ビアンカに厳しく忠告された通り、彼女の側を離れず、彼女が育った教会の中へ慎重に足を踏み入れた
もう調べてあります。教会内に活動信号はなく、侵蝕度も低いようです。ただ……
彼女はうつむき、強烈な不安を覚えて遡源装置を掲げた
おぼろげな幻影が遡源装置に照らされ、ルイナンと3人の姿を浮かび上がらせた。一同は廊下の後ろの大きな扉に手を置いていた
アデリン姉さん……と私がもうひとり……?
預言者様、ここは啓示の御子様が奇跡を起こされる場所です。ついてきてください
祭壇の側に戻れば神の庇護が受けられる……私たちやっと安心できるのですね……
フンッ、祭壇ね……宗教って本当によくできたペテンよね。数体の像と物語があれば、人を騙し、死に追い込めるんだから
簡単に騙されるから、あんたらはどこまでも無価値な犠牲者でしかないのよ。そして廃物利用されるだけの実験材料に……
何か仰いましたか?
何でもない。行こう、あんたたちの言う啓示やら奇跡、庇護とやらが一体どんなものか見てやるわよ
重い扉を押し開くと、そこにあったのは来訪者の想像とは違う教会だった
……これが……祭壇?
かつて祈りを捧げていた教会の長椅子には、たくさんの植木鉢が積み上げられていた。埃まみれの窓越しの朝日に照らされた緑の葉が不思議な生命力を放っている
小さな聖像を安置していた場所には棚が置かれ、床には土がいっぱいに詰まったカゴや木箱が並んでいた
そこには花や野菜、穀物などが育っており、5、6人がここで生活するには事足りるほどだ
唯一彼女に見覚えがあったものは、正堂の崩れ落ちた聖像と、教会内の古びた暖房システムだけだった
ええ、ここは神に祝福された場所ですから、植物が元気に育つんです。安心してください、ここは安全です
…………
聖女様、緊張してるみたい……
ビアンカを見ると、幻影を調べつつ、侵蝕体が潜んでいないかと、周囲をしきりに警戒していた
まるで一瞬でも目を離せば、悪夢が実現するとでもいうように
し、指揮官殿!?
彼女は少し考え込んで、ようやく武器を下ろしたが、緊張が完全には解けていない複雑な表情を見せていた
はい、まずは調べましょう
剣杖で遡源装置に軽く触れると、幻影が光の中で動き始めた
何よこれ、ただの温室でしょ?何の祭壇よ?赤潮のことを祭壇だっていうのはまだいいとしても、冗談はやめて!?
な……何を仰るのです?神の庇護がなければ、雪原で植物が育つはずないでしょう?
あんたたちの神って暖房システムのことだったの?
ここへ来た時、暖房システムは停止していて、動力炉も故障、エネルギー源もありませんでした
有難くも啓示の御子様に導かれて私たちはエネルギー源を探し回り、暖房システムを修理してこの環境を作り出せたのですよ
導かれた?神がいないってことに気付かないの?全部あんたたちが自分でやったんでしょうに?
神を侮辱するのはおやめください。神の庇護がなければ、無力な私たちがどうやってこんなに植物を育てられましょう?
……ハッ!なるほどね、あんたたちは自分を信じたことがないのね。啓示の御子様とやらを探しに行かないの?まだグレースってやつが生きてるんでしょ?
啓示の御子様が導ける信者の数には限りがあります。グレース様は最も神の寵愛を受けておられたが、これ以上の人数は……
ああ、グレースがオブリビオンに身を寄せたあとは人が溢れて大変だったようよ
空中庭園もあんたらが他の難民拠点へ行けるよう手配したはずよ?そこじゃダメだったの?何でそこまでして祭壇に戻るのよ
受け入れてくれる拠点がなくて……
この子も私も、殺されるところだったんです
はい……神の啓示を受ける前、私は暴徒とみなされる一員でした。生きるためなら何だってやったし、彼らもそうでした
自主的に結成された拠点は保全エリアと違い、混乱が絶えません。武力だけが身を護る術なんです
大人でも過酷な環境なのに、両親に捨てられたユエにとってはなおのこと……
……啓示の御子様が助けてくれました
ええ。赤潮の天啓に加わったあと、啓示の御子様と赤潮が死は終着点ではないと証明してくれました。私たちにはもう恐れるものも、争いもありません
雪原の現世と赤潮の前世、私たちがどちらを選ぼうとも、神の啓示で導いてくださると、御子様はいつも仰せでした。そして私たちは雪原で暮らすようになったのです
ですから、ご覧ください……この祭壇を。これこそ神の啓示の証明です
ふーん。啓示の御子様が暖房システムの直し方や野菜の育て方を教えたってことね。だからここに残ったって?他のやつらは?
