空中庭園の司令部の前で、リーとリーフは約束したかのようにちょうど鉢合わせした。リーは手に持っていたファイルを持ち上げて左右に振ってみせた
リーフも申請ですか?
リーフは虚を衝かれた表情になったものの、すぐに笑ってリーと同じ申請書を見せた
リーさん、ふたりで話せば説得力も増すと思いませんか
やれるだけやってみましょう……戦力が増えることに文句はないはずだ
ここ数日、ふたりは地上の戦闘状況をチェックしていた。指揮官とルシアからの情報によれば、異合生物の攻撃は予想よりも低威力で、ギリギリ持ちこたえられているらしい
だからこそ、何か大きな災厄の前触れのようにも感じる……無数の戦いをくぐり抜けてきたリーフとリーは、そんな嫌な予感に襲われていた
ふたりは目を見合わせて頷いたあと、司令部のベルを鳴らして中へと入った。しかしそこにはすでに先客がいた
目の前の人物が上官であろうがまったく気にせず、腰に手を当てて尊大な態度のカレニーナが、ニコラのオフィスに突っ立っていた
Ω武器の組み立てと改造は全部終わってんだ。オレら工兵部隊も戦闘に参加させてくれ!
Ω武器の特性を一番よく知るのは私たちです。指揮官のいうあの状況で、大量のΩ武器投入の必要があるなら、我々がコントロールしさえすれば成功率は大幅に上がるはずです
ビアンカが失踪してもう何日目だよ……オレらが海に流れ込んだ赤潮を処理しなきゃ、救援活動だって展開できねーだろうが!司令!出撃させてくれよ!
ニコラはため息をつき、何カ所も承認プロセスをすっ飛ばして自分の手元に届いた申請書を眺め、鋭い目線をセリカに向けてきた
止めたんですけど……でも、無駄でした。一応、止める努力はしましたよ!
ニコラの増幅する怒りを感じてセリカはおとなしく部屋の隅に引っ込んだが、その実目くばせでカレニーナたちを応援し始めていた
却下だ……何度言わせるつもりだ。司令部の作戦配置が完了するまで、待機していろ
それに、お前たちふたりだけで何ができるというのだ
反論する言葉がすぐには出ず、カレニーナはぐっと押し黙ったままニコラをギロリと睨みつけた
人数が問題ならば、僕たちも数に入れてください
リーとリーフが部屋に入ってきて、カレニーナの横に立った
私たちも地表に行く申請の件で……この作戦を支援したいんです
お前たちふたりを参戦させないのは守るためだ。新型特化機体の適合者にそんなリスクを負わせられるか……
いい加減、我が身がどれほど重要な存在なのか分別するべきだ。これはグレイレイヴン指揮官の意見も考慮して出した結論なんだぞ
リーが反論するよりも早く、リーフが口を開いた
でも……新型特化機体にとって、指揮官こそが最も重要なんです。指揮官がいらっしゃらなければ私たちはとっくに死んで……いえ、死ぬよりも悲しい結末になっていました
リーフは誰よりも新型特化機体の意義を理解している。それは破滅の一歩手前の大きな賭けだった。運命のルーレットがもう一度回れば、自分は全てを失うかもしれない
いつか将来……私とリーさんだけでなく、新型特化機体に適合できる他の構造体も現れると思います……その時、指揮官の存在や力が、きっと彼らの助けになります
リーも肯首した。リーフの言い分はよくわかる。自分とリーフの……新型特化機体への変更が失敗する可能性もある。失敗は死……そうなれば人類の未来を指揮官に託すしかない
未来を語るなら、まずは現在を守らなければ
ニコラは目を閉じた。彼の表情からは何も読み取れず、一同は黙ったまま、この苦り切った上官の判断を待つしかなかった
セリカ……
突然名前を呼ばれて驚きつつ、セリカはすぐにニコラの傍らに駆け寄った
司令……?
