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All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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紅と灰

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<i>「個において狂気は稀なものだ。しかし集団、党派、群衆、時代においては常態である」</i>

人間はある種の狂気に陥っていた――夢かどうかも判別できぬほどの狂気に

おぼろげな記憶の中、イシュマエル……ラハイロイの家の屋根裏で電話をかけ、温かいミルクを飲み、引き出しの中の木彫りのサイコロを触り、ベッドに横になった

イシュマエルが自分の隣に横たわり、耳元で親しげに何かを囁いた気がするが思い出せない。その後、眠りによってすぐに夢の黒い深淵へと引きずり込まれたからだ

再び目を開けた時、再び歯車の森のただ中に立っていた……初めて、本物のイシュマエルと出会った場所だ

もっとも、「立っている」というより「宙に浮いている」と言った方が正しかった

あなたの肉体には質量がなく、魂も21gではありません

全てが「ゼロ」。あなたは空であり、ただ広大な感覚だけを抱えている

歯車の森から、イシュマエルが漂うように現れた。その姿は人々の知る宗皇そのまま……ではなかった

背には6枚の白い翼が広がっている

私の姿の変化に、もはや驚きすら感じないのですね?それがよいことなのか悪いことなのか、私にもわかりませんが

美しいと感じますか?それとも……「好き」と?

ふふ……では、更に本質を覗いてみましょう

イシュマエルは人間の手を取り、一番近くの歯車に沿えて力を加えた。歯車がゆっくりと回転し始める

先ほどの質問を覚えていますか?もし、あなたが「導き」の力を手に入れたら、あなたはどうするのでしょう?

今、あなたにその機会を与えましょう。私はただ、あなたの選択を見たいのです

回転する歯車は光を放ち、重力さえかき乱し、眩暈を誘う

ほんの「まぶたを閉じて開いた」刹那、人間は何かの力に引かれて歯車の森から放り出され、宗皇の部屋のソファへと投げ出された

背後で、無数の歯車が並ぶバルコニーの扉が「バタン」と音を立てて閉じた

即位式まであと10分。今のままでは間に合いませんよ

イシュマエルは、まるで「コーヒーに砂糖を入れるかどうか」を訊くほどの軽さでそう言った。彼女はテーブル越しに肘をつき、両手を組んで頬に添えてこちらを見ている

「新宗皇」の即位式……?それを私は知りません。私の座を勝手に奪った者が?

残念ですが、ここに新宗皇などおりません。宗皇の名は「イシュマエル」のままです

あなたがどんな長い夢を見たのかはわかりませんが……思い出してください。今日はあなたの即位式です、議長閣下――それとも「検事総長」とお呼びすべきでしょうか?

ちなみに、残り9分です

イシュマエルは人間の困惑した様子に慣れているらしく、それ以上は説明しなかった。黙って歩み寄ると、手早く人間の服を整え始める

あなたの記憶は本当に曖昧ですね……けれど病院で検査しても異常は出ない……でも構いません、私は何度でも説明します。あなたが忘れる度に繰り返しましょう

4年前、ティンバイはもはや外戦を続ける力を失い、リコトスから撤兵して内乱へと移りました。あなたと大統領の目的は果たされたのです

かつての「聖環教会」や「反抗組織」と呼ばれた組織が革命の先駆けとなり、基盤となり、大統領……ラスティはこれを歴史的勝利と呼びました

……そこまで驚くことなんですか?彼女は成長したのですよ。大胆でありながら慎重に動き、軍需企業をまとめあげ、ティンバイの民衆に呼びかけて旧体制を打ち倒しました

それは同時に、私の勝利でもあります。「聖環教会」から伸びた力が政権を覆い、政教一致の体制を築きました。ラスティは私を敬い、私の力はかつてないほど巨大になりました

最後にイシュマエルは人間の襟元をきちんと整えた

けれど、私は布教への興味をすっかり失ってしまったようです。ラスティでさえこう言うのです。「これじゃまるであなたの秘書です、退位した方がまだマシ」だと

存在しないはずの記憶が黒い渦の中から溢れ出し、人間の空っぽの頭を一気に埋め尽くした

そして、あなたは大統領ラスティの任命を受け、最高司法評議会の議長にして、最高裁の検事総長になったのです

ええ、どうしてでしょうね。私も、これが本当によいことなのかはわからなくなりました。あなたも、そう思いませんか?