彼らは赤潮の前世へ向かった
あんたたちだけが生き残ったんだ……啓示の御子様ってのは?そいつも死んだの?
いや、あんたたちの言い方をするなら「赤潮の前世」に向かった、ってことになるか
いいえ、啓示の御子様は私たちを守るために重傷を負い、瀕死となってもなお、赤潮へは戻られませんでした
じゃあどこへ行ったのよ?
ガイはしばらく黙り込み、教会の奥にある暖房システムの炉を指さした
啓示の御子様は……現世で十分に苦しんだ、赤潮で苦しみを引き伸ばしたくないとお告げになると、飛び込まれました
…………
彼がなぜそう考え、そんな選択をしたのか、そして私たちはこれからどうすればいいのかわかりません……ただここを守り、別の御子様の情報を訊ねることしかできないのです
その後、ある人が神の試練を乗り越えれば、彼にもう一度会えると言ったのです
その人とともにここを去る前、野菜を取ってもいいという条件で、私たちは拠点の友人に祭壇を託しました
その人たちはいろいろ試したあと、私たちは試練に合格できないって……
ハン……それであんたたちクズどもは私のところへ来たってこと
私たちを侮辱しないでいただきたい。預言者であろうと私たちと同じ、あなたも試練に合格できなかったのでしょう
合格できなかった?
ええ。「預言者は神の啓示は予知できるが、君たちと同じように試練を乗り越えられなかった者だ」と聞かされていました
預言者様はそのことを受け入れられなかったみたい。私たちと口論に……
あんたたちみたいなバカと一緒にするな!!
ガイおじいちゃんと長い間言い合って、ようやく説得できたと思ったら、突然泣き出したんです……
ビアンカは俯いて、ルイナンの認識票をなでた
あいつにもう一度会いたいだけなのに……こんなところまで来てしまった……
私たちもだよ、私たちも啓示の御子様にもう一度会いたいだけなの
…………
軽蔑していた信者たちをルイナンはしばらく眺めていたが、彼らの動機や境遇が自分と似ていることに気がついた
彼女は自分を嘲るようにしばらく笑い続けた。笑い声に泣き声が混じり出した頃、ようやくその声はやんだ
そうね……私たちは根本的に同じ。自分を信じられず、他人の力に頼るばかり。自分の過ちがどれほど大きいのかさえ……わかっていなかった……
ちょっとした過ちだと思ってた。でもその思い込みと過ちのズレが積み重なって、いつの間にか身動きが取れなくなって
彼女は顔を上げて、目の前の聖像に問いかけた
ビアンカ隊長、あなたは信者を見捨てたくないと言ってましたよね。なら、私は?私のことも見捨てたくなかった?
彼女はその問いに自分で答える
いや、私は一線を越えた……あなたが許せる限界を越えてしまったか
私に他人を嘲笑う資格なんて……
まだ希望はあります、預言者様。ともに協力して、神の啓示を探しましょう
ルイナンが振り返って何かを言おうとした時、ポケットの端末が突然振動した
状況が変わった。ビアンカはグレイレイヴンに援助を要請し、我々が送り込んだ者もやられた。お前の失くした端末が「大活躍」したようだ
何ですって?
自分のミスは自分で責任を取れ
ビアンカを教会に誘導する。信者どもにビアンカを探しに行かせろ。そいつらの体に仕掛けた電磁パルスリングのカウントダウンはもう始まっている
彼らもろともビアンカを始末するつもりなの??
