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All of the stories in Punishing: Gray Raven, for your reading pleasure. Will contain all the stories that can be found in the archive in-game, together with all affection stories.
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片時の温もり

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朦朧とした意識から目を覚ますと、真っ白な砂浜の上に寝かされていた

……指揮官!

ゆっくり頭を上げると、ルシアが緊張した面持ちでこちらを見ている

胸に残る痛みからすると、どうやら先ほどまで応急処置を受けていたようだ

これまで医療的な作業はリーフが一任してきたが、ルシアもそういった作業ができるとは知らなかった

構造体として集中訓練を受けているのだ、ルシアも応急処置ができるのは当然といえば当然だった

ここにいます

指揮官、大丈夫ですか?

溺れたので、肺が炎症するリスクがあります。ここではこれ以上の検査ができません。リーフがここにいれば……

周囲を見渡すと、砂浜のあちこちに娯楽施設の廃墟が見える

この島は晨星スタジオリゾートにそっくりですが、位置情報では晨星スタジオリゾートから180km離れた場所のようです

私の推測では、ここはかつて晨星スタジオリゾートの一部だったのだと思われます。独立したリゾート施設ではあるようですが、同様の機能を持つようですね

本当の意味の「無人」ではないかもしれません。パニシング濃度からして、活動している機械体や救援物資がある可能性は非常に高いです。誰か人がいるのかも

リーフとリーを呼び出してみたんですが……応答がありませんでした

ここの信号はとても弱くて、私たちの端末も激流でダメージを受けています

ここから離れる移動手段を見つけて、ひとまず合流を優先すべきだと思います

いいえ、私にお任せください

この先に、パニシングの濃度が低くて安全な開けた場所があります。指揮官はそちらで待っていてください

まだ意識が回復したばかりなんですから、もう少し休んでください

どうか安心して、任せてください

それでは後ほど

柔らかな砂浜を離れ、波の音を聞きながら、ひとりで島の中心部へと向かった

まず目に飛び込んできたのは荒れ果てた広場だった。廃業した娯楽施設が霧の中で来場者を待っている。道路の両側には機械の残骸と倒壊した建物の瓦礫が積み上げられていた

広場の中をしばらく巡回していると、ルシアが大きな袋に部品を集めて戻ってきた

……手には生きた魚を2匹持っている

申し訳ありません、指揮官。使えそうな船は見つけられませんでした

でも、船を作るための材料はたくさんありました。エンジンを組み立てるパーツの一部を持ってきました

ルシアは跳ねて抗う魚を無視して、頭を上げ波の音が聞こえる方を眺めている

組み立てには精通していませんが、少し時間をかければ船を作れると思います

ルシアに向かって頷いた。彼女への信頼を示しながら、同時に別の問題に気づいた

それです。船を組み立てる上での一番のリスクはまさにそれなんです

彼女の表情が暗くなり、2匹の魚を持つ手に力が入った

ここには専門的な図面や工具がありません。作った船で海を渡ることができても、その後の攻撃に耐えられるかどうか……

了解しました

この辺りのパニシング濃度は比較的低いですね。まだ侵蝕されていないロボットが建物のメンテナンスをしているのを見かけました

しかし、その他のエリアには侵蝕度が高い場所が残っているかもしれません

ルシアの言葉とともに、ある小隊のロボットが掃除道具を持って通過していった

どうしました?

このエリアを捜索して、物資はほとんどなかったんですが、生活するための設備はまだ残っているのに気づきました

今日はもう遅いので、指揮官もお休みになって、栄養を補給しなければ

だから海から魚を獲ってきました。調理したら食べられますから

はい

指揮官は休んでいてください。これから厳しい旅になりますから

ルシアは広場を見渡しながら、徐々に抵抗をやめていく魚を握って、近くの石レンガの小道を指差した

あそこに荒廃した公園があります。私が探索した区域の中で、一番パニシングの濃度が低かった場所です

あそこを通って、公園の裏手にある図書館に行きましょう

図書館の1階に、レストランの廃墟があります。そこの設備を借りて夕食を作りましょう

ルシアと肩を並べて図書館のホールまで歩き、周りを見渡した。そこはまだ整頓されているものの、あちこちに破損の跡が残っている――この島に何が起きたのだろう?