イシュマエルは小さく首を振り、深く考えるべき問いを全て振り払った

まぁいいでしょう。行きましょう。エレベーターが待っています

エレベーターの中で、イシュマエルはティンバイの街を眺め続け、一緒にいる人間には一瞥もくれなかった

サイコロ?もうずっと触れていません。あれには、もはや意味がありませんから

彼女は振り返らず、どこか他方を見ながら、投げやりに聞こえるほど淡々と答えた

議長である人間もそれ以上追及せず、ふたり揃ってただガラスの外を眺め続けた

時は午後、空に白やピンク色の夕焼けはなく、太陽でさえ低く沈み、鈍い雲に覆われていた

人間は仕方なく別のものに焦点を合わせた。例えば近くのガラスの壁にあるクモの巣状の「弾痕」等だ

それを見た瞬間、理由はわからないが、心臓がひっかかれたように微かに疼いた

胸の奥が痒みを覚え、肺までむずむずして咳が込み上げる

私もラスティも、この壊れたガラスを取り替えるべきだと提案しました。ですが、強く主張して残したのはあなたですよ

私はあなたの心を読めません。これは苦い過去を忘れないためか、それとも狙撃され追われたあの日々を思い出に残すためでしょうか……

イシュマエルは、僅かに皮肉を帯びた笑みを浮かべた

「覚えてない」……最近はいつもそうですね。記憶が乱れて、あなたはらしくないことが多くなってきました

エレベーターは低層階へと下り、外に広がる漆黒の地面が見えた。黒髪の人波がひしめき合い、その中で点々と他の髪色が彩りを添えていた

新たなティンバイの民は集って両手を合わせ、静かに熱心にこの通天の塔を仰ぎ見ていた。神の代弁者が降り立ち、福音を授けてくれることを信じて

チンと音がなり、福音が到着した

エレベーターの扉が開いた瞬間、人間は無意識に腕を上にかざした。まるで詰めかけた記者のフラッシュを避けるかのように

だがまた記憶は違っていた。待っていたのは敬虔な信者、ティンバイの民だった。彼らは腕をかざす仕草を意図ある行為と解釈し、一斉に頭を垂れて権威を直視することを避けた

ご覧なさい……皆、あなたを待っていたのです

朝からエレベーターの外で待っていた、大統領であるラスティさえも、崇拝の眼差しでこちらを見つめていた

ええ。皆はずっとあなたを待ってたわ。マイクはもう入ってる。壇上へ進んで、あなたの言葉を響かせてください

イシュマエルに導かれるまま、人間は前に歩を進め、マイクの前に立った

一面のスピーカーから甲高い音が響いた。黒い群衆の海を前にして深く息を吸ったが、群衆の心に響く言葉は何も出てこなかった

人間は確かに声を発した。けれどそれは演説ではなく、あまりにも「個人的」な問いかけだった

人間が指さした先は、人々から伸びる無数の赤い糸。それは恐ろしいほど密集して網をなし、全てイシュマエルの胸元へと繋がっていたのだ

そして、常に澄み切っていたはずのイシュマエルの指先からも1本だけ、見えないほどに細い糸が伸び、人間の身へと繋がっていた

イシュマエルはまぶたを伏せ、視線を落とした

そのままの意味です。私の「触手」は、あなたへと繋がっています

彼女が身を傾けると、黒い人波が「触手」に引っ張られるように、人間に向かって一斉にひれ伏した。まるで海が逆巻き、波を打つかのような光景だった

そして彼女の指先にある唯一の「触手」も僅かに揺れ、人間に指摘されて小さく震えていた

人間は激しく咳き込み始めた

ティンバイは、表向きは宗皇独裁国となりました。けれど実は、全ての権力があなたに集まっています

あなたが私を導き、私は従い絶えず力をあなたに渡し、あなたが人々を導くのです。「世界」さえもあなたを認め、深く安堵しています

心臓の負担が一気に噴き出した。人間は咳き込みながら、この街とこの国を見渡した

遠くないところには、前大統領の像。頭部も腕も砕かれまるでトルソーのようなありさまだ。新政権の白日の下で、嘲笑の的になっていた

政権の崩壊は決して綺麗事ではなく、ティンバイの首都もまた硝煙に覆われた争いを経てきたのだ

喉の奥から何かがせり上がり、舌に鉄の味を残して口端から滴り落ち、掌を濡らした

そこには鮮血が広がっていた

驚かないで。変革と権力の奪い合いには、いつだってこうした熱く赤いものが伴うのです

群衆は麻痺したようにその咳に耳を傾け、指先から零れた血さえも恩寵と受け取った

私たちはどちらも変わったのです。あなたは私を導き、支配する存在。私たちは決してひとつになれない

自由……?

