議会のホールの静寂は、ハセンの足音によって破られた
彼は会議テーブルの一番奥に座り、この空中庭園と同じく古い歴史ある建築を眺めた
巨大な議会ホールにいるのは数人だけで、他の議員はほとんどがホログラムでの参加だ。司法廷、行政院、監察員、軍隊等のマークに照らされたホールは荘厳のひと言につきる
ドーム型の天上へ伸びる柱にはびっしりと人名が刻まれ、世界政府が今日まで歩んでこられたのは、彼らのお陰であることを物語っている
ただ立つだけでも、歴史の重さがひしひしと感じられる場所だった
創始者であり厳粛。人類の希望を背負う世界政府のマークが広い空間の最上部に現れた。定期的に開かれる「世界政府会議」がまもなく始まろうとしている
座席の前に、薄青いデータフローで構成された議題が現れた
過去のアルカディア計画も、最近の昇格者との全面戦闘指令も、こういった「世界政府サミット」の議題から生まれたものだ
「世界政府サミット」で取り上げられる議題は全て空中庭園ないし人類に対し、深遠なる意義があることを議員たちはよく知っている
全ての議題が人類の歴史を左右する重要なアンカーポイントなのだ。空中庭園の今後の重大事項に決定を下し、人類という巨大な船の歴史における海での舵取りを決めるものだ
それに比べれば「世界政府会議」での決定事項の影響ははるかに少ない。それがほとんどの議員がホログラムで参加している理由のひとつでもあった
ドーム天井の照明が次々と消え、辺りが暗くなる
議会ホールは墨色の薄いベールに包まれたように、物の輪郭がぼやけていた
薄暗い空間はまるで人の世から隔絶した、真っ暗な宇宙空間に浮かぶ孤島のようでもあった。そこに次の瞬間、星のような光が現れた
それは柱の間のモニターに現れたデータ投影の光であり、あたかも本当の星の光のようにこの「宇宙」を彩っている
それらのきらめく星々の正体は「民衆の声」だった
世界政府の民衆が自分の意見を携帯端末からアップロードし、そのひとりひとりの意見がゲシュタルトを通じて巨大なデータの奔流となっている
ゲシュタルトはフル回転で奔流の中から重要な情報を抽出し、簡潔にまとめて議会ホールのモニターに映し出し、議員たちに切実な民衆の声を「届けている」
ハセンはすっと立ち上がり、無数の光に包まれながら会議の開始を宣言した
本会議の最初の議題だ。最近、アディレ商会は過去の協力条約を修正し、我々により多くのヘリウム3資源を提供するよう求めてきている。この要求に対し、諸君の考えを伺いたい
民衆の意見の92%が、地球奪回戦線の連携をより高めるために、我々の資源が潤沢であるならば盟友の要求に応えるべきだと考えているようです
残りの7%の意見は、条約は神聖であり、修正の先例を作れば空中庭園の威厳が損なわれ、今後我々が彼らの無制限な要求を受け身で譲歩するばかりになると危惧しています
アディレ商会のお陰で我が軍の地上輸送や保全エリアでの物資貿易が回復できたことを忘れないでいただきたい
だからこそ、あの貪欲な商人たちはそれをダシに我々に条約の修正を求めてきたのだ。貴殿の考えはまさに彼らの思うつぼではないか
以上の観点を加味して、監察院はアディレ商会による既存の条約修正提案を拒否し、条約を新たに追加すべきだと考えます
アディレ商会は話の通じない勢力ではありません。条約の内容が適切であれば、彼らと再交渉する余地は十分あるといえるでしょう
監察院のマーク後方から凛とした声が響き渡り、ホログラムのふたりの議員による口論を中断した
声の主は白髪混じりの女性で、この場に実際に座る数少ないひとりだった。時間が無情にも彼女に白髪や顔の皺といった痕跡を刻んでいるが、その目に宿る鋭い光は健在だ
幾千の嵐や、人類の変遷を見てきた目だ。多くを経験しているからこそ彼女の目と考えは、終始鋭敏なのだった
その鋭敏さを保つのはいかにも大変なことだが、彼女はそれを徹底している。なぜなら彼女は監察院の責務や、監察院最高責任者としての使命を誰より知っているからだ
彼女こそが、議会の行いが人類という集団の利益にふさわしいものであり、かつレールから外れないようにと監督する手綱たるべき存在だった
うむ……盟友との関係を維持しつつ、かつ空中庭園の威信も保てるということか。では諸君、ヒルダ議員の提案について今から投票を行う
ハセンは目の前の緑のボタンを押した。すると柱の間にあるモニターに巨大なゲージパネルが現れた。投票は数秒間で終わり、ゲシュタルトはすぐに結果を表示した
ヒルダ監察官の提案への賛成率は97.1%、反対率は0.8%、棄権は2.1%です。賛成率が提案通過の最低基準を上回ったため、提案は可決されました
うむ、では追加の条約の草案は司法廷が作成し、監察院に渡してくれ。外交院で内容に間違いがないかチェックしてから私の元へ届けてほしい
では次の議題だ。ニコラが作成した軍隊拡張の提案について……
……以上で今回の全ての議題についての議論が終了した。諸君、何か質問は?
