Story Reader / 叙事余録 / ER14 アイディールアリーナ / Story

All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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ER14-2 無錠の檻

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…………

断片のようにバラバラになった夢の中で、彼女の意識はその漂う断片の間を行き来していた

ヴェロニカは方向も道もない、まるで無限に広がる暗闇にいるようだった――目の前にあるのは何か巨大なものを照らし出すひと筋の眩しい光だけだ

足を踏み出すと、彼女が向かうべき方向を示すように、光はますます煌めきを増した

次の試合に進出です、ヴェロニカ

続行を。ここからの脱出が、最後の勝利報酬となります

そう告げた声は暗闇の中へ散っていった。彼女は前に進み続け、ランスを握りしめて次の戦いに備えた。彼女は最後の勝利で、手にするべき「自由」を勝ち取りたかった

闘技場の硬い金属の地面に足を踏み入れた時、光に照らされたものがはっきりと見えた。巨大な八角形の檻だ

檻の中の「相手」は、獰猛な顔をした機械巨獣ではなかった。自分とそっくりの機械体で、両目を固く閉じ、何も知らずに眠っている

檻が勢いよく開き、もうひとりの「ヴェロニカ」が目を開け、彼女を見つめている。その空洞のような瞳に視覚モジュールからの光はなく、深淵のような闇だけがあった

…………

その「ヴェロニカ」は彼女に何か語りかけるように口を動かしたが、何も聞こえなかった

「ヴェロニカ」は彼女を閉じ込める檻から出ようとした。だが彼女が1歩踏み出した瞬間、首にはめられた拘束ネックリングから強烈なジャミング電流が流れた

絶え間ない電気ショックで、「ヴェロニカ」の体はだんだんと砕け散っていく。だがその空洞のような瞳だけは、なおもずっと相手を見つめ続けていた

あなたはここで死ぬ

灯りが消え、全ては粘つく暗闇へと戻っていった

彼女は自分の意識が急速に暗い深淵へと墜落していくのを感じていた

コアシステムスキャン>>>>>>>

76%……

92%……

スキャン完了

モジュール自動調整開始>>>>>>>

自動調整、不合格

一部モジュール機能の損傷を検知

再修復指令を検知>>>>>>>

自己修復達成率:85%

観衆

いいぞっ!殺せ――ッ!喰らいつけ――ッ!

早く血を見せろよ!血を見に来てるんだ!

ハハハハハ!最高だ!マジでアツすぎる!

いいぞ!最後まで勝ち抜け!そんなに早く廃棄されるなよ――じゃないと今後の楽しみがなくなるからな、ハハハハ!

彼女の見開かれた赤い瞳は暗闇をじっと見つめていた

混沌とした意識の中の断片は、意識モジュールのセルフチェックが完了した瞬間に消えた。彼女は手を伸ばし、絶えず滲み出す循環液を凝視した

しかし彼女の視界は徐々にぼやけ始める。彼女は必死に自分の機械コアを更に高速回転させ、視覚モジュールの動作を安定させようとした

夢の中のもうひとりの自分が、拘束ネックリングの力で跡形もなく消えたイメージは、いまだ彼女の意識モジュールの中を漂っていた

思わず首に手を伸ばし、がっちりとはめられたネックリングに触れた――これは彼女の機体が起動した日から、ずっと彼女の体にある枷だ

こんな犬の首輪で私を閉じ込めようと……?

くそっ

彼女は鋭い爪を首元のバイオニックスキンに深々と食い込ませ、ネックリングを引きちぎろうとした

しかし一瞬で首輪から強烈なジャミング電流が放たれ、絶え間ない激痛が彼女の意識モジュールを襲う。彼女はその手を止めざるを得なかった

くっ……!