彼女はそこでようやく笑みを浮かべた

そんなあなたの前で、私の自由とは何を指すのでしょう?

彼女の指先から伸びる「触手」が動き出した。そんなことは求めていないのに、彼女の首へと絡みついていく

やがて、強く締めつけ出した

触手は意志を固め、彼女を絞殺しようとしていた。そして、確実にやり遂げた

「ブシュッ」。宗皇イシュマエルもまた、市の中央に立つあのトルソー像と同じ姿に変わり果て、自由を求める次の碑となり果てた

それは人間の選択への失望の証。太陽すらも目を伏せてしまった

歯車の回転が再び始まる

人の波も喝采も一瞬にして掻き消え、視界はねじれ、代わりに立ちこめたのは血の臭う戦壕だった

大声を出すな、死にたいの!

ラスティの頭から軍用ヘルメットが転がり落ちた。彼女はほとんど飛ぶようにして人間に覆いかぶさり、口を肘で押さえ込んだ

しーっ、しーっ!静かに……隠れて……

彼女は人間を強く押さえ込みながら、泣き顔に似た歪んだ笑みを浮かべた

バレたら終わりよ。もう34時間も待ち伏せしてるのに……全てが水の泡になる。後ろにいる本隊も、私たちが突破口を切り開くのを待ってるんだから……

彼女は話せば話すほど、頭が下がっていった

リコトスは……もう消滅した。残った者で戦ったけど作戦は全部失敗……今や頼れるのは私たちだけ。子供たち、あの3人も後方で待ってるから……失敗は許されない……しっ……

人間は急に何かを察知し、「兵士の本能」が人間の意識を支配して、ラスティの拘束を振りほどくと周囲の兵に叫んだ

ドオオンッ――!

肉体を粉々にするほどの弾薬が降り注いだ。人間は弾丸が空気を切る音をはっきりと聞いた。弾道がすぐ傍らの空気中に開通したのだ

移動!北へ!急いで、ここはもう危険だ!

人間は身を屈め、唯一残された銃を握り締めながら、彼女の背を追って叫んだ

……何って!?

ラスティは立ち止まり、更に小隊全員が動きを止めた

……イシュマエル?……あなた正気?それとも、爆発で頭をやられた?

振り返ったラスティの顔には、表情というものがなかった

……見えないの?頭上のあれが

人間はゆっくりと上を向き、ラスティの視線を追った

ここはティンバイ首都の城壁の下。その上に、これ見よがしに垂れる1本の縄があった

縄の先に繋がれていたのは1体の屍体――首を吊られたまま、爆風に揺れていた

その影が人間の顔に落ちる

伏せて!!!

次の爆弾が飛来し、今度はラスティが叫んだ

彼女は人間を地に押し倒し、とうとう声を殺せずに嗚咽を洩らした。長く抑えていたものが、崩れてしまったように

見たでしょう、死んだ、皆死んだんだ!ティンバイの狂気は世界の誰にも止められない!リコトスなんて、ただティンバイの足下に倒れた最初の犠牲にすぎない!

次々に戦争協約が結ばれ、講義はなくなり、集会も解散した。街に残るのは配給パンの店だけ。男は戦場、女は鉄を鍛え、マッチを削り、弾丸と爆薬を作らされる!

やつらはリコトスの地で甘い蜜を知り、海外へ侵略を広げた。強敵に遭えば兵器を改良して……そうよ、ラハイロイを知っているでしょ!前宗皇と親しかったあなたなら!

ラハイロイが発明した「ロボット」は、今や最新鋭の殺戮兵器に改造された。あの人は、あれを人殺しのために設計したんじゃない!だから彼女は死んだのよ、自ら命を絶って!

