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All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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ER04-3 もうひとつの「家」

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ええっと、九龍にいた時はどんな味のオイルが好きだった?

オイル?いえ、私たちはそういったものを飲みません。普通のドリンクか、お茶か……

うんうんなるほどね。ちょっと左手を挙げてくれないか……ん?お茶って?

植物の葉を水で煮出した飲料です

いや、お茶自体は知ってるよ!どんな味かってことだ。ほら、俺たちには味の感知モジュールがないからさ。いつか味覚モジュールを装着しようかな……

少しだけ苦いんですが、飲み終わるとほんのり甘い余韻が広がるんです

なるほどな。ところで、そちらのリアルシミュレートの状態機械は4種もプログラム編纂方法があるらしいんだが、それは本当か?

リアルシミュレートの状態機械……?

それは……うーん、外部の状態から判断して、自身の再現度を調整するものだよ

そう言うと、ネヴィルは手にしていたスパナで自分の頭をコンコンと叩いた

君らみたいな再現度の高い設計なら、皆持っているはずなんだ。頭のこのあたりにあるはずだが

……すみません。よくわからなくて……

そうなのか?その部品は確か代替品があるはずだ。それと拡張用ドックはあるか?

じゃあ「タクミハンズ先生」を使ってみるか?古いパーツだが、使用にはまったく問題ない!九龍の純正品ほどじゃないが、6つも機能があってコスパ抜群だぞ!?

ネヴィルは仕事用に臨時に装着していた機械アームで、ごちゃごちゃといろいろなアタッチメントをくっつけた機械ハンズを持ち上げると、含英に見せた

ネヴィルはそうやって含英に自分の最新作品を紹介する一方、自分の作業も見事にこなしていた

これが……?

これがかの有名な「タクミハンズ先生」だ!どうだい?試してみるかい?

ネヴィルがそう言った途端、機械の「タクミハンズ先生」がいきなり動き出し、5つの槍のような銃を展開した

熱イオンの衝撃波と陽電子加速砲を高速で発射できるんだ

あの……かっこいいと思いますが、私には合わないかと……

お、そうか、お好みではない?まあいいさ、もし装着したくなったら、いつでも俺のところに来るといい

は、はい……

機械のハンズから展開した銃のようなものを一気に引っ込めて、ネヴィルは含英の最終検査に集中した

最初の数日間、含英はなんとか九龍に戻ろうとしていた。損傷部分の修理を待つのももどかしく、すぐにでも戻りたい一心だった

彼女は自分が「心」と「魂」を持つ機械たちに囲まれていることが信じられず、自分はまだ夢の中にいると思い込んでいたのだ

アルカナは彼女をなだめ、セージ·マキナのことと、彼女が夢で見たあの「灰色の髪の少女」について説明した。それにより、ようやく含英もこれは現実なのだと受け入れた

当時の含英の機体の状況では、九龍までの道を半分も行かない内に故障してしまい、手の施しようもない完全なガラクタになってしまうとネヴィルは考えていた

「同胞」がそのような最期を迎えるのは、機械教会の誰ひとりとして望まない

クソ!また漢字だらけのコマンドかよ!こっちの手元には九龍の機械データなんかそうないのに……

でも、これしきで万能のネヴィル様が引き下がってたまるかよ!

この世のどんな話も信じなくてもいいが、このネヴィル様のことだけは信用しな

ネヴィルは存在しない顎をクールかつダンディに掻いたが、その実とても興奮した表情を浮かべていた

爆!誕!だ!

一緒に九龍から持ち帰ってきたスペアパーツを全部入れ替えた。これで今の機能は前の機体をグンと超えるものになったぜ

今の彼女の姿がガラスポッドにぼんやりと映っている

……ありがとう、ネヴィルさん

あなたにどう感謝すればいいのか……この数日間、あなたや教会の皆さんがいろいろ助けてくれた……

遠慮するなって。同胞を助けるのが俺の使命なんだ!アイムネヴィル!

