昇格者たちにとっても、ラミアはリリアンの姿のまま行方不明の状態だった
…………
どうしてこんなことになっちゃったの……
この不運が訪れるまで、ラミアはルナから新しい機体を与えられ、愉快な気持ちで与えられた任務を遂行していた
ルナ様……
昇格ネットワークはあの塔の影響を受けて変化が起きた。今は私を縛りつけるだけじゃなくて、私とリンクしている昇格者にも影響を与えている
あなたが無事にここに立っていられるのは、姉さんが解放されたあとに私が手に入れたばかりの権限を使って、あなたたちの身に起きた異常を抑えているから
わかりました、ルナ様。私たちはこれから何をすれば?
私の力では、あなたたちの異常を長く抑えられない。だから私たちは、再選別を完全にクリアする方法を見つけるしかない
再選別?それが昇格ネットワークの異常の原因ですか?
ええ、昇格ネットワークは進化し続けているの。こちらもその変化についていかなければ
……他の代行者にもこの問題が起きているのでしょうか?
そうね、フォン·ネガットも影響を受けているはずよ。ただ、彼には彼なりの対策がある
ラミア、私は自由に行動できない。だから調査はあなたたちに任せるしかないの
ラミア、もう一度力を分けてあげる
あなたの機体を強化して、おとぎ話の人魚姫みたいに……自由に歩ける足を与えるわ
ルナ様……い、いいんですか?
ええ。さあラミア、ここへ。私を閉じ込めているパニシング異重合体の上に、手を置いて
ラミアは喜び勇んで一歩踏み出したが、ふと立ち止まった
どうしたの?
……あ、あの、ラミアは……
ラミア、あなたは自分の価値を証明したわ
少し記憶が戻って……この尻尾の意味を思い出したの
それを聞いたルナはしばらく沈黙した
……なら見た目を留めるようにするのはどう?
……で、できるんですか?
両方を残せると思う。亜人型の機体を使える者は、意識海が比較的安定しているはずよ。あなたが意識海をコントロールできているなら、理論上、機体の形態切り替えは問題ない
ほ、本当?じゃあ、もうひとつお願いしてもいい?
先ほどまでうなだれていたラミアが、今は目をキラキラと輝かせていた
なに?
足をつけるなら、身長を……ちょっとだけ伸ばせないかな?って
人間の時と差が大きければ大きいほど、意識海が不安定になるリスクも上がるのよ
ラミアは悔しいのか、尾で床をビチビチと叩いた
……どれくらい高くしたいの?
大体、170cmくらい……
…………
調子に乗らない……!
……ひぃ!
新しい機体の調整ができたわ
…………これが……私?
生まれ変わった人魚は自分の両足を見て驚きながら、赤ん坊のようによちよちと歩き回った
ありがとう……ルナ様、こんなに貴重なプレゼントがもらえるとは思いませんでした
これは報酬の前払いだと考えればいいわ
今回の機体強化はただのシンデレラの魔法よ、よく覚えておいて。私の力が弱まれば魔法も解けてしまう
もし私がパニシングと完全に融合して自我を失えば、あなたも昇格者の資格を取り上げられるでしょう。あなたは機体を失うだけでなく、普通の侵蝕体に成り下がる
あなたたちは姉さんのように……自らを何度も殺して再構築する勇気もないし、昇格ネットワークの束縛を分担する分身もいないの。自力で侵蝕体状態を脱するのは不可能よ
どうしようもなくなった時は、生き延びるために他の代行者を頼りなさい
……い、イヤです!ルナ様はラミアを助けてくれたし、他の代行者とは相性が悪いし……ルナ様といたい……
……そう、わかったわ。そう言うなら、情報を探す任務はお願いね
は、はい……あの、そういえば、ロランは?
新しい武器を手にしたの、もう出発してるわ
あの日から、ラミアは成果を得られないまま長い間彷徨っていた
惑砂が一体何をしているのか、あの代行者は何を企てているのか……リリアンという「惑砂の知り合い」の身分を使ってもなお、情報が手に入らない
かつての「協力者」を探して訊ねたところで、彼らもまったく何も知らなかった……
もう目的を達成したからなのか、それとも気になることがあるのか、かつての協力者たちは話すことを明らかに避けていた
ほかの仲間は、ウィンターキャッスルの崩壊とともに音信不通になった
しかし少し前に、数カ月も行方不明だったリリアンからついに連絡があったのだ……
この場所で本当に合ってる?