あいつら、真のゴミだ……容赦なく彼らを叩き潰すべきだった

彼女がいるこの闘技場の下層エリアには、観衆の喧噪も、耳障りな機械獣の叫び声も届かない

狭い空間で濃い暗闇だけが彼女を取り囲んでいる。ここには八角形の檻も、殺し合いで生き残る闘技のルールもないが――やはり彼女の「牢獄」だった

この機械剣闘士メンテナンス用の部屋には、壊れたり砕けたりしたパーツが散乱し、空気中にオイルと鉄錆の臭いが充満していた

――「メンテナンスエリア」というより、彼らの「牢獄」と呼ぶ方がふさわしい

更に向こうの暗闇の中では、場外の闘技場に繋がる扉のロックと監視カメラが常に稼働し、ここでの些細な動きを逐一監視している

たとえ「牢獄」自体にロックがかかっていなくても、機械剣闘士たちの首元の拘束ネックリングが脱出の可能性を完全に封じていた

長い廊下の両側には似たような部屋がたくさんあった。ある部屋には静かに次の闘技を待つ休眠状態中の機械剣闘士がいた

またある部屋は空っぽだった。つまりそこにいた「滞在者」はすでに闘技場で潰され、散らばるパーツになったということだ

だがほどなく新しい機械剣闘士がその中に投入されることになる。ここは次の試合が始まるまでの彼らの「牢獄」だった

そして彼らの運命も、闘技場の中での「勝利」と「失敗」によって決定される

静まり返った暗闇の中で、遠くから声が聞こえてきた

ギィ――グ――ギィ――

暗闇の中、何か硬いものが金属の地面にこすれているようだ。鋭い音が響き続けている

ヴェロニカの鋭敏な感知モジュールはすぐに異常を捉えた。これは人間の動きではなく、機械体に違いない。しかもそれは徐々に彼女に近付いている

…………

その断続的な音は向こうからではなく、ヴェロニカの足下から伝わってきた

ボロボロの機械体が地面に横たわっていた。半分砕けた頭と、原形をとどめていない前脚だけが残っており、微かな火花を散らしている

その壊れた残骸の体から循環液が流れ続け、背後に長く引きずった跡が残っていた

その首元の拘束ネックリングは機体の異常行動を検知したのか、絶え間なく電気ショックを与え続けているようだ

電気ショックでボロボロの機械体の動きがどんどん緩慢になり、破損した発声モジュールからは断続的に途切れ途切れのボイスが流れた

失敗した……機械剣闘士は……処刑され……

本機体は……存続……不可に……

自由になれなかった……アンロック……できなかった

対象を検測……型番を分析中……

番号……CTX-V機能強化型……コードネーム……ヴェロニカ……

あなたの機体状況と安定性を……検測……強度……良好……

強行突破……試行を……推奨……成功率……0.019%……

強制廃棄を……回避……して……

強烈な電流が再び走った。機械体はもはやそれ以上の高強度電気ショックに耐えられず、発声モジュールから聞こえていた途切れ途切れの声が完全に止まった

残骸からは更に大量の循環液が流れ出している。ヴェロニカの足下に溜まった循環液は汚れた「鏡」となり、憤る彼女の顔を映し出した

機械体を壊したばかりのネックリングが彼女の手の中でねじれ、砕け散った。同時に端末システムからは鋭い警報音が鳴り響く

…………

うんざりだ

数時間前、ヴェロニカがあの暗い夢に沈んでいた時、彼女の多くの「同胞」たちは外の闘技場で徹底的に破壊されていた

エヴリットコロシアム

数時間前

エヴリットコロシアム 数時間前

閉場からすでに数時間が経っていた。人の声で沸き返っていた闘技場も、今は無人だ。だがスポットライトだけがいまだに空っぽの闘技場の中央を照らしていた