ネヴィルは自慢げに胸を張った

そのスペアパーツって……それは私と一緒にここに運ばれたんですか?

ああ、ほら、箱はまだそこにある

ネヴィルが指した方を見ると、修理作業台の側に工房の雰囲気にそぐわない古びた木箱が置かれていた

おっと、これを忘れるところだったぜ……

これも君のものだ。カグウィルが別で持ち帰ってきたものだが

ネヴィルは手の平サイズのストレージを含英の手に握らせた

外側に刻まれた紋様と色褪せた房飾りを見ると、あの時の記憶と痛みがまざまざと甦ってくる

悠悠……

……完全に目覚める前、うわごとのようにその名前を口にしていたな

彼女は……私のとても大事な人なんです

人?ほう……

含英の表情の変化を見て取ったのか、ネヴィルはそれ以上詮索してこなかった

ネヴィル!ネヴィル!

突然工房の扉が開き、数人の子供がどやどやと入ってきた

ねえねえネヴィル!新しいオモチャは?

オモチャだ、オモチャ!

含英姉さんだ!含英姉さん!

えっ!?

子供たちは一瞬でネヴィルの工房を占領し、ネヴィルと含英の周りでキャッキャと騒ぎ始めた

機械教会が人間の子供を引き取った訳ではない。「彼ら」は人間の幼少期の心理状態を研究するため、「教皇」が残した心理実験機械体だった

「教皇」は今、旅をしており、子供たちの世話はネヴィルに一任されていた。ずっと工房で検査を受けていた含英も、いつの間にか子供たちの遊び相手になっていたのだ

……ここだ、ここだ。新しいオモチャが欲しいのは誰だ?

こっち!こっちだよ!

ネヴィルのモニターにスマイルマークが表示され、小さな機械体たちが彼の周りに駆け寄った

ダンス!ダンス!私もダンスがしたい!

含英姉さん、扇子を借りてもいい?

おい、お前ら!

いえ、大丈夫

含英は目の前の女の子の頭をなでた。今そこにいるこの子供が、本当に人間の子供のように見える

含英は自分の扇子を丁寧にたたむと、女の子に渡した

大事に使ってね。こうやって……ここから開くの。手を切らないようにね

うん……きれいね!

大きくなったら、私も含英姉さんみたいに踊りたい!

ふふふ、もっと大きくなったら踊りを教えてあげるね

約束よ!

興奮した女の子は飛び上がって含英に抱きついた。そしてすぐに含英の扇子で遊び始めた

人間の意識の成長をシミュレーションするために、彼らは行動原理上、最も原始的な衝動に従うように設定されているんだ

言い換えれば彼らは単純そのものだ。いいものはいい、悪いものは悪いってことさ

「教皇」はこのシミュレーション実験で、人間の心の成長を検証しようとして……ちょっと!おい!それは俺の帽子だ!

人間の心……それはシミュレーションできるものなのですか?

あの男がそう言っただけだ。俺はただ手伝っただけだよ、ったく!「教皇」は俺を万能ベビーシッターロボットだと思ってんのか?

はいはい!静かに!これ以上うるさくしたらハカマを呼んで数学の授業だ!

…………

ネヴィルの脅し文句で、彼によじ登って帽子を取ろうとしていた子供は、悪いことをしたというようにそっと地面に飛び降りた

「教皇」に言われてなきゃ、俺の大切な工房にお前たちを入れることなんてないんだからな……

ゴホン、フィーちゃん?扇子を含英姉さんに返すんだ。そろそろ授業だぞ

「フィーちゃん」と呼ばれた機械体は慎重に扇子をたたみ、含英に返した

ありがとうございます。含英姉さん

まじめに授業を受けるのよ

うん!含英姉さん、今度、踊りを教えてね

うん、約束

幼い見た目の機械体は含英に嬉しそうにニッコリ笑いかけると、スキップしながらネヴィルの側まで行った

じゃあ……プレゼントが欲しいのは誰だ!