宗皇も処刑された。人々は彼女の杖と冠を奪い、家を占拠してこうして晒し者に……!万歳!これでもう誰もティンバイを止められない

何か言いなさいよ!この数カ月であなただって何人も殺したでしょ?こんな時にダンマリなんて!

ラスティは人間の肩を荒々しく揺さぶった。背後の兵士たちは煤にまみれて無表情で、それが「よくある発作」のように眺めていた

人間は、ただ空中で揺れるイシュマエルの亡骸を見つめ続けていた

1羽の灰色のカラスが舞い降り、その亡骸に留まると、嘴で肉を抉り取って飲み込んだ

カラスの動きを見て、人間の喉に唾が湧いた。胸から不思議な欲望が湧き上がってくる

ちょっと!!まさか、本当に気が狂ったんじゃないでしょうね!?

飢えすぎて頭がおかしくなった?……あぁ、神よ、慈悲深き者よ、どうか私たちを見捨てないで……

ラスティは急に冷静さを取り戻した。いや、冷静にならざるを得なかった。カラスは危機を察したのか悲鳴を上げながら天を仰ぎ、必死に羽ばたいて逃れようとしていた

そのカラスの瞳に、灰色に崩れた廃墟の上を、白桃色の尾を引いた「流星」が空から地上へと突き進む姿が映った

……終わった

弾薬が落ちる音は、サイコロがテーブルを転がる音と同じくらいの軽さだ

<size=40>弾薬のもたらす結末は、いつだって空虚で、つかの間の幻影でしかない</size>

<size=40>人間は冷徹な意識のまま、回転する歯車が開いた黒い渦に呑まれ、いくつもの「分岐した世界」を彷徨った</size>

宗皇に権力が集まると、イシュマエルは自害する……

新たな政権が成り立つと、イシュマエルは囚われる……

ティンバイが外へ拡張すると、イシュマエルは処刑される……

人間と駆け落ちを試みると、イシュマエルは逮捕される……

……

人々の指から伸びる赤い糸が、光の幻を織り成して揺らめいた。だが彼らが熱狂すればするほど、人間は耐えられない飢餓感を覚えた

……歯車の中をどれほど彷徨ったのかわからないが、この日、餓えの果てに人間は懐かしい声を耳にした

イサ

ほら、起きてよ。もう何十時間も寝てたのに、食卓でまだ寝るつもり?

ラハイロイ

……イサ、放っておけばいいわ。過眠症を患っているのよ。まずは私たち自身の進化を完成させないと

蝋燭とランプの光が二重に揺れ、杯の触れ合う音がシンフォニーのように耳を打つ

だが更に大きな音――歯車とサイコロの共鳴が、遠く高い場所から、脳の芯へ直接響いてきた

白磁の皿に盛られた、肉汁滴るステーキと濃厚なソース。人間の視線が釘付けになる。ようやく肉が食べられるのだ

来る道中ずっと「お腹すいた」って叫んでたくせに、せっかくのご馳走を目の前にして、手をつけないなんて

視界の中で、自分自身の手がナイフとフォークを握り、肉へと伸びる

爆撃で裂かれた痛みがまだ残る中で、肉を切る感覚はまるで自らの断ち切られた肢体を裂くようだった

あっ……!来た!「神様」の聖具

食堂の扉が開き、聖印卿たちが紅の棺を担いでゆっくり入ってきた

イサとラハイロイ、他の弔問客たちの全てが一斉に手を合わせ、棺へと祈りを捧げる

蓋が開かれ、棺が長いテーブルの中央に据えられた。そこに眠る遺骸は腐敗しておらず、安らかに信徒たちの祈りに耳を傾けるかのようだった

「全ての民はあなたを仰ぎ見、あなたはその時に応じて糧を与える」

「あなたが御手を開けば、命あるものはみな満ち足りる」

新宗皇は棺の前に立ち、句をひとつ唱えるごとに、亡き宗皇の遺品をひとつずつ取り出した

こちらは宗皇のブローチ、こちらは宗皇が持っていたサイコロ……これほどの聖具なら、どんな病でも治せるでしょう

小さな桐のサイコロが、長卓の端から隣の客へと次々に渡され、やがて人間の前に置かれた

受け取りなさい、[player name]。これはあなたのために用意された聖具よ

何をぼんやりしてるの、早く受け取って!あなたの病気なんて一瞬で治る!これは特別なんだから。だって、まだ冷たさが残ってる……彼女の体温が染みついてるんだから!

