想像していた肉弾戦はなく、それは噛みついてもこなかった
巨大な怪物はまるで懇願するかのような動きでαを腕の中に抱き寄せた
キメラの体に触れた瞬間、周囲の白い霧は突破口を見つけたかのように、激しくふたりの方へ押し寄せた
くっ……
意識海は、引き裂かれ、再び組み立てられるかのようだった。霧が立ち込める中、無数の真偽のわからない情景や会話が彼女の記憶へ雪崩れ込んでくる
彼女の……記憶?
……誰の記憶?
……笑っているのは、誰?
わ、わぁ……すごく綺麗。ひとつ、ふたつ、みっつ……ナイトランプがいっぱい!
ルナが見たらきっと喜ぶよ……ほら、見てて――
よいしょっ――
おバカさんね、そんな風にしても届かないわよ
だって、あのナイトランプはずっとずっと遠いところにあるんだから
誰……誰が話している?
この声……どうして、こんなにも懐かしいの?
……ルシア
明日……私と皆で、遠くへ行くの
そんなに……長くはならないわ
誰なの……
どうして……この声を聞くと……こんなにも悲しくなるの……?
意識海の中、無数の粘りつく記憶の断片が彼女を巻き込みながらグルグルと回っていた。αは暗流の中に浮かぶ1艘の小舟のように、幻影の中を必死に進んでいた
あなたも1期生ですか?
私はルシア
……それは、彼女の記憶なのだろうか?彼女とは……誰だ?
彼女は、一体誰と話しているのだろう?
……銃口を向けるなんて……思わないの……
それは、あなたが……襲撃したことと……しないで
意識海の中で浮き沈みする情景が、次第にぼやけていく。そして、彼女は見た……
地上で、建物が燃え上がっているのを
私は……うっ……
彼女は、無数の名もなき瞬間で築かれた迷宮の中を駆け抜けていた
ルナ、片付けはできた?
――ルシア、妹を守って
撮影よりお父さんとお母さんに会いたい……
お姉ちゃん、今日の収獲はどうだった?
お姉ちゃん……痛いよ……
お姉ちゃんの後ろをただついていくだけで、お姉ちゃんなしでは生きてさえいけなかった妹が
生き続けて、目の前に立っているのに
なのに、まだ置き去りにするの……?
ルシア……
過ちは、ここで終わらせないと……
新しい可能性を創り出すには、相応の力が必要になる
だから私はあなたを幽閉する牢獄になるわ
……
私は……
彼女は、静まり返った空虚な大地の中央で孤独に佇んでいた。光と影が背骨を切り裂き、彼女の血肉を露わにする
突如、時は彼女の傍らで逆行を始めた
彼女は見た。昇格ネットワークと戦う自分の姿を――
彼女は見た。氷の海を歩く自分の姿を――
彼女は見た。廃墟の中に身を潜める自分の姿を――
彼女は見た。雪原に立つ自分の姿を――
手にしていた長刀はみるみるうちに小さくなり、彼女は裸足のまま、果てしなく広がる雪原を力強く走っていた
彼女はこの全てを突き抜けなければならない――全ての表層を越え、この奔流の最も深い場所へと潜り込むために
ぼんやりと、彼女の姿は歳月の星屑と重なり合っていく
計り知れないほどの道の果てに……彼女は自らのぼやけた「起点」を垣間見たようだった
いきなり意識が消え去り、全ての喧騒が静寂に帰した
そして、彼女は沈んでいく……
温かな抱擁の中へ
ああ……なんて可愛い子なの
彼女は目を開けることができず、ぼんやりとした光の輪郭だけを感じていた
それじゃあ、この子の名前は「ルシア」にしましょう
穏やかな子守歌に包まれ、αは霧域の中で深い眠りへと落ちていった
