ノルマングループ
内部会議室
ノルマン鉱業グループの最高経営責任者、チャールズ·ノルマンは、重要管理会議をすでに13回も欠席している
ノルマン鉱業グループの内部規定第5章第11条では、最高責任者が重要管理会議を12回以上欠席した場合、監査役会は投票で次の最高責任者を決定できる
ボーン――
壁の隅に掛けられた旧式のクオーツ時計が、振り子を揺らしながら重たげな音を響かせた。秒針は終わりのない時を再びカチコチと刻み始める
時間だ
では――投票を始めよう
レオナルド·ノルマンは依然として不遜な笑みを浮かべている
薄暗い室内では、監査役会のメンバーたちが貴重な紙の資料を順番に回し見ていた。時々、誰かがひそひそと私語を交わす以外、パラパラとページをめくる音だけが聞こえる
レオナルドは目を細め、呑気に部屋の装飾を観察しているようだった
自分を最高責任者の位置に押し上げることができれば、その後は……
レオナルド·ノルマン氏を新たな最高責任者とすることに賛成します
レオナルド·ノルマン氏を新たな最高責任者とすることに賛成します
私は棄権します
――半分の人がすでに投票済みだ。後もう1票入れば……
お待ちください
大きな扉が静かに開き、明るい光が薄暗い部屋に差し込んだ
扉の後ろに、凝った作りのドレスを着たピンク色の髪の少女が無表情で立っていた
ヴィクトリア!?
レオナルドは勢いよく立ち上がり、信じられないという表情で少女を見つめた
ここはお前の来るべき場所じゃない、早く戻るんだ
……
彼女はレオナルドには目もくれず、まっすぐ会議室へと入ってきた
内部規定第5章第11条によれば、最高責任者の直系の血縁者には全員、次期最高責任者選挙への参加資格を有するとあります
私、ヴィクトリア·ノルマンは、最高責任者選挙への参加を希望します
ヴィクトリア!
ヴィクトリアさん、よくおわかりだと思いますが……ここは子供のおままごとの場ではないのですよ
レオナルドさんは空中庭園で黒野の実験室を攻撃し、空中庭園の軍隊から多くのグループが所有する資産を守った点も含め――ノルマングループに多大な利益をもたらしています
それならばヴィクトリアさん、あなたはグループのために何ができるのですか?
私は「ドミニクの遺産」の手がかりを握っています
彼女は、背後にいた者に紙の資料を配るように合図すると、落ち着いた様子で口を開いた
「ドミニクの遺産」は、第1零点エネルギーリアクターの再起動と、黄金時代の栄光全てに関わっています
それは……ノルマン鉱業グループが、これまでずっと追い求めてきたものです
何ですと!?
……ヴィクトリア!自分が何を言ってるかわかっているのか!?
もちろんわかっています
プロジェクターが静かに起動し、分析報告がひとつひとつ空中に映し出された
空中庭園が以前に遮断した、ゲシュタルトから送信された情報……それはいたって普通の内容でした。ですが、普通ではなかったのは――
この情報には送信のバックアップ記録が存在せず、更にゲシュタルト内部の現存データにも、この情報の痕跡がまったくなかったことです
空中庭園内部はすぐに捜索を開始しました。最終的に、閉ざされた資料室でこの黄金時代の、本来出てくるはずのない門外不出の情報を発見しました
タイムスタンプを比較した彼らは、これがつまらないいたずらやエイプリルフールの冗談ではないことを確認しました
ここにいる皆さんなら、私の言ったことをご理解いただけると思うのですが
……本来出てくるはずのない情報とは?
