Story Reader / 叙事余録 / ER08 追憶のピリオド / Story
聞きましたよ、今日また新人が来るそうですね。教授はいつもこの時期になると楽しみにしていますよね
もちろん。医学への情熱と才能に溢れる若者たちに会えるのだから……引退する前にこういう光景をたくさん見ておかないと。今後、もうこんな機会はないでしょうし
もしかして、それが教授の若さを保つ秘訣ですかね――あっ、おはよう！バンジ君先生！今日も真っ黒なクマを作ってご登場だ！
突然呼び止められた「バンジ君先生」は、振り返って少し恥ずかしそうに笑った
おはようございます……僕はまだ研修中なんです。「先生」と呼ばないでください
バンジ君先生でいいさ、資格を取ったら「バンジ先生」になるんだから。ところで、スターオブライフでの研修もかなり長いが、資格はいつ取れる？どの科に行きたい？
うーん……まだわかりません、考え中です
ヒポクラテスはバンジの胸にある名札を見た
あなたが、どの科でも取り合いになってると噂の優等生？「マルチタスクの権化」「試験の神」で……睡眠時間すら投げうつという、あの――バンジ？
何ですか、その中二病的なキャッチコピーは……！
……？
他にも「自習室の警備員」とか「求められれば必ず応じる願望機」とか
……僕が？
わけがわからないとばかりに、バンジは自分の顔を指差した
まだありますけど。あなた、今は小児科の指導医についてるらしいわね？もしそれがあなたの最終決定に関係があるなら、もう一度よく考えて。小児科はとても大変よ
……
それと、勉強も休息も上手に取ることね。このペースで無理を続ければ、すぐに老け込むわよ
えっと……お気遣いありがとうございます
僕は「無理」してるつもりはないんです。以前、ここで僕の面倒を見てくれた医師も同じようにやっていたので
……さあ、そろそろ仕事に戻って
これ以上話し込んだら、あなたの指導医に大目玉をくらいそうだわ
白い髪の研修医は頷いて足早にその場を去り、ヒポクラテスも俯いて自分の資料を探し始めた
あまりしゃべる時間もありませんね。教授、バンジはどうです？医学部でもトップレベルの優等生ですよ
特別変わったところはないけど……焦って頑張りすぎている子ね
焦っている？何をですか？
バンジは何を焦っているのだろう？
鏡の前で顔を上げる度、自分の目の下にクマがあるのは知っていた。そして、触れられる全ての知識を必死で吸収しようとしていることも、わかっていた
それはなぜか？早くメルヴィのような小児科医になり、「恩返し」をして「継承」することで、二度と埋められない後悔をなくしたいから？
それとも、病棟の子供たちと昔の自分の姿を重ね、本気で彼らを早く元気にしてあげたいと思うから？
あるいは気を緩めるとすぐ、ペールたちが今もなお地上で戦っていることを思い出すから？
彼自身にも理由はわからない。ただ、シュトロールが言ったアドバイスはまだ覚えていた
これから何をすべきかわからないなら、まずは目の前のことをしっかりやれ
お前の場合、それは医学部に進み、卒業後に懸命に人を救うことだ。勉強に終わりはないし、将来仕事が尽きることもない。他のことを考える暇なんてなくなるぞ
……
まずは前に進んで、医者になってみろ。メルヴィよりも優れた医者を目指すってのはどうだ？
深く考えず、まずは医者になって目の前の病室の扉を開ける……それだけでいい
バンジは病室の扉を開けた
あっ、バンジ兄ちゃんだ！
僕が先だぞ！バンジ兄ちゃん、僕、昨日「願望カード」を2枚もらったんだ！でも、まだ何と交換するかは決めてなくて……
私も1枚もらったの！ロボットガールズの新しいシールが欲しい！
静かだった病室が一気に「活気」づき、ベッドから降りられる子供たちがわらわらと集まってきた
僕がいない時に、誰が願望カードをくれたんだい？
看護師が近付いてきた
昨日はあなたが珍しくお休みだったでしょ、皆いい子にしていたから、当直の先生が何枚か配ったの。マカも2枚もらってたわ
バンジが病室で唯一ベッドに横たわっている男の子を見ると、その子はニコッと笑い、枕元の2枚のカラフルなカードを指差した
マカは点滴の時にとてもいい子だったし、看護師にも薬を忘れないようにって気遣ってたのよ。ビビアンも、ロボットガールズを2話観たら休むと自分から約束したし
ありがとう、助かったよ
ナタリーが部屋を出ていったあと、バンジは両手をポケットに突っ込み、病室内を意味ありげに歩き回った。そして、最後にマカのベッドの側で立ち止まった
さぁ、誰が一番お利口さんだったのかな？アンディ？ビビアン？それともマカかな？