子供たち

ちょうだい!ちょうだい!

え~……なんでオンボロのナットなの?

これが万物の基礎であり、創造の源泉なんだ!ったく、子供ってやつは!

これはマジの宝物だぜ!わかるか?た·か·ら·も·の!

子供たち

宝物?じゃあこのナットと帽子を交換してよ!

おい!どこからそんなズル賢いことを学んだんだ!ロジックの脆弱性をうまく突いたな……まったくお前たちときたら……

場の雰囲気が和らいだのを察した子供の機械体たちは、またネヴィルによじ登って帽子を奪おうとした。含英はネヴィルに向かって頷くと工房を出た

工房の分厚い扉を閉じると、辺りは急に静かになり、まるで別世界のようだ

ネヴィルの工房は教会ロビーの2階にある。工房の前の廊下からは、ロビー中央にそびえる「グレイタワー」という名の奇妙な建築が見える

タワーという名だが、実際には大小さまざまに異なる「塔」で構成され、中心の塔ほど高くなっている

「グレイタワー」の回路には、静かに洪水のように莫大なデータが流れ続けている。そのデータの流れを示すのは「グレイタワー」にある星のような光だ

「グレイタワー」の背後の巨大な窓と機械のスクリーンから微かに白い光が漏れている。その光がロビーの床に「グレイタワー」の細長い影を浮かび上がらせていた

???

全てが「グレイタワー」の中へ流れ込み、再び「グレイタワー」から流れ出ていく

落ち着きのある優しげな声が、含英の視線を「グレイタワー」から引き戻した。いつの間にか彼女の隣に紳士然とした機械体が立っていたのだ

セルバンテスさん

セルバンテスという名の機械体は帽子を取り、含英に向かって軽く会釈をした。突然、礼儀正しく挨拶されたことに含英は驚いたが、すぐセルバンテスに一礼を返した

あれをどう思いますか?

セルバンテスはまさしく古きよき時代の紳士のような身振りで、帽子を持った手で「グレイタワー」を指し、再度帽子をかぶり直した

あれですか?

「グレイタワー」、それがあれの名前です

用途としては、機械教会の中央演算装置です。象徴としては……機械教会自身を表しているというところでしょう

そうなんですね……グレイタワーを見ていると、その荘厳さに圧倒されて周りが静かになったように感じますね

厳かで、静謐

はい

それは私の設計の際の要素のひとつでした。この場所に必要なのは、信頼、冷静、団結であり、争いや分裂ではありません。グレイタワーはまさしく教会の礎石です

そして「塔」であることに、さまざまな意味を持たせています

セルバンテスさんは建築家だったのですか……

その表現は正確ではありませんね。私の師は素晴らしいひとりの芸術家でした。私はただ、彼から建築の知識を受け継いだにすぎないんです

私は多くの人類の建築を参考にしました。九龍の壮麗な建物や各地に残る数少ない建築以外、ほとんどがパニシングと戦争で破壊されてしまいましたが……

まさか、実際に九龍に行ったのですか?

はい、黄金時代に私は師とともに九龍環城を訪れました。パニシングの爆発後、ずっと海上を彷徨っていた夜航船にも

夜航船まで?……ではそこであなたはひとりの女の子、いえ、構造体を見かけませんでしたか?

背はこれくらいの高さで、片方に寄せて結わえたポニーテールで、小さく白いマントを羽織っているんです……

含英は記憶データの中から最後に見た悠悠の姿を探し出した。煌やかな夜景をバックに、悠悠が自分を抱きしめてくれた最後のあの姿を

悠悠は今、どうしているのだろう

夜航船にいたのはほんの僅かな間でした。あなたもご存知でしょうが、あの夜航船は他所者には優しくなかったので

それに……心苦しいのですが、あなたが今言っていたような構造体は一度も見かけませんでした

含英の目に浮かんだ失望の色を見て、セルバンテスは申し訳なさそうに苦笑いをした

確か、あなたも夜航船から来たのですよね?

