ただいま!
忘れずに戻ったか
……ヘンなことはしてないよ
そんなことは聞いてない
本当だ!嘘はついてない!
うぅ……(ドキドキ)
院長は常羽の腕をつかんだ
ヘンなことはしてないが、街の塀を飛び越えて、壁を伝って走っただろう
そんなことしてない!これはこすったんだ!
……待て。破傷風の注射をしとかんと
おっちゃん、いいって!今それを注射したらなくなっちまう。俺たちがどれだけ貧乏なのかわかってるだろ?
わかっているならなぜ怪我をする?
あと、半月分の食料費を瓦の修理費にあてんといかんな
……じゃあ月の半分は飯だけ食っておかずは食わない。それならいいだろ?
……そういうことじゃない!
常羽の答えを聞いて院長はますます怒り、拳を挙げた。しかしその時、于がドアを押して入って来た
い、院長、あ、あ、あ、あの、つ、通信
なんだ、よくそんなんで受け取れたな
今日俞生は休みだ。母親の命日なんだと。もう朝の練習を終えたぞ。お前は?朝練したのか?
何だよ、一度もサボったことないよ!しっかり舞台の周り50周を走ったさ!
まぁいい、もう行きなさい
ええ?つまんないの
少年は口をとがらせて、肩の鞄を下ろし、中庭に向かった
ドアの前まで歩いて常羽は急に立ち止まり、屋根の上に登ると奥の部屋の梁の上に潜り込んだ
常羽はそっと腰の巾着を開けて、中から食欲をそそる香りが漂う豚の煮込みを取り出した
へへ。半月は飯しか食べれないんなら、今日、先に肉を食べとこっと
まさか俺が、珍しい豚の頭肉の煮付けを食べてるとは思わないだろ
……あとで于さんに半分やるか。酒の肴にもってこいだから
常羽は手早く包装をほどき、肉を1枚取って口に入れようとした。その時、院長の話し声が聞こえた
おや旦那様、お久しぶりでございます。前回お宅で劇を演じた時は、風邪で奥の間で休まれているとかで、ご挨拶もかないませんで
なるほどそうですか。ご体調がすぐれなかったのですね
いえいえいいんですよ。来週はお嬢様の16歳の誕生日ですね。どの師匠に祝辞を書いてもらうか計画しましたよ!
……え?
あ、あぁ……いえ、旦那様、お気になさらず。構いません、構いません。私どもはまた他の仕事を見つけますから
常羽は動揺を隠せなかった。今月はこの仕事の代金が入ると思っていたのだ。この件もなくなったら……本当に飯すらも食べられなくなる
あぁ……バーチャル空間を作って、火星でお祝いをしたい、と….…それは結構でございますね
いえ、本当にお気になさらずに。演目がひとつ減ったからといって、食に困るようなことはありませんので……
常羽は、院長が腰を低く応対している姿を見て、やるせない気持ちになった
院長は、長いため息とともに受話器を置き、力なく椅子に腰を下ろした
しっかり聞いたか?
!
降りてきなさい
盗み聞きしていることがバレたのを知って、常羽はしぶしぶ飛び降りてきた
……わざと盗み聞きしたわけじゃない……
わざとかどうかは関係ない。まず、口の中の肉を飲み込んでから話せ
院長、俺が明日、客引きに行こうか?
……客引きはたいして足しにならんよ
まぁいい……お前ももう大人だ。劇場のことも少し知っておくべきだろう
院長……
常羽、おいで。于、裏庭のMr.ハクと宋さんを呼んでこい。あと、薪小屋のお手伝いさんには帰ってもらっていい
へ、へい
考えていることがある。皆に説明する
やだよ!
常羽……
そんなこと……許さねぇぞ!
甘えるな!
院長は力強く杖を叩きつけた。部屋の中が静まり返り、しばらくして、老人は大きくため息をついて口を開いた
常羽、お前が街で何をしていたかも知っている。でも、意味がないんだ
常連さんがたが自分の子供の意思すら変えられないのに、チラシを貼ることで街の人が金を払って劇を観にくると思うか?
でも……
い、院長……。でも、もうに、2カ月くらい、劇、してない
何か方法あるだろ!?天は人を死に追いやることはしない。それ、院長が教えてくれたことじゃないか!
ここでずっと劇を演じてきたのに、こんな簡単に解散しちゃうのかよ?!
今解散すれば体面は保てる。家財を売れば、皆が再起するための資金の足しになるだろう
この老いぼれた体が動くうちに解散せねば、文字通り、何ひとつ残らない
常羽は悲しくなった。院長は頑固で厳しく劇場の皆に恐れられていた。不景気になってからは、院長の意地はもう哀願のようだ……常羽にとって、それは一番悲しいことだった
劇場の買い取り手も考えてある。螭吻衆の古い友人が居抜きで買うと言ってくれた。支払い能力は折り紙付きだし、値段も悪くない
……とりあえずできるところまで、皆の身の振り方を考えたつもりだ
院長は椅子の肘掛けをさすりながら話している。彼にとっては、劇場は生命そのものが宿る場所だった
世にあまたあるひとつの物事を終わらせて、別のことを開始するだけだ。彼にはもう、自らの手でこの生命が宿る場所を握りつぶすしか道がない
院長はただ立ち尽くしている。その生涯でいまだ経験したことのない落胆を感じているようだった。重く沈鬱な様子に、誰もがどう話しかければいいのかわからずにいる
皆はただ、そのまま沈黙を保つことしかできなかった
常羽、お前ももう子供じゃないんだ。ここじゃなくても、自分で食っていく方法くらいあるだろう
…………
い、い、いんちょ……
もっといい方法……もっと何かきっと……
いや、それしかない。もう終わったことだ
この老いぼれた体はあと数年も持たん。劇場がいつか閉じるなら、自らの手で解散するのも悪くない
全ての気力を失い椅子に身体を預ける院長を見て、皆は沈黙しかできない。そこにいる全員が劇場を維持したいが、それは不可能だからだ
目の前の老いぼれた男性は、劇場を支えるために多くの代償を支払ってきた。皆はもう、院長をこの重責から解放してやりたいと思い始めた
……も、もし1、2カ月なんとかなれば……
いや!きっと別の方法がある!俺がなんとかする!
そう言い終わるやいなや、常羽は部屋から飛び出していった
い、い、院長……あれ……
いや、いい。好きにさせておけ
朝になって俞生が来たら、起こしてくれ