完全に廃棄される前は、頻繁に戦闘が起きていたんだと思います

部品を探している途中、至るところにこんな痕跡がありました

他にも……明らかに人間が残した、落書きや文字を彫った跡などがありました

それはつまり、誰かがここにしばらく滞在していて、何らかの印を残す時間があったということでしょうか?

でも人の姿は見かけませんでした

可能性はあります。後でもう一度、範囲を広げて捜索してみます。ここにいる人間とコミュニケーションが取れれば、ここから脱出するための情報も得られます

でも、今はまず指揮官の栄養補充が先です

ルシアはそのまま廃棄されたレストランの奥のキッチンに入り、簡単にカウンターを掃除してから、もはや虫の息の魚を置いた

ここの設備はまだ使えそうですね。調味料も残っています。侵蝕されていないロボットたちがメンテナンスしているのでしょう

そうですね

停止命令を受けるまで、彼らは予定通りの作業を繰り返しますから

ルシアは頭を下げて、黙って調理道具を探し始めた

ルシアの料理の腕前は知っているが、実際に料理をしているところを見たことはなかった

好奇心と生存欲求が同時によぎった。なぜあのような結果になるのかを知る絶好のチャンスだといえる

では、行きますよ

魚との戦闘を始めます

指揮官、少し後ろに下がって、安全な距離を保ってください

その質問を口にした瞬間、ルシアがすらりと武器を取り出した

何か?