彼は子供たちの名前をひとりずつ呼んだあと、「そうか、わかったぞ！」という表情をした
皆、しっかり体を休めているんだね、それなら……
ひとつずつキャンディをあげよう。どうかな？
彼は「宝箱」のようなポケットの中から色んな味のキャンディを取り出した。彼は最初にマカの枕元にひと粒置き、それから他の子供たちに好きなキャンディを選ばせた
子供たちの歓声に囲まれ、年若い医師の顔にもリラックスした表情が浮かんでいた
……
……目標がないなら何も考えずに、目の前のことをひとつずつしっかりやればいい。白衣を着て扉を開けて、子供たちに小さな喜びを届けている今のように
もうひとつ、もらってもいい？
マカは小さな声でそう言った
……
バンジ兄ちゃん？
バンジはハッと我に返った
あ……ああ、もちろん。看護師さんから聞いたよ、昨日は君が一番いい子にしてたってね。もうひとつどうぞ、何味がいいかな……
バンジ兄ちゃん、何か悩んでるの？
お父さんが悩んでる時も、バンジお兄ちゃんと同じような顔をしてる
……えっ、僕は……
マカの容態がよくないの
ナタリーが目頭を揉みながら話した。診療室の静けさが彼女の眠気を誘っている。だがバンジは眠たげな様子も見せず、「マカ」のカルテに素早く目を通した
……先天的な問題で、何度も手術を受けたが効果はあまり出ていない……次の手術まで無理な運動をさせないように
現代の医療技術はかなり進歩してるけど……それでも「現時点で効果的な治療法がない」病気はこれからもずっとあるだろう
仕方ないわよ、私たちだってできる限りのことはしてる――ふわぁぁ……
マカは指導医の先生が担当している患者だから、あなたはあまり気にしないで。それよりも早く休んで、また夜勤なんでしょ……
大丈夫、先生を待ってから戻るよ。先生が考えてるマカの治療計画も訊きたいし、僕にとっては勉強にもなる
あなたを休ませるようにって、先生にわざわざ釘を刺されたのよ……この前また病室の椅子で寝てたって聞いたわ。連勤なんでしょう？
バンジは首を振ってその質問を適当に受け流し、カルテを最後の1ページまで読み続けた
マカの家庭状況はどうなってる？両親が空中庭園で具体的にどんな仕事をしているのか調べたことは？
これから入院や手術でかなりの費用がかかる。しかも、この状態がまだまだ長く続くだろう……数年かかるかもしれない
もし家庭状況が厳しいのなら、僕から費用の減免を申請することもできるけど……
確か、マカの親族は父親ひとりだけよ。志願して構造体になって、地上で戦っているの
軍用構造体の消耗率は今も下がらない。もし彼の父親も戦死してしまったら、マカは青少年育成センターが引き取ることになる
……
わかってる……まずはできる限りの治療をしましょう
ごめんね、マカ。心配させちゃったかな
僕、バンジ兄ちゃんを手伝いたいんだ。昨日は看護師のお姉さんに端末を持っていってって頼まれて、僕、ちゃんとできたよ
ありがとう、じゃあマカは僕の「助手さん」にしようかな
「助手さん」になれば、バンジ兄ちゃんは願望カードをたくさんくれる？
願望カードが欲しいのかい？
バンジは不安そうな表情になったマカを見て、この子がしばらく「求められれば必ず応じる願望カード」を使っていないことに気付いた
お父さんがあと数日で帰ってくるって……だから、願望カードを何枚か使って1日外出してもいい？お父さんと外で遊びたい。もし足りなかったら、「前借り」もできる？
マカは服のポケットからカラフルな「願望カード」を取り出し、1枚ずつ丁寧に揃えた。カードは角も折れ曲がらずピンとしている
そのこと、お父さんと話してるの？今週は手術があるから、その後はしばらく体を休めなきゃいけないんだ
まだ……
……
バンジは腰を屈めて、マカと目を合わせた
じゃあお父さんが帰ったら、相談してマカが一番早く外出できそうな日を決めよう。先生や看護師さんの言うことも聞くんだよ。そうすれば、お父さんと遊べる日はすぐだ
マカは頷いた
それに……願望カードはそんなに必要ないよ
バンジはマカの手から数枚のカラフルな「願望カード」を抜くと、残った厚いカードの束をマカのポケットに戻した
これだけあれば十分だよね
彼はマカから回収した「願望カード」を白衣のポケットにしまい、他の子供たちの状態を確認しに行った
ふいに、端末が鳴った――画面に表示されたのは、長い間連絡を取っていなかった人物だった
……ペール？
ペールは地上で長期任務に就いている。なぜ突然このタイミングで連絡をしてきたのかはわからない
通信はすぐに繋がったが、画面の向こうは真っ暗だった
ペール？どうしたんだ？
ザザ――バンジ――
