5:38 a.m.
異合生物の奔流が保全エリアに入る前、グレイレイヴン小隊が運転する救急車が一歩先んじて、ようやく帰ってきた
道に慣れて負傷者がなかったお陰で、彼らは車を走らせ、たった3時間で帰ってこれたのだ
ただいま戻りました!
グレイレイヴン小隊の3名と車を運転していたサンダカがシェルターに入ってきた時、ほとんどの者が恐怖の表情を浮かべていた
部屋からは断続的に泣き声が響き、その悲しみがまるで火事で立ち昇る煙のように、苦しく目と鼻を詰まらせている
リーフが急いで部屋へ入ると、血に塗れたベッド上の人物はすでに息絶えていた。彼女の隣で、コトが泣き崩れている
…………
リーフ
彼女は力なく首を横に振った。言葉がなくても、その事実は今自分が目にしている――リンゼイが亡くなったのだ
コトさん……
彼女は頭を上げたが、その目の色は亡者のように虚ろだった
……お辛いでしょうが……もうすぐ、異合生物が来ます。今は、行きましょう……
彼女は首を横にぶんぶんと振り、リンゼイのすでに冷たくなった手をぎゅっと握った
…………
ずっと……どうしてリンゼイが私を助けたのかが、わからなかった
彼女の苦しむさまを見て、一瞬、あなたを恨んだこともある
私たち……あの時に一緒に死ねてたら。そうしたら、別れと、病気の苦しみを味わわなくて、済んだのかな?
「死んでいく病人を助ける行為に、本当に意味などあるのか?」――リーフは誰かに問い質されたことがある
安らぎの死が訪れる前に、病人の寿命をいたずらに延ばしたところで、ただ彼らの苦痛を長引かせているだけなのではないか
しかしリンゼイの目の奥にあふれる生への渇望と言葉にならない思いがあるのを、リーフは見てしまった
だから、リーフはその「残酷」な方法を、選んでしまった
……リンゼイさん、一度も目を覚ましませんでしたか?
死ぬ直前に、いきなり目を覚まして、いくつかの言葉を残して……
彼女は……何と?
「無事でよかった。私の命、無駄にならずに済んだわ」……
「急いで会いに来ちゃ駄目よ」……
……どうしてこんな方法で私を助けたのって、彼女に訊いたの
彼女……「私は臆病者だから」と
……どういうことよ!わからない!リンゼイ!リンゼイ!!!
彼女の涙は雨粒のように地面に落ちて、ガラス玉のように割れて砕け散る
……臆病者……
この世界で、人類の最も強い恐怖感情を呼び起こすものは、死に違いない
なのに、今ここで、臆病者と自称した人が、死を受け入れてまで誰かを守った
リンゼイさんの言った言葉の意味は、よくわかりません……でも……自分の命を犠牲にしてまで誰かを助けるのは、きっとその人が、自分の命よりも大切だからです
彼女は……あなたの死が何よりも恐かったから、その言葉を残して、最後まで頑張ったんですね……
……そう、なの……
…………でもリンゼイ、私だって……同じだよ……
悲哀は豪雨のように激しく彼女に打ちつける。リーフの胸元で、彼女は泣き崩れていた
だから……生き続けてくださいね……これは、リンゼイさんの何よりも大切な、願いですから
ええ……
涙を流しながらも、そこには強い意志を感じさせながら、彼女は小さく頷いた
もう時間がありません。リーフ、早く皆を
コトさん、一緒に行きましょう……!
……
彼女の涙はまだ止まりそうにないが、ようやくリンゼイのベッドから立ち上がると、リーフの方に一歩踏み出した
そうね、行きましょう
死にたい者を説得するとはな?あの2台の車でここにいる全ての人間を乗せられると思っているのか?
一同がほっと安堵した時、バネッサがその場にいる者を現実に引き戻した
それに、ここにカウント外の人間と犬もいるようだ
僕は、僕には事情があって……撤退に遅れて、足を挫いたんです……
少年は周りの人々とサンディの隣にいるマッチを交互に見た
……車に乗せてくれないんですか?
それは、彼らがもう一往復できるかどうかによる
それは……
もうすぐ異合生物が来る、だろう?
はい、今検知した数があまりに多いので、私たちだけでは、難民全員を守りながらはとても応戦できません
聞いただろう、これが最終便だ
シェルターの中はしんと静まり返り、誰もが神経をとがらせ、これから下る「判決」を待っている
まずはお前たちの指揮官、あとは残った者を適当に乗せればいい。乗せられない者はここに残す
重傷のために輸送を要する者については……
彼女の話が終わる前に、人々は我先にとシェルターから慌てて出ようとして、バネッサは押されて危うく倒れそうになった
……ははっ、早く大切な指揮官を助けに行くんだな
3名がグレイレイヴン指揮官を地上まで運ぶと、車の横では混乱が始まっていた
押さないでください……!
