凍えてひび割れた大地は見渡す限り、赤く染まっていた
叫び続ける侵蝕体が泥の中から次々と押し寄せる
バラバラになった死体があちこちに散乱し、循環液や草の青臭い匂いが満ちている。意識海は硬直し、何も考えられない
――た――助け――
彼女が力を振り絞ってバッジの裏のボタンを押すと、通信中を示す赤いランプが灯った
荒野で構造体は力を使い果たし、戦火に焼かれた焦土の上に倒れ込んだ
どれくらい時間が経ったのかはわからない。戦場を片付けに構造体がやってきた
恐ろしい……
彼は何かを探そうとしているようで、倒れている構造体の体を確かめていた
あった……ここだ
彼は力を失った構造体の指をそっと開き、慣れた手つきで金属の認識票を取り上げた
登録、空中庭園、シルバーファルコン、ナタ――死亡
助け――
私たち――まだ生きている――
登録、空中庭園、シルバーファルコン、ゼカ――死亡
まだ――生きている――駄目――
登録、空中庭園、シルバーファルコン、アルベラ――
死亡
違う――
……気の毒に
赤く光るシルバーファルコンのバッジを、構造体は踏みにじった
意識的なのか無意識なのか、構造体は倒れている彼女にふと目を止めたが、そのままやりすごした。だが、彼女にはまだ意識があった
――助け――私たちを――
声にならない言葉が発声モジュールからほとばしったが、最後の叫びは誰の耳にも届かず風の中に消えた
12時間前、空中庭園
セシリア、見て!
女性構造体はセシリアに紙の本を見せた
ついに紙のバージョンを手に入れたわ。黄金時代でも発行が少ないから、かなりのレアものよ……
発行量が少ないのは、誰も買わないからよ。『黄金時代の詩集』なんて、そんな本は人気がないでしょう
何よ!
はいはい、喧嘩しないで。指揮官はどこ?
長い紫色の髪をした構造体は微笑みながら、言い争うふたりのチームメイトの間に立った
休憩室よ。新しい任務の連絡が来たって言ってた……
セシリアの同行を求めてるけど……セシリアは支援から戻ったばかりでしょう?
今週のセシリアの出勤記録、エグいことになってるけど……
いいの、支援に出ると申請したのは私なんだから。やれることがあるなら、やった方がいいと思って
しかもあの小隊が向かったのは、あの保全エリアだから……
子供を助けた上にアフターケアまで完璧とは、セシリア、あなたちょっとやりすぎじゃない?
近くを通る小隊がいれば駆けつけるし、なんなら自分の物資まで配っちゃって……
あの子たちはまだ小さいから、いじめられるんじゃないかと心配なの
それはさておき、指揮官から任務指示は来たの?
私が読む。どれどれ……112号保全エリアの侵蝕体と異合生物を駆逐し、保全エリアを保護せよ……
保護任務か……
なめてかかると、痛い目に遭うわよ!
いい、私たちの仕事は全部地球の未来のためなんだから。どの戦闘経験も、これからの大戦のための積み重ねのため……
……戦闘の準備をしなきゃ。セシリアも一緒にくる?
ウィリス参謀総長に用事があるから、後で準備室で合流しましょう
会議室
ウィリスはテーブルについて、会議報告を読んでいいた。ノックの音を聞いた彼は顔をあげもせずに答えた
入りなさい
ウィリス――参謀総長殿
久しぶりだな、セシリア
私の前回の提案、通りましたか?
まだだ。流浪している子供たちに今の空中庭園ができる最大の保護は、彼らを保全エリアに集め、面倒を見ることだけだ
極めて優秀な子や、両親が多大な貢献をしている子は空中庭園に迎えることも考慮されるが、他は……
……
子供たちにとって、それは不公平ではありませんか?
……ああ、子供たちにとって、これは不公平きわまる事態だ
だが全ての物事が白黒はっきりできる訳じゃない。それはもう理解していると思っていたんだが、セシリア
「正義は常にある。道半ばで迷おうとも心配はいらない」――あなたはそう教えてくれたのに?
空中庭園の収容能力は限られている……
ウィリスは首を振った
空中庭園には、彼はもちろんハセンにも決められないことがある
……私、焦りすぎましたね。すみません
君が全ての子を公平に扱いたい気持ちはよくわかる。確かに子供は未来へ通ずる希望だからな
だがまだしばらくは……これが我々ができる最大限だ
セシリアは彼の一番の学生だったが、完璧であることを求めすぎている
その考え方自体は間違いではないが、今この状況では……
ご報告があります、私たちは新たな地上任務の指令を受けました。できる限り急いで出発します
新たな……地上任務?私には何の連絡もなかったが?
ウィリスは眉をひそめた
侵蝕体の襲撃があり、報告がまだ間に合ってないのかもしれません。私はこの任務期間中に、先ほどの提案内容も改善するつもりです
彼女の端末が催促するように鳴り出した
あ……もう行かなければ
では、またお会いしましょう。ウィリス……教官
扉が閉まった――
――駄目、行っては駄目――行かないで!
ハッと目覚めた時、額には大粒の汗が浮かんでいた
セシリア?
大丈夫?
