カレニーナが動力実験室に戻ると、工兵部隊のメンバーと負傷していない黒野の研究者たちが集まっていた
負傷者の手当をしていたエイハブは、戻ってきたカレニーナを見て、瞬時に喜びを爆発させた
カレニーナさん?負傷者はすでに応急手当をしてるし、それに侵蝕体も……
その台詞を最後まで言わせず、カレニーナは彼の袖をつかむと、引きずって歩いた
ちょっと一緒にこい!緊急事態だ
カレニーナはエイハブをずるずると引きずって制御台に向かった。しかしすでに先客がいた――彼女は制御台のデータを凄まじい速度でチェックしている最中だった
ねえちょっと、カレニーナ、これ一体どういうことなの……
零点エネルギーエンジンが制御不能になってるんだろ。とっくに知ってるさ。どうだ、遠隔で停止できそうか?
ドールベアは無念そうに首を振り、制御台のデータを映し出した
制御台からのリクエストが、エンジンと接続してる中継プログラムに拒絶された。もう侵蝕されているわ。プログラムからリアクターのエネルギー供給を切断するのは無理ね
お前でも無理なのか?
無理ね……ムカつくけど私だって神様じゃないんだし、できないこともあるわよ……
ドールベアはため息をつき、他の方法を考え始めた
逆に手動でオフにするのはどう?
もう試した……周りに極めて強力な重力波がのさばってやがる、オフにするどころか、近づくことすらできねえ
あんたでも無理なの?
ケッ、お前を空中に投げ飛ばして止めてやろうか――その後、お前がべったり床のシミになってもいいならな
あのう……おふたりは……一体何を話しているんです……?
零点エネルギーリアクターの制御中枢がパニシングの侵蝕で零点エネルギーを大量に供給してやがる。だからエンジンが暴走、重力波が発生した。月面基地が吹っ飛ぶかもって話だ
エイハブはあっけにとられた。その状況が起きれば、ここにいる全員の結果が容易に想像できたからだ
なあ、おっさん。中継プログラムを迂回して、零点エネルギーエンジンを止める方法はねえのかよ?
無理だ……零点エネルギーリアクターは最高安全レベルに設定されている。他の方法でエネルギー供給を止めるなんてできない
ドールベア、重力波がここに到達するまであとどれくらいだ?
重力波は拡散していない。むしろ収縮し続けている――
そう聞いてカレニーナは、危機は過ぎ去ったと喜びを露わにした。しかしドールベアの表情はますます曇っていく
喜ぶのは早い。重力波が収縮した原因は密度が増えたから。それに零点エネルギーリアクターのエネルギー供給の増加は止まっていない
出力が上がれば、リアクターから更にパニシングが生成され……制御中枢を次々と侵蝕し、より多くのリアクター配列が暴走する。やがて全てが侵蝕されて過負荷稼働状態になる
そうするとつまり……エンジンの暴走もレベルアップして……
演算通りなら、エンジンから発生した重力波は月の一部を崩壊させる恐れがある……軌道を見ると、それだけ巨大な質量を持つ月の破片なら、すごい勢いで地球に墜落するわね
苦難を乗り越え、やっと生き延びた人たちが、空から降ってくる壊滅の雨を見た時、どれほど絶望するだろう――カレニーナは想像もできなかった
じゃ……じゃあ私たちはどうなる?
ふふ……聞くまでもないわ……
エイハブはゴクリと唾を飲み込んだ。ここにいる全員が一瞬にして宇宙のゴミになるのは想像にかたくない
リアクターは停止できないけど、ひとつだけ希望があるとすれば……重力波が収縮し続けて零点エネルギーエンジンが爆発する寸前、接近できる瞬間ができるはず……
そのタイミング狙って破壊すれば……重力波も止まるのか
すでに蓄積された重力波を消滅させることはできないけど、この状況でやれるベストな案だと思う
で、でも!零点エネルギーエンジンを破壊すれば……!
カレニーナは黙り込んだ。しかしわかっている。自分のため、ここの人たちのため、地上にいる罪なき人々のために、今はエンジンを壊すしかない……
しかし、あれは宇宙航行の希望となる、黄金時代における人間の最高技術の産物なのだ……それを破壊する資格が、果たして自分にあるのだろうか?
おい、エイハブのおっさん、空中庭園と通信を繋げられるか?
渡したIDを使えば、空中庭園に繋がるはずだよ。でも先ほど試してみたけど、かなり電波障害が発生していて……
たぶん通信台も侵蝕されたから、こんなにノイズが発生しているのよ
一方向のメッセージなら、何とかできるはずだ……ドールベア、今の状況を報告書にまとめてくれ
とっくにできてる……でも急いで。通信電波もそのうちに断絶すると思う
カレニーナは覚悟を決め、エイハブとドールベアに向かって頷くと、空中庭園への通信を要求した