強い照明の下で一列に肩を並べ、無言で立つ機械剣闘士たちは命のないただの物体のようだった。彼らの機体は、程度の差こそあれどれも傷ついていた

「ワーデン」の巨大な鋼鉄の体の影が、破損した機械剣闘士たちに覆いかぶさった。短いスキャンの後、「ワーデン」の処理コアはすぐに彼らの識別コードを確認する

ワーデンは通信端末を開き、向こう側にいる「ご主人様」に指令を求めた

処理プログラムの準備が完了しました。処刑命令を、ご主人様

ガラクタなど目障りだわ。さっさと片付けて

役立たずの屑は、全部ゴミ捨て場に放り込むべきよ

はい。ご主人様

処刑プログラムの実行延期を申請します。我々の機体はまだ、闘技パフォーマンスの継続が可能です

試合継続を申請します

申請却下。処刑プログラムを実行開始

ジジッ――ジジジジ――

「ワーデン」の指令で、機械剣闘士たちの拘束ネックリングから同時に超高圧電流が発生し、電流が彼らの体を貫いた

全ての機械体のエネルギーコアが電撃によって瞬時に停止し、重い機械の体は即座にスクラップとなって地面に倒れ込んだ

「ワーデン」がシステム端末へ指令を送ると、闘技場に不気味な音が響いた――大量のスクリーンを吊り下げている空中フレームから、巨大な可動式プレス装置が現れた

油圧装置によって駆動する重厚なプレス装置が降下し、機械体たちに接触した瞬間、金属製の体は紙のように引き裂かれ、ねじ曲げられていった

機械体たち

我々は……終わりでは……ありません……

我々は……まだ……闘技パフォーマンスを……続けられ……

装置の降下速度はまったく変わることなく、地面にぴったり密着するまで下がり続けた。機械体たちの声は、一瞬にしてかき消された

機械剣闘士たちへの「処刑」を終えると、プレス装置はゆっくり元の位置へと戻った。後に残ったのは、もはや原形がまったく判別できない機械体の残骸だけだった

ご主人様、処理プロセスは全て正常に終了しました

よろしい。お前の言う通りだったわ。今日の試合は、確かに今までとは違うものだった

コードネーム「ヴェロニカ」のあの機体なら、確かにもっと大きな舞台にふさわしいわね

その後、「ご主人様」は通信を一方的に切断した

「ワーデン」の視覚モジュールは、ある小さな異常を見逃していた。地面に散らばる残骸の中から、頭部と一部の脚だけが残った機械体が、ゆっくりと外に向かって移動していた

「ワーデン」はすでに去り、闘技場は静寂に包まれていた。唯一の音の発生源は、プログラムに従って清掃作業を実行している数台の清掃ロボットだけだ

清掃ロボットたちは機械アームを使って完全に解体されていない構造体を破砕し、パーツの破片を背後のゴミ箱に投げ入れていた

彼らはあらかじめ設定されたプログラムに従って、一切手を抜くことなく「作業」を遂行していく

彼らの視覚モジュールには、「同胞」たちの四肢の残骸も、ただの処理対象物のひとつとしてしか映っていなかった

そんな中、この凄惨な戦場のような金属の残骸の海を、ひとりの小柄な人間の少女が軽やかに歩いていた

あっ、ちょっと通して……

待って、まだ片付けないで。このパーツ、私にとって必要なの!

作業用上着を着たその少女は、地面いっぱいに広がる機械の残骸と清掃ロボットの間を、足下のパーツを踏まないように慎重に歩き回っていた

彼女は時折しゃがみ込み、ボロボロのパーツをじっくり見極め、まだ使えるパーツを拾い上げては軽く埃を払っている

パーツを綺麗にし終えると、それらを包み込むように持ち、祈っているのかあるいは悼んでいるのか、しばらく俯いていた。その後、背負っている工具箱にしまい込んだ

彼女だけに意味のある行為らしく、それを何度も繰り返していた

……本当に、残念。さっきのはきっと、すごく痛かったよね?

