ああ……▇▇▇……私の▇▇▇▇……素晴らしい……
!!!
朝の光が一筋差し込んだことで目が覚めるまで、彼女はきれぎれに砕けた寝言に追い続けられていた
意識海はまだ微かに疼いている。鎧がもう少し休もうというように彼女の肩に手を添えた。だが……
もう時間がないわ、姉さん
エコーは黒い鹿角が刻まれた端末をしばらく眺めていたが、すっと立ち上がると、疲れを取り払うかのようにして身なりを整えた
ここは「あそこ」に最も近い保全エリアよ。もしライナ姉さんが逃げられたなら、ここにいる可能性が高そうね
何があっても、必ず彼女を見つける
エコーは眉根を寄せると、最悪の可能性を意識海から追い出した。彼女は鎧をなだめてひとりで保全エリアへと向かった
異重合塔の一件からかなりの時が経っていた。清浄地の範囲がだんだん明確になり、現在、保全エリアは大きく発展していた
しかし他のエリアにはパニシングが依然として蔓延っている。異合生物も人知れず進化し続けていた――未来はなおも不確かなものだ
それでも人間という生物は一筋の希望さえ見えれば、恐ろしいほどの生命力を発揮するのだった。壊滅した大地に根差し、勢いよく成長し続けている
この保全エリアは清浄地の外縁にある。まだ探索中の清浄地に近いせいか、町には多くの構造体が行き交っていた
おい、聞いたか?グレイレイヴンの指揮官がこの保全エリアに来るってよ
でもグレイレイヴンは今、隊長不在なんだろう?なんでも勝手に昇格者と接触したせいで軟禁されてるらしいぞ
それが本当かどうかはさておき、指揮官が来るってことは管理部を手伝ってるツレから聞いたんだ。こっちの人間の失踪事件の調査じゃないか?
そんなのかなり前の話じゃないか。なんで今頃?
そういえばそうか、グレイレイヴンの指揮官ほどの有名人がこんな事件を調べに来る訳ないよな……
もしかして、近くの保全エリアで異合生物の襲撃事件が起きてるから、そっちを改めて再調査するとか?
グレイレイヴンの指揮官?
箱を片付けるふりをしていたエコーは、その情報をそっと記憶にとどめた
彼女はこれまでにもグレイレイヴン指揮官の名を耳にしていた
……グレイレイヴン小隊……
あの小隊の指揮官って、ちょっと特別な人間らしいわよ
常に地球奪還の最前線でパニシングと戦い、しかも指揮官は全力で隊員を守り、隊員も全力で指揮官を守ろうとする……
はっ、そんなチームがいるもんか
本当にそんなチームがいたところで……誰もがそんな隊員や指揮官と出会える幸運なんてある訳がない
……そんな変な目で見ないでよ。あの指揮官と一緒に戦うなんて想像したこともないんだから……
私はただ、そんなありもしない感情のために命を落とすバカを二度と見たくないだけ
記憶はぼんやりとして不確かな断片のようで、詳しくは思い出せない。だがあの人が自分の言葉を深く信じきっていたことはしかと覚えていた
え?なんでこんなにも……首席に憧れてるかってことですか?
それはたぶん……首席に関する作戦報告をいろいろ見聞きしたからかと
最初は……学校の掲示板の成績だけでしたけど、それから……
九龍環城、プリア森林公園跡、カッパーフィールド海洋博物館に異重合塔……
首席は人間の体では不可能だといわれていた多くの戦いに勝ってきました……それだけじゃなくて、首席はこんな世界の中でも、まだ……
……「正直な心」を持っている
エコーははっと我に返った。幸いにも向こうで話していたふたりの構造体は自分に気付いていないようだ
……今ごろ来たって、異合生物に襲われた誰かさんの骨すら残ってないさ。ノコノコ調べにきてどうするってんだ……チッ……
何か他のネタはないのか?
たいした話はないな。あ、粛清部隊が……実験構造体とかなんとかを探してるって聞いたな
空中庭園は遠いしここまで情報が来ない。だから構造体がどんな顔かすらもわからないらしい
情報は紫色の髪、だけだとさ。でも紫色の髪の構造体なんてそこら中にいるしな……
ほら、そこの人だってそうじゃないか?
構造体は何気なくエコーの方を指さした
まあ、本当に逃げた構造体がいたとしても、清浄地でぐずぐずせずとっくに外に逃げてるだろうよ……
そんなことを心配してたってしょうがない。さっさとパトロールに戻るぞ。異合生物を見逃したら大変だ……
ふたりの構造体は笑いながら、遠くへ去っていった
ホッと安堵して、エコーはギュッと握りしめていた手の力を抜いた。手の平の皮膚冷却用の「汗」のせいか、メンテナンス不足で乾燥した人工皮膚が湿っていた
どうやら……この僻地にある保全エリアには、空中庭園からの手配書がまだ届いていないようだ
エコーは布で手の汗を拭き取ると、目を伏せて構造体たちが歩き去った方向を避けて歩き出した
空中庭園へ「自首」するのも、「贖罪」としては悪くない選択肢かもしれない
死ぬのは別に怖くなかった。でも今は……まだ死ぬべき時ではない
そんなに簡単に死ぬ訳にはいかないのだ
今は……ライナを見つけなければ
コンステリア
演算機の前、白い髪の機械体の少女がデータ照合に専念していた。彼女が次の演算を始めようとした時、寂れた部屋に着信音が鳴り響いた
ドルシネア……
話しかけようとした彼は、背後で点滅している演算機にちらりと目をやった
まだ演算を続けているのですか?
はい、さまざまなサンプルを異なるシチュエーションにあてはめて、新しい物語の演算を試しているんです
シチュエーションと初期の物語設定を変更すると、たとえデータサンプルが同じであったとしても、異なる物語が生成されます
ふむ……まだあの「結果」にこだわっているんですね
実は、私にもよくわからないんです。でもこれをやり続けたいという気持ちが消えなくて。だから続けてしまうんでしょうね
私はパレットクラッシュでのふたつのデータサンプルを使って、異なるシチュエーションの演算を何度かしてみたんです。どちらも結果は違っていました
ふたつのサンプルとは?
グレイレイヴン指揮官と、「エコー」という名の個体です
あのふたりですか……
セルバンテスはしばらく考え込んだあと、フッと微笑んだ
現実で起こることの方が、演算の物語よりずっと面白いと私は思いますけどね
現実、ですか……
生まれてからこのかたコンステリアを一歩も出ていないドルシネアには、「現実」という概念がよくわかっていないようだった
現実の物語とは、一体どんなものでしょう……
外に行ってみたいと思いますか?
外……に?
でもセルバンテスさんのご指示では、私はコンステリアに残って、覚醒した機械同胞の安全を守らなければならないはずです
それなら心配いりませんよ。私が一部の管理権限を他の仲間に委譲することもできますし
ドルシネアは自分の心に従って行動すればいいんです
……
演算機の光が次々と消え、ブーンという稼働音も静かになった時――
――寂れた部屋にいた、あの白髪の機械少女の姿が消えていた