黙示録が変化した瞬間、ページの間から眩しい光が溢れ出した
創造の歯車が回転し始め、一瞬にして天地が入れ替わり、星が移動した。目を開けると、目の前の光景は以前とまったく異なるものになっていた
荒涼とした大地は、今や春の息吹に満ち、枝葉が茂り、さまざまな動物たちが生き生きと暮らしている
あまりにも大きな変化に戸惑っていると、首の後ろにひんやりとした湿った感触がして、冷たい息が瞬く間に周囲に広がった――目から赤い光を放つ黒い蛇だった
蛇はチロチロと舌を出しながらこちらに絡みつき、ゆっくりと手首に巻きついて、欲深い眼差しで手の平にある魅惑の果実を見つめていた
果実を食べようと虎視眈々と狙っている
黒い蛇が口を開けて噛みつこうとした瞬間、突然現れた紫の霧がその体を締め上げ、蛇の動きを止めた
……一体どういうこと?
強力な圧に蛇は身を縮ませ、身動きできなくなった
すごいわね。何も見えてないのに的確に仕留めるなんて
戻っておいで
チェシアが黒い蛇に呼びかけると、窮地を救われた蛇は一目散に逃げていった
無意識に顔を上げると、ルナも何かを感じ取ったようにこちらを向いた。かつて生き生きと輝いていた瞳は光を失い、虚ろで、灰色の霧に覆われたようだった
あなたの仕業よね?
ルナから仄かに怒りのオーラが漂っていた
それとも、この蛇の仕業?
会話の合間に、チェシアの後ろに隠れていた蛇が恐る恐る頭を出し、ゆっくりとルナの腕に這い上がった
まるでルナに捕まえてほしいというように
ルナは黒い蛇を掴んで持ち上げ、容赦なく力を込めた
私のせいにしないでよ。これもリンゴが熟す過程に必要な最初の試練よ
ゲームなんだし、ちょっとくらい困難がないと面白くないでしょ
ただ――
ルナの詰問に、黒い蛇は困ったようにルナの手の平でもがいた
残酷なことをするわね。この子はあなたを心配してるだけなのに
エデンの創造主なんだから、ここにいる生き物は全てあなたたちの「民」なのよ。もっと優しくてあげて?
ルシフェルの話を思い出した。黙示録は果実の成熟のために啓示を与える。黙示録のページを開くと、新しい文字が浮かび上がった
<size=50>魂の重さをどう判断すべきか</size>
<size=50>羽根より軽く、鉄より重く</size>
<size=50>善人が集う地には、永遠の平和が訪れる</size>
<size=50>悪人が彷徨う地には、欲望が渦巻く</size>
<size=50>善悪の天秤を持つ創造主よ</size>
<size=50>今こそ、芽を出さんとする人世の姿を裁く時だ</size>
……それで終わり?
ルナが不満げに言った
お願い
ルナは頷いた。そして黙示録の内容を聞き終えたあと、眉をひそめた
あなたの話によると、最終的な判決権を持つのは悪魔である私
でも今――目が見えない状況で、私たちがそんなことをできると思う?
……協力しようとは言ったけど、ちょっと思い上がってない?
ルナだって、他に選択肢はないでしょ
それとも……私に助けを求める?
馬鹿を言わないで
……仕方ないわね。今後、あなたが同じ状況に陥った時は恩返しをするわ
話は終わった?じゃあ、ウォーミングアップは終わり。そろそろゲームを始めるわよ
別にいいんじゃない?
チェシアは笑いながら踊るように体をくねらせ、こちらの視線を集めて背後の光景へと導いた
文明が誕生する以前、全てが自然と野生に還る楽園――
エデンへようこそ
エデンの外には善と悪が入り乱れてるの。でも、全ての魂がエデンに入れる資格を持ってるわけじゃない
誰もが知っているように、善人は天国で至福を享受し、そして悪人は――
地獄へ堕ちるの。彼らはそこで罰を受け、罪を償い、死よりも苦しい生を味わう
少女は明るく笑いながら言葉を紡いでいく。まるで他愛のないおしゃべりのように無邪気に、そして残酷に
彼らをエデンに入れるかどうか、判断するのはあなたたちよ
判断の基準は?
そんなものはないわ。あなたたちふたりの意思が、この世界の善悪を裁く天秤よ
善と悪、是と非……全ての決定権はあなたたちにある。あなたたちを縛るルールもないし、管理者もいない。天国か地獄か、全てがあなたたちの一存で決まる
好きなようにすればいいんじゃない?あなたたちが望む世界を自由に創れるのよ
他に条件はないの?