何？よく聞こえない――
向こうで何か言っているようだったが、音声が乱れて何も聞き取れなかった
そして、すぐに通信はプツンと切れてしまった
……
バンジがこちらから通信をしようとしていた時、ナタリーが駆け込んできた
バンジ！いる！？
ナタリー、たった今……
バンジは端末を指差したが、ナタリーはその言葉を遮った。彼女はマカのベッドをちらっと見て、強張った表情を浮かべていた
バンジ、一緒に来て！
何があったの？
マカの父親のことよ！数時間前、彼が所属する小隊から大規模な救急要請があったの！
具体的な状況は？
わからない。構造体整備部門も説明する余裕がないくらいバタバタしてる
あの子、昨日私に「お父さんが数日後に長期任務を終えるんだ」って……細かい日帰り旅行の計画まで話していたのに……
……まだ最悪の状況と決まった訳じゃない。僕が見てくる。先生に、戻ってほしいと頼んでおいてくれ
会話を続ける余裕もなく、バンジはスターオブライフの救急センターへと走った
彼は長い廊下を走り、非常階段の扉を開けた――彼は、最も早く目的地に到着できる道を知っていた
今日も人工日光は暖かく、彼が幼い頃、爪先立ちをしないと外が見えなかった窓も、昔のままそこにあった
幼少時に彼はここで「世界のもうひとつの側面」を垣間見た。そこには、慌てたように駆け回る構造体や医者たち、そして壊れた構造体がいた
またあの時と同じことが？
あれから何年も経った今、彼は再びその窓から外を見た
ぼやぼやしてる難民を助けたせいで、俺たちが侵蝕体の群れに襲撃される羽目になったんだ！別の部隊と合流したばかりだったのに……最悪だ、全員巻き込まれたんだぞ！
皆が地上でどれほど長い時間を過ごしてきたか、お前にわかるか？やっと空中庭園に戻れると思ったのにこのザマだ……一体何人が残った！？
無駄だ……今更そんな話……
構造体たちが何を叫んでいるのかまでは聞こえないが、その表情には見覚えがあった。怒り、悲しみ、困惑……整備部門の医師たちも相変わらず忙しそうに走り回っている
――あの時と同じ光景だ
この型番の構造体の詳細資料を表示してくれ、体内に損傷がないか確認を
自動整備装置に外傷を修復させ、できる限り早く循環液の滲出を止めて……いや、このまま循環液の補充の準備だ
循環液が足りません、教授。この患者には大量投与が必要です
……6番整備室での救命作業は失敗だ。設備を急いで片付けて、次の患者を運び込め
外にはまだ大勢います……
教授の憔悴の色は更に濃くなった
重傷者を探せ。損傷率40%超過、70%未満の者だ
もっと重傷者はどうすれば――
資源が足りなすぎる……彼らは運び込まなくていい、ここは死刑判決の場じゃない
僕も手伝います！
6番整備室の前にいる白衣姿の若い男性が、教授と助手に向かって話しかけた
……
しかし、救命処置に忙殺されている教授は彼を一瞥しただけで、再びその作業に戻った
接続ケーブルを
助手は要求されたものを素早く教授に手渡した
……ケイローン教授、僕は構造体整備課程を修了しています。構造体整備初級試験に合格させたのはあなたですよ
リモート整備で同時にふたつの現場の救急処置を行うこともできます……医療機器を使った練習を何度もしてきました！
吸引器
教授、私もこの人なら知っていますよ。彼は構造体整備課程の成績も優秀です。そりゃあ、医療シミュレーター上の経験だけではありますが……
わかっている
バンジは救急センターの入口で焦れながら訴えていた。その瞬間はまるで背が大人の脚の高さほどになり、視界全てに白衣の裾が広がっていた子供時代に戻ったように感じられた
……
次にそこに立つのは「ペール」だろうか？それとも「マカ」？
……
ケイローン教授、僕は整備室を使いません。外で構いませんので、軽傷の構造体の処置は僕に任せてください。ですから……
「損傷率70%以上」の人たちも、助けてください……
ケイローン教授は再びバンジの言葉に1秒を「無駄に」費やした
……彼のためにリモート整備キットを起動しろ。入口のまだ座っていられる構造体を中に入れるんだ
わかりました！
その日、バンジは何体の構造体を処置したのか覚えていない
作業をする彼の手は一度も止まることなく、その手は循環液に染まっていた
リモート整備キットの接続ケーブルが頭に食い込むかのように、痺れるほど痛んでいた
処置、修理……振り返れば傷に呻く構造体がまた横たわっている。そしてまた処置、修理……
実際、人間の処置と何ら変わりはない。構造体のバイオニックスキンも裂ければ、「血まみれ」になる
動かないで、少し我慢して。すぐによくなる