心臓に病を抱える人間は血がついたサイコロを受け取った。すると穏やかな力が掌から心臓へと伝わってきた。針と糸で、穴だらけの心を優しく縫い合わせるかのように

新宗皇は、棺の中から更に杖を取り出した

こちらは宗皇の杖。これがあれば、我らの道は平らに開け、戦にも必ず勝利するでしょう

杖もまた人々の手を経て、テーブルの端に座る将軍へと渡っていった

そして、これは宗皇の冠。これがあれば、我らは……

金属の冠を掲げる新宗皇の声は、僅かな怯えと昂揚が混じって震えていた

人々の視線も冠に釘付けとなり、期待に頬を紅潮させている

彼らは棺の前で聖具を分け合い、十字架の下でパンと酒を口にしていた……ただひとりを除いて

人間もまた震えながら、ナイフとフォークを握りしめた。癒えた心臓に突き動かされて立ち上がり、ふらつきながらテーブル中央の棺へと駆けた

人々は驚きの声を上げた。彼らは、もう1匹の子羊が食卓に上がり、供物となった同胞へと身を投じる様子を眺めた

スケープゴートは目を閉じ、同胞の思考を待ち、選択を待っていた

多くの者が私からこの力を奪おうとしました。私に触れたものを聖具と崇め、私が「死んだ」あとも冠や杖を奪い合う……

それとも……あなたはもっと根源的に、この力を完全に支配する方法を見つけようとするのでしょうか……?

食卓の上で、スケープゴートが目を開け、柔らかな微笑で告げた。私は、あなたの罪を全て赦す

宴の人々の間にどよめきが広がり、その声は言葉にできない霧のように、瞬く間に辺りを包み込んだ

イシュマエル

ようやく理解してくれたのですね?よかった

<size=35>誰も応答しなかった監察院の電話</size>

<size=35>魂の自由へと走ったシュトロール</size>

<size=35>誰にも知られぬイシュマエルの「神の力」の源だった</size>

<size=35>それは、あらゆる空虚な説明であり</size>

<size=35>全ての未知の源であり</size>

<size=35>「私は存在しているのか」という問いへの唯一の答えなのだ</size>

イシュマエル

教えて、最終的な答えは?

ーー■べること

ーーべること

あまりに単純だった。おおよそ「世界」の全ての事物は、このように単純で率直なものなのだ

あなたが私を■べれば、私はあなたになる、そして再び■べられる

イシュマエル

あなたの誕生は、「世界」を感じ取る五感を授けた。けれどあなたは早々に、目も耳も鼻も口も捨ててしまった。視ることも聞くこともできず、匂いも真実の味もわからない

けれど、それらの器官が衰えようとも、まだひとつだけあなた自身が能動的に働かせられる感覚が残っています

さあ、教えてください。あなたはどうすればいい?

イシュマエル

そう、その通り。口を開けて

その場に居合わせた人々は驚愕のあまり足を竦ませ、誰も近付いて止めようとしなかった

文明の象徴である食器を捨て去り、最も原始的な欲望に還れ。野蛮なやり方で、真理を味わえ

彼女も口を開いた――微笑んで、完全に、あなたを受け入れて

そしてふたりは、ついにひとつとなった

イシュマエルと一心同体となったその視界は、限りなく広がっていった

いくつかの瞬間に、人間は別の世界を垣間見た

ふたつの世界のどちらがより混沌か判じがたかった。どちらの世界も赤い光が瞬き、災厄の叫びがこだまし、それを必死に食い止めようとする人々がいる……

結局は同じ――混乱と秩序が並存していた

最後に、人間は「恐らく」重い瞼を持ち上げたようだ。白い天井と点滴が、状況を端的に物語っていた

そして自分が横たわる白いベッドの脇に、行儀よく並んで伏せている3人の……色の異なる……

リー……たぶんリーだ。小さい頃からずっと仏頂面で、今は更に厳しい顔をしている。眉根を寄せてベッドに突っ伏して眠り、夢に閉じ込められたかのように目を覚まさなかった

ルシアとリーフ……幼い頃は髪を整える余裕もなく、ふたりとも自ら短く切ってしまった……今ではすっかり髪も長く伸び、きちんと結い上げられている

いま、この子たちは幸せなのだろうか?

