にとって、励ましや慰めになると言ってた
ひとりぼっちになっても、思い出が勇気となって前に進める、再会する時は必ずやってくるってな
……もし死んでしまっても、再会できるってこと?
リリアンは膝を抱えたまま小さな声で訊いてきた
……え?
「リリアン」には、その言葉は皮肉に聞こえる
……あなたたちがいるって、何それ……
「私にはルナ様がいる」、そう言える勇気は彼女にはない
αはルナやロランにしか関心がない。そして目の前の人間は自分の正体すら知らない
ルナの傍らにいる昇格者たちはそれぞれの迷いと目的を抱えながら、救いを求めている。誰も互いの本心や過去を知らない
かつて彼女もそれでいいと思っていた。しかし自分の記憶と自我を取り戻した彼女は、光が届かないその関係性をある種「異常」だと認識していた
彼女はもう昇格者という立場に縛られ、暗闇に閉じ込められた者ではない
彼女はハッキリと自分の傷口がどこにあるかを知り、より多くのことを考え始め、昇格者以外の世界に対して迷いを持ち始めているのだ
おい、「何それ」って、なんだよ……
こいつが弾を撃ち切ってでもお前を檻から助けた理由を何だと思ってんだ?
お前がどれほど大切な人間を失ったかは知らない。でも誰だってな、過去には戻れないんだ。今を生きるしかない
自分を誰にも見向きされない石ころだと思ってるなら、誰も助けちゃくれない。記憶の中で溺れ死にしちまうぞ
…………
う、ううん、そういう問題じゃなくて……
ラミアは実は、目の前のふたりに本心から訊いてみたかった
例えば――自分が価値を失い、捨てられる心配をなくすにはどうすればいいの?
例えば――昇格者としての彼女が、人々に受け入れられるにはどうすればいいの?
例えば――「努力して自身の価値を高める」以外で答えを得るには、どうすればいいのだろう?
しかしそれらの質問を口に出せるはずもなく、彼女はどうでもいい質問をしてみた
……さっき、なぜ私を助けたの?
――確かにそれは嘘ではなかった。リリアンにとっても、ラミアにとっても
……でも本当に大丈夫、なの?私は……
……つまり、今は……私を捕まえないってこと?
「リリアン」はあっけにとられながらも、コクンと頷いた
嘘がバレるまでのほんの少しの時間だとしても……偽りの身分のままで、このハーモニーを楽しませてもらいたい