バンジの後について、長い間歩いた
もう飲料水はなくなり、足もとても疲れている。これまで長い間歩くことが、こんなにも辛いとは思わなかった
砂漠は議論するのに向いている場所とはいえない。砂埃を含んだ風が絶え間なく吹いており、口を開くとあっという間に中が砂だらけになる
黄砂は、人間だけではなく、構造体の関節にも少なからぬ影響を与える
この区域を乗り越えたら、機体の臨時点検しましょう。砂が細かすぎます
指揮官、顔色が……
突然、バンジから日除け用の布が投げつけられた
……ふわ……あ
バンジはただ目をそらして、あくびをした。答えるつもりがないようだ
狙撃の時に余計な光を遮るために使う布
それは単なる布の説明であり、応答とはいえなかった
一行は再び沈黙に戻って、おし黙って歩を進めていった
進めば進むほど、岩の数が少なくなり、支流の数も減ってきている
しかし危険な状況であることに変わりはなかった。さっきまでは赤潮が脅威だったが、今は過酷なこの環境こそが脅威だ
背後から、再びあのクジラの歌が聞こえてきた。今は赤潮からかなり離れているため、声がぼんやりかすんで聞こえる
再び視界に靄がかかる――
時間があるから、彼女のことについて話しましょうか
彼女とは、まだ構造体ではない時に知り合って、親友になったの
彼女は私が会った人の中で、一番理想主義かつ実用主義を抱く人よ。冷静な時はとても果断なのに、ひとたび夢を見だすと非現実的でロマンチックな考えで頭がいっぱいになるの
例えば……そうね……
アイラは窓の外の青い惑星に目をやった
あの惑星をどう思う?
ええ
その瞬間――
頭に浮かんできたのは表面的なデータの羅列だった
赤道半径は6378.137km。西から東に自転し、太陽の周りを公転し、太陽系の内側から外側に第3の惑星…………
強いていえば、任務の際に大気圏を突破したあとの重力に束縛される感じは、体に刻まれた記憶といえるかもしれない
それ以外には、何もない?
執行部隊の指揮官はよく地球に行くものね。空中庭園で生まれた住民のほとんどは、あの重力に束縛される感覚を味わうことはないでしょうね
考古小隊の者たちでさえ、全員が地球に行けると限らないもの
話を戻すわね、地球ってどんな感じ?
地球がどんな感じなのか?
両目を閉じてみる
アイラの顔が再び歪み始めた
なぜこんな時に、出発前のアイラとの会話を思い出すのだろうか
地球ってどんな感じ?
地球はどんな感じなのか?
指揮官、どうされました?
あ……どうしたの?
その質問には答えなかった
小隊はすでに砂嵐から脱出していた。影のように寄り添っていた歌声も徐々に遠くなっている
思わず、後ろを振り向いた
濃い黄砂の中で、女性の姿が見え隠れしている
あれは赤潮の虚影なのか?
それは誰にも知られず、瞬く間に風とともに散っていった
……うん……進み続けよう
再び長い道のりを歩いていく
突然、リードしていたバンジが足を止めた。目を細めて、前方を見ている
うん?2時の方向、200mのところ、チビっ子がいる
なぜこんなところに人が……
敵でしょうか?
これは、君に判断してもらおうか、[player name]
グレイレイヴン指揮官なんだ、現場で判断し、決断する権限を持っているよね
責任逃れしたいだけでしょう
ふわぁ……そんなことはないよ。僕はただの観察者だから
それに、君たちは、僕より指揮官の判断を信頼するだろ?
彼は話し終えると、目を閉じてひと言も発さず、静かに他者の決断を待っていた
見渡す限り、何もない丘と険しい岩の壁だ
うん……?
バンジは瞼を持ち上げ、再びさっきの方向を見た
もう行っちゃたのか。たぶん僕が気づいたのを察知したんだな。鋭い
それならば、侵蝕体ではないですね
指揮官、おそらく人間です
……子どもでしょうか?
このような劣悪な環境に、なんで子どもがいるんでしょう?
ここは人の生存には適さない場所です
人間の子どもなら、いうまでもないことです
念の為、辺りを偵察した方がいいと思います
こんな場所に人間がいるなんて、怪しすぎます
バンジが言う場所は、他よりも高い場所だった
さっきまではわからなかったが、ここに立つと、一気に視野が開ける
残酷な死を待つだけの何もない砂漠なのに、視野が広くなったその瞬間、心に衝撃が走った
地球ってどんな感じ?