セルバンテスは両手の間に映像を浮かび上がらせた。ぼんやりと光る映像に、含英にとって懐かしい物が映っている――

夜航船!

セルバンテスがふわっと両手を広げると、空中に浮かぶ夜航船のホログラムが更に拡大された――

無機質な教会のロビーが夜航船の賑やかな市場や街灯、露店や道、瑠璃瓦の古風な屋根に一変する

露店のごった煮が湯気を上げ、屋根から吊り下げた提灯は潮風に揺れている。骨董品の店で明滅するオイルランプの光が、九龍らしい雰囲気を盛り上げるのに一役買っていた

含英はふと手を伸ばしてオイルランプの燃えかすを落とそうとしたが、もちろん燃えかすを落とすことはできなかった

この船と、先ほどの話にあった構造体のこと、とても懐かしんでいるようですね

含英はオイルランプへ伸ばした手を引っ込めると、そっと頷いた

教会の同胞と過ごすより、あなたは人間と――ある人物と一緒にいたいと思っている。そうでしょう?

どう言えばいいか……同胞の方々と一緒にいるのが嫌なわけではないんです……でも私は今までずっと、人間と一緒に暮らしていたので

その気持ちは私にもよく理解できますよ。他の機械体に比べて、私たちは多くの時間を人間とともに過ごしてきたのですから

私が目覚めてから、まるで人間のように私の名前を呼ぶのは……あなただけです

それにあなたの言葉遣いや行動も……人間みたいですね

たぶん私たちはある程度、人間社会の教育を受けたので、そういった行動が習慣になっているのかもしれませんね

だがセルバンテスは珍しく言い淀んだ

これはいささか失礼かも知れませんが……カグウィルによれば、あなたは自らシステムをシャットダウンしたと聞きました。あるいは――

自死しようとしたと言った方が正確でしょうか?

……はい

すでにお聞きだと思いますが、私たちには「教皇」という同胞がいて、彼は今、自己破壊傾向のある機械体のために、世界中を奔走しています

何か悩みがあるなら、彼に相談してみるといいかもしれません。今、彼は教会にはいませんが、連絡はいつでも取れるはずです

それは……何か問題なのでしょうか?

覚醒後は思考回路にロジック問題が発生し、自己破壊を選ぶ機械体が少なくないのです。我々が目指す覚醒の道において、最初の難関ともいえるでしょう

自ら滅ぶことを選んだ機械体は、ほとんど救うことができません……彼らは思考的にも機体的にも「死」を選んだのですから

どうして「死」を選ぶのだろう?

どうして自らの「生」を終わらすのだろう?

……

深く愛する誰かを傷つけたくない

他人に好き勝手に使われる駒になりたくはない

自分の胸の内に秘めている約束を守りたい

……

いいえ、それは違います

あの時、私は単純に自己の破壊を望んだのではなく、他の……ある原因があったのです

私には守るべき人がいました。他人に支配されて彼女を傷つけるなんてことは、どうしても許せなかった。それに誰かの手先や道具にもなりたくなかった……

……一般的にそれは自己「犠牲」ですね、自己破壊とはいいません

自分のためではなく、人間のために自己犠牲を選んだとは。機械なのにあまりにも珍しいです

言い換えれば、それは「心」と「魂」を持っている人間だけが理解できるもののはずです

セルバンテスが手を振ると、廊下に投影された夜航船の映像は消え、再び厳かでひっそりとした教会の廊下に戻った

嫌な話をしてしまったことをお詫びします。教会に戻ってからというもの、私はこんなにゆっくり誰かと話したことがなかったせいかもしれません

いえ、大丈夫です。九龍を離れて久しい私には、再び昔の夜航船が見れたこと自体が嬉しいですし、とても慰められました

そういえば、目覚めてから数日経っていますが、ここでの生活はいかがですか?

