見覚えのある照明が天井で揺れている。悠悠という名の少女は目を開け、激しく咳き込み始めた
呼吸の仕方を忘れていたのかと思うほど、久しぶりに喉を通る空気は、悠悠にとって甘いものだった
あら、やっとお目覚めね……
悠悠を2度も助けてくれた女性が初めて心から笑いながら、悠悠の体を助け起こし、椀に入っている茶粥を食べさせてくれた
茶粥の温かさに、悠悠はやっと生きていることを実感し、全身の震えがようやく止まった。同時に、突然彼女の目からは涙がこぼれ落ちた
お姉さん……私……まだ生きているんですね?
むせび泣く少女に向かって女性は頷いた。彼女は茶碗を横に置き、少し迷ったあと、悠悠の涙が高価そうな服に染み込むのも構わず、悠悠をそっと抱き寄せた
次第に夜の帳も退き、まもなく新たな一日が始まる……涙と悲しみだけの夜はすぎ去っていた
悠悠は涙の跡をこすり、ためらいながら口を開いた
あ……ごめんなさい……
涙で濡れた自分の服を見て、何も気にしていないというように女性は首を振った
大丈夫。この服は舞踊団が配ってくれた衣裳なの。ちょっと洗えば……
いえ、そうじゃなくて……それも申し訳ないと思っていますけど……!
悠悠は顔を赤らめ、申し訳なさそうに頭を掻いた
お姉さんの忠告を守るべきでした。怒ってひとりで外へ行き、お姉さんを悪い人呼ばわりまでしてしまって……
もしかしたら……あなたは間違っていないのかも。この夜航船では、他人を信じることは愚かなことだとされているから
彼女は背後からパンダのぬいぐるみを取り出し、悠悠の腕の中にそっと戻した
それに私も謝らなきゃ……もう二度と両親と会えないなんて、言うべきじゃなかった。あなたが諦めない限り、いずれ九龍に戻れて、待ってくれているかもしれないのに
ええ!悠悠は諦めません!きっと私を待ってくれているはず……
それと、もうひとつ謝りたいことがあるの。あなたが買った太阿の機械体を修復しようと思ったけど……体も電子脳も完全に壊れていて、残念ながら元通りには……
彼女がブレスレットのベルを鳴らすと、奥からゆっくりと巨大な姿が現れた。しかもそれはなんと力士型の機械体だった
ガァアアァ
壊れた力士型の機械体の修復に太阿のパーツを使ったの。こういう形なら、彼を「復活」できるかもと思って……
彼女は自分の行為の傲慢さがわかっていた。悠悠が「友人」と呼ぶ太阿型の機械体はすでにこの世にいない。自分がやったことは余計なことかもしれないと危惧していた
機械体の全てのネジ、全てのパーツは変更可能ではある……だがそれを寄せ集めただけの体は、本当に魂を与えられたといえるだろうか。一体、何が真実の「彼」なのだろう
悠悠は怯えながらも、力士型の機械体の体に触ろうと手を伸ばした。他の機械体と同じく冷たくて硬い印象――腕に結ばれたピンク色の物以外は
そのリボン、太阿の腕に結ばれていたの。きっと何か特別な意味があると思ったから、残しておいたんだけど
悠悠は目をしばたかせ、そのリボン――元は自分のリボンだった――を見ながら、ニッコリと笑った
な……名前はわかりますか?
名前……?さあ、知らないわ……
じゃあ、名前をつけなくちゃ。私が考えますね!大好きなアニメの主人公にもロボットの友達がいるの。名前は……「阿一」でどうかな?
ガガァ――!
うんうん、私は悠悠っていうの。これでお互い自己紹介だね……でもあなたは生まれたばかりだから、弟ってこと。悠悠がお姉さん。わかった?
阿一がギクシャクと踊りながら返事したのを見て、悠悠は女性の方に振り向いた
じゃあ、今度はお姉さんが名前を教えてくれる番です!
悠悠にそう言われて彼女は首を振った。そしてゆっくりと袖をまくり上げ、力士に攻撃されて破壊された腕を見せた――人工皮膚に覆われた、複雑な機械構造がのぞいている
わかっていると思うけど、私は人間ではないの……秘密裏に作られたから、私の製造者は名前などつけなかった――私は道具として作られて、名前がある必要もなかったの
彼女は人間と見紛うほどの手や美しい顔をしており、傷を見なければ、誰もその真実に気づかないだろうと思われた
「あなたは無価値だ」って言ったけど……むしろ無価値なのは私。私は製造者の願望を叶えるために作られた道具。でも……機械の私は永遠に自分の使命を果たせないと気づいたの
お姉さんはあんなにすごいのに、できないことがあるんですか?
ええ、この世界には、絶対変えられないものがあるし……永遠に手に入らない物もあるの
彼女は窓の外を見た。太陽が朝の霧を払い、夜航船で最も高い楼閣を照らしている。たまにそこであの人の姿を見かけるが、彼の眼は自分を……この船にあるものすら見ていない
この体のお陰で、私は人間を装って夜航船に乗れた……どうして製造者の命令に反してまで九龍から離れ、彼を追って夜航船に乗ったのか……あの時はわからなかった
でもね、いくら人間に似ていようと、私は人類を理解できないの。悠悠みたいに……貴重な人間にはなれない
悠悠にはそれがよく理解できなかったが、笑顔を見せて手を握った
価値とか使命とか、そんなに重要ですか?私はよくわかんない……でもお姉さんは人間になる必要なんてないと思います。だって「心というパーツがあれば人間も機械も同じ!」
格好いいセリフでしょう!『魔法少女九龍』のセリフなんだけど……今使うのに、ぴったりでしょう?
悠悠は取り戻したパンダのぬいぐるみを胸に抱え、首をかしげた
その人が元から与えられた価値を失ったなら、次は自分で自分の価値を探せばいいんです。そうするのが一番大切なことだと思います
自分で自分の価値を探す……?できるかどうか……わからない
悠悠の話を聞いた彼女はかなり面食らったようだった。彼女にとって、今の話は機械的なロジックを超えた思考だからだ
でも約束するわ。私、やってみる――自分の価値を探して、心という名のパーツを探してみる……
私も九龍に戻らないと。きっとお姉さんの言う通り、パパとママが待ってくれているから……
だったら指切りをしましょう!一緒にこの夜航船で生き延びて……お互いの目標を達成するって約束しましょうよ!
悠悠は嬉しそうに笑いながら、自分の右手の小指を伸ばし……女性の指に絡ませた
これは……?
これは、約束をする時の儀式です……でも、お姉さんに名前がなくちゃ
ええ……製造者からは名前を与えられていないけど、船で生活するために使っている単語ならあるわ。それはある歌詞から借りたものなの
じゃあそれがお姉さんの名前ね。それはお姉さんだけの名前です
初めて、彼女は自分の宝物を手に入れた――それがただの名前であれ、彼女にとってはとても意味があるものだった
含英……私の名前は含英よ
お姉さんの名前は含英っていうのね!いい名前です!
悠悠は再び指を含英の指に絡め、リズムよく頭を揺らしながら歌った
指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます!含英姉さんと悠悠は指切りをしたんだから、100年間約束を守ります!
絡み合う指を見て、含英の顔に優しい笑顔が広がった
今日彼女はふたつ目の宝物を得た――この幼き者との約束
ふたりの揺れ動く運命が、この瞬間に交差した