原始的で広大で静かで、最初の人間が大地に立った時から、最後の人間がこの大地に横たわって永眠するまで、何もかもは不変であるかのようだ
太陽は遥か遠い雲の上にある――今は雲に遮られて見えないが、光がその存在を示している
ひとつしかない光源を共有しているのに、空中庭園ではまるでただの白熱電球だ。なぜ地上では、こんな広い大地を照らすことができるのだろう
指揮官、熱源反応を検出しました。複数の……
待ってください、あれは……
風に乗って激しく争う声が聞こえてくる
丘に登った時、遠くばかりを見ていたため、すぐ近くに寂れた簡易キャンプ場があることに気づかなかった
冷たい風が簡易テントと木の小屋を通り抜け、ギシギシと音を鳴らしている
中には誰もいなかった。それは住民がここを捨て去ったからではなく、全員がキャンプ場の外に集まっているからだった
そして、彼らと対峙して立っているのは、見知った顔――あの不屈の「老兵」だった
ハンス総司令官と第1小隊です
それに……
キャンプ場の前で、二者二様に異なる者たちが対立している
一方はボロボロの服をまとい、互いに寄り添いあっている。この地に長く住んでいる難民のようだ
もう一方は完全武装し、手に武器を持っている。空中庭園から派遣された精鋭部隊だった
前者は後者が突然現れたことに驚き、恐怖と警戒が極限まで達し、それは明らかな敵意に変わっていた
あなたたちは誰?
女性は母鳥のように我が子を後ろに庇っている。ほかの難民たちもじっと聞きながら身を引き締めて、これより一歩でも進めば共倒れもいとわないという雰囲気だ
その態度に反応してか、兵士たちも思わず武器を握る手に力が入っている
総司令官、このキャンプ地は予定座標ポイントの近くにあり、攻撃の巻き添えになります。今、ここから難民どもを追い出すべきですか?
ハンスは小さく頭を振った
攻撃するなどとんでもないことだ。この者たちは脅威ではないぞ
彼はそう言うと、難民たちを見やった
攻撃や抵抗はやめてくださらんか。我々は無意味な戦いをするつもりはない
グレイレイヴンが到着したことで、その場の雰囲気は更に緊迫した
ひ弱そうな男の子がひとり、先ほど口火を切った難民の女性の後ろから顔を出し、怯えた目で小隊を見ている
小隊の兵士たちが武器を持っているため、難民たちも軽々しく行動できずにいるのだ
あ……さっきのチビっ子
ハンスがこちらを振り返った
……
グレイレイヴン、君たちか
ハンス総司令官
長らく06小隊との通信ができんでな。君たちはもう空中庭園に帰ったのかと思っとった
まぁもともと、君たちがおらんでも、どうということはない
老練の軍人は皮肉を隠そうともしない
僕たちの乗った輸送船が乱気流に遭遇し、墜落したんです
それについて、ハンスは何も言わなかった
その場にはやや張り詰めた雰囲気が漂っている
……ふわぁ……
えっと、ちょっといいですか?
ハンスが許可する前に、バンジは話し始めた
僕は地上の情報を空中庭園に報告した構造体、ストライクホークのバンジです
……君か
議長から聞いた。君が最初に、赤潮が転移し支流を形成していると気づいたそうだな
ええ、まあ。それより今はまず、状況を整理した方がよくないですか?
このまま放っておくと、事態はますます悪化するばかりだ
バンジは難民の方をちらっと見た
……
全員、武器をしまえ
了解!
ハンスの命令を聞いて、難民たちの表情が少し和らいだ。そこへ、ひとりの老人が出てきた
あなたたちは?
私たちは空中庭園から来ました
この言葉で難民たちの顔色が一変し、互いにひそひそと囁きあい始めた
空中庭園だって?
あの伝説の宇宙ステーションか?
あれはおじいちゃんの作り話じゃなかったんだ!
老人は少し複雑な表情をした
えらく大物が出てきたな
我々は大物などではありません、ただ任務を執行している一介の兵士にすぎません
ここはもう少ししたら、空中庭園からの宇宙攻撃を受けます。早くここから離れてください
宇宙攻撃?それって何?
リーフが答える前に、老人は頭を下げ、さっきとはまったく違う優しい笑顔を作った
簡単に言うとな、それはとても明るくて大きな光で、それに照らされると全てが消えてしまうんじゃよ
子どもは老人の言葉の意味を理解できないままに、曖昧にうなずいている
……私たちの言おうとしたことが、わかっているのですか?
こちらに老人が頭を上げると、その顔は再び固い表情になっていた
わしは宇宙攻撃だけでなく、零点リアクターも超光速エンジンもグレート·エスケープも知っているさ。子どもが知らない歴史も全てな
老人は深いため息をついた
あんたらが何しに来たのかはわかっている。好きにやればいい
ただ、あまり大きな音は立てんでくれ。子どもらは寝る時間だ
老人は話し終えると、後ろの難民たちに何かを伝えている
それを聞いて、難民たちはそれぞれ自分の家に帰っていった。しばらくすると、キャンプ場の中央には小隊だけが残った
これはいったい……?
側にいたルシアは、家に戻ろうとしている老人を追いかけた
彼らに何を言ったのですか?宇宙攻撃がなんであるかを知っているなら、この地に留まってはいけないこともわかっているはずです
ここから離れなければ、皆死んでしまいます
その通りの言葉を、皆に伝えたさ
……えっ!?