スカラベ小隊を呼んでこい
ニコラがスカラベを呼ぶ理由はよくわからないが、セリカは慌てて任務記録表を調べ始めた
ええと、今空中庭園に滞在中のスカラベ小隊のメンバーは八咫だけです……彼女は以前、臨時指揮官を勤めていたハリー·ジョーとともに、空中庭園で待機しています
それでいい。彼女は輸送機の操縦経験もあるし、戦闘能力も高かっただろう……ハリー·ジョーも地上での集団作戦の経験がある。彼も一緒に呼んでくるんだ
ニコラは少し考え込み、また口を開いた
ケルベロスにも出撃命令を。指揮官のマーレイは地上作戦には不向きだ、彼には遠隔リンクで支援させればいい
マーレイ……
自分の弟が知らぬ間に小隊の指揮官となり、空中庭園に必要不可欠な存在になっていることを、リーはその瞬間まで忘れかけていた
司令?つまり出撃に同意したってことだな?
ニコラは憤懣やるかたない表情のまま吹き出し、カレニーナに向かって首を横に振ってみせた
同意はもうどうでもいい……もともと司令部がたてた作戦計画は、権限内で使える限りの戦力を使う予定だった。だが今、もうひとつ問題が起きた
どういうことでしょう……?
お前たちにも状況を説明しておく。時間がないので簡潔に伝えるぞ
ニコラは戦術モニターを展開し、そこにカッパーフィールド海洋博物館の周辺地形を表示した。その中央には敵の出現を意味する赤いポイントが数多く表示されている
海に流れ込んだ赤潮の中心に大量の異合生物が集まっている……前のように世界規模ではないが、密集度は上がる一方だ
カレニーナは首を傾げて分布図を眺めると、顎に手をあてて考えこんだ
この状況、最新型の輸送機エンジンでも突破するのは難しいぞ……迂回するしかねーのか?
グレイレイヴン指揮官の報告によれば、この中央エリアに巨大な人型異合生物や、大量の異合生物が出たらしいから……陸からの迂回も現実的じゃないわね
でもあんたが正面突破以外の方法を考えるだなんて、ずいぶん進歩ね
ケッ、ほっとけよ!
いえ、こんな時こそ正面突破に勝算があります……十分な人員を集めて、全員で飛行型異合生物のエリアを突破した方が逆に安全かと……
リーは戦術地図を拡大し、ある座標を探し始めた……
IR-22……IR-22……
IR-22……IR-22……まさにここです……!
この空域から突破すれば、新型エンジンの加速性能を最大限に発揮でき、飛行異合生物の大半を振りきれるでしょう。そうすれば赤潮の流入地点近くの地上にたどり着けます
ここに注目を。この谷が流入地点と繋がる……対人戦なら伏兵をここに仕込むでしょうが、異合生物にそんな芸当はできないと見ていい。開けた場所での戦闘を回避すれば……
全員が集中して彼の分析を聞いているのに気づき、ぶつぶつと言い続けていたリーはハッと我に返った
……リーさん?
気にするな。続けろ
ニコラは手を振り、話を続けるよう指示した
もし……ああ、大前提ですが、飛行異合生物の空域を突破したら二手に分かれて……片方はΩ武器を目標地点に輸送し、もう片方は地面で可能な限り支援できる人員を探せるなら
つまり、空中庭園の今の人数では、この災難は阻止できないと……?
……できうる限りの戦力を集めるべきだとは思います
どうしてこんな「予感」がするのか、リー自身もよくわからなかった。しかし数時間後に戦況が大きく変わることを、彼はなぜか確信していた
確かに司令部でも最初から集団突破方式を採る予定で、お前たちに任せるつもりだった……だが先ほどリーが言った座標と作戦計画についても考慮する
残る問題は突破部隊に必要な人数を確保できるかどうかですね。実戦経験ありが一番でしょうけど……今はどこも人手不足ですし
ロゼッタは今工兵部隊にいる。彼女も参戦希望だ。これで1枠は埋まったな
そう考えるなら、工兵部隊もひとつの常設小隊としてカウントできますね……しかし小隊を組める人数の構造体が必要ですが
ニコラは指で机をコツコツと叩きながら、使えそうな人選を考えているようだ
バロメッツ小隊は調整中で、準備もまだ不安定な要素が多い……フン、議会への言い訳はハセン議長にお悩み願おう
決心したようにそう言ってニコラは立ち上がり、全員の前に姿を見せた
我々は突如訪れる災難を何度も乗り越えてきた。今回、我々はできる限りの準備をしている。助けるべき人々を助け、止めるべき全ての災難を阻止し、徹底的に任務を完遂しろ
ニコラは皆に頷くと、戦術地図上の真っ赤な中央部に視線を落とした
各自準備にあたれ!2時間後、輸送機の駐機場に集合……!