はい。武器として、刀を使い慣れていますから

それは料理の常識とは大きく異なるが、彼女がどのように刀で魚を捌くのか、非常に興味がある

ルシアはこちらが黙認したのを見て、一歩後ろに下がり、攻撃の姿勢をとった

次の瞬間、彼女は1匹の魚を宙に投げ、稲妻のような勢いで刀を振り回した。魚の鱗が水滴のように飛び散り、周りに舞っている

その魚は、ルシアの刀の動きに合わせて、宙を上下に舞った。鱗を取るために数十回も刀で削がれながら、なんと1回もカウンターに触れることなく、宙を舞い続けた

黄金時代の料理人でも、こんな華麗な捌き方をしたら、有名シェフのトップ10に入るだろう

鱗がもう残り少なくなったのを見て、ルシアは刃を上向きにし、素早く魚の腹を開いた。そして手首を少しひねり、内臓を取り出した

魚がまな板の上に乗った時には、振られた刀によって、魚の頭が天井へと飛ばされていた。そして短いカーブを描いてこちらへ飛来し、危うく頭の上に落ちそうになった

……だから、安全な距離を取る必要があったのか

気がつくと、周囲のテーブルは彼女の刀によって激しく破壊されていた。残されているのは、魚が置かれた一角だけだ

そういえば前に、キッチンの賠償請求書を受け取ったことがあった。あれがどのような経緯で発生したのか、今ようやく理解することができた

包丁ですか?長い刀に慣れているのですが、たまには短刀を使うのも訓練になりますね

ルシアは頷いて、包丁型の短刀を取り出し、一歩後ろに下がって、攻撃の姿勢をとった

次の瞬間、彼女は1匹の魚を宙に投げ、稲妻のような勢いで包丁を振り回した。魚の鱗が水滴のように飛び散り、周りに舞った

その魚は、ルシアの刀の動きに合わせて、宙を上下に舞った。鱗を取るために数十回も包丁で削がれたが、なんと1回もカウンターに触れることなく、ずっと宙を舞っていた

黄金時代の料理人でも、こんな包丁使いを見せたら、有名シェフのトップ10に入るだろう

鱗がもう残り少なくなったのを見て、ルシアは刃を上向きにし、素早く魚の腹を開いた。そして手首を少しひねり、内臓を取り出した

魚がまな板に落ちた瞬間、魚の頭はすでに振られた包丁によって壁に打ちつけられ、真っ赤な跡を残していた

……だから、安全な距離を取る必要があったのか

気がつくと、カウンターは彼女の包丁捌きによって傷まみれになっていた。包丁が短かったためか、ダメージはさほど大きくないようだ

前に、キッチンの賠償請求書を受け取ったことがあったが、あれがどのような経緯で発生したのか、今ようやく理解することができた……刀で魚を切ることを阻止して正解だった

ルシアに声をかける前に、彼女はすでに同様の方法で2匹目の魚を処理し始めた

あとは濾過した水で魚を洗い、切り身にして調理すれば食べられますね

額に流れる冷や汗にルシアが気づいた。心配そうな眼差しでこちらを見ている

指揮官、具合でも悪いのですか?残念ながらここには薬がありませんから、なるべく早く魚のスープを完成させて、栄養を補充して差し上げますね

ルシアの動きをただ静かに見つめて、これまでの見聞や記憶をなかったことにしようと試みた

すぐに魚のスープを完成させますから、もう少し待っていてくださいね

ルシアは奥の方にあったまだ使える蛇口を捻って水を汲み、浄水器で水を濾過した

その間、彼女はカウンターから数10種類の中身がわからない調味料を探し出した

水を入れた鍋を簡易コンロの上に置いたあと、ルシアは捌いた魚を洗って、切り身にした

彼女が作業している間に水が沸騰した。ルシアは再び切った魚を確認して、沸騰した水の中に入れていく

やがて、彼女は順番にいくつもの調味料の容器を開け出した……

止めはせず、ただルシアがさまざまな味のものを……一切合切全て、鍋の中に入れるのを見ているだけだった

安全な距離を保っていても、漂う匂いから、それらの中には少なくともワイン、酢、コーヒーが含まれているのがわかる

待って、なぜコーヒーがあるの?

止めるには遅すぎた。驚きのあまりしばらく固まってしまう。しばらくして、ルシアは茶色いスープを目の前に持ってきた

美味ではありませんが、今はこれ以上の条件を満たせそうにはありませんので、どうぞ味見してみてください、指揮官

……断ろうとしたが、確かに今は他の選択肢がないと思われた

しかしスプーンを手に取っただけで、酢と酒と魚の臭みが混ざった強烈な匂いが鼻を突く。こっそりと唾を飲み込んで、指先を震わせながら、茶色の液体を口に入れた

……致命的な塩味だった

舌を麻痺させるような塩味、そして魚臭さが襲ってくる。それからコーヒーの苦味が続き、赤ワインと酢が死のソナタを奏でながら、花火のように次々と口の中で炸裂した

意識が一瞬、冷たい海に沈み、目を開けても果てしない暗闇と孤独しか見えないようだ。息苦しさの中、耳元に鐘のような祈りの音色が微かに聞こえてきた…………

今この瞬間にマッチを擦れば、きっと幻の灯りの中に、たくさんの料理が並んだ宴席が見えるに違いない

意味不明なイメージが脳裏をよぎったあとに、意識は暗闇に沈んでいった

ルシア

指揮官!?

指揮官!指揮官!!

朦朧とした意識から目を覚ますと、図書館の最上階に横たわっていた

……指揮官……

ルシアは心配そうな顔でこちらを見ていた

私の……あの料理のせいでしょうか?

すぐには答えなかったが、ルシアはそれを答えだと理解したようだ

構造体は食事の必要はありませんので、食べたことはありません

でもさっき……指揮官の気絶の原因を確かめたくて、ひと口食べてみたんです

酷い味でした

……でも、なぜそうなったのかがわかりません

……入れすぎ?

彼女はその言葉を理解できないようで、考え込んだ

大丈夫です、調味料を入れるくらいは

ルシアは少し間をおいて、そして頷いた

指揮官がそう仰るのなら……

はい

彼女が開けていたいくつかのボトル、瓶、そして袋を注意深く見た

塩、ウスターソース、ワイン、コーヒー、袋入りの有機化合物らしきもの、酢、きな粉、黒胡椒の粒等……ラベルが読めないものが3つあって、ベーキングパウダーも1袋あった

黄金時代には、さまざまな貯蔵法によって、食材と調味料の賞味期限が大幅に延長されていたはずだが、どこか危険な匂いがする

何度もチェックして、まだ使える調味料を厳選し、少量を魚のスープに入れた

これだけでいいんですか?

