……毎年、ルナの誕生日には……前もそうしていたけれど、私はいつもプレゼントを用意している。「α」と呼ばれる前も、ずっと用意し続けていた
意味のない愚かな行為なのはわかってる……プレゼントを用意したって、現実は変わらないから。ルナが……戻ってくることは永遠にないのに
あの日、あなたが再び私の前に現れた時、誓ったわ――これからのあなたの誕生日は、何が起きようとも私はあなたの側にいると……
今年もプレゼントを用意していた。でも、誕生日に贈ることはできなかったけれど……
このメッセージをあなたが聞いたら……ルナ、自身で未来への道を見つけるのよ。あなたがどこへ向かおうと、私はあなたの側にいる
それと……
ルナ……誕生日おめでとう
重力波の衝撃で構造体実験室は崩壊した。そのため減圧の嵐が起き、実験室内の全ての物体が宇宙に吸い出されていく
無意識に流れた涙は、白い少女の頬を滑り落ちたあとに吹き払われ、宇宙へと消えていった
命が消滅する狭間にいる彼女には痛みも感じられないし、音も聞こえない。あの涙は肉体の痛みのせいではなく、心の奥にあった懐古の情によるものだ
私が消えるのは当然だわ……でも……
なぜ死ぬ運命に抗う?なぜ下等な人間のように、大切な記憶を捨てられないと、もがき苦しみながら生へ這い寄ろうとしているのだろう
姉さん……
自分は人類より格上の昇格者なのだと誇りを持っていた。だが、最後の最後に人間の感情に支配されてしまった
嵐は勢いを増していく。ルナの目の前の制御台にあった物も全て……設計図、パーツ、研究者たちの痕跡……全ては宇宙へと舞い上がっていく
制御台にあったらしき緑色の物が舞い上がり、ふと彼女の視界に入った。それは、こんな味気ない実験室にあるはずもない代物だった
カエルちゃん……!
巻き上げられたのは小さなカエルのストラップだった。どうやら制御台に挿入されたメモリーにつけられていたものらしい
そのストラップがどんないきさつで彼女の目の前にあるのかはわからない。だがルナは、これはきっとαからのプレゼントだと瞬時に悟った
今メモリーのストラップは吸い出されそうな状態で、このままでは宇宙のどこかに消えてしまいそうだった。そうなればもう二度と見つけられなくなる
駄目……それは駄目よ……
手を伸ばしたくとも、両手が拘束されている。ルナはストラップが今にもちぎれそうなのを、ただじっと見ているしかできない
あのストラップはまさしく、自分と世界を繋ぐ糸だった。切れればきっと、自分もこの世界との繋がりを失ってしまうのだろう
ルナはその運命の糸をつかもうと必死にもがき、そのため電磁ロックから警告音が鳴り響いた。彼女にもうパニシングの力はない。今右手を動かしているのは自力だ
電磁拘束ロックが腕を焼き、循環液が滲み出て人工筋肉まで焼きかけた時、彼女はなんとか電磁拘束ロックを抜け出し、カエルちゃんの細いストラップを引っ掴んだ
ルナはそのまま愛おしそうにストラップを大事に握りしめた。温度感知モジュールは壊れているのに、なぜか手のひらに温もりを感じる
よかった……
右手に久しぶりの激痛を感じている――どれほど苦しくて傷ついても、大切な物に差し伸べられる手……そんな手を、彼女は何度も目にしていた
初めて白い髪の姉と出会った雨の夜、姉は何度となく傷ついたその手を差し伸べて、泣き崩れながらも自分をきつく抱きしめてくれた……
破滅に向かう光の中で、黒髪の姉はボロボロの両手で刀を握りしめ、ふたりを守ろうと敵の前に立ちふさがり、一歩も引こうとしなかった……
絶望の淵に立ちながらも人類と仲間を守ろうと、強大な敵と向き合ったあの指揮官の、傷だらけの手……
昇格者……構造体……人間……皆、それほど違いはないのかもね
その時、構造体実験室に月面基地の内部放送が流れ出した
テステス、カレニーナ!聞こえる?……
私たち、データ収集時に「オマケで」超原始的だけど、効果的に使えそうな電波台を作ったの。すると空中庭園と連絡が繋がって、あちらがメッセージを送ってきたわ!
もう見たかもしれないわね、でもあんたは目が節穴だから、優しい私が細かく解説してあげる
「世界政府会議の決定により、工兵部隊の判断を承認する。カレニーナ、全力で零点エネルギーエンジンを破壊せよ!」
ノイズまじりの放送から、ドールベアの声と一緒に多くの人の歓声が聞こえてきた
その歓声を耳にしてルナは気づいた。人類もまた、自分たちは笑うことができるという事実を忘れていたのだ
人類は彼女たちの生存を諦めなかったのね……人類は、彼女たちを信じることを選んだ
あのカレニーナという勝気な少女も、人類は科学の力で破壊を新たな希望に変えられるはずだと一途に信じていた
私も……新たな希望を持っていいということ?
そう……希望の形は唯一ではなく、未来の答えもひとつだけではない。もし中立の立場で人類と共存できる未来を見つけられるならば、ルナは彼女の宿願を達成できるだろう
――宿願、それは姉と一緒に暮らせる楽園の創造だ
しかしそれを昇格ネットワークが許すとは思えない……だが、昇格ネットワークも変化が起こるのを待ち望んでいるかもしれないではないか
ルナは最後の力を振り絞って、カエルのストラップを胸に抱きしめ、そのまま目を閉じた
人類と同じく、全力を尽くして遠くにある希望を掴もうとするように……あの指揮官のように、全てを賭けて勝利を掴みとるために
もしこの声が届くなら、最後の願いを聞いてください……
未来への道……思い……人類……希望……
昇格ネットワーク……昇華……構造……願い……
アクセス……承認……代行者……ルナ……
ルナの胸からまばゆく紅い光が放たれ、月面基地に充満していたパニシングが彼女に一気に集まって、やがて白い鎧へと変容した
大量のパニシングを検出したΩ武器は零点エネルギーの供給スピードを加速させたが、パニシングが集まる速度には到底かなわなかった
そしてルナがゆっくりと両目を開いた時、その姿は本来の姿に戻っていた
まさか、昇格ネットワークが認めてくれた……この新しい可能性を認めてくれたの
ルナは彼女の権限と力を取り戻していた。彼女は、かつてない新しい道の開拓者たり得ると――そう昇格ネットワークが認めたのだ
その後、そのまま立ち去ることもできた。だが彼女はその場にとどまってパニシングを吸収し続け、Ω武器の零点エネルギーを消耗させ続けた
人間たち……あなたたちが切り拓く未来を、私に見せてくれる……?