あなたが単なる「親切」で私たちを助けるとは思えないわ
ちょっとひどくない?そんな風に疑われると傷つくわ
少女は笑いながら返事をした
……偽善的ね
言葉だけじゃ心に響かないようね。じゃあ、最初の審判を始めましょうか
私は親切だから、今回は「チュートリアル」ってことにしてあげる
チェシアは指を曲げて、黒い蛇に戻るように合図した。蛇はおとなしく従い、素早くチェシアの腕に戻った
蛇が静止した瞬間、チェシアは突然蛇を鷲掴みにし、高く掲げた
じゃあ……この子から始めましょうか
知っての通り、この子はお利口で従順で、性格もまぁまぁ穏やか。さっきもあなたの目が見えないことを知って、心配していたわ
彼女はルナの方を見た。そして揶揄うように、誘導するように言葉を続けた
でも、この子は純血のブラックマンバ――あの「死神」と呼ばれる猛毒を持つ蛇よ
この子の母親も兄弟も、誰かの命を奪ったことがある。この子が生まれた卵の下には、もしかしたら無数の骨が積み上がっていたかも
まだ幼いから、今のところはないわ。でも大きくなれば、他の子と同じような冷血な死神になるかも
沈黙を続けているルナを見て、チェシアは彼女の心を揺さぶろうと新たな情報を出した
もっと重要なのは、悪と判決した魂はあなたたちが好きにしていいということ。その魂を呑み込めば、あなたたちの力は倍増し、その魂は消滅する
ブラックマンバの魂なんて、なかなか出会えない貴重な養分よ。この聖なる贈り物を断るのはもったいないんじゃない?
……だとしたら、これがあなたの言う「審判」なの?それとも一方的な略奪になるのかしら?
ルナは答えを出す代わりに、チェシアに質問した
そんなのどうでもいいでしょう。ルナってば、いつの間に「慈悲」の心を持ったの?
目を覚まして、ルナ。強さと欲望の追求こそ、悪魔の至高の生き方よ
これはただの始まりにすぎないわ。これからあなたたちは、更に複雑な状況に直面する。さあ、選択して
黒い蛇は己の生死がルナの一存によって決まることを理解したようだ。蛇は慈悲深いとはいえないエデンの主を見つめ、少しでも憐れみや同情の心を向けてくれることを願った
[player name]はどう思う?
へぇ?つまり?
なかなか口が達者ね
それで、あなたはどう思うの?悪魔のお嬢さん?
正義や道理なんかに興味はないわ
でも、[player name]が言ってることは正しいわ。私は無意味なことに労力を費やしたくない
何より、弱者の命を奪って自分が強くなるなんて卑怯よ
ルナは力を使い、チェシアの黒蛇への支配をやめさせた。窒息しそうな抑圧から逃れた蛇は、再びルナの隣に戻った
私の考えは[player name]と同じ。基準に当てはまらないなら、余計なことをする必要はないわ
悪を犯す人間がいるように、善をなす野獣もいる。どんな種族にも先天的に決まった属性なんてない
でも、本当に悪に値する行いをした魂には容赦しない
残念ね。絶好のチャンスを逃すなんて
その言葉をそのまま返すわ。あなたの目的は達成できなかったものね
別に、私はただ……そこまで急いでいないだけよ
まだ始まったばかりなんだから
権力と欲望こそ、人を堕落させる脆さよ。その時がきたら……
私は深淵であなたを待ってるわ
それじゃあ、あなたたちが「神の心」をどこまで成長させるのか、お楽しみといきましょうか
その後、エデンで過ごす日々が続いた。チェシアが言った通り、毎日エデンの入口で彷徨う魂が許可を求めてくる。自分とルナはその魂の生涯について知ったうえで裁きを下した
時間はそれほど長くなかったが、人間世界の百態、美醜善悪を目の当たりにした
そして、とある平和な午後
目の前の黒い蛇は言うことを聞かず、なおも興奮して自分に巻きつき、急かしていた
ハイドラ、おとなしくしなさい
興奮していた黒い蛇はすぐに項垂れ、自分の後ろに隠れて甘えてきた
以前の審判以降、この蛇はルナを命の恩人と認識し、ずっとついてきている。呼びやすいように、ルナは蛇にハイドラと名付けた
ふたりと1匹の蛇で、エデンの奥にある花園に向かった。数日前ハイドラが重傷の子鹿を発見し、ルール通りに審判を終えたあと、ルナは子鹿をエデンに迎え入れた
ハイドラは自らが救った小さな命を気にかけ、ほぼ毎日エデンの花園に来て、世話をしていた
このことに気付いてから、自分もハイドラと子鹿の世話をしに来ている。世話を兼ねて、ルナに一緒に散歩しようと誘うと、まさかのOKが出た
……やっぱり、ここは静かね
花々が咲き誇る花園で、子鹿とハイドラが戯れている。ルナも静かで平和な時間を楽しんでいるようだ