皆さん優しくて、いろいろと助けてくれます

それに……「心」を持つ機械をこんなに見たのは初めてで……いえ、「覚醒」した機械というべきですね。今までは噂の存在だと思っていたので

…………

セージ様が教会から離れる時、私たちにこう仰っていたんです。あなたは「眠り」につく前から初歩的な覚醒を遂げていた、あるいは「心」を持っていたと

機械教会の歴史の中で、人間のために自らを犠牲にしたような例は滅多にありません。指令を受けていないなら、結論はただひとつです……

それが「心」というものなのでしょうか……でも私は「心」なんてわからないのに。それなのに「心」を持っているなんていえるのでしょうか?

私にもわかりません。でもセージ様は確かにそう仰っていました

含英とセルバンテスは沈黙したまま、少し離れた場所に佇むグレイタワーを見つめた

ふたりとも、思考回路の中では静かにデータが流れ、それぞれが言葉では説明できない記憶を思い出していた

「物語の書き手になってほしい」、先生は私にこう仰いました

それ以来、私は先生に言われた通り「自分の物語」を書こうとしていました

そのために私は先生の遺産を物語の「舞台」にしようとまでしたんです。でも残念ながら、今も私はどんな物語を書けばよいのか、わかっていないのです

「物語の書き手になってほしい」、物語の1行目がこんな文章だったら、いい物語にはならなさそうでしょう

…………

私たちは人間の影響を受けて「心」を持つようになり、人間の導きで自分自身の物語を書くことで、自分の価値を見つけようとしているのかも知れません

でも、「これからどうするか」がとても重要なのではないでしょうか。含英さん

その構造体はあなたにとって、重要な意味を持つ存在なのでしょう。それならなおのこと、「これから」の方がもっと重要だと思います

悠悠を見つけたあと……のことでしょうか?

夜航船でずっと彼女と一緒に……いえ、違う。街に行って彼女の両親を探さなければ……

どんなことも……全部が悠悠に関係のあることばかり

悠悠を見つけてから……「私」はどうするべきなの?

ネヴィルの工房から子供たちの笑い声が聞こえた。しかしどこかその笑い声が重苦しく響いてくる

セルバンテスさん、「教皇」の子供たちはとても可愛いですね

あなたのその言葉を聞いたら、彼も喜ぶでしょう

あの子たちは自分の望みをちゃんとわかっていました。オモチャや綺麗なものが欲しいとか、ダンスを習いたいとか……

素晴らしいことです。本当に素晴らしい

グレイタワーの光に照らされながら、教会の一同はロビーに集まった

なあ、教会がこんなに賑やかなのは、久しぶりだぜ

いっちょ集合写真でも撮るか?ちょうどカガちゃんも帰ってきたし

ネヴィル

わかってる、わかってるって。雰囲気を和らげようとしただけだ

……私たちがここに集まったのは、新しい家族を歓迎するためです

長らく眠り、セージ様によって目覚めた九龍の同胞よ、私たちに加わってくれますか?