うん。ここ何日か、惑砂は物資と構造体の残骸を運んでいたから、何か企んでると思うの
それと一緒に多くの構造体と人間が下に送り込まれてた。上がってくることは一度もなかったよ
わかった。そこに行って調べてみる
気をつけてね。あんなに堂々と行動しているってことは、ちゃんと防御策があるってことだと思う
それと……
ミラクルでも起きない限り、あなたとの通信はこれが最後になっちゃうかも
バロメッツの監視が厳しすぎるの?
ううん……監視されて実はホッとしてるの。ここに拘束されてる内は、彼らからは新しい任務を与えられないってことだし
……私はもう、疲れちゃった。ここに……バロメッツに残りたいと思ってるんだ
それ、もう何回も言ってるよね
うん、わかってる……
通信の向こうでリリアンはため息をついた
ずっとそうしたいと思ってたけど、叶えられなかった……私にはもう、平穏な生活を期待する資格なんてないのかな
孤児院から彼らに連れ去られた時から、ずっと悪夢の中を生きてきたよ
誰かの指示に従って、他人の小隊に加入する。事故をでっち上げて、秘密を知ってる人や「邪魔者」を退場させる……
子供の見た目を利用してどこかに潜入して、誰かを殺す、とかね……私はもう、疲れたの
だから、監視されながらバロメッツという檻の中で生きる方が……私は逆に楽だと思ってる
ジョークみたいだけど、指揮官のシーモンって、バロメッツの中じゃ私に一番心を許してくれてるんだ
あなたのせいで捕まったのに、彼はまだ何も気付いてないの?
うん、小隊の他のふたりの方が目立つもん。特にパルマ、彼女は隠すつもりすらないの
あの一件があってからは彼とノアンの関係も悪くなって……少なくとも私はそう思ってる
リリアンは目を閉じ、その年齢の見た目に似合わない、憂鬱そうな表情を浮かべた
……私はもうこんなことも……他人の信頼を裏切ったりは、したくない
それって……昇格者が嫌いになって、もう協力しないってこと?
どうしてそんなことを急に訊くの?
えっと、いくつかのことを思い出しただけ
…………
ラミアって失踪してから少し変わった……
もう、前みたいに……「今」に留まりたいって思わなくなったの
今に……留まりたい?
うん、私ね、前のあなたは「今」に囚われてるって思ってた。あなたは「過去の経験を思い出す」より、昇格者が今あなたに与える影響ばっかり重視してるって
でも今のあなたは、すでにこういった立場の意義や正誤について考え始めてる。でしょ?
…………
ごめんね、独り言が多すぎた
ラミアは?ラミアは私のことをどう見てる?
急にそう訊かれたラミアは、適切な言葉を見つけられなかった
昇格者になってから6年目、リリアンとは戦闘による倒壊事故の時に出会った。ふたりは協力して窮地を脱し、その後に取引をするようになった
リリアンは空中庭園の情報を提供してくれるようになった。時に自分の身分を貸してラミアの潜入任務を助けることもあった
ラミアはリリアン独りでは遂行できない任務を手伝った。どれもシンプルな取引で、取るに足らない程度のものばかりだ
ラミアが昇格者以外の誰かと協力しあうのは初めてではない。多くの協力者は昇格者に強い警戒心を抱き、会話にも目的達成のための駆け引きがあった
でもリリアンは違った。ふたりはお互いのことをそれほどよく知らなかったが、互いが平等に接している
リリアンは幼くて善良そうな外見を利用し、補助型構造体として暗殺者の仕事を遂行していた
彼女は苦痛と不本意の中で泣きながら悪事を続け、嘲笑いの中で悪人を仕留め続けていた
リリアンは何度もこんな二重生活を終わらせたいと言っていたが、やがてまたラミアの前に現れ、取引を持ちかける
もしいつの日か、リリアンの出自が小隊の皆に知れたとしても、彼女の手についた血の痕を決して白日の下に出してはならない
そしてラミアも、リリアンという普通で平凡な少女の身分を使って、人々の中に潜り込むのが好きだった
警戒もされず脅されることもなく、仲間ハズレにされることもない。その時だけは彼女は難航している昇格者の任務を忘れ、ただただ静かに他人と会話した
他人から家族やグルメの話、任務やチームメイトの愚痴を聞いたりして、長い夜の時間をただ静かに過ごしていた
もちろん――ルナに報告する時は「選別をクリアできそうな者を物色していた」と言っていたが
もしラミアが本当に真面目に選別に専念していたなら、ロランがあれほど苦労することはなかったはずなのだ
……ラミア
ラミアが答える前に、リリアンが先に口を開いた
あの倒壊事故であなたと知り合ってこういう関係を築いてきたけど、私には全然苦にならないの。私にはあなたのことを嫌う理由がない
でもビクビクして毎日を過ごすのは、とても辛い
……口でそう言いつつ、今回が最後の取引ではないことも、彼女たちはわかっていた
リリアンに別れを告げ、ラミアは手に入れた情報を元にひとりで惑砂の拠点に潜入した
当初、調査は順調だった
彼女は身を隠し、資材を運搬する離反者の後を追って、拠点の下層牢獄に潜入した
牢獄といってもここの扉はほとんどロックされておらず、むしろ自由に出入りできる変わったホテルのようだった
しかしラミアがそこを調べ始めようとした瞬間、まるで嵐のように背後からロキが襲いかかってきた
ヒィ!
