時間は刻々と進んでいく。砂嵐も弱まる気配を見せつつあった
ったくよぉ、一体どこへ……
ノクティスの前方およそ数10mほど先に、微かに黒い人影が見える
彼もその場所を目指して苦戦しながら進んでいる。こんな天候なのだ、普通の人であれば避難できる場所を探すはずだろう
その人が生きているなら、の話だが
いくらバカでも、避難場所くらい見つけられるだろ――
バンッ――
吹き荒れる砂嵐の中、ハッキリと鋭い銃声が響く。その音は前方から聞こえた
誰だ?
バカ野郎、こっちのセリフだ!
……こいよ
「髭」か?
ああ、俺だ
ノクティスは膝まで砂に埋もれながら、歩みを進めた。一歩踏み出すとすぐに足が砂に吸い込まれ、埋もれてしまう
ようやく声の主のところにたどり着いた。岩にもたれている状態の「髭」が、ノクティスに向かって苦笑いを浮かべた。先ほど警告のために発砲した銃を右手に握っている
【規制音】!こんな天気で泥棒を追うなんて、死にたがりかよ?
はっ……そうかもな……
「髭」が辛そうに身体を起こすと、砂が彼の身体から滑り落ちた。その時ノクティスは、彼の側にもうふたりが倒れていることに気付いた。すでに生きている気配はない
……何があった?
コソ泥どもだ……俺が始末した
盗んだからには……復讐される覚悟がねえとな
お前、体温が低いぜ……おい、この傷……
ノクティスは、「髭」がショック状態に陥りつつあることに気付いた。彼のズボンの裾や身体の下が、黄砂の混じった血で赤く染まっている
砂の中を音もなく流れる鮮血と静まりつつある暴風が、先ほどまでの壮絶さを物語っていた
さっきな……あいつの夢を見たんだ
俺たちはあの公園で一緒に……それから……あいつは……これを残して……
おい!おいって!
大量の出血と体温の低下によって、彼の意識が奪われようとしている
医学に興味などなかったが、ヴィラと長く肩を並べて任務にあたってきたノクティスは、多少なりとも応急処置の知識を持っている
あぁ……
「髭」は必死に笑顔を見せ、手に持ったフィルムと映写機をノクティスに手渡そうとした。しかしその気持ちとは裏腹に、身体が思うように動かないようだ
預からねえぜ、てめえで持ってな
男だろ、腑抜けてんじゃねえぞ。こんなとこでおっ死ぬなよ
ノクティスは「髭」のズボンを裂いて布端を切り取り、彼の太ももにある深い傷に巻きつけた
おい!俺を見るんだ!この野郎、寝るな!
俺がおぶって連れてってやる。すぐにヴィラが応急手当してくれるぜ。わかったか?
ノクティスは「髭」の頭を支えてパチンと彼の頬を叩くと、意識を刺激しようとした
粛清部隊にいた頃、ノクティスは多くの影の任務をこなし、その手で多くの人を殺めてきた
彼が見た多くの者の瞳に、絶望や恐怖、怒りといった「最期の瞬間」が宿っていた
今もノクティスは、「髭」の瞳に宿る「最期の瞬間」を見た
だがそれは絶望や恐怖、怒りなどではなかった――生きようとする強い意志だ
【規制音】め……俺ぁ……腑抜けじゃねえよ
だよな!
ノクティスが周囲を見渡すと、砂嵐はかなり収まっていた
ノクティスはもう一度「髭」の意識を確認し、背負おうとして、足下に転がる死体に刺さったナイフに気付いた
ノクティスは迷わずそのナイフを引き抜くと、傷口は死体とともに黄色い砂ですぐ覆われてしまった
お前のだろ?
「髭」は頷いた
ノクティスはナイフを「髭」のこわばる手に握らせると、映写機とフィルムをしっかりと抱えさせた
ズラかるぞ
ノクティス――
夜闇の中、ノクティスが来たのと大体同じ方向から、21号とヴィラがやってくるのが見えた
ノクティスはこの時ようやく、荒れ狂っていた砂嵐が完全に収まっていることに気がついた
よし、ヴィラが来たぜ
ノクティスは先ほどよりも力を込めて、「髭」の顔をバシンと叩いた。この状況で意識を失えば二度と目覚めることはないことくらい、医学知識がない彼でも知っている
…………
「髭」は何も言わず、ただ頷くだけだった
「髭」とノクティス!
