怪我をしていることに気付いていないのですか?
そう言われて、ゆっくりと防護服を脱いだ
あのトラブルで副腎皮質ホルモンが大量に分泌され、痛覚が鈍くなっているのでしょう。道理で痛みに気付かない訳です
肘のかすり傷……たいした傷ではありませんが
曲に言われてすぐに右腕を上げて見てみると、インナーの肘の部分が赤く染まっていた
そこだけ見ると深い傷のようだが、実際は小さなかすり傷だった。子供の頃、転んで傷つくのとほぼ同じだ
適当に袖をまくり上げ、装備箱の整理を続けた
お待ちなさい
私の心配りをぞんざいに扱うつもりですか?
曲はそう言ってぎゅっとこちらの腕を掴んだ
小さな傷だからと無視はいけません。傷から細菌が入ると発熱することもあり、他にも潜在的なリスクがあります
数多の戦場を経験した歴戦の兵でありながら、こんな初歩的なこともわからないのですか?ましてやあなたはここの首席でしょう
あなたの負傷は私の責任でもあります。傷口を
曲は医療キットを取り出し、中から半分使われたヨードチンキ、綿棒、そして清潔な絆創膏を取り出した
彼女は綿棒を茶色のヨードチンキに浸してしばらく待ったあと、こちらの傷口に軽く押し当てながら、傷の上を滑らせていった
傷口を応急処置しながら、曲は考えているようだった
血と肉でできた体、肉体の苦痛……負傷、意識不明……そして死
こういった光景を何度も見てきました。ともに戦う仲間が次々と命を落とすのを目の当たりにしながら、私には何もできなかった
人の肉体には限界があります。ある程度までダメージを受けると、単純な縫合だけでは命の維持すらままならない
今のあなたを見ていると、かつての戦友を思い出しました。もちろん、あなたは彼らとは違う存在ですが……
穏やかな日常の中で出会えたことは、本当に幸運でした
かつて衡杼先生が私に伴侶を見つけるように仰ったのは、辛い時に誰かに側で支えてもらう心強さ、それを知ってほしかったのかもしれませんね
支え合えれば、傷ついても倒れても、お互いの思いやりの中で新たな希望を見出すことができます
恐らく、私たちはそのような関係……
処置してもらっている間ずっと曲の髪が自分の顔をかすめ、こそばゆくてたまらなかった。思わず、頭の位置をずらしてみる
その動きが曲の注意を引いた。彼女はちょっと不思議そうにこちらを見つめている……
どうしました?気分が悪いのですか?
よかった。力加減を適切にコントロールできるか、危ぶんでいたのです
少しの間ですから我慢なさい。我慢できないほどではないでしょう
そう言って曲は絆創膏をしっかり貼りつけてから確認し、その後に自分の肩をポンと叩いてきた
終わりです。もう問題ありません。ともにホログラフィックの星図を見に参りましょう
ホログラフィックの前まで行くと、コントロールパネルの上に1枚のメモが置いてあった
曲はメモを手に取り、注意深く読み始めた
キキが書いた取扱い説明書のようですね。これに従って操作すれば、ホログラフィックプロジェクターを起動できます
操作はわりと簡単なようです。適切な座標を入力して、範囲を調整するだけ
曲は全域をカバーするホログラフィックを起動し、なぜか遠い星々をスクリーンに投影した
部屋の明かりがひとつひとつ消えていく。暗闇の中を、数本の淡い緑色の光線が交差しながら通過する……
そしてひとつの星が光り、それに続いて、次々に多くの星が花のように咲き乱れていった
銀河が空に出現した。星々は集まったり、孤独だったり、遠く離れたり、緊密に結びついたりしている……
異なる形の星体が黒い背景の中で煌めき、飛び跳ね、美しく輝かしい宇宙の絵巻物を作り上げている
星々は静止しているのではない。非常にゆっくりながら移動している。星空を見上げると、その位置の微妙な変化が手に取るように感じられ、不思議な感覚が芽生えた
これらの星の輝きは、人間の文明のように華やかです
個々の存在は小さく儚いものでも、それぞれに輝きを放ち、周囲を照らしています
散在する星の光が網を編み、眩しく美しい星系を形成する
九龍も空中庭園も、人類文明のやまない火種を象徴している……そう思いませんか?
いつか私たちは地上の全ての人々をひとつの場所、ひとつの文明に集結させることができるかもしれません……
燃え盛る希望の火元に集結すれば、人類が星空に投じる道標となることでしょう
星空を見上げ、曲が述べた深遠で壮大な宇宙に思いを馳せる
ここは天文台と呼べるほどの規模ではありませんが、より星空に近い場所ですね
空中庭園には、目を見張るような斬新なものがある……
もっと時間に余裕があれば、ここでもっと多くの体験をしたかったところですが
私は九龍の主。雑事も多く忙しい身ですから、今回は仕方がありません
そんな中で、今日あなたに話したいことが……
衡杼先生が私を助けてくれたように、九龍の統治は私ひとりの功績ではありません
先人の努力も民の犠牲もあり、無数の志士が九龍に血と汗を捧げました
それゆえに、信頼でき知見のある誰かを身近に置いて、助言を請いたいと思うことがあります。最近、これが悩みの種なのです
多くの候補者がいますが、私は……あなたが一番の適任者だと考えました
そう、私にとって、あなたは唯一無二の存在なのです
私の右腕というだけでなく、伴侶としても……
あなたが私と生活をともにし、手を取り合って人類の希望を見出してくれればと望みます
この提案について、どう思いますか?忌憚なき意見を
ホログラフィックの投影が終了し、周囲の照明が次第に明るくなっていった
先ほどまで眼前に広がっていた星空が消え、代わりに現れたのは曲の美しい姿だった
室内が暑すぎたせいか、彼女の頬が少し赤くなっている。表情は少し強張っているようだ
返事がないのであれば、私の提案を黙認したと理解します
曲はこちらの手を取って、そっと握ってきた
お互い静かに見つめ合いながら、彼女に何と答えるべきかわからなかった
沈黙したふたりの間に、気まずい空気が流れている
その時、背後からキャタピラが回るような奇妙な音が聞こえた
振り返ると、ロボットAがこちらに向かってきていた
オ客様、天文観測所ヘヨウコソ
今カラオフタリニ「中性子星の恋」トイウ曲ヲオ届ケシマス
君ヘノ愛ハ、マルデ潮汐~
タエマナク心ニ響ク~
ア――
……
誰かこの道化を止めなさい
このロボットに搭載された機能は、論理の欠片もありませんね
理由もなく突然歌い始め、止めることもできず、機能停止もできない。まるで怒ったプログラマーの仕業です
君ヘノ愛ハ、ブラックホールヨリモ強ク~
ロボットAに鉄拳をくらわすと、その動きがピタッと止まった
ウ……
ようやくおとなしくなりましたね
最後は力ずくで問題を解決、ですか?さすが、私が選んだ伴侶です
今、私に約束したことを覚えていますか?
よろしい
私の右腕兼、伴侶になってもらいます
あなたに許可しましょう。しばらくの間、私の傍らに侍ることを
仕事や生活、そして私について……誰よりも多く知ることを