でも、もう大丈夫。全部、終わったから

私があなたたちのことを覚えておくから。あなたたちの番号も、全てのメンテナンス記録も、ちゃんと覚えておく……

彼女の側には、奇妙な見た目の小さなロボットがずっとついてまわっていた。機械の関節が動く度にキィキィと音を立てている

どうやら発声モジュールは搭載されていないようで、「人間のご主人様」とのやりとりは、動きで示すしかないらしい

そうそう、ハンマー。そんな感じ……機種番号がついているパーツを探すんだ

よかった、あなたがいてくれてすごく助かる

(インジケーターランプをチカチカと点滅させる)

褒められてそんな喜んでくれるんだ……じゃあ、もうちょっと頑張って次は発声モジュールをつけてあげよっか

少女は「ハンマー」と呼ばれるその小さなロボットに向かって、親友のように微笑みながら話した

散らばる機械の残骸の中に立つ小柄な彼女の姿は、金属の廃墟で静かに咲く、小さな花のようだった

しかし、その光景も長くは続かなかった。突如鋭い警報が鳴り響き、人を不安にさせる赤い光が闘技場の隅々までを照らし上げた

監視システム

警報――警報――警報――

……?

闘技場の上部に設置された監視システムが、機械的な合成音声を発している

監視システム

警報――警報――警報――

処刑プロセス未完了の機械体を検出、目標は中心エリアから逃走しました

ど、どういうこと……?

ま、まさかさっき私が集めたあのパーツを監視システムが誤認したんじゃないよね!?

少女は緊張して辺りをキョロキョロと見渡したが、諦めきれずに機械体のパーツがぎっしり詰まった工具箱を抱え続けていた

その時、コロシアム外の遠くから、重々しい金属の足音が響いてきた

やばいやばい、あの「ワーデン」が来る!

(緊張して高速でくるくる回る)

うわうわ――まずい、私の脳ミソ、落ち着け!早く方法を、なんとか方法を考えなきゃ……

緊張の中で必死に気持ちを奮い立たせ、考え続けていた彼女の目に、突然ハッとしたように光が宿った

ひらめいた!ハンマー、早く早く!主電源を落としに行くよ!

(素早く縦に首を振る)

数分後、闘技場の扉が猛然とスライドし、「ワーデン」が中に足を踏み入れたタイミングで、場内は一瞬にして真っ暗になった

(よし、ブレーカーは切った。今のうちに……)

「ワーデン」の視覚モジュールが通常モードから暗視モードへ切り替わる数秒の間に、小柄な人間の少女はその巨体の側をすり抜け、暗闇の中へ瞬時に姿を消した

時を同じくして、端末から警報音を発していたネックリングが、ヴェロニカの手の中で完全に握り潰された

警報音は止まり、闘技場は再び正常な状態に戻った

「ワーデン」は暗視モードでエリア全体を再スキャンしたが、そこには地面に散らばる機械の残骸と、数体の作業中の清掃ロボット以外に何もおらず、異常は検出されなかった

感度セルフチェックを実行

再びシステムスキャンを行ったが、それでも異常は検出されず、「ワーデン」はこの確認済みエリアから出ていった

下層 スタッフ居住区

エヴリットコロシアム

エヴリットコロシアム 下層 スタッフ居住区

栗色の三つ編みをなびかせて少女は廊下を疾走し、「ハンマー」も彼女の背後から高速でついていく

よかったよかった、ここまでくれば安全~!

痛っ――

廊下の曲がり角で、少女は背の高い男性にゴツンとぶつかった。後ろにいた「ハンマー」も急には止まり切れず、彼女の膝にそのまま衝突した

少女とハンマーがゴロゴロともつれながら倒れ、彼女の工具箱からぶちまけられたパーツが、ガシャガシャと音を立ててあちこちへ転がった

(回転シャフトを高速回転させて立ち上がろうとする)

イタタタタ!超痛いんだけど!……ちょっと、ロコおじさん!なんでそんなとこに立ってるの!?