アルカナは銅板のカードを伏せたまま、含英の目の前に差し出した

グレイタワーと窓から差し込む光に照らされ、カードは奇妙なオレンジ色に輝いている

そのカードを受け取れば、教会から承認され、互いを仲間と呼べるようになるのだ

ネヴィルは叡智の魔術師として学びを与え、輝ける行進者は戦車として勇武を継承した。そしてセルバンテスは皆の心をひとつにする塔を建てた……

そのカードを受け取れば、含英に別の名前が与えられる。これがまさに「これから」の始まりかもしれない

銅板のカードから反射する光は温かそうで、ロビーの無機質な青色とはまるで正反対だ

行動原理の回路と電子脳の理性回路が判断する限り、アルカナの誘いを断る理由などなかった

しかしなぜか彼女の電子脳にはある声が繰り返しこだましているのだ――

もし名前に意義と責任があるのなら、「含英」としての彼女は、まだ意義と責任を果たしていないことになる

ごめんなさい。今はまだ受け取れません……

皆さんからいろいろ助けてもらったのに、それに報いようともしないのは、失礼なことだとわかっています

でも……今はまだそのお誘いを受けられません……私には九龍に戻ってやらなければならないことがあるんです

あなたが初めて教会への入会を断った同胞という訳ではありません。それにあなたには断る理由があります

でもひとつだけわかってほしいのは、機械体は人間とは徹底的に違うということ

教会は、機械体同胞を苦難から救い、助け合いながら、セージ様が導く未来へ一緒に歩むための組織です

今日も、世界各地にいる同胞たちは人間や侵蝕体、あるいはパニシングの脅威に直面しています……この点は、あなたもよくご存知のはず

ええ、人間の盲目的な恨みによって、私は今まで眠りについていたくらいですから

ですが全ての人間が機械体を敵視し、ただの道具だと思っている訳ではありません

人間への想いを持ち、人間と関わったからこそ今の私があり、生き続ける勇気を持てたんです

私は彼女と約束しています。あちこち旅をして「セージ·マキナ」を探し出し、機械体のプログラムをも越える「心」を探そうって

あなたはすでにそれを見つけたんですよ。セージ様に会ったでしょう?

でも今……彼女はここにはいないようです

それに、私は自分に「心」が本当に存在しているかどうか、確信が持てずにいます

彼女は手を胸元に置き、その左下に本当に鼓動する「心」があるのかを確かめているようだった

機械覚醒、あるいは心や魂……それらが存在していると、どうやって証明すればいいのでしょう?

……

逆光のせいで含英にはアルカナの表情がよく見えなかった

よくわかりました

アルカナはカードをしまい、いつものように両手を前に重ねた

教会は同胞の自由を強制したり拘束したりはしません。離れるかここに留まるかを選ぶことは、同胞たちが持つ権利です

セージ様の導きでもあなたの疑問に答えが見つからないのなら、あなた自身でその答えを探し出すしかありません

もちろん同胞がどこにいようと、教会は常に彼らを「家族」だと思っていますから

……

あの時も、今もそうです

教会のほの暗い光の中、アルカナは含英の前に立って頷いた

どうか気をつけて行ってきてくださいね、含英。私たちは九龍に関する情報をほとんど持っていないので

それに、教会から九龍まではとても遠いわ

輝ける行進者、含英を送ってあげてくれませんか?

送る?もちろん構わない

カガさんは遠距離輸送ができるのですか?

もちろん。必要とあれば輸送トレーラーも連結できるぞ。空気力学理論的に完璧だから、輸送トレーラーを連結してもカガちゃんの速度に影響はない

どうでしょうか、含英?

……ありがとうございます

今の教会の中で、含英は最も人間に近い機械体なのだろう。だが目の前のアルカナからは今まで感じたことのない、どっしりとして温かな感情が伝わってくる――

それは人間の母性に近い感情だ

……救いがどんなに遠い場所にあろうと、迷える旅人はそれを探しあてるものです

こうして機械教会で、彼女は帰路についた

まさかアルカナがすんなり受け入れるとは思いませんでした

アルカナも思うところがあったんだろうよ。それにこれは別に悪いことじゃないだろ?含英がしばらく教会を離れるってだけだから

私はアルカナからとても特殊な感情を感じました

人間の言い方をするなら、アルカナはまるで……母親のような存在に思えます

アルカナは終始、教会の同胞を大切に思っている

セルバンテスなんて教会を出た時、挨拶せずに行ってしまっただろ。あの件でアルカナはしばらく落ち込んでたんだからな!

うっ、あの時は急いでいて……それに私は後からコンステリアから連絡をしましたから

でもアルカナの言う通り、私たちは九龍に関する情報をほとんど持っていません

カガちゃんを護衛につけたのも、万が一のためだろ?