落ち着いて、ルシア
僕たちの説明がよくなかったのかもしれません
こういうことです。つまり、この場所はもうすぐ新しい侵蝕生物に蹂躙されるため、空中庭園では宇宙からの集中攻撃をもってそれらを撃退しようとしているんです
予定座標ポイントのひとつはこのキャンプ場のすぐそばです。もし、ここにいれば、あなたたちも巻き添えになってしまう
たとえ空中庭園の集中攻撃が行われなくても、いずれその新しい侵蝕生物が襲ってきます
何度も言わんでいい。わしは言った――お前さんたちが誰かはよくわかっている、空中庭園の精鋭たちよ
人間の尊厳と希望、何年もの年月を消費して、君らは地球に舞い戻り、わしらに破滅を知らせにきたんだろう
君らがここに来た理由は百も承知だ。西側から広がってきた赤潮とあの敵を撃退するため。それは知っている。仲間の多くも、その犠牲になったんでな
だから、宇宙攻撃と聞いて、わしらがこれからどんな目に合うのかがわかった。それは、仲間たちにも伝えてある
お前さんがたのやり方はいつも単純で暴力的だな。昔からそうだった。今も変わらんことに何の驚きもないよ
そちらの任務の妨害などはせん。設置する座標とやらの破壊もしない
任務が終わったら、さっさと帰ってくれ
あなたたちは死にます
何度も聞いたと言っておるだろう
わしたちは死ぬ。だから何だ?
周りを見ろ。ここには数百もの人がおる
わしはグレート·エスケープを経験した。災難に見舞われたあと、エデンにたどり着いた者もいれば、不運にもたどり着けなかった者もいた
前者はエデンで悠々自適に暮らし、後者は文明の残骸に頼って、かろうじて生きている、ただそれだけだ
君らの後ろに立っているあの偉そうな軍人を見ればわかる。彼のようにノアの箱舟に乗れた者は、わしらみたいな者とは関わりたくなかろう
……
グレート·エスケープ以来、わしらは破滅とともに生きてきた。もう慣れたことだ
他に用がなければ、もうこのぼろぼろの体を横にさせてくれんか
死がくる前には、最後の尊厳を守りたいもんだ
老人は話し終わると、踵を返して皆の前から姿を消した
まるで死のような静けさが小隊の間に漂った
……
例外的なことなので、空中庭園に報告しよう。返事を待て
エリアポイントの設置任務は……?
予定通りに進めろ
……!
ハンス総司令官、お待ちください。ここにはまだ人がいます
軍人の第一原則は命令に絶対服従することだぞ。グレイレイヴン指揮官、部下の構造体の躾がなっとらんな
……指揮官とは関係ありません
……わかりました
わかったならそこで突っ立ってないで、さっさと予定地にエリアポイントを設置しに行かんか
……
実は、緊急着陸した際にエリアポイントが破損してしまいました……
君たちの無能さには、まったく驚かされる
なら、補給物資を受け取って、どこぞの適当な場所へ行くがいい。目障りだ
なぜ任務命令時に念押しておかなかったんです?
私はハンスに言ってある。それで十分だろう
ある意味、あなたは私よりも冷酷ですぞ
ふむ……下の者が我々をどう評価しているのか、知っているか?
もちろん。私には目も耳もちゃんとついています
ただ座標を設定するだけの任務なら、グレイレイヴン指揮官に現地総司令官をやらせれば十分でしょう
彼らは赤潮に遭遇したことがある分、他の者よりも経験という点で秀でている
だが、あなたはハンスを選んだ
前回の075号都市作戦で、グレイレイヴン指揮官が不安定になっている。そのことが[player name]の心身に今後どう影響するのか、アシモフにもまだ判断がつかない
それに、本計画は戦闘ではなく、協力してひとつの目的を達成することだ。グレイレイヴンは単独作戦に慣れているので、今回の総司令官に適しているとは限らない
グレイレイヴン指揮官が適任でないからといって、ハンスを選ぶ理由にはならないでしょう
ハセンはしばらく沈黙してから、話を続けた
ある選択と責任を、次の世代になすりつけるわけにはいかない
たとえリスクが少なかったとしても、だ
私はハンスを信じる。彼は、ここにいる我々全員の先導者であり、全ての問題に対処できるだけの十分な経験を持っているんだからな
次の世代を甘やかしすぎなのでは?
いつまでも庇護するのも、逆効果かもしれませんぞ
ニコラ、我々は多くを背負いすぎているんだ。この手もたくさんの血に染まっている――
――敵味方問わず
我々は、悪の残滓、遺物なんだよ。歴史がいつかそのギロチンで、不名誉な罪を裁いてくれるだろうが
少なくとも今、負うべきではない責任と罪を子どもらに負わせるわけにはいかないんだ
憎しみの鎖は我々の世代で断ち切るべきだ
それならば、なぜ彼らを一緒に行かせたんです?
ひとつは、現在のグレイレイヴン指揮官が、今後の任務を全うできるかどうか見極めたかったからだ
もうひとつは……責任を負わせなかったとしても、その子が永遠に見て見ぬふりするとは限らんだろう
己の無力さを知ればこそ、未来へと歩き出せるものだからな