彼女はその言葉を受けて、真面目に考え込んだ。彼女にとっては解せないことのようだ

しばらく待つと、彼女が澄んだ魚のスープが入ったボウルを持って近づいてきた

味見をお願いします、指揮官

落ち着いてスプーンを手に取り、魚のスープをひと口、口にした…………

限られた条件の中で、決して美味とはいえないが、孤島で飢えた人間にとっては、温かくて栄養のある食べ物にはちがいない

構造体は食事をする必要がありません

……では……

彼女は一瞬ためらってから、スプーンでスープをすくって味見した

……悪くないですね

ルシアはひと息ついてスプーンをこちらに返してきた。そして、自分がスープを飲み干すのを静かに見守っている

どうぞ上に行ってお休みください

ルシアとともに図書館の最上階に行き、隅の方で休める場所を見つけた

休む前に、ふと、ルシアの調味料に関する考え方が気になった

どうかなさいましたか?

はい

調味料は食べ物を美味しくします

だから、たくさん入れれば、美味しさも増すかと思いました

申し訳ありません……これは普通のことではないのですか?指揮官

確かにおかしかったが、笑うよりもこういう時は、彼女がなぜそのような認識に至ったのかを訊くべきだろう

……私の料理に関する記憶は、子供の頃のものなんです

生きるためには、食べ物を選ぶなんてことはできませんでした

特に放浪を始めたばかりの頃は、まだ小さかったので、調味料の区別がつきませんでした

缶詰やビスケットが手に入ることは滅多になく、短刀もまともに使えなくて、獲れる食べ物はわずか……賞味期限切れや汚染された食材と植物しかなく、時には土だけのときも……

当時、調味料は非常に貴重なもので、少量の塩があれば、味気ない葉っぱも美味しく感じられました

今思い出すと……放浪している間、常に飢えていたので、調味料が多すぎるとまずくなるという経験をしたことがありません。記憶にあるのは蓄えが足りないという恐怖だけです

構造体になってから、空中庭園のキッチンにたくさんの調味料の備蓄があるのを見て、なんだか安心して……食材や調味料をたくさん使ってしまいました

それででしょうか、キッチンに近づくのを皆に止められるようになりました。それ以降は、私の料理が改善されることもなかったので

そもそも料理が苦手だったのが原因かもしれませんが、もう少し練習していれば、もう少しは……

ルシアは頭を垂れた。図書館の静けさが更に深くなったようだ

彼女が料理がとんとできないことは知っていたが、まさかそんな理由があったとは思わなかった……

はい、ここにいます

し、指揮官!?

やや緊張気味のルシアを抱きしめて、その長い髪を優しくなで、ルシアの背中を同じように優しくさすった

……でも地球上の人々は、まだそのために苦しんでいます

……はい

はい、信じています

ルシアは頭を上げて、再び微笑んだ

もう遅いですね、指揮官、お休みになられますか?

了解しました

では、私は物資や材料を探してきます。ボートを作るのにも時間がかかりますから

何か、お役に立てることがありますか?

……指揮官

ルシアはしばらく真剣に考えている

そうですね……確かに、護りを固める必要がありますね

……本ですか?

彼女は少し戸惑った様子で、周りの本の海を見回した

いえ、本に触れることが少なかったので、何から読めばいいかがわかりません

わかりました

ルシアは本棚の前へ行き、しばらく眺めたあと、1冊の本を取り出した。ページは少し破れていたが、彼女はそれを熱心に読み始めた

彼女が手にした本に集中しているのを見て、自分もまだ読んだことのない本のタイトルを探し始めた

だがすぐに、ここにある本はそのほとんどが不完全なものであることに気づいた

半分焼かれたもの、字が読めないほどにシミがついたもの、落書きだらけのもの、日記が書き込まれているものもある

ほとんどの本には一度濡れた形跡があり、植物や食べ物の汚れがついている。どうやら、これらの本は図書館から持ち出されたあと、小型ロボットによって回収されたもののようだ

ぱらぱらと頁をめくると、日記の筆跡はさまざまだが、どれも古くて内容はほぼ同じだった

逃げ場のない人々がこの島に集結し、ここの侵蝕度が低いことに驚きつつ生活をしている最中、また徐々に侵蝕が広がった――日記はここで途切れている

どうやら、外の破壊された痕跡はそれが原因のようだ

日記を置いて、本棚で別の本を探すと、ふと床の隅に綺麗に包装された本があるのを見つけた

その表紙を開くと、それは紙の書籍ではなく、折り畳まれた端末のようなものだった

画面のタイトルをタップすると、さまざまな童話の舞台映像が映し出された

指揮官?