ドミニクはゲシュタルトを創造しました。当然、ゲシュタルトの中にはドミニクの痕跡が多く残っています
しかし、ゲシュタルトが移され、ドミニクが零点エネルギーリアクターの件で失踪したあと、ゲシュタルト内の一部のデータは二度と開けられなくなりました
――データウォールが内部から突破されたのです。これは我々が介入するチャンスです
ノルマングループのヘラルドがグループを率いて、黄金時代の栄光の頂点に返り咲くのは今です
……
狂ってるのはどっちだ?俺か?それともお前か?可愛い妹よ
……兄さん
あなたの目には見えていないことが、数多くあるのよ
レオナルドとすれ違いざまに、ヴィクトリアはそう低くつぶやいた
彼女は会議室の壁にかかる熊の剥製の真下、最高責任者の席に腰を下ろした
取引会議で、私はすでに軍と合意しました。計画が通ればノルマングループは市場価格の75%で軍にヘリウム3を販売、かつゲシュタルト建設時の資料の一部を提供します
これを手駒にしてノルマングループは技術者や科学研究者を派遣し、軍が主導するゲシュタルトの封印データの研究に参加することができます
我がノルマングループには非常に大きなアドバンテージがある――かつてドミニクとともに初代ゲシュタルトの基盤を構築し、その建設に全面的に関わったという実績が
その封印されたデータから「ドミニクの遺産」を掘り出せば、ノルマングループの技術力で、新たな逆元装置や新しい構造体の開発を可能にし、更には――
大規模なパニシングの「クリーニング」や、地上に――零点エネルギーを再建することもできるでしょう
我々はドミニクの遺産を継承し、ノルマングループの新たなる時代を迎えるのです
空中庭園
やっぱりダメか?
ダメね。複数のパーツの交換後じゃ、もとの運転速度には到底及ばない
クソッ……交換しなかったらどうなる?
他の要因を考慮せず、交換しないとして――あ、他の要因っていうのは、全てのパーツの加工精度がIT1の基準を満たすことが前提だけど
あんたの新しいプランでモデリングした場合――
3Dプロジェクターが素早く動き、高さ1.8mほどもあるセメントの柱のような重厚な装置を立体で映し出した
こんな小型浄化塔、背負って任務を遂行したいと思える?
……【規制音】!
それに異災区中のパニシング拡散速度と濃度を考えると、この小型外付け浄化装置が通常の防護服の機能を60%上回っていても、パニシングの浄化要求レベルには達していない
……続けてくれ。次のプランだ
はあ……やはりダメですか
……落胆することはないわ。もしこの計画が簡単にできる話なら、軍も私たちと科学理事会の共同研究を依頼してくることもなかったでしょうし
科学理事会、工兵部隊、コスモス技師組合
空中庭園における、逆元装置、エネルギー動力分野、Ω武器に関係した一流の研究者や技術者たちがほぼ一堂に会していた
月面の零点エネルギーエンジンが極限まで稼働しているとはいえ、製造されたΩ武器は今回の災害に対して、まだまったく不足している状態だった
Ω武器のない防衛ラインでは異合生物の攻撃が激しさを増し、パニシング濃度が高まるにつれて、通常の構造体では手を出せない事態に陥っている
異災区の災害が新たに始まったあの日から、ここにいる人々のほとんどが、寝る暇もなく働いていた
研究室や実験場の明かりは煌々と輝き続け、研究員たちは徹夜でひとつ、またひとつと、ほぼ不可能と思われるプランの中から最適解を見つけ出そうとしていた
超刻と同規格の次なる特化機体を全力で製造するのはもちろん、更なる方向へ進むべく彼らは努力を続けている
特化機体の特殊性は、そういった奇跡を量産できないことに表れている。そうだとしても……彼らはより多くの構造体に適応する新しい装置を製造しなければならなかった
Ω武器の浄化能力を強化する方法は?
新型の外付け浄化装置を開発する方法は?
より多くの構造体と人類の命を守る方法は?
彼らの努力は全て、この「未知」の答えを少しずつ「可能性」に変えるためのものだ
カレニーナとドールベアは黙ったまま、揃ってテーブルの上のモデルを見つめていた
もし……
ふたりの横に立つコスモス技師組合のマークをつけた灰色の髪の女性構造体が、そのモデルを見て突然口を開いた
以前の構想通り、逆元装置を使って改造したら?
……マイカ、まだ休んでなかったのか?
構造体に睡眠は不要だから
カレニーナが何か言うより先にマイカは前に出て、端末を操作し始めた
以前、私と先生はカノン博士の逆元装置に関する研究を何度も検証した。この技術のブラックボックスはまだ完全には解析できていないけど、いくつかの発見もあった
逆元装置の本質は、「パニシング」を無害化することよね
だけど材料や技術、その他多くの理由で、現在の量産型逆元装置の処理能力には限界がある。だから通常の構造体はパニシング濃度の高いエリアの奥深くには行けない
それならこの構想を基に、例えば逆元装置に更に強力なプロセッサを与えたら――
ありえません!