審判の最中は矛盾した議論が絶えず、騒がしさを伴わない判決はほとんどなかった。それに比べて、この子たちがいる花園は穏やかさで包まれている
相変わらず止まってるわ
恐らく……あの事件のせいね
彼女の脱走は突然すぎて、止める間もなかった
審判が中断されたせいで「神の心」の成長が止まったのね
ルナが言っているのは、今までで唯一判決が確定しなかった審判のことだ
審判の対象は、すでに顔も形もわからなくなった少女だった。彼女の体は強い炎に焼かれ、叫びすぎて喉が潰れていた
そんな痛ましい姿の少女が、村人を皆殺しにしたと糾弾されていた。彼女に虐殺された魂たちは裁きの場に集い、エデンの主にこの邪悪な魂を早く呑み込めと口々に叫んだ
少女の殺戮行為は事実だった。しかし、彼女の行動の原因は村人たちによるものだった。彼らは儀式と私利私欲のために、彼女に魔女の濡れ衣を着せて火炙りにしたのだ
かろうじて一命を取り留めた少女は地獄と取引をして力を得て、その力で彼らに復讐し、本物の魔女となった
その後、少女は他の村へ赴き、かつての自分と同じように濡れ衣を着せられ「生贄」にされた人々を救い出し、儀式に賛同した者を皆殺しにした
彼女は善行を施しながら、罪を重ねていた
しかし、この審判に関わる双方とも、単純な是非で判決を下すことはできなかった
彼女は今も姿を現さないのね?
名前を呼ばれたハイドラは興奮気味に近付いてきて、頭を上げて褒められるのを待っていた
ふふ……あなたたち、なかなかいいコンビね
連れてきてもらったのは、いつのこと?
彼女は何か言ってた?
ルナはしばらく黙り込んだ
このままでは彼女の魂は重さに耐えられず、最後には消滅してしまうわ
でも……私たちが彼女に干渉する権利はない
自分を見失った魂には「審判」が必要だ。自由なエデンに憧れながらも、自分にその資格があるか確信が持てない。だから審判を受け、その門をくぐるのだ
しかし、少女にはそんな憧れはない。両手が血に染まっていることを認め、本物の魔女であることを認めた瞬間から、彼女はすでに地獄に堕ちているのだ
自ら裁きを下した人に審判は必要ない
彼女がすでに地獄を選んだのなら、その意志を尊重するしかないわ
少なくとも、彼女は後悔なんてしていないはず
この「審判」に判決はいらない。これで終わりよ
少女は自分の全てを受け入れた。過去の穢れも、未来への未練も
強い意志を持った魂を、天国にも地獄にも無理に引き入れることはできない。彼女はすでに自分の結末と帰る場所を選んでいるのだから
この件で、ルナは何かを思い出しそうになった。しかし、ちらつく記憶から感じ取れたのは、ぼんやりとしたものだけで言葉にはならなかった
ルナの言葉に呼応するかのように「神の心」が再び成長し始めた
悪くないわね
雰囲気が和らいだことを感じ取ったのか、ハイドラと子鹿がルナに寄り添って甘えている。ルナも拒むことなく、子鹿の頭を優しくなでた
視覚を失ってから、ルナの他の感覚は研ぎ澄まされていた
陽光の中で、子鹿の柔らかな毛並みが指の間を通る。それは新芽と草花の香りと「あの人」の匂いと混ざり合い、彼女の心に刻まれる思い出を作り上げていった
私は、エデンのここ以外の場所での時間が好きじゃない。審判の最中のあの騒々しい声、たくさんの腹黒い魂……
彼女は突然口を開いた
ここにいる時だけは、誰にも邪魔されない
あなたと一緒にここで過ごす時間は、私に安らぎを与えてくれる
……そうね
ふたりの距離が少しずつ変化している
その後の時間は審判の進行とともに流れ、着実に完成すべき目標に近付いていった。そして、ようやくエデンでの最後の審判が終わりを迎えようとしていた
油断は禁物よ
ここはまだひとつ目の世界であることを忘れないで。有頂天な様子を見ると、あなたと協力することに疑問を感じてしまうわ
ふふ
ルナは小さな笑い声とともに悪魔の力を発動した。すると、手の平のリンゴが一瞬で黄金色に変わった
ルシフェルが言っていた。リンゴが黄金色になるのは、神の心が成熟した証だと。しかし……
ただの幻術よ
ルナは冷たく言い放った
ルナは立ち上がり、壊れた鏡の前に歩み寄った。一方の手を鏡の上に置き、もう一方の手でその黄金の果実を差し出した
じゃあ……あなたの言う通り、想像を膨らませてみましょうか
これはただの「果実」じゃない。チェシアが言っていたように、成長するにつれて全世界の強大な力を宿すようになるの
だからこそ、人々はこれを手に入れるために血みどろの争いを繰り広げ、血で海を染めてきた
彼らが力を崇拝するのは得たいものがあるから。渇望しているから。それは商人にとっては富であり、農民にとっては豊穣である……
あなたは?あなたの中の「それ」は何?