彼女が映像に気づき、手にしていた本を置いて、こちらへ歩いてきた

彼女はそのブック型の端末を手にして、中の目次と内容を確認した

童話の演劇を映す端末のようですね

そして、これらの舞台の場面は、この島のようです

それは何でしょうか?

なるほど

彼女は真剣な表情で頷いた

指揮官、見てください

これ……リーフが話していた「人魚姫」でしょうか?

はい

ルシアは目を輝かせた。自身の塗装に関する物語に興味津々といった様子だ

そうですね

ルシアは本を自分に渡してその場を離れると、毛布を持って戻ってきた

夏とはいえ、夜の気温はまだ低いので、毛布をかけておきましょう

「――昔むかし、海の深いところ、人間がたどり着けないところに、魚の王国がありました」

ルシアは手元の端末をじっと見つめていた。画面には賑やかな海底宮殿が映し出されている

「――そこには海王の娘が住んでおり、彼女たちは魚の尾と人間の体を持ち、とても美しかったのです」

「一番年下の人魚姫が最も美しく、肌はバラの花びらのように艶やかで、瞳は湖水のように澄み、彼女が歌うと、魚の群れは泳ぐ速度を落とし、その美しい歌声に聞き入りました」

端末の中から優しい歌声が聞こえてきた

ルシア

素敵ですね

「――人魚姫が15歳になった時、彼女は祖母の許しを得て、海の上に顔を出して、破壊されながらも美しい大地を初めて見ました」

「彼女がワクワクしながら周りを見渡していると、豪華な船が近づいてきました。船上では立派な洋服を着た人々が王子の誕生日を祝っていました」

「その時、小さな人魚姫は王子と彼を取り囲む全てのものに魅了されました。彼女は、その壮大で華麗な帝国に、いつか自分も仲間入りしようと胸に誓いました」

「陸に上がるため、彼女は洞窟に住む海の魔女のところへ行き、自分の声と引き換えに、尾を割って人間の足に変えることができる薬を手に入れたのです」

ルシア

もともとの話は、どんなものなのですか?

ルシア

この物語では、人魚姫の目的が変えられているのですね?