いつの間にか、彼女たちの後ろには研究員たちがずらりと集まっていた
逆元装置自体は現段階のどの装置よりも遥かに複雑ですし、研究資料の多くも失われています。逆元装置のプロセッサの改造なんて到底無理な話です……
確かにリスクが大きすぎますね……この構想と逆元装置が持つ危険性を併せて考えると、最初の構造体被害の再発が懸念されます
今、手元にドミニクが残した資料があれば……
確かにドミニクが残した資料なんかがあれば、もっと時間は節約できるでしょうね
だけど問題は、今どうするかよ。第1リアクターからドミニクを引きずり出すつもりなの?
そういう訳では……
妄想して嘆く暇があるなら、もっと他のプランを演算した方が建設的ね
ドミニクがいなくなってずいぶん経つけど、英雄が幕を引いたって時間は止まったりしない
――あなたの研究論文だって、ドミニクがいなくなったからといって止まる訳じゃないでしょ
ふぅ……やはり昨日議論したあのプラン通りに、Ω武器から手をつけて……
逆元装置内部の改造ではなく、外部のインターフェースを追加して、より強力なプロセッサを接続するのはどうだ?
まさにそれです
ゲシュタルトを使うつもりか……?
ええ
ゲシュタルトが逆に侵蝕される可能性は考えたの?
ゲシュタルトが侵入された時の資料は全て目を通したわ
私の案は、実験に参加する構造体への第一保険として、意識海監視針と電磁パルス減衰リングを装着すること
なんなら、私が実験に参加してもいい
電磁パルス減衰リング?そんなものがパニシングの侵蝕速度に対抗できると思ってるの?
……
まあいいわ、私が解決案を計画してる
初期プランが実行可能なら、ゲシュタルト内部に小規模な指定隔離区を作って、全データそこを通過させるの。逆侵蝕が発生したら侵蝕区域を即座に切り捨て、破壊する
逆元装置を使ってゲシュタルトに接続して意識を増幅させ、逆元装置のプロセッサの効果を強化する……
短期間の内に、新しいテストモデルが素早く構築されていく
プランの実現確率は60%以上か。よし、新しいチームを立ち上げて、新プランの予行演習を始めるぞ
カレニーナとマイカでチームを主導しろ。俺とドールベアはサポートだ。他の者は自分が手がけているプランを継続してくれ
よっしゃ、新しいレンチを寄越せ……前のはどこに行ったとかダリぃこと訊くんじゃねーぞ!
ふっ
ド!ル!ベ!聞こえたぞ!笑ったな!?
風の音よ、風の
……ドールベア、ちょっと待ってくれ
カレニーナと一緒に去りかけたドールベアを、アシモフが呼び止めた
何です?
[player name]の例の……ドミニクからの「招待状」だが、ふたつ目のロックは開けたか?
ああ……まだです。でも、いくつかの演算ルールは見つけてます
黄金時代にコナンドラムアルゴリズムと呼ばれたデータロックが高確率で使用されている。複雑そうに見えるけど、解けなくはない。ただ、時間がかかります
黄金時代の……
何といっても、ドミニクからの「招待状」ですから
そう、ドミニク……
複雑な感情を目に浮かべたまま、ドールベアはカレニーナの方へ歩いていった
……零点エネルギーリアクターを使えば、この部分はこういけるな……
零点エネルギーリアクター?なんでまたそれが出てくるのよ
何だよ、だって「唯一の希望」だろ?多くの課題は零点エネルギーリアクターを前提に始まってんだ
向こうにいるあのふたりの研究員が言うには、Ω武器の出力効率を上げて、直接零点エネルギーリアクターからエネルギー供給したいんだとさ
で?月から大砲を撃って地球を吹き飛ばすって?
それもパニシングを解決するひとつの方法ではあるわね
……チッ、オレが話し合った訳じゃねえっつーの
ところで、零点エネルギーリアクターもドミニクの主導で作られたモンだろ?ってことは逆元装置と何か共通点があるんじゃねーか?