セラ!このいたずら娘め、またどこかで騒ぎを起こしてきたな!?あっ……また「ゴミ」拾いに行っていたのか!?

1日ずっとそんなことばかりして、お前は何度言っても聞きゃしない!「ワーデン」の鉄頭に捕まったら大変なことになるんだぞ!

自分が財団の正式な職員だとでも思っているのか?彼らには特権がある、「ワーデン」は彼らをどうこうできないが、俺たちには特権なんかないんだぞ!

お前はここではただの……はぁ……

わかった、わかったってば。私がそんなうっかり屋だと思う?

それにこれらはゴミなんかじゃないよ、私にとって、た·か·ら·も·の!

……毎回同じことばかり言われてウンザリ、もう耳タコだよ。おじさん、私をいつまでも子供扱いしないでくれない?

そうか、子供じゃないっていうなら言ってみろ、お前は今年いくつになった?

……ああはいはい、おじさんの言う通りにするから。もう二度としません、これで満足!?

セラという名の少女はしゃがみ込み、ぷんぷん怒りながら散らばったパーツを拾い集め、わざとヒゲ面の中年男性に背を向け続けた

(ゆっくりとロコおじさんの足下にすり寄り、ズボンの裾にまとわりつく)

不穏な雰囲気を察したのか、発声モジュールのない「ハンマー」は、ぎこちない行動でふたりの間に漂う気まずさを和らげようと試みている

……

彼は黙ったまま、すねてわざと自分を見ようとしない少女を見つめていた。走ったせいで彼女の前髪は汗でべったりと貼りつき、頬は真っ赤になっている

彼は何か言いかけ、結局は黙って彼女と同じようにしゃがみ込み、地面に落ちているパーツをひとつひとつ拾い出した

それらのパーツは普通の歯車やナットではなく、多くは機体番号を刻んだプレートで、コードや機体の番号がはっきりと読み取れた

彼が手の平いっぱいのパーツをセラの工具箱に入れた時、ずっと黙りこくっていた少女がようやく顔を上げた

……ごめんなさい、おじさん

私はただ……あの機械剣闘士たちがあんな風に扱われるのを見てられなかっただけ。試合に負けただけで、あんな風に……壊されるなんて……

あの機械体たちは……1体1体、私がメンテナンスしてアップグレードしたのに。いつも考えてた……こういう形で彼らを覚えていてあげられたらいいなって……

お前は、父親にそっくりだな……どっちも頑固でデカいテコでもビクともせず、絶対に譲らない

まあ、あいつもお前の今の姿を見たら、あの時の女の子がこんなに大きくなったって……喜ぶかもしれんな

……とにかく、何があろうと俺はお前の面倒をちゃんと見る。お前の父親が亡くなる前、お前を託されたんだからな

……

あの人ね……もし彼が賭博場に入り浸っていなければ、あんな負債を抱えてエヴリット財団から高利で借金することもなく、お母さんが私たちから離れることもなかった

無一文でタダ働きして財団に借金を返済することもなかったし、私は小さい頃、親戚や隣人の家を転々として、空腹を我慢したり、殴られたりすることもなかったよね

ゴ、ゴホッ……禁句、それは禁句だぞ!

おじさんは小声で彼女を制止しながら、頭上の監視カメラを指差した。少女は不満げに口を尖らせた

あーはいはい。お偉いエヴリット財団様の定義では、「自発的な労働報酬による個人の債務返済長期計画」だっけ――どう言ったって、要はタダ働きってことじゃない!

