夜航船では毎日19時に角笛が鳴り響き、その音色が夜市の始まりを告げる
甲板の上が騒がしくなり、色とりどりのネオンや龍の頭を模した提灯も輝き始めた。暗い海上で夜航船は煌々と輝いている
夜市には展示台での交易会に参加しようと全土から商人が集まる。人でごった返す展示台のVIP席も当然、満席だ
煙粉型の機械傀儡が一列に並び、舞台で妖艶な剣舞を踊り始めた。機械とは思えない優美さで舞っている
だがひとたび命令されれば、その剣はすぐさま凶器と化し、目標の命を断ち切るだろうことは観客の皆が知っていた
その時、展望台から花火が打ち上がり、周囲を昼間のように明るく照らした
天と地、この繁栄に勝るものなし
交易会だけでなく、夜市も人の山だ
その一角で、展望台から降りた男がもうひとりの商人と口論しているようだ
こんなゴミで客を騙すのか!
服は上等なシルク、手には金のパイプ、更に金の懐中時計と富豪らしい男が、目の前の商人を怒鳴っている
ごめんなさい、ごめんなさい……本当に申し訳ありません。もうこれしか残っていないんです。明日なら……
男は地面にふせ、額の汗を拭きながら富豪の靴に向かって謝っている
周りの人々は皆、富豪の側に寄ってきた。その目には狂ったような欲望の色が光っている
旦那、これを見てくだせえ!新鮮な肝臓です。今さっき取ったばかりですよ……
引っ込んでろ、俺が先だ!旦那!これを!俺の商品はこれっぽっちも病気はありません!
旦那、義足はどうです?ちょうど仕入れたばかりでね……
互いに罵りながら、自分の商品を富豪に売ろうとする商人たちの後ろにもまだ、売り込もうとする商人が控えている
その騒ぎで、富豪の後ろに忍び寄る少年に、誰もが気づいていなかった
少年は富豪の後ろで2分ほど待っていた。顔にはためらっているような表情が浮かんでいる
隣の屋台でくつろいでいた常羽は、その少年に気づいた
あの表情の意味を、常羽はよく知っている
…………
決心したように少年は混乱に乗じて、富豪のポケットに手を伸ばした。そこには分厚い財布が見えている
それを見るやいなや常羽は飛び上がり、飲みかけの梅スープを屋台の店主に押し付けた
福さん、ちょっと持っててくれ!
おい、クソガキ、まだ代金を——
すぐ戻る、ちゃんと払うから!
常羽は店の椅子を踏み台にして、食事中の人々の山を飛び越えていった
ごめんよ!
なんだ。なんか髪が当たったぞ!
よ、おじさん、なんか落としてない?
少年が逃げようとした瞬間、常羽は指笛を鳴らし、富豪の気を引いた
富豪は戸惑いの表情を見せたが、すぐ自分のポケットを触って、状況を理解した
ポケットは空だった。察した富豪は怒り狂い、後ろで慌てている少年を引っ掴んだ
財布をどうした小僧!
も……持ってない……
後ろの常羽がそっと懐から財布を取り出す
さっさと出せ
とってないよ!
こいつ、ただじゃ済まんぞ!
言ってる財布って……これ?
な、なんで!いつの間に……
常羽はあしらわれた宝石が光る財布を手に見せた。それは先ほど、確かに少年が上着の内ポケットに入れたものだ。常羽は富豪に向かって頷いた
やはりお前か、この!
僕……
少年はとっさに逃げようとしたが、常羽に足止めされてしまった
怒りのままに富豪が少年を殴ろうとした瞬間、常羽は富豪の手の中に財布を押し付け、殴ろうとする手を止めた
ほら、和をもって尊しとなす、だよ
おじさん、夜市は危ないんだ。次はちゃんとポケットに気を付けて、もう盗まれるなよ
常羽は親切そうな笑顔で言った。服をつかまれている少年は常羽から逃れようとしたが、その手は力強かった
お前は誰だ?なんのためにこんなことを?何を企んでいる?