異合生物が発する音がもう聞こえるほどに近い。ほとんどの者がそのせいでパニックになっている。リーフは人々の群れに割って入り、車がひっくり返されないように守った
並んでください!
足の怪我のせいで踏ん張りが効かず、リーフの体は人の群れの中を流されていく
彼女の話を聞いて鎮まった者もいるが、多くの難民は自分の負傷箇所を押さえながら、大慌てで車へ乗り込もうとしたために、救急車の車体が大きく揺れていた
並んでも意味ないだろ!!人がこんなにいっぱいで、乗れる訳がない!!
押すなよ!?お前のその怪我で、よく俺と争おうと!
もちろん争うさ!あの声聞いたろ、まるで地割れだよ!あいつらが来る!!!
それはお前らの足音だよ!ってお前、それでも人間か!?よくも、登るために俺の肩を踏んだな!!
俺は人間をやめるぞ!オオーッ!登れた!
混乱した人込みの中で、彼らは自分の怪我を気にもかけずに、ぎゅうぎゅうと荷物を詰めるようにして自分の身を車に乗せていく
そんな中でも、救急車に乗らなかった難民もいた
…………
僕にも場所をください!
どけ!お前は怪我してないだろう。自業自得のやつに施しなんかいらん!
オイオイ、車の中に犬がいるぜ、犬を下ろしてこいつを乗せるか?
ハハハ、絶景だな。具がたっぷり詰まったケバブのようだ
バネッサはシェルターの入り口に立ち、いつものあの他者を見下した態度で、パチパチとその光景に拍手をした
さて、過積載の車両で時速はいくつ出る?異合生物より早く走るだろうか?
それを聞いた人々ははっと息をのんだが、すでに車に乗っている者は誰もそれに答えない
他の重傷者に場所を譲らないのは大目に見よう。グレイレイヴン指揮官にすら場所を残していないようだが、これでグレイレイヴン小隊が本当にお前たちを護衛すると思うか?
指揮官は私が運びます。私の武器は手で操る必要がないので、他の人より余裕がありますから
いえ、僕が。あなたは自分のことを守ってください、負傷者がまだまだいます
なるほど。そこまで言うなら、よろしい
では車に乗れなかった者は誠に遺憾だが、当地に残るように。また来世で会おう
嫌だッ!!置いていかないでよ!!!兄ちゃんに会いたいんだ!!探しに行かなきゃ!!
ごめんなさい!!馬鹿なことをしました!お願いだから、どこでもいいから……連れてってください!!
…………
彼は救急車に向かって絶望した目で跪くと、車内を埋め尽くす人と車の上にいる人たちに懇願している。しかし誰もが顔を逸らして、その懇願を無視していた
一生に一度のお願いだ!!死にたくないよォ!!
怖がらないで、防護服を着てどこかに隠れていてください。私たちは必ずあなたを迎えに戻りますから!
嫌だっ、置いてかないください、お願い!お願いだ!!!
彼はリーフの足に縋って、彼女の慈悲を乞うている
……私は……
リーフお姉さん、本当に戻ってくる?
……はい、必ず!
じゃあ……僕が彼に譲るよ
サンディはマッチを連れて、すでにぎゅうぎゅう詰めの状態になっている車内から出てきた
……僕はここで待っているから。彼を乗せてください
サンディ……!ありがとう……ご、ごめんよ……ごめんなさい。ずっと、ずっと君のことを誤解してた……
彼は涙と鼻水を大量に流しながら、サンディに抱きついてきた
大丈夫……もういいよ
決まったな?他の者は残ることに異論なしでいいな?
コトさん……
大丈夫、私はここでリンゼイと一緒にいるわ
何が大丈夫じゃ!