あの人が全てを投げ出して「逃げた」から、私は財団に連れてこられて彼の「栄えある」20年にわたる個人計画を続けさせられてる。あの人が向き合わなかったばかりに

本当に徹底的に逃げたよね。この世から完全に逃げ切って、もう二度と戻ってこない……私、もう顔も思い出せなくなりそう

でも不思議なことに……どれだけ「全部あの人のせい」って自分に言い聞かせても、彼を心の底から嫌いになれないんだよね

子供の頃のことばかり思い出すの。あの人が私を肩車してくれて、お母さんはずっと笑って見ていた……

どうしてああなっちゃったんだろう。お父さんはギャンブルにハマって借金をするし、お母さんは絶対に私の足手まといにならないでって言って、家を出てった……

ふたりとも……大人の責任感がなさすぎ

……

……やだやだ、なんだろう、この感じ。きっと疲れすぎたんだ。だからこんな訳のわからないことを言ってるんだ……

セラは口では恨み言を言いながらも、膝に顔を埋めて涙を拭った。微かに震える肩が、彼女の正直な気持ちを表していた

いつも頑なな少女が見せた突然の弱い一面に、おじさんという人物もどうやって慰めたものかわからず、ふたりの間に気まずい雰囲気が漂っていた

ご主人様を守ることに長けたあの小さなロボットも、ふたりの人間の間に漂う雰囲気を解析できず、一時的にフリーズしたように、ただ静かに立ち尽くしていた

その時、突然ロコおじさんが激しく咳込み、気まずい雰囲気を破った。咳は次第に激しくなり、その顔が青白くなっていく

ゴホ……ゴホゴホ……

あっ、おじさん、大丈夫!?

セラは背中をさすろうと急いで駆け寄ったが、彼は何度も首を振り、自分の腰のポーチを指差して、セラに中の物を取ってくれと合図した

彼女は慌てて、機械油で汚れたそのポーチの中を探り、ようやく修理道具の間から薬の瓶を見つけ出した

ボロボロの瓶に書かれた薬名は、もはや読めなくなっている。おじさんは激しい咳で手が震えるのを抑えつけながら、慎重に瓶から薬を取り出した

一気に何錠かを口に放り込んで飲み下し、しばらくたってようやく顔色が少し戻ってきた

おじさん、病気が……また酷くなったの?そんなにたくさんの量を飲まなくちゃいけないの?

……大丈夫だ……昔からの持病だ、もう慣れたもんさ……

おじさん、そんなの駄目だよ。鎮痛剤に頼ってるだけじゃ、このままだと……

大丈夫、わかっている。あと残り3年分だ、耐えられるさ……残り3年分の労働ポイントを貯めれば、俺は……ゴホッ……ここを出られる……

それにしても、労働ポイント分を働くのは至難の業だな。稼ぎは少ないのに出費は多い。タバコや酒も欲しいが、まずこの鎮痛剤と交換しないと……

残り3年分の労働ポイントを貯めるのに、あと何年働かなきゃいけないんだか……

おじさん……

指折り数えてみりゃ、ここでもう10年近く働いてるのか……昔はお前の父親が俺の助手だったのに、今じゃお前になっている

ハハ、「自発的な労働報酬による個人の債務返済長期計画」だなんて聞こえはいいが、実際は牢獄だ。機械剣闘士たちと同じで、俺たち修理屋も、結局は閉じ込められてるんだ

同じ人間で同じ仕事をしているのに、財団の正式な職員と比べたら、天と地ほどの差がある

あいつらは定時で出勤退勤、休暇も給料もあって、更に残業代も保険も……はあ、そんないい時代が俺の若い頃にもあったが、今はもう……

だがな、全ては大金を稼いで家族にいい暮らしをさせたいと思っていた、あの頃の俺が悪いんだ。結局は高利貸しに借金して、このざまだ。妻も子供も逃げて……

彼女たちが俺を見限るのは当然だ。今、どうしてるかな……いや、考えるまでもないか。俺みたいな不甲斐ない男がいなけりゃ、前よりずっといい暮らしだろうさ……ゴホゴホ……