むき出しの欲望、強大な力――「これ」がなんでも与えてくれるわ
その時、あなたは逃げる?それとも「これ」を受け入れる?
ルナが言葉を発したと同時に、鏡の中の人影が揺らぎ、一瞬で別の姿に変化した――
それは、自信に満ちた笑顔を浮かべたチェシアだった
あなたにはわかるの?どっちが真実か
猛毒を持つ果実も、人の心を惑わす赤色をしているわ
「毒」というのは命を奪うけど、中毒性もあるでしょ?
彼女たちはともにリンゴを持ち上げ、視線を同じ方向に向けた
[player name]――その時、あなたは何を選ぶの?
花園の奥深くに射し込む陽光がルナの体に降り注ぎ、ちょうど鏡面の境界線に留まった
明と暗、内と外――境界がはっきりとしている
ルナはその答えを知りたがっていた
「その人」は未来でどのような選択をするのか、「その人」とどのような関係を築くのか――
今の彼女は、答えを切望している
顔を上げ、目の前の少女と視線を交わした時、神の心に変化が起きた。その瞬間、ルナの瞳の曇りが引き始めた
瞳に澄んだ輝きが戻り、彼女は「その人」の姿がおぼろげに見えるようになった
もし「果実」があなたが望まないものだったら、どうするの?
猛毒を含んだ果実だとしても?
鏡の中の少女は興味を失ったのか、いつの間にか立ち去っていた
短い沈黙があった。言葉にならない感情がふたりの間を流れ、風に乗って吹き抜けていった
手の平のリンゴは徐々に緑色に変わり始めた。これが、エデンで得られた成果なのだろう
緑色……まだ熟していないということね
彼女は突然口を開いた
これは一種の暗示なのかもしれないわ。もし私の目が治らなかったり、別の問題が現れたりしたら……
私は熟していない果実ということ。不完全で、永遠に真の強さを手に入れることはできない
私が思い出せない過去も、もしかしたらそもそも完璧ではなかったのかも
それは……約束?
未来なんて……まだ遠い先のこと
まずは目の前の道をどう進むべきか、それを考えるべきね
彼女と自分の関係は、これからも続いていく。彼女は、最後の答えが出るその時を辛抱強く待つ覚悟はできている
「神の心」は時間をかけて変化し、今ようやく終わろうとしている。ついに緑色がリンゴ全体を覆うまでになった
ようやく……
――うっ!?
リンゴ全体が緑色になった瞬間、ルナの体に異変が起きた。何千もの重しに体を圧迫され、押し潰されて息ができないようだった
言葉にできないさまざまな痛みが彼女の体を刺す。いくつもの拷問を同時に受けているような激痛に耐えきれず、意識が朦朧としたルナはこちらの胸に倒れ込んだ
あら、なかなかやるじゃない。ねぇ、教皇サマ?
……あなたが真面目にしていれば、この茶番劇はもっと早く終わっていたのに
チェシア……!
ルナは激痛に耐えながらも、喉を引き裂くような怒号を上げた
そんなに怒らないで。今のあなたは囁くだけでも辛いはずよ
ただ神の意思に従ったまでです
これは私たちとは何の関係もないわよ。審判者なら、全てが終わったあとで審判を受けた全ての魂の代償を背負うのは当然のことでしょ?
汚れた手で善悪の天秤を掲げるなんて……代償があるに決まってるじゃない
だから言ったでしょ?深淵であなたを待ってるって
ルナが最後に聞いたのは、チェシアの言葉と「あの人」の呼び声だった。彼女は気を失ってしまった
混乱の中、黙示録は草の上に落ち、吹き荒れる風がページをめくった
微かに輝く光の中、裏のページに1節の言葉が静かに浮かび上がった
<size=50><i>「我が心は荒野の鳥、あなたの瞳の中にその空を見つけた」</i></size>