車内から、ある老人の声が聞こえた
さ、ここに。さっさと乗るがええ。まだ若い……その命、誰かが助けたものじゃろうが
お婆さん……
ワシはもう十分生きた。爺さんと離れる訳にもいかんし、ここで彼と一緒におるよ
……
でも……
そうじゃ、この老いぼれに申し訳ないと思うなら、ひとつ、頼まれておくれ
老婆は懐から綺麗に包装された袋を取り出した。そこには粥を食べた時に、彼女とカーリーが残しておいたひと握りの稲穂が入っている
いつか外の世界に出られる日がきたら、この稲を植えとくれ……そして、もし覚えておったら、何かを食べる時は必ず種を残しておくれ。あの時代の決まりを、後に伝えたいんじゃ
……はい
いい子だね。譲った甲斐があるよ
彼女は袋をコトに手渡し、しわがれた手で彼女の肩をぽんぽんと叩いた
よしよし、いい子だ。さあ、お行き
コトは頷くと、そうっと大切そうにその袋を抱えて、車へと乗り込んだ
行きましょう。サユキさんは私が背負いますね。ソウタさんは隊長、お願いします
わかった
老婆は笑いながら一同に手を振っていた。皆が去る前に、少年は急いで自分のノートを手に取り、空白の最後のページをちぎって、ペンと一緒にサンディに手渡した
これはお礼だよ。君の願いをきっと叶えてくれるから
ありがとう……さあ、もう行って
残った3人はルシアとバネッサが運転席に乗り込むのを黙って見守った。重量オーバーの車は不気味な音を立てながら、早いとはいえないスピードで遠ざかっていく
車が保全エリアを離れた瞬間、リーフは後方を振り返って、残された人々とリンゼイのいる方向を見た。その時、ある残酷な考えが彼女の脳裏に浮かんだ
――本当に、間に合うのだろうか?
…………
――何か、もっと他に方法はないだろうか?
もうこれ以上、他の方法なんて……
ひとりでも多く、乗せられれば……しかし、これ以上どうしようもない
リーフはぐっと歯を食いしばって、強引に自分の視線を前の路面に戻した。折れている足は歩く度に激痛を感じるが、今、彼女は車のスピードに合わせて疾走していた
なんとか早く帰ってこなければ……そうすれば、全てが間に合います!
5:58 a.m.
過積載の2台の救急車は荒廃した土地を6分の間、全速で前進した。振り返ると、まだ保全エリアの輪郭が見えている
バネッサはメーターの速度表示に目をやった。今の速度はたった、時速37kmだ
無意味な逃走行為を正すべく、彼女は車を止めさせ、運転席から降りてきた
この速度では、異合生物の奔流から逃れられない
彼女は人々ですし詰めになった車内を見て、車内の人々も一斉に彼女を見た。同じ人間であり、この状況下では立場も同じなはずなのに、車内の人々の目には恐怖が満ちている
彼らを下ろせ、1台の車に15名が限界だ。でなければ我々は間に合わない
15人って!!ちょっと長官さん、ここは40人もいるんですよ!!残りの人に死ねと言ってるんですか?
それをしないと、皆が死ぬんだぞ
車内からは耳を破らんばかりの抗議の声が上がった。救急車はまるで歪んだ箱のようになり、無数の口を持つ化け物のように吠えていた
その方法は、間違っていると思います
そうか?では、貴様ならどうする?
ルシアは即答を避けた。彼女は隣のチームメイトに視線をやり、リーフとリーの同意を求めた
私たちがここに残って、異合生物を引きつけて食い止め、他の方向へと誘導します。そうすればあの速度でも、皆が撤退する時間を稼げるでしょう
フン、予想通りの回答だな。さすが[player name]の人形だ
それがどんな結果をもたらすかは重々承知の上だな?貴様らの甘さで、大切な指揮官が死んでしまうかもしれないが
……確かに、そのリスクははらんでいます。でも、私はグレイレイヴンの力を信じています
力だと?疲弊し切った3体の構造体、内1体は負傷中だ。グレイレイヴンの甘さとその驕りは、もはやお家芸だな
私たちは、ここに来るまでに、実に多くの人を置き去りにしました……ですから、たとえリスクがあると知っても、こんなところでは退きません
ハハハ、それが「首席」の流儀なんだな?貴様らが抱えているその愚か者も、驕って自分の力を過信したあげく、貴様らのようなゴミを助けたという訳か
指揮官を侮辱しないでください!
その「愚か者」のお陰で、僕たちは今、ここにいます。あなたも命拾いしたはずです
…………
……そうか、それで貴様らは指揮官がせっかく助けた命を、何の価値もないゴミのような難民のために、捨てるというのだな?
価値のない命……そんなものはありません
私たちは力を合わせて、何度だって障害を乗り越えてみせます。困難や恐怖を理由にして、戦場から逃げたりはしません!