驚いたラミアが思わず真の姿を現すやいなや、ロキはターゲットをロックオンした
ルナがラミアの機体を強化してくれてはいたものの、いつもの戦闘に対する苦手意識から、ラミアはその場から脱兎のごとく逃げ出した
ラミアは惑砂も知っているはずのリリアンに扮していたが、ロキには人の姿が見分けられない。ただ甲高く咆哮しながら、ラミアの後を追ってきた
ブードゥーはどこ?なんでロキなのよ……!
潜入捜査で惑砂の側にいた時、彼女はフォン·ネガットの「研修生」についても少しは勉強していた
こういう時、いつもはもうひとりの意識――ブードゥーが表れてロキを制止する
しかし今やロキは完全に理性を失っており、なおも人間と構造体がいる廊下を狂ったように駆けている
人々はすぐ牢獄の中へ戻って、扉をロックした
この瞬間ラミアは理解した――これらの牢獄は自分を守るためにあるのだ
それなら、逃げる方法はひとつしかない
ラミアは何度も姿を変え、ぐねぐねと曲がる廊下をいくつも走って、ようやくロキを振り切りコンテナの中の残骸の隙間に隠れた
ロキを拘束から解放してはいけませんよ
扉からよく知る姿が足早に現れた
すみません
見たこともない女性がハイジの後ろから現れ、ロキの前に立ちはだかった
侵入者、殺す殺す殺すうぅぅぅ――っ!!
あのヒステリックな精神状態は、「再選別」の副作用なのか、それとも誰かに改造されたのだろうか?
……ロキの意識海が前より更に混乱しているようですね
彼らを殺す!!彼女を殺す!!
あなたたちを切り離すとこうなるなんて、あの研究者たちだってわからなかったんでしょう
ワハハハハハハハハハハハハハ!!
ロキは目の前の女性にもまったく臆さず、いきなり飛び上がると、2階の応急ブレーカーにガンッとぶつかった
うううぅ……!
電流がコンテナからラミアの体へと流れ、ラミアの意識はぼやけて真っ暗になっていった
ブードゥー!
はい
ブードゥーと呼ばれた女性はためらいなく武器を全力で振り下ろし、かつて自分がその中にいた躯体を空中から叩き落とした
仕方ない、彼女を拘束するように
私は牢獄にいる人たちを見てきます。彼らは惑砂の客人だし、怪我でもしたら惑砂が怒るでしょうから
憐れむような表情だった片翼の少女は真顔に戻ると、人々の方へ歩き出した
ロキも一緒に連れていく方がいいですか?ここに残すと、彼女がまた……
はい
簡潔に返事をし、ブードゥーはその傷だらけの抜け殻を肩に担いだ
…………
あなたたちは長い間同じ体で共生していたのに、彼女を止められない?
止めたくても、何を言えばいいのかわからないんです
……意識分離実験のせいで、あなたたちは変わってしまったみたいですね……
…………
それがラミアが意識を失う前に、最後に見た光景だった
再び目覚めた時、ラミアはコンテナごと惑砂の最大の秘密基地――この深海に運ばれて、海の奈落に囚われた魚となっていた
長い長い時間が経ってからもラミアはこの光景――死んでしまう前のハイジの姿を思い出すことになる
当時はまったく何も知らなかったが
今、ラミアは不気味な小道を歩きながら、出口を探していた
ここは一体どこ?どうすれば逃げられる?まだその質問に答えはない。ハイジの言葉から、ここが惑砂が関わっている施設だと判断するしかなかった
ラミアはかつてリリアンが惑砂のいた隣の孤児院で1年間を過ごしたと言っていたことを思い出した
万が一のために、やはりリリアンの姿を使おうか……
こうすれば、見つかってもすぐには敵だと思われない……よね?
偽装をしたラミアは、あーあと大きなため息を漏らした
と、とりあえず……出口を探さなきゃ