会議は特に長引かずに終了した。人類の未来を牽引する「巨大マシン」がフルパワーで回転し、全議題を最も効率よく、民衆の意見に沿う方法で解決したからだ
ハセンが皆に問いかけた直後、ある議員のホログラムが光った
議長殿、これはゲシュタルトが民衆の声を整理したものではなく、私の個人的な疑問なのですが
先日の[player name]のアトランティス凱旋セレモニーですが、あれほど大々的にする必要がありましたか?
議員の質問とともに、議会ホールの中央に群衆のホログラム投影が現れた
人々は互いに抱き合い、歓声をあげている。彼らの顔に浮かぶ歓喜の表情で、ホログラムといえども十分に現場の喧騒が伝わってくるようだ
任務を遂行した軍人が自分の小隊と再会を祝うためだけにセレモニーを行い、空中庭園での小型居住者コミュニティの3日分の物資を消費しました
あの者たちは昇格者のラミアを倒し、アトランティスから希望の灯火を空中庭園に持ち帰った。科学のバトンが手渡された歴史的な瞬間ともいえる
多くの民衆は自発的にこのセレモニーに参加している。物資の消費が増えるのも、流れに沿ったことであれば致し方ない
それに[player name]は地上で多くの戦果を上げている。人々から英雄として称えられ、その凱旋を祝われるのは当然のことだ
ハセンは群衆のホログラムを指さした
民衆の姿がトーンダウンし、その中にいるグレイレイヴン小隊がクリアに映し出された
ですが……構造体小隊をまつり上げ、民衆の希望として掲げるなど、久しくなかったことです
小隊を希望としてしまえば、「不死身のロイ」よりもコントロールが難しくなるのでは?
ああ、それについては周知の事実だ
しかし、長きにわたる戦争で人々の精神は疲弊している。民衆は頼れる強き存在、明確な希望を渇望しているのだ
希望とは我々が作るものではない。人々が希望を欲しているから存在しうる
我々はただ、民衆の心からの渇望に応えただけだ
ただの希望、なのにですか?
希望に、「ただの」という概念は存在しませんわ
フェルミ議員、神話をお読みになることは?
神話ですか……この件と何の関係があるのです?
どの文明における神話も、描かれる英雄には共通点があるの
平和な生活が打ち砕かれたあと、苦難を乗り越えて勝利の凱旋をする者が、世間から崇拝され、慕われるという共通点が
英雄の皮を纏っていても中身はただの人間です。でも人々は彼らを神に匹敵する偉人として称える
なぜなら、英雄は人々に希望をもたらすから。人々は希望を道標にする。そして、その希望を打ち砕く存在は人民の敵になるのです
だから、絶対に希望を「ただの」などと形容してはいけません。適切に使えば、それは恐ろしい武器にもなるのよ
続きは、軍部のニコラ司令に説明してもらいましょう
ヒルダに呼ばれ、ニコラは目の前の報告書から目を上げた
諸君、最近黒野が頻繁に我々に干渉していることはご存じの通りだ
[player name]を衆目の下にさらすことは、黒野との不毛なやり取りを終わらせるために必要不可欠だったのだ
これはグレイレイヴンに対する保護であり、黒野への警告でもある
民衆の注目こそが一番の監視になる。これほど民衆に注目されていれば、いかに黒野でも我々の人員を意のままには操れなくなるだろう
しばらくの間は、ね
そこで我々は、再会を果たしたグレイレイヴン小隊に特殊な任務を用意した。その「しばらく」をなるべく延ばすためだ
質問をした議員が黙り込んだのを見て、ハセンはいつもの笑顔に戻った
彼がパンと手を叩き、会議の終了を宣言した。席上のホログラムは次々と消え、座っていた議員たちも連れ立ってホールを出て行く
ホールに残っているのはハセン、ニコラ、それにヒルダだけになった
会議で我々の目標をやすやすと話すべきではないと思いますが。黒野も議会に注目していますから
問題ないだろう。これほど明らかな目的なら黒野もとっくに把握している。会議で話したところで、影響するとは思えない
それに……彼らは現状に対して、何もできないはずですわ
ふっ……
この3人が集まって話すのも、久しぶりだな
プライベートの関係性は公正な判断を左右する根源です。本来なら、監察院の最高責任者として絶対的な公正を保つために、こんなプライベートな話をする状況を避けるべきですが
こうやって個別に話をするのも、これから話す内容があまりに特殊だからですわ
そうだな。では、本題に入ろう
Ωファイルについて、監察院と科学理事会では何を見つけている?
結論の重要度によっては、大がかりな世界政府会議を開く準備もしなくては
結論はすでにそちらの端末に。1秒前に、暗号化された通信で送信済です