ふたりして考え込んだ

「このような薬にはそれなりの代償が必要です。人魚姫は歩く度に、刀刃の上を歩くような激痛を感じました」

「そして――もし王子が人魚姫を追放したら、彼女はそこを離れる前日の早朝に……海の泡になってしまうということでした」

「彼女はその大きな代償にもためらいませんでした。家族に別れを告げ、薬を飲んで、激痛に耐えながら王子が住む宮殿へと向かったのです」

「声は出なくても、彼女は世界中で最も美しい踊りで人々を魅了したので、宮殿に残ることを許されました」

「時が経つにつれ、彼女は王子のことが好きになってしまいました」

「人魚姫は王子に気持ちを打ち明けようとしましたが、伝えることができません。言葉を発することができないだけでなく、そこには身分の隔たりもあったのです」

「いくら周りの人々が彼女の美貌と優雅さに魅了されても、王子は彼女のことを単なる踊り子としか見ていなかったのでした」

「ある日、王子は豪華な船に乗って出かけました。その帰り道で、突然の嵐で雷に遭い、座礁した船に出くわしました」

「王子は10人の護衛を連れて、遭難した人々を救助しました」

「……救助された人々の中に、ひとりの美しい少女がいました」

「王子は彼女が隣国の王女であることに驚き、恋に落ちると、すぐに婚約をしました」

「王子は王女に対する唯一無二の愛を示そうと、宮殿内の全ての踊り子を追放するようにおふれを出しました」

「人魚姫は何とか宮殿に残りたかったのですが、言葉で何も話すことができないまま、つま先の痛みに堪えながら、王子と王女に最後の舞を捧げました」

「やがて夜になると、人魚姫は海辺に行き、そこで海の泡と消えるために太陽が昇るのを待ちました」

ルシア

……これは……まるで人間の身分を捨て、自ら構造体になることを選んだ話のようですね

部隊に見捨てられて、空中庭園に戻ることを許されなければ、きっと……同じ結末になります

ルシア

確かにそうですね……申し訳ありません。突然関係ないことを、指揮官に連想させてしまって

ルシア

でも、指揮官がグレイレイヴンにいてくださる限り、私とリーフとリーは誰もこんなことにならないと確信しています

でも、指揮官がグレイレイヴンにいてくださる限り、私とリーフとリーは誰もこんなことにならないと確信しています

ルシアは微笑んで、視線を端末に戻した

「――彼女が夜明けを待っている時、海から聞き覚えのある歌声が聞こえてきました」

「人魚姫の姉たちです」

「彼女たちは人魚姫の噂を聞いて、自分たちの長い髪を海の魔女の短刀と交換したのでした」

「この短刀で王子を殺せば、人魚姫の足は魚の尾に戻り、再び海に戻ることができるというのです」

ルシア

…………

「人魚姫は短刀を持って、王子の寝室に忍び込みました。ですが、彼女は何度意を決しても、手を下すことができませんでした」

「突然、寝室の外から騒がしい声がして、人魚姫は急いでカーテンの後ろに隠れました」

「彼女はカーテンの隙間から、侍従がふたりの見知った者を窓際に投げ飛ばしたのを見ました」

???

「『夜分遅く、申し訳ございません』」

王子

「『大丈夫だ、まだ寝ていなかった』」

???

「『近くの海辺でふたりの人魚を捕えました。彼女たちは王子の暗殺を企んでいたようです』」

王子

「『……そうか』」

???

「『ただちに処刑をお命じになってください』」

「王子は侍従が見つめる中でしばらく沈黙したあと、窓際にかけていた剣を抜き出したのです……」

「人魚姫は耐えきれなくなり、カーテンの後ろから飛び出して、悲しみと怒りを込めて、短刀で王子の胸を突き刺しました」

「人魚姫の足が返り血を浴びた瞬間、大波が宮殿を包みました。彼女の両足は元の魚の尾に戻り、姉たちとともに海底に戻って、そのまま自由に幸せに暮らしました――おしまい」

ルシア

……指揮官のお話によると、この物語は完全に原作から逸脱しているようですね

ルシア

そして、1カ所、聞いていて妙なところがありました

王子がまだ寝ていなかったのなら、人魚姫が近くにいることに気づいていたのではないでしょうか

ルシア

作者がうっかりミスしたのでしょうか?それともあえてでしょうか?

……そういえば、「人魚姫」のもともとの結末はどういったものなのでしょうか?