人間は、成長した子供たちの顔に触れようと手を伸ばしたが、自らの体が微動だにしないことに気付いた

精神が自由に境界を越えても、肉体はなお殻であり、時に足枷となる

病室の扉が開き、ピンク髪の女性がゆっくりと歩み入ってきた

……よかった、皆ここに……

彼女は人間の固く閉ざされた瞼を見つめ、3秒後、確信に満ちた言葉を口にした

どうやら、「目覚めている」のは、あなただけのようですね

私の力を隠さねばなりません。だから「導き」の力の一部を分散させ……でも制御を失い、「箱庭の世界」が崩壊してしまった。だから私は、直接確かめるしかなかったのです

そのために、私は「宗皇」という立場を選びました。民の間に散らばった「導き」の力を回収しやすくするためです

けれど、あの力は予想以上に執拗で……まさかグレイレイヴン小隊を引きずり込んでしまうなんて。あなたと会うのは想定内でしたが、3人まで引き込まれるとは

……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい

……あなたと私は、すでに通じ合っているのに

そう言いながら、彼女は人間の閉じた瞳を優しくなでた

……

全ての「導き」の糸を回収したら、私は再び「導き」そのものに戻ります。その時、最善の方法は……私を殺すこと。けれど、あなたはその選択をきっと拒むでしょうね

ええ。あなたが抱く不満と好奇心を知っていたから、私はあなたに歯車を回させ、他の道を探るようにしました……けれど結局、私の計画より優れたものは見つかりませんでしたけれど

もしさっき、あなたが私とひとつになることを選ばなければ……あのシミュレーションの中で迷い、二度と戻れなかったでしょう

イシュマエルの眉が僅かに動いた……彼女は少しだけ眉根を寄せかけていた。きっと「手放す」という大胆な選択に、一瞬の恐れを抱いたのだ

30分前、グレイレイヴン小隊全員が昏睡に陥ったと知らされ、彼女はすぐに位置特定情報を追ってここへ駆けつけた

幸い入室してすぐに、人間が「眠り」の下でじっと自分を見つめていることに気付き、彼女は強引な手段を取らずに済んだ

だが、これ以上は放っておけない

もう出ましょう。お手伝いしますからあなたは先に戻ってください。私が「世界」を完全に制御して、グレイレイヴン小隊の3人も無事に連れ戻します

彼女は手を差し出した

さあ、私の掌に視線を集中してください

……あなたの心を読まないように必死に抑えているのに、あなたの感情があまりにも濃いので、噛みつかれてしまいそうです

あなたの言う通りです。「誠実さを語る時、誰も十分に誠実ではない」

でも今、私たちはひとつです。私の願いが手に取るようにわかるでしょう。わかっているはずです。あなたの無事が、私の心の平穏に直結していることを

「誠実さを語る時、誰も十分に誠実ではない」。隠そうとしても……あなたには見抜かれてしまう

今、私たちはひとつです。私の願いが手に取るようにわかるでしょう。わかっているはずです。あなたの無事が、私の心の平穏に直結していることを

彼女は小さく息を漏らした

……これは、私たちの関係にとって、必ずしもよいことばかりではありませんね

イシュマエルは笑いながら溜息をついたが、その心は軽く、喜びに満ちていた。ようやく彼女の眼差しを捉え、同じ景色をともに分かち合える相手を得たことに

彼女は思わず髪をかきあげ、身を屈めて、ベッドに横たわる人間に感謝の言葉を述べた

私の愛しいグレイレイヴン……あなたの想いを無下にしたくはないのですが、この件だけは……

その時、そっと彼女の髪をなでる手があった。閉じられていた瞳が、いつの間にか開いていた

……いつの間に……?

人間が掌を開くと、「宗皇」イシュマエルが持っていたサイコロが、静かに掌に横たわっていた

人間は微笑んだ。しかし、イシュマエルにはその表情が見えなかった。ただ、解き放たれたような軽やかな安堵を共有した

歯車が回転する混乱の感覚が再び押し寄せ、彼女でさえ抗えずに後ろに傾いた

ふ……ふふっ