ま、俺はただの親切な九龍の人間さ。謝礼はいらないよ~おじさんも夜市を楽しんで!んじゃここで!
それだけ言うと常羽はそそくさと少年を連れてその場から離れた
なんだよ……!一体誰だよ!
少年は目をたぎらせ、かなり怒っているようだ
ヘッタクソ
……え?
あぁもう、ド下手だって言ってんの
あんな手際でよくスろうと思ったな。さっきのあいつの顔を見たか?捕まったら、ただじゃ済まなかったぜ
それに、なんでスリなんか?
関係ないだろ!もし説教すんなら……
これ、知ってる?
……は?
常羽は懐から1枚の精巧な模様の古銭を取り出し、放り投げてキャッチした
財布に金があっても今はもう黄金時代じゃないんだ、誰が現金を持ち歩く?あの男は商工会で顔が利くからこれを持ってる
これは商工会会員の身分証だ。一番値が張る。これさえあれば何だってできるんだ……
いいか、スリをやるんならまず目を鍛えろ
頭が真っ白になった少年に向かって常羽は得意げに笑いかけ、少年の肩に手をかけてそのまま歩いていく
福さん、この子に沙茶麺をひとつ!
常羽はそう言って、少年を椅子に座らせた
まずさっきのお代を払えっての!
福さん、それは野暮だよ。払うって言っただろ?ほらちゃんと戻ったし、しかも客も連れて来た!
……隣で待ってろ。商売の邪魔だ!
へへ、さすが福さん!
ここの沙茶麺はこの船で一番だ。食べたことある?
いや……一体誰なんだよ、なんでこんなことを?
ほら、さっき仕事の邪魔をしたからさ。謝罪だと思って。これで帳消しにしてよ
それに感謝もしてんだ。この古銭は厳重に保管されててさ。お前のお陰で手に入ったんだ
…………
もう、なんてヤツだ……
お褒め頂き光栄だね。褒め言葉以外は聞きたかないけど
ほらよ、沙茶麺ひとつ
あざす!
これ、食べてみ
常羽は沙茶麺を取り分けの椀によそい、箸で混ぜてから少年に渡した
…………
断ろうとした少年だったが、熱々でよい香りを漂わせている椀を前に、ごくりと唾をのみ込んだ
味はどう?
む、うまい……!
だろー!?
常羽は椅子に胡坐をかいた
俺は常羽。お前は?
……君は他人にそんな簡単に名前を教えるのか?
名乗るのは九龍の礼儀の基本だぜ。ほら、ちゃんと謝ったし
槐南
ふーん、身なりはいいのに……何か人に言えないことでもあんの?どうだい、聞いてやるぜ?
ほっといてよ
そうだな。ここにいるやつらはどいつもこいつも訳アリなんだ
ま、もう詮索しない。俺が言ったこと忘れんなよ。あんな気性が荒そうなやつは狙うな
でも、タイミングはよかった。もう少しで夜市は蒲牢衆の機械だらけになる。そんなレベルのスリ技じゃどだい無理だ
わ……わかってるよ!
じゃ、またな
常羽は梅スープを飲み干し、古銭で遊びながら口笛を吹いて、去っていった
…………
……常羽……か
槐南という少年は常羽の後ろ姿を見ながらしばらく思いにふけりつつ、沙茶麺を味わった
食べ終わった槐南は箸をおき、店を出ようとした
おい、止まれ!
……え、僕?
そうだ。止まれ!
なんだよ?
お代はお前もちだってよ。梅スープと沙茶麺、支払いは蜉蝣銭か?
…………
槐南は慌ててすでに遠い常羽を見た。常羽もこちらを向き、両手をラッパのようにして叫んだ
それと——人を簡単に信用すんなよ――!
…………
代金の識別コードは?