何の用だ?
ちょっとした発見があってな
ハセンは手に持つ「極秘」と記されているメモリーを渡してきた
昇格者ルナが北極航路連合を襲撃した
ハセンの口調には強い疲労が表れていた
北極航路連合?守林人がらみか?
狙いは守林人ではない。航路の居住拠点が狙われた
守林人でないとすると、なぜ特に重要でもない人類の拠点なんかを襲撃したんだ?
それを君に調べて欲しい
分かった、これが終わったらやる……先に戻って休んだほうがいいぞ
アシモフは視線を下げて仕事を続けた。やがて、ハセンがその場から立ち去ろうとしないことに気づいた
わかったよ、今すぐ見ればいいんだろ。さっさと戻って休め。何かあったら呼ぶから
……君に心配されたらおしまいだな
ハセンは手を振って、ようやく自室に向かった
気力にかかわらず、人は老いることを認めなくてはな……
こういう時は、構造体が羨ましく思える……
冷たい風が北極航路連合の居住地の煙と埃を舞い上がらせ、太陽の光は雪に反射し明るく輝いている。守林人に誘導されトンネルから出た地下の避難民は、眩しい光に眩暈がした
まだ捜索していない区域はあるか?
ここが最後です
守林人に付いてきた生存者たちは、地下から避難民が出てくるのを見て駆け寄った
俺の妻は?俺の妻を見たか?
アカネ姉ちゃん、さっきのきれいな白い光はどこにいったの?
もう出てこないよ
お母さん!アヤを見たか?
あのお転婆娘とっくに出ていったよ!あそこだよ!
お母さん!お父さん!やっと来てくれた!あれ?なんで顔にたくさん灰がついているの?
お前のことが心配で、ここに来る途中に転んだんだよ。でも大丈夫。お前が無事でなによりだ
生き残った人々は、興奮し、泣き、失ったものを嘆いたりして、一帯は騒々しい声に包まれていた
感情を抑えることなく、雪の上で強く抱き合っている人もいれば、困惑の表情を浮かべたままの人もいる……
俺の弟を見たか?なぜここにいないんだ!?
焦らないで、名前は?
水夫は弟の名前を言って、守林人が端末に名前を入力するのを緊張のまなざしで見守っていた
ど、どうだ?
倒れてきた壁で怪我をして、治療中のようですね
まずい状態なのか??
具体的な怪我の状態はわからない。でも搬送先の病院からすると、大きな怪我ではなさそうです
あ、ああ……!ありがとう、ありがとう!今から行ってくるよ!
水夫は何度もお礼を言って、まだ家族が見つかっていない他の人たちと一緒に、病院に向かって走っていった
現時点での死者数は?
捜索した区域ではほぼ、避難の時の倒壊や混乱での負傷者ばかりでした。死者はまだ……
守林人は頭を上げ、遠くの地平線を眺めた。雪で覆われていた地獄絵図が、いま太陽の下にさらされている
ディアンナはしばらく黙っていた。あの区域について、言及したくないようだった
け……研究所へ救助に行った者から、名簿が届きました。……重傷者と死亡者はそこに集中しています
この名簿に載っているのは、馴染みある数人を除き全員、民間人登記簿に登録のない人々ですね
どうやら……研究所の秘密とともに隠れて生きていた一部の……人がいたということのようですね……
その守林人はややつっかえながら話した。「人」の前にある言葉を加えようとして、思いとどまったのだ
……死傷者数は予想よりはるかに少なかった。これは本当に奇跡だ……
あれほどの大惨事だったのに、死傷者は1カ所に集中……?あの昇格者が起こした騒乱は、皆に撤退するよう警告したということなのでしょうか?
それは考えられんが、死傷者数から見ると、もしくは……。何か他の事情があるかもしれないな……
守林人は口をつぐんでしまった
ロゼ姉は?
ロゼッタは、まだ他にやることがあるんだ
その時、ロゼッタは廃墟となった研究所の側でいぜん生存者を探していた
医療スタッフが彼を運び出しました。でも、もう恐らくは……
他に生存者は?
全ての区域を再度捜索しましたが、生体反応はありません
更に深く掘り起こすか?
……いや、もういいだろう。研究所以外の区域の情報はある?
今受け取った情報では、オブリビオンと我々の仲間はすでに救助作業を終えております。負傷者は治療中で、研究所以外に死者はなかったようです
ここだけか……
ロゼッタは掘り起こされた廃墟を眺めた。3本の石柱は床に崩れ落ちていた。鋭い牙を向いた悪魔が血を吐いているようだった
目を閉じると、絶望してすすり泣く声が「平和賛美ホール」に響き渡っているように感じた
インブルリアと無数の人々に悪夢をもたらしたこの研究所は、思いもよらない形で灰燼に帰した
ロゼッタが崩れ落ちた石板を持ち上げると、あちこちに血痕が残っている。鮮烈な色をしたもの、茶色く変色したもの、それら全てが静かに、ここでの惨事を物語っていた
研究所に逃げ込んだ人は、ここにどんな秘密が隠されていたのかを知っている
彼らは秘密を知っていたからこそ、ここが絶対的に安全な場所だとわかっていたのだ
かつて実験のために造られた装甲層、処刑場、観察室は、秘密を知る者にある錯覚を与えた——自分たちは秘密とともにここに封印され、永遠に発見されることがない
ロゼッタは思った――「罪人は罪を犯した場所で処すべきだ」。だが、無数の実験体と廃墟に埋もれた人々は、本当に「罪人」なのか?彼らは当然の処罰を受けたまでなのだろうか
思考の漂流から我に返り、ロゼッタは救援活動に無理やり意識を向けた
建物の損傷はどうだった?
ひとまず、クラスCの損傷評価です。家屋破壊は主に私たちが最初に見た区域ばかりでした。その他の区域はほとんど無事です
なぜその区域だけなんだ?
……あの区域の破壊は、警告のためのみだったのかもしれない
警告?昇格者の目的が研究所の破壊ならば、なぜそんな手間を?
――秘密を知る者全てを、研究所に逃げ込ませ――
――そして、一気に片付けた……
一気に……?何の話だ?
ロゼッタは推測については話さなかった。さっと手を上げ、守林人たちに指示を出した
私たちも他の守林人と合流し、負傷者の治療の手伝いをしないと
居住地が再建されるまでは、家を失った人たちは新ソフィアに住んでもらおう。あとは外壁を作れば完成だったけれど、その必要はないわ。その分の場所を増築にまわしましょう
……今は再建の時よ
立ち去る前にロゼッタは振り向いて、墓場と化した廃墟をもう一度眺めた
何もかも終わったら、また戻ってくる。この研究所跡にあのホールを再建する
今度は歴史を学ぶため、死者を悼むため……そして……真の平和のために
ロゼッタは踵を返し、皆のところへと向かった
雪が風に舞い、研究室の残骸に降り積もる。血の惨状を雪が真っ白に覆う。だが、雪がどれだけ降り積もろうと、引き裂かれた傷口は決して消えることはない……
隠され続けた真実、それと同じように……