ドミニク……本当に、今日は腐れ縁みたいにこの名前ばっかり
端末を操作する彼女の瞳は冷え冷えとしていた
ん?
ドミニクなら、パニシング問題の解決に成功できたのかしらね?
うーん、そりゃねえんじゃねーか……
あの新型特化機体も、全部ドミニクが作ったもの?
そうとはいえねーな。逆元装置は提供したとしても、新型特化機体を完成させたのはアシモフたちだ……
一連のデータがスクリーンに映し出されたあと、ドールベアは作業をようやく終えた。彼女は気分があまりよくなさそうだ
工兵部隊だってあんたひとりで高層ビルを建てられる訳じゃない。私たちの研究体系も、ずっとドミニクだけに頼っていられないわ
……ドミニク!?ドミニクがどうしたって?
……
彼女は端末のスクリーンをバンッと閉じた
お前の言いたいことはわかるけどよ……
たくさんの技術を残してはくれたが、結局ドミニクは「歴史上のドミニク」でしかねえんだ
渡り鳥が海を渡り、鮭が川を遡上するように、前進し続けることで生命は活路を見出せるのよ
目の前のラボでは、多くの研究員たちが昼夜を問わず、多くの研究に取り組んでいた
希望は、未来にこそあるべきじゃない?
あらゆる発展をたったひとりに全て託す文明なんて、存在する意味があるの?
――ド·ル·ベ!
……
ドルベ、今日はおかしいぞ……何をそんな
それともアレか……お前、特殊モードに切り替わるキーワードでもあんのかよ?
そいつは……「唯一の希望」?いや、「リアクターからエネルギー供給」か?
……ちょっと興奮しただけよ。何でもないわ、疲れてるんだと思う
わかった!「大砲を撃って地球を吹き飛ばす」だな!
……あんたの頭を吹き飛ばした方が早そうね
貴重な休憩時間はあっという間にすぎ去り、数分も経たない内に、アシモフが新しいデータを持って慌ただしく戻ってきた
そのしかめっ面を見るの、本当に嫌なんですけど……また何かありました?
今、通知を受け取った。異災区はまだ拡大している
グレイレイヴンと他の精鋭部隊がアップロードしたデータによると、赤潮はすでに清浄地の境界まで迫っている
その赤い潮水は視界を埋め尽くし、清浄地の境界に向かって勢いよく進んでいた
更に、グレイレイヴンが重要な情報を上げてきた
異合生物が……社会化している可能性がある
彼はそう言って、ある映像を再生した
信号が不安定なせいか、画質はぼやけていてはっきりと見えない
最初に軍靴を履いた人間の足が映り、すぐに画面は前方で戦っているルシアへと切り替わった
ルシアの前には赤潮が広がり、森の中では異合生物が群れをなして立っていた……まるで様子を見ているかのように
ここを見てくれ……
映像の端をタップし、アシモフは眉をひそめた
警戒し、隊列を組み、突撃している
……【規制音】!
こいつらはすでに「集団」を形成しているんだ
もう、時間がない
まず、グレイレイヴンの調査中に、異合生物たちの今までにはなかった行動――すなわち集団行為が発見されました
異合生物の異変が観測された場所は、異災区を含め全て清浄地の外側、円状に分布しています
言い換えればこうだ。清浄地の存在が、かえって我々の予想を超える異変を引き起こす可能性があるのだ
異変……もし全ての異合生物に集団で行動できるような異変が起きれば……
それだけじゃない。何か強い協調性があるようだ……まるで何かに操られているように見える
年初からの目撃情報と戦闘報告では、確かにその傾向があります
本来そこにあるはずの狂気が感じられないのは妙です。輸送機から観察した異合生物たちは、極めて整然とゆっくり移動していましたから
でも現状、異合生物たちがとてもゆっくり北へ進んでいるから、私たちは反撃や突破がますますしにくくなってるんです
赤潮の柔らかい枝は泥の中で気ままに広がっていく
その枝は成長を何度も繰り返し、継承し、徐々に梢へと近付いていく
種は生存のために争い、欲望のために進化する
略奪し、侵蝕し、それらはまもなく……自分たちの「文明」を生み出す