隊長、血の匂い……
命を助けた貸しが、複利になったわね
ヴィラは速やかに救急箱を取り出し、「髭」の応急手当を始めた
この布は?
俺が巻いた
そう、まあまあね。合格にはほど遠いけど、しないよりマシだわ
傷口が砂だらけ……まずは傷口を洗滌する。何か噛むものを
だが「髭」は首を振り、ヴィラの提案を拒んだ
少しくらい痛い方が……スッキリ目覚めてちょうどいい
その通りね
ヴィラは迷いなく手際よく傷口を清潔にすると、消毒して包帯を巻いた
ツイてたわね、大腿動脈は傷ついてない
手当が終わると、ヴィラは「髭」に代用血漿の点滴を打った。淡黄色の液体が1滴ずつ彼の身体に流れ込んでいく
これでOKか?
今はこれが限界。この任務で、人間を救護することはないと思ってたから
備えは常に必要ね……
ところで……どうやってここがわかったんだ?
砂嵐が収まって、21号、「髭」の匂いを見つけた
21号は「髭」の側に立って、心配そうに彼を見つめている
21号はそっと「髭」の上着から針のような物を取り上げた。注意して見ないと、気付かないほどに小さい
なんだ?
位置特定装置、あなたもつけてあるわよ
へぇぇぇ?俺にも?どこにだよ?
今回の任務、信号が届かないエリアだからって、隊長が持たせてくれた
特定範囲は最大3kmまで
そういうことか……
体温と血圧が上がらないわね……
ノクティス、火を起こしなさい。彼の体温が下がりすぎている。このままじゃ失血死の前に凍死だわ
チッ……途中の戦闘で爆薬は使いきっちまった……
これがあるわよ
ヴィラは、旗槍の側に置かれた手作りの爆弾を指差した
あの修理屋の置き土産
こんなモン駄目だ。分解できねえよ
古い黒色火薬と黄色火薬だ……一瞬で燃え上がる、火起こしには使えねえ
そういうの、得意なんでしょう?
得意だからこそ、使えねえのがわかるんだよ
ギギ――ガ――
突然、耳障りな雑音が近くで響いた
さまざまな姿の侵蝕体たちが、次々と砂の中から現れた。砂に潜って砂嵐をやりすごしていたが、砂嵐が収まった今になって再び活動を開始したようだ
ウゼーなあ、しつこい野郎どもめ
ここだけじゃない。周り……たくさんいる
じゃあ……撤退か?
負傷者を連れての撤退はそう簡単じゃないわよ
そうかよ、じゃあやることはひとつだな
ノクティスは思わず腰の爆弾に手を伸ばしたが、掴んだのは馴染みのないガラス瓶だった
酒?
あっ
ああ、そうか。飲み屋の店主がくれたやつ
「髭」の物でしょ?
ノクティスはその透き通ったウォッカの瓶を握り、何か思い出したように「髭」の前にしゃがみこんだ
なあ、死ぬのが怖いか?
……
ザックに……命を助けてもらった借りがある
お前たちからも……二重で……借りだな……
ザック?誰だ?
「髭」は首を振ったが、その瞳には涙が浮かんでいた
死ぬのは怖くないさ
でも、生きてえな
ノクティスは酒瓶のコルクをポンと抜き、「髭」に手渡した
「髭」は寒さと失血で思うように動かない手で酒を受け取ると、ぐびっとひと口飲み、ノクティスにそれを返した
ノクティスはそれ以上何も言わず「髭」の肩をポンポンと叩くと、ヴィラの側に置かれた爆弾を取り上げた
「髭」の瞳に宿る希望は今、余すところなくノクティスに伝わっていた
前みてえによ、雑魚どもを木っ端微塵にしてやろうぜ
ノクティスは爆弾にウォッカをくくりつけ、近付いてくる侵蝕体たちに向かって放り投げた――
酒と炎、鉄と血が死をもたらすと同時に、新しい希望が灯る