赤潮から現れた最初の異合生物の大群はすでに撃ち落とされ、Ω兵器の配置も完了していた。しかし……
海からは数え切れないほどの異合生物が次から次へと現れ、まさに「波」のように、Ω武器で築き上げた防衛線にその身を投げ出してくる
ちょっと、Ω武器の消費速度が間に合わないわよ!あなたたち、Ω武器をここに運んで!
ヴィラは刀を振り回し、大部隊とはぐれた粛清部隊の隊員のために異合生物の攻撃を防ぎながら、そのまま刀を返して1匹の異合生物を腰からバッサリ薙ぎ払った
しかし粛清部隊の隊員はヴィラの命令に従う気がないようだ
彼女の言う通りに。お前ら、自分が彼女より強いとでも思うのか?
粛清部隊の数人は互いを顔を見合わせると、すぐに武器を収めて慣れない運搬作業を始めた
あら……あなた、見る目があるみたいね
状況判断を即座にできなければ、死ぬだけです
じゃあ、あなたもΩ武器の運搬を手伝って頂戴。ここは私ひとりで十分……
そう言いながらヴィラは重装甲の異合生物の体内に刀をグサッと突き刺したが、その甲殻に刀が挟まれたのか抜けなくなってしまった
岩礁の後ろに身を潜めていた1体の異合生物が、ヴィラの無防備な背中を見て、急接近している
チッ……
ヴィラは刀から手を放し、左手の折りたたみ式ナイフで攻撃を食い止めたが、その瞬間、異合生物に体に巻きつかれてしまった
ヴィラの機体の侵蝕度が上昇し始めた時、その異合生物が飛来した刀に弾き飛ばされ、岩に釘づけにされた――助けたのは先ほどのイサリュスだった
私は運搬はしません。彼らより多少は強いので……それにこの方が得意です
イサリュスはもがく異合生物を踏みつけ、ヴィラの刀を利用してまっぷたつに切り裂いたあと、その刀をヴィラに返した
ふふ……本当にそうなのかどうか、見ててあげるわ
(しばらく海岸線の防衛は大丈夫そうだ)
指揮官、バンジの観測によれば、あの巨大な人型は……ゆっくりとこちらに近付いているようです
怪物の目的も発生原因も不明だが……もし上陸を許してしまえば、行く先々で全ての命を飲み込み、地上が焦土と化すに違いない
指揮官……気づいていますか?
雨が降り始め、風も強くなっている。冷たい雨混じりの風が海岸に吹き荒れ、嵐の到来を告げていた
――今回、自然は人間の味方をしてくれないようだ
嵐で巻き上げられた赤い大波が、Ω武器で構築した防衛線に叩きつけている。無数の異合生物が波に乗って防衛線を乗り越え、人間に向かって突進してくる
大波の影響を最も受けたのは海岸線の中央区域だ。この区域を防衛する粛清部隊たちは命令に答える間もなく、突如大量の異合生物に襲われてしまった
数秒後、海岸防衛線に穴が開いた。そこは大量のΩ武器を備蓄した臨時指揮センターだ。防衛線を突破した無数の異合生物がそこに突進する――今からでは撤退が間に合わない
――指揮官!!!
指揮官、伏せて!
その叫び声に、条件反射のように体を伏せた。次の瞬間、頭上を銃弾の嵐が飛び交い、先導していた数体の異合生物が蜂の巣にされた
リーは軽くこちらに頷いただけで、助けにきたルシアの方へと移動し、異合生物を包囲網の中へと追い込んだ
突然、細いが力強い手に体を持ち上げられた
指揮官、お怪我はありませんか!?
それでもリーフはすぐに全身を仔細にスキャンし、その後ようやく安堵の表情を見せた
はい、わかっています。お任せください……今度こそ、誰ひとり死なせたりしません!
そう言ってリーフは医療パックを抱えると、すでに照準状態になっているフロート銃を持って前線へと走っていった
大波の前では人間は卑小な存在だ。だが指揮センターに立つ皆の後ろ姿は、その波よりも大きく頼もしく見えた
狂ったように殺戮を繰り返す異合生物の大群と比べ、グレイレイヴンの3人の姿はあまりに小さい。しかし戦場を飛び回る彼らの前進を、どんなものであれ阻むことはできない