ルシアにそれを話そうとした時、画面の下の方に小さな見えにくいアイコンを見つけた。小さな文字でこう書かれている――【クラシックモード】

それをタップすると、再び童話を語る声が聞こえてきた。今回はオリジナルの童話のようだ

――物語の出だしは変更版と同じだ。人形姫が15歳の時に、海面に浮かび、王子と彼を取り囲む全てに心を魅了される。話は続いた――

「宴会の途中で、嵐が船をひっくり返してしまいました。王子と人々は海に投げ出され、命を落としそうになった時、人魚姫が必死に彼を海から救出して、砂浜に寝かせました」

「しかし、人間と人魚は生きる世界が違います。彼女は自分の身を明かさないために、王子の安全を確認してから、急いで海の中に隠れました」

「その後、ある若い少女が王子を発見して人々に助けを求め、王子を救いました。王子は人魚姫の存在を知らなかったので、その少女が命の恩人だと勘違いしたのです」

「陸に上がるため人魚姫は海の魔女から、自分の声を引き換えに、魚の尾を足に変える薬を手に入れました。その薬には、歩く度に激痛が走る代償がありました」

「そして――王子が他の女性と誓いを交わし、人魚姫を選ばなかったら、彼女は結婚式の前日の朝に……海の泡になってしまうというのです」

「声を失った人魚姫は王子に言葉をかけられません。周りの人々が彼女の踊りと美貌に魅了されても、王子は砂浜で彼を助けた少女のことを想い続けていました」

「やがて、国王と王妃が王子のために花嫁を選びました。花嫁は隣国の王女でした。王子が船で王女を迎えた時、その王女が彼を救ったあの少女であることに気づいたのです」

「ふたりはただちに婚約し、すぐに結婚することになりました……」

「夜になると、人魚姫は海辺に行き、海の泡となるために太陽が昇るのを待ちました」

「しかし彼女の姉が噂を聞いて、自分の長い髪と海の魔女の短刀を交換しました。人魚姫が短刀で王子を殺せば、足は魚の尾に戻り、海に帰ることができるのです」

「しかし、人魚姫はどうしても熟睡している王子を殺すことができず、短刀を海に投げ入れてしまいました」

「朝日が登った時……この世で最も美しい人魚姫は、泡となって海に帰っていったのです」

ルシア

どうやら、変更版との一番大きな違いは結末ですね

ルシア

ひとつの結末では姉を守るために王子を殺した。もうひとつの結末は自分だけが犠牲になって、王子に真相を明かさない……

どちらも悲しい物語ですが……私は、オリジナルの方は好きです

勇気を持って目標を追い求め、やがて死を迎える主人公……とても勇敢だと思います

ルシア

はい、この結末は残念ですが、彼女にはきっと後悔がありません

ルシア

……この結末を、ですか?

私が自分を犠牲することを選んだら……指揮官は悲しんでくださいますか?

ルシア

……私は絶対に、自分を犠牲にすることで、指揮官を悲しませるようなことはしませんから

ルシア

もちろん、指揮官を危険な目に遭わせるような結末も選択しません

必ずそれ以外の道を切り開きます

でも、それは私の結末にはなっていません。それはただの人生の通過点で、グレイレイヴンでの一時期でしかありません

私はそのために犠牲にはなっていません。指揮官、少し回り道をしましたけれど、ちゃんと戻ってきました

答えを聞いても、ルシアの表情はあまり変わらなかった

ルシア

……もし、そんな日が来たとしても、指揮官が悲しむ姿は見たくありません

地球を奪還することは長く厳しい任務です。その過程では、必ず誰かが犠牲になります

そこで悲しみに暮れてしまったら、人は過去に留まり、未来に進むことができません

ルシア

ええ。指揮官がいてくださる限り、必ずこの命を大切にします

1日も早く地球を取り戻すためにも、指揮官と少しでも長く一緒にいるためにも、私は必ず自分を守り通します

ルシア

……それでも、地球を奪還する任務が完了すれば、必ず再会できます

ルシア

わかっています。オリジナル版の人魚姫のように、ですよね……

ルシアの笑顔はかすかにひきつっている

ルシア

もし指揮官が泡のように消えてしまうなら……私が海になります

一番近くで一緒にいられるように……勝利の知らせを、繰り返す波のように、何度もお届けします

でも、私にとってあくまで最高の未来は、指揮官が私たちの側にいてくださることですから。だから、私はこれからも全力を尽くしてお守りします

ルシア

ご無事でどこかにおられることがわかっている限り、私が道を見失うことはありません

無事に地球が奪還されたら、必ず探しにいきます

その時になれば、誰でも自由に行動できるのでしょう?

ルシアは微笑んで頷いた。そして視線を端末の画面に戻した

ルシア

しかし……なぜ物語をこんな風に変えたのでしょうか?

[player name]

黄金時代の記録には、一部の商人はよく知られた物語に斬新さを与えようと、あえて元の物語を変更したと書いてある

……この島は長らく放置されていた。ここに留まったある人が、物語を上書きして、自分の経験を書き足したのかもしれない

ルシア

なるほど……確かにその可能性はありますね

あぁ……

……この物語についてまだ話したい気持ちはありますが、もう遅いですから。指揮官、どうぞお休みになってください

ルシア

私もですか?

構造体は休む必要がありません。夜が明けるまで指揮官の側にいます

ルシア

ええ、おやすみなさい、指揮官