……逃げない……ハハッ……
その言葉を聞いて、彼女はふと失踪したテセを思い出した
テセは果たして怪我のせいで帰ってこれなかったのか、それとも脱走兵と同じ道を歩んだのかについて、バネッサには露ほどの興味もない
かなり前から、ホワイトスワンは戦術と利益を最大化するために、低い小隊の死傷率を維持してきた。そのため死を恐れる多くの者が入隊を希望しておしかけた
勝利が困難と予想される戦闘では、重傷者も、脱走者もたびたび発生する
そんな「人形」を、彼女は何度も目にした。その度、逃げようとして主人の命に背いた人形を、バネッサはしっかりと調教し直してきた
「主人に逆らう人形には、罰を与えないと他の者への示しがつかない」
彼女にとってこれはもはや信条だった。なのに、人形たちの裏切りは続いた。それでも彼女は自分を疑うことなどなく、ただ彼らの骨にまで刻まれた卑劣さと臆病さを軽蔑した
彼女はひそかに、[player name]が気絶したあと、グレイレイヴンは自分たちが生き延びるために、時機を見てここから逃げると思っていたのだ
しかしグレイレイヴンはそうしなかった。逆に彼女を、付近の難民を助け、彼らの主人の信念に従って、ここで命を賭して戦おうとしている
ハリー·ジョー、シーモン……八咫、イレナたちもその全てを賭けた。任務が完了するまで、全ての者を助けるまでは、おそらく彼らは空中庭園に戻らないだろう
なぜ……
ファウンス士官学校を卒業する前、とある学生に人気のない教官から、こんな言葉を聞かされたことがある
どんな命にだって、特別な価値があるからね。どんなに小さくても、それはこの世界を構築する大切な一部分だ
優秀な指揮官になりたいなら、必ずそのことを肝に銘じなさい――生命を軽んじ、「無価値」と見捨てていては、いずれあなたも全てを失ってしまうよ
その話を初めて聞いた時の感想は、目の前にいるこの教官は救いようのない理想主義者だ、である。「友好協闘」のためと、まさか授業でこんな思想を唱えるとは
戦術が失敗し、苦境に追い込まれた時であろうと、彼女は「友好協闘」という言葉を思い出しすらしなかった
しかし今、彼女がふさわしくないと思った「愚か者」は構造体の腕で静かに眠りながら、自身はひと言も発しないのに、「人形」たちにそのルールを守らせている……
この瞬間、彼女はこの言葉を思い出したのだった
……これが、我々の違いか?
彼女は手を伸ばし、存在しない何かを捕まえようとしたが、やがて何かが弾けたように笑い出した
ハハハッ、もういい、行け。全力疾走しろ。異合生物はホワイトスワンが食い止める
……何ですって?でも、あなたたちは――
ああ、ボンビナータと私だけだな。だが、まったくの無策という訳でもない
彼女はそう言って、手に持ったバッグを揺らした。その中には彼女の切り札が入っている
ボンビナータはそれをよく知っていた。なぜなら、そのせいで無数の「人形」が死に至り、常に最小限の犠牲で勝利を勝ち取ってきたからだ
しかし今回は事情が違った。彼女は今、自分はあの眠り続ける目標を乗り越えられるのだと、人形は側に残しておくべき「仲間」だと、自らに証明しようとしている
だから、バネッサはバッグの中身をボンビナータに渡すのではなく、盤上に自分の身を置いたのだった
何を準備しているのかは知りませんが、無数の異合生物を前に、生き延びられる訳がありません!
ハッ、何を馬鹿なことを言っているんだ?私はあの甘ったれた指揮官と違って、自分の実力を過信したりはしていないぞ
[player name]と彼らを連れてさっさと行け。私が異合生物を片づけても、お前たちがまだ目的地に着いていなかったら噴飯ものだな
……でも……
他に、いい方法があるのか?
お前たちがここにいても、爆発範囲内で、炎の灰になるだけだ
……バネッサ指揮官はどうされるんですか?
私には、逃げる方法があるのさ
案じなくていい、ここで無駄死になどしない。だから、その意識不明の首席に伝えておけ……
ゆめゆめ、私に命を助けられた恩を忘れるな。私が戻ったら、全てを尽くして私に感謝しろと
バネッサ指揮官……
行きましょう。これは指揮官が決めたことです
感謝します……
彼女はいつも通りの皮肉めいた笑顔で、鬱陶しそうに一同を追いやるように手を振ると、黙って2台の車が去っていくのを見つめた
彼女とボンビナータの視界から車が消えたと同時に、異合生物の足音がはっきりと聞こえてきた
まずは注意を散逸させろ
はい、ご主人様
ボンビナータはバネッサを抱えながら、短距離推進装置で飛び上がった
朝日の光とともに、彼女たちが見た町中の道は、蠢く赤に染まっていた