痛すぎる……
大丈夫だ、僕が助ける
そっちにはわからないだろう、ゲホッゲホッ……この忌々しい場所に来る度、俺は……ぐあッ！
バンジの手元が少し狂ったせいで、傷口から再び循環液が滲み出した。彼が接続していたリモート整備キットが僅かながら操作をミスし、構造体は痛みに声を上げた
す、すみません……！
彼の接続を切れ！
脳内の痛みが突然消え、バンジは魂まで抜けたように地面に座り込んだ
はぁ……
もういい、そこまでにしろ
いえ、まだ……
バンジの強い決意に応えるように、救急センターに連結する空港から、数名の構造体が新たな負傷者を担いで駆け寄ってきた
3分だけください、教授。3分休んだら、またリモート整備キットに接続できます
バンジは深呼吸をすると床に手をついて立ち上がり、新しい負傷者の容態を確認しに走っていった
胸部を高く持ち上げて、首には触れないように！気をつけて
負傷者は重傷で顔面も判別できない状態だったが、若い頃に改造を受けた構造体であることはわかった
気をつけて持ち上げるんだ、そう
……バンジか？
負傷者を抱えていた構造体がバンジの名前を呼んだ
……シオン！？
バンジはすぐに思い出した――彼は以前ペールの両親と同じ隊に所属し、ペールの両親の事故後、ペールの面倒を見ていた構造体だ
……まだ俺のことを覚えていたのか……
シオンは辛そうに目を閉じた。状態が最悪なのは明らかだった
また任務中に問題が発生したんだね……
「また」……そう、「また」だ。今度は彼の番になってしまった
……？
バンジは一瞬硬直し、慌ててほぼ壊れかけている構造体を見た
循環液が構造体の人工毛髪に染み込み、特徴的だったあの髪色がもうほぼわからない
……
俺は……こんなことが目の前で起こるのを、もう見たくはなかったのに……
…………
人混みから悲鳴のような大声が聞こえ、ケイローンはハッと、顔を上げた――
ひとりの構造体が力なく地面に座り込み、彼の腕の中には重傷の負傷者が横たわっていた
すぐ側には白髪の医師が周囲の人々に大声で整備機器を持ってくるように叫び、膝をついて負傷者の脚部の切断面を強く圧迫していた
整備ツールをください！
もう手遅れだ、バンジ
整備ツールを受け取ったものの、ペールの体に刻まれた数えきれない新旧の傷跡を前に、バンジはただ絶望するしかなかった――どの傷も目を覆いたくなるほど痛々しい
彼はまだ若いんだ……意識伝送は？まだ意識伝送ができるはず！
もう生命反応がないんだ……
いや、まだです、まだ絶対に……
バンジは手で顔を拭ったが、視界がクリアになるどころか、目の端に循環液をなすりつけただけだった
目の前の世界が深紅に染まり、両手はぶるぶると痙攣したように震えていた。もう何をしようが手遅れだ
生命反応を失って横たわる構造体を前に、バンジは完全に取り乱していた。僅かな記憶だけが残っている――彼は思い出した。かつて、ここで初めて彼と出会った時のことを
あの時、ペールは母親に会わせろと泣き叫んでいて、まだ無知な子供だったバンジは若い医師の嘘を指摘した
君のお母さんは大丈夫、重傷を負っただけだ。休眠が必要なんだ
休眠？構造体が眠るの？
そう。今の医療技術では、すぐに元通り動けるようにはならない。後でちゃんと治療を受けるためにしばらく休眠する必要があるんだよ
……それって、どのくらい？
多分……何年もかかる。君が大きくなる頃にはね……今いくつだい？
7歳半
じゃあ、8年……8年半かな。君が16歳になる頃には、お母さんは目覚めるだろう
……
……待てるよ
バンジはむせび泣きながらうなだれ、ペールの傷口から手を離した。もう循環液の流出すら見られない
16歳……
改造を受けた時は……まだ16歳になってなかった……
……どうして気付かなかったんだ……
「爆破」もやった、騒ぎも十分起こした。どうせ俺たちができることには何の意味もないんだ、終わりなんだよ。俺は今月改造を受ける
……どうして？地上に行くだけで、改造する必要なんてないでしょ？そんなに急ぐ必要だって……
いいや！急いでる！
……？
早ければ早いほどいい、待ってられない
……
彼は16歳になりたくなかったんだ……
ペールは決めたのだ。嘘が暴かれる瞬間には絶対に近付くまいと――そうすれば、彼は希望を抱いたまま死ねるのだから
ごめん、ごめんな……
シオンの顔が罪悪感に染まり、意識海偏移の警告音が響く。周りにいた数人の構造体は慎重にシオンを連れ出した
バンジはシオンに目を向けることもせず、深くうなだれていた。汗と循環液で濡れた髪が額に垂れかかり、まるで何かを祈っているかのようだった
……誰か、僕にも嘘をついてくれよ