惜しむ価値もないゴミを廃物利用するだけだ。この任務が完了すれば、お前を昇格者に会わせてやる
前も、その前も、その前の前も!あんたはそう言った!!私を騙し、あいつらを騙した
落ち着け、俺はただの連絡役だ、言われた通りに動いただけだ。俺に感情的になっても何も変わらない
ハハ……それもそうね、あんたは言われた通りに動いてる。私も、彼らもね。皆同じよ、最後は見捨てられる
チッ、俺はお前ほど無能じゃない
そうだね、今日の今日まで、私もそう思ってた
彼女は通信を切って端末を投げ捨てると、私を呼んで、私の体の「試練のリング」を解除するって言ったの
その時初めて、そのリングが何か知った……だけど、彼女がそれを取り外した時、頭の上で「ボンッ」っていう音が……
全身が痛むのかとても辛そうで……それでも私たちに言ったの
間に合わない……あんたたち、早く逃げて……純白の聖女がここに向かってる……早く彼女を探して……
私みたいな偽物の預言者じゃない、彼女ならきっと助けてくれるから……
早く逃げて……!私が侵蝕体になる前に……!少しでも遠くへ!!逃げて!!
それから、あなたを見つけました……ガイは懸命に走りましたが……
アデリン姉さん……ガイおじいちゃんは戻ってくる?
アデリンはユエを抱きしめ首を横に振った
聖女様、私たちはこれからどうすれば……?
…………
もし難民拠点へ行きたくないと言うのなら、オブリビオンのグレースのところへ身を寄せる他ありません
あの啓示の御子様はこれ以上は人を受け入れられないのでは……
その件は議会に委ねましょう。具体的な案が出るまで、皆さんは証人として空中庭園直属の保全エリアまで同行願えますか?
危なくはない?
感謝します、指揮官殿。私も迅速に調査を進め、粛清部隊を正常な状態に回復させますので
お願いいたします
ビアンカは感謝の笑みを浮かべたが、すぐにうつむき、手の中の認識票を強く握りしめた。そして沈痛な面持ちで崩れた聖像へと歩いていった
聖女様、悲しんでるの?
彼女は周りの植物をぼんやりと眺めた
調べ終わりました。ここは安全です。あの雪に覆われた教会とは違っていた……よかった……あなたが怪我をしなくて……
…………
粛清部隊の罪の処理方法に疑問を持ったことはありませんでしたが、本当は罪を犯す前に「処理」できればよかったと、ずっと思っていました
彼らがかつて言ったように、私たちは必要な人全てに「相応の手助け」はできません
いつも、とても理性的なんですね。指揮官として優秀な素質をお持ちです。その素質を持つ者はおそらく、ひと握りでしょう
感情を捨て、理性的であれと人に強要するのは、現実的ではなく残酷なことです。刑罰で脅し続ければ、追い詰められた人は危険な選択を強いられるでしょう
私が模索しているのは、罪人をいかに処罰するかではなく、いかに悲劇を繰り返さないかです。ルイナンはすでに代償を払いました
その言葉を聞くと彼女は振り返り、真剣な顔で指揮官を見つめた
仰る通り……私も感情に囚われ、理性的な判断ができない時があります。あなたがいてくださるから、私は迷わないでいられるのです
お話した夢のこと、覚えていますか?
ビアンカは花を折らないようにそっと聖像の前まで歩くと、その場に座り込んだ
夢の終わりは、この場所……
あなたはひとりでこの教会へやって来ました。雪に埋もれて動かない侵蝕体に気付かず……彷徨う私を見つめていました
夢の一部始終は全てがおぼろげです。ただひとつ、あなたの表情だけが……どうしても忘れられなかった
記憶の中の未来へと続く光景が、今この瞬間と重なり、止まっていた時計の針が動き始める
そして、私はあなたを傷つけた……グレイレイヴンのメンバーがここに駆けつけた時……
彼女は目を閉じ、それ以上言おうとはしなかった
……ここで修道女となった時、神父が言いました。「心の弱さを理解しなさい。悪魔も神も常にいるのだから」と
正義も過ちも、法でどう規定されようが、人は感情の支配からは逃れられない。それゆえに愛や憎悪、争いと庇護が生まれるのです
いつの日か教会が雪に覆い尽くされた時に、私は再び裏切られ、ここで永遠に眠る運命なのかもしれません
小さなピンクのバラの花束をビアンカに手渡した
指揮官殿……
未来は……変えられる……
…………
そうですね……この教会も変わっています
彼女はホッと息をつくと、晴れやかな笑顔を見せた
指揮官殿、そのバラを私の髪飾りにつけていただけませんか?忘れたくないのです、今日のこと、あなたの言葉、雪原でも花を咲かせられることを
ありがとうございます……似合っていますか?