……

いつもは口の立つ少女が、いつの間にか黙りこくっている。小さなロボットを抱きしめ、顔には悲しげな表情を浮かべていた

おっと、俺が悪かった。おじさんは本当に口下手で、うまく言えないんだ……ゴホゴホッ……自分の愚痴ばっかりでお前まで辛くさせちまったな

もし将来……

頭上の監視システムから突然、鋭い電子合成音が鳴り響き、ふたりの会話を遮った

監視システム

不適切な言動を検出。本日1回目の規則違反を記録しました

セラ、初級機械技師、今期違反回数17回、労働ポイント120時間分をカット。ロコ、中級機械技師、今期違反回数3回、労働ポイント25時間分をカット

あなたたち2名は、「『エヴリット財団従業員規則』第5条:従業員同士で財団に関する否定的な情報を一切口にしてはならない」に違反しました……

ちょっと!アンタ、鬼なの!?なんで勝手に差し引くの!?さっきの話のどこがいけなかったってんだ!

監視システム

セラ、初級機械技師、今期違反回数18回、労働ポイント150時間分をカット

あなたは「『エヴリット財団従業員規則』第14条:監視システムへのあらゆる形の疑義、反論、脅迫を禁止する」に違反しました

クソ!この【規制音】……

ロコおじさんはただ静かに首を振るだけだった。その目に「もうやめておけ」という無力感が浮かんでいる。セラは怒りを何度も何度もこらえ、最後は黙って唇を噛んだ

至るところにある監視システムは、普段はまったく「監視」していないように見える。だが、端末内の高感度な音声認識モジュールは、止まることなく常に作動している

会話の中に違反の疑いがある言葉を検出すれば、即座に「労働ポイントのカット」という罰が下される

際限なく増える作業に、報酬は一切ない。全ては想像を絶する「巨額の債務」を返済するためだ

しかも日々の生存に必要な食料や補給さえも、ようやく貯めた労働ポイントを使って交換するしかない

端末システムのアルゴリズムは彼らの行動のひとつひとつを徹底的に計算し、彼らをこの巨大な機械コロシアムの中の、小さな歯車へと変えてしまった

……

もうあれこれ考えるな、早く休め。明日も朝っぱらから仕事だぞ。端末システムから、すでに来週1週間分のタスクが送られてきてる

最近また新しい機械体が大量に入ったらしい。今シーズンはまた延長らしくて、仕事も大変になるが……困ったことがあれば、おじさんが助けるからな

明日はお前がA区からF区までを担当しろ。残りは全部俺がやる

……じゃ、俺は戻るとするか。何かあったら端末に話しかければいい。俺はミュートにしたことがないから

……うん、また明日ね、おじさん

彼女は自分の部屋に戻った。僅か数平米の窓もない狭苦しい空間には、簡単な生活用品以外、修理道具がぎっしりと置かれている

換気扇がブンブンと音を立てて回っているが、それでも空気中には機械オイルの臭いが漂っていた

ハンマー、お休み。早く休んでね。明日も朝から仕事だよ

(インジケーターランプを数回そっと点滅させ、充電ステーションに戻る)

さっと顔を洗って口をすすぐと、セラは灯りを消し、闇の中に横たわった

こうして真っ暗な中にいると、この狭くて汚れた部屋を見ずに済む。そうすることでようやく、彼女は思考を鳥のように自由に羽ばたかせることができた

その時の彼女は、機械油まみれで自由のない機械技師ではない。行きたい場所に、どこにでも行ける

首元のペンダントに指が触れ、彼女は広げた翼の縁をなぞった

それは彼女が生まれた時、両親が用意した小さなプレゼントだった

彼女は無限の幻想の中でそんなことを考えてきた

この「羽」が本当に背に生えれば、空へと羽ばたき、自分を閉じ込めるこの「牢獄」から抜け出せる

思考は更に羽ばたき、軽々とこの部屋を離れ、コロシアムのドームを越えもう長年見ていない広大な星空へと向かった

――彼女は飛び立った。彼女をあまりにも長く閉じ込めているこの機械コロシアムから