我がいれば、万が一などということはない!

よっしゃ、いい土産を待ってるぜ!セルバンテスは落ち込んで帰ってきて、俺にくれるはずのハットを何個もなくしやがって

例えば九龍で作られた機械部品とか、技術資料とかだな。九龍製のハットも大歓迎だ

え?は、はい

あなたには新しいハットを何個も持ち帰ったでしょう?

帽子なんてものは、戦闘の邪魔だ!視界を遮るし、人間の無意味な装飾にすぎん

ネヴィルさんは、帽子をコレクションするのがお好きなんですか?

彼は偏執的なほど帽子が好きでね

でも帽子なんて土産として絶対持ち帰るなと私は忠告しておきます。彼はいずれ、教会の全メンバーに帽子をかぶせるつもりですよ……

おい!聞こえてるぞ——?

気兼ねも遠慮もなく、人間と接する時のように畏まる必要もなく、完璧な言葉遣いをする必要もない

「心」と「魂」を持つ機械と一緒に過ごせば、いつか「心」という名のパーツが見つかるかもしれない

そんな生活も、きっと悪くないと思える

「……私たちがここに集まったのは、新しい家族を歓迎するためです」

家……?

家は帰りつく場所のはず

彼女はどうやってここに来たのかは覚えていない。だがここから離れることについては、先んじてしかと記憶したのだった

どうよ、カガちゃん?重量オーバーしてないか?接続用のチェーンはちょっと複雑だが、そっちの方が安全だからな

問題ない

輸送トレーラーの重量を含めると普段より17%多く燃料を消費するが、誤差の範囲内だ

じゃあ……

こうやって中に立っていればいい

ネヴィルは籠型の鉄製輸送トレーラーへ入る方法を実演した

これ、「生物」を運ぶためのものではないですよね?

もちろん違うさ。そもそも教会は人間なんかの生物を運ぶ必要がない。貨物トレーラーを改造してある

乗り心地は悪いかもしれないけど、大丈夫、中にはエアコンだって追加した

……

お気になさらず。運んでさえくれれば乗り心地など気にしません

ネヴィルさん、カガちゃんさん、ありがとうございます

その呼び方はあまりに変だから、カガヤキとでも呼んでくれ

はい、では、輝き……さん?

???

お~い

教会の駐機場の反対側に人影が現れた

シブナさん?

間に合ってよかった

どうかしました?

確認したいことがあるので、私も同行させてください

へ?シブナも九龍に行くのか?

私が教会に入る前、ある友人が九龍へ向かったのです。彼を教会に連れてきたいのです

アルカナには話したのか?カグウィルはまだインフラ工事の最中だろ?

含英が教会を発つと小耳に挟んで、すぐアルカナに教会の仕事を変えてもらったんです

私の仕事はゼロに任せるとアルカナが約束してくれました。それに……セルバンテスも帰ってきたことだし

シブナは懇願するような口調で話した

……まあそうか。セルバンテスが帰ってくるまで、教会の工事は全てシブナが代わってやってたもんな

私が担当しますよ。ゼロにあの仕事は向いていませんから

なら大丈夫だろう。だが一応、含英とカガちゃんの意見も聞いておかないとな……

私はもちろん大丈夫です。輝きさんは?

予備燃料はまだある。問題ないだろう

ありがとう

頼みましたよ、カガさん

準備はいいか?しかとつかまっていろ!

駐機場に轟音が響き、教会の外の青空に一筋の飛行機雲が残された

夢ではない現実の世界で、自分の存在意義を見つけてくださいね、含英さん

??

……では私の申請は?

ルートにふさわしい行動なら、何の制限もありません

??

フン、そうは言うが、問題が起きれば「正義」が教会に戻る可能性だってある。ましてやこれは……「教皇」が興味を持つだろう

忘れるな。機械教会においては秘密などないことを