この塗装も「雪原」の夢へ向かうためのものではなくなりました。世界政府芸術教会の方が言ったように、より花嫁衣装らしくなりましたね
雪原でこれほど多くの植物が育つなんて思ってもいませんでした。それに「雪原」がテーマの塗装に花を飾りたいと思ったこともありませんでした
あなたが来てくださる前は死を覚悟していましたが……夢の結末を変えられました
ビアンカは微笑んでうなずき、生い茂る植物を見渡した
ええ……たとえ幻の信念だったとしても、自分を信じ、彼らはやり遂げたのですから
ビアンカは小さく溜め息をついた
最も強い繋がりは、鎖や残酷な罰ではなく、暖かい家です。昇格者たちはそれを理解した上で、偽りの手を差し伸べ、離反者を誘い出しています
私たちは彼らの心の弱さを責めるべきではない。あなたが仰るように、裏切りや別れに慣れている人などいないのですから……
その別れや苦しみがどれほどのものであれ、全てが心に刻まれた傷跡となり、決別への序章となってしまう
暖かい家だけが、人を繋ぎ止められる。私たちは誰かに心を打ち明け、励まし合い、互いに傷を癒やしていくべきです
そのために、私は変えようと思います
ええ、他にも変えたい部分は多々ありますが、詳細な計画は議会に提出して審査を受けなければ
先ほど遡源装置に現れた記憶の中で、他の離反者の声紋を捕捉しています。「クティーラ」は昇格者の下にいる可能性が高いでしょう
いまさら驚きはしませんが、ウィンター計画と昇格者はいまだ繋がっているようですね
尻尾を掴む度に、彼らは徹底的な調査すらすり抜けていきます。時にスケープゴートが「功を成す」ことも
ええ、思い上がり、狡猾に振る舞う者は許しません。絶対に彼らに一線を越えさせません
……この点については、あなたもです
皆から見れば、グレイレイヴンは英雄です。特権もたくさんありますから、多少規則を破ってもすぐには処罰対象にならないでしょう
だからといって、昇格者とむやみに接触して、事件に巻き込まれたりしないでくださいね
もちろん信じています。おそらく……あなたに矢を向けることが想像できないからこそ、くどくどと言いたくなるのかも
……?
今何と……?尋問室で詳しくお聞かせいただけますか
……冗談、ですか?
彼女はホッとしたようだ
指揮官殿、そんなことでふざけるのはおやめくださいますように
ええ……信じています
口うるさく言いたくなることもご理解ください。粛清部隊の隊長である以上、いつかその時は来ます……
ええ。だからこそ、今を大切にしなくては
ビアンカは目を伏せ、穏やかに微笑んだ
その時、手にした端末から通知音が鳴った。ルシアが教会の近くまで来ているようだ
はい
彼女はそっと指揮官の手を取り、聖像の前から立ち上がった
教会を後にしようとした時、ビアンカは振り返り、時を止めた時計の下に立つ神父と幼き自分を思い出していた
百合がどこで咲きたいなんて答えるはずありません。慰めの嘘はやめてください
あの時、涙が落ちた場所は今はもう廃墟となっていたが、そこには雪のように白い花が咲いていた
かつて神に祈りを捧げた少女は成長し、沈黙を貫く神に代わり、終末に抗う人々と同じように武器を手にして、この世界を歩んでいる
彼女<//私たち>は知っている。神などいないことを
彼女<//私たち>はそれでもなお、祈り続けるのだ