……ええ、悪い夢を見ていただけ
……
「まさにこのような時こそ、その重荷が安寧と冷静を保てと我々を導く……」
彼女は唯一残された『黄金時代の詩集』のフレーズでセシリアを慰めようとした
……こんな場所で、そんな詩を信じてるのはあなただけよ
これは……
何よそれ?心の糧?私たちは朝食をいっぱい食べたじゃない――
ナタは私を慰めたかっただけよ
彼女は背後の監視とカメラに背を向け、決めてあった暗号を小さな声でささやいた
【指揮官の居場所は?】
【西側】
【通気管から逃げられる】
【情報は確か?】
【確かよ、アリサと確認していた】
アリサは……とてもいい子だ。この出鱈目と偽りだらけの規範を真面目に信じて生きている。この場所に産まれたことが悲劇だった
もし本当にここから脱出できるなら、絶対に彼女も連れていこう
【ナタ?】
【武器の準備はできてる】
こんな場所でも武器を集められるのは、ナタだけだ
セシリアは壊れたシルバーファルコンのバッジを握りしめ、考え込んだ
――だ、駄目よ――行っては駄目——!
【計画通りに準備を】
【今夜、行動する】
――駄目、危ない――
ゼカとナタが微かに頷いた
この飛行要塞から出られれば、ウィリス参謀総長に連絡できるはず……
――駄目!
……セシリア姉さん?
大丈夫ですか?セシリア姉さん!
冷たい汗が額から髪の方へ流れ落ちた。まるで意識海に潜り込もうとする小さなヘビのように
大丈夫……悪い夢を見ただけよ
な……何か用だった?アリサ
彼女は信じていたあの言葉を意識海の中で何度も思い浮かべていた。人工皮膚に冷たい汗が浮かぶ
今日、お父様は忙しいからと言って授業をしてくれません。セシリア姉さん、時間はありますか?
……もちろん大丈夫よ、アリサ
彼女は愛おしそうにアリサの頭をなでた。自分を見るアリサの幼い瞳に、セシリアへの信頼が満ちている
アリサはいい子だ。このユートピアという腐った大地に咲いた唯一の花だ
最初の脱出計画は失敗した。換気ダクトにいるところをオーロラ部隊に見つかり、すぐさま意識海干渉装置で動けなくされた
初めてユートピアに入る住民として……君はふさわしい
「シャーレ」に液体が注入され、機械からは冷たい音が鳴る――
ああ……さすがは空中庭園から来た友だ。とても素晴らしいデータだ
あれからアルベラとゼカは二度と姿を見せなかった
あれ?先客がいるみたいですね。あっちに行きましょう……
中を覗くと、ピークマンは誰かと話しているようだった……
――空中庭園にもう欲しいものはないだろう?そろそろ俺の報酬を払って欲しい
記録を偽造するのはリスクが高すぎるんだ。そろそろ報酬をもらって逃げ出したい、じゃないと……
登録、空中庭園、シルバーファルコン、ナタ――死亡
登録、空中庭園、シルバーファルコン、ゼカ――死亡
登録、空中庭園、シルバーファルコン、アルベラ――死亡
死亡
……気の毒に
……いや……
セシリア姉さん?
こんなの……
新たな……地上任務?私には何の連絡もなかったが?
侵蝕体の襲撃があり、報告がまだ間に合ってないのかもしれません……
――その扉を開けては駄目……
【じゃ、決まりね】
【ゼカとアルベラを――】
【駄目、焦っちゃ駄目――】
ボロボロのシルバーファルコンのバッジは雪原に捨てられていた
「シャーレ」の中に浮かんでいたナタが、動かなくなった
目の前の鎧がゆっくりとこちらに顔を向けた
彼女たちはその中で再会するのだ……
あの痛みも苦しみもない、永遠のユートピアで――
――いやぁぁぁ!
今回の脱出失敗の代償は、ナタだった
あの外に通じるドアのパスワードを手に入れたのに。冷たい風が手をなでたのに
彼女たちは失敗した
……姉さん?
そう……シルバーファルコンはもう自分しか残っていない。もう名前で区別して呼びかける必要もない
ううん……大丈夫……悪い夢を見ただけなの
そう……全ては、悪夢
なぜ侵蝕体の数があれほど異常に多かったのか、どうして救援要請に誰も答えてくれなかったのか。そんなこと、もう考えたくもない
バッジで緊急連絡をしても、なぜ誰も応じなかったのかも、もう、考えたくない
前回逃げた時、なぜ居場所がかぎつけられたのかも、もう考えたくない
……
これに入って、昔に戻れるなら……
これに入って、もう一度彼女たちに会えるなら……
これに入れば……
天窓の外には灰色の天幕のような厚い雲が垂れこめていた。その天幕に溜まっていた水が突然ザーッと流れ落ちたように、土砂降りの雨が天窓のガラスを叩いた
ユートピアに来てから、あんな空を見るのはいつぶりだろう
悔しさ?少しあるような、もう全然ないようにも感じる
裏切られた苦しみ、逃げだしたくなる怒り……全てが時が経つにつれ、少しずつ消えていった
もうこのまま終わってしまえばいい。これが一番いい終わり方なんだ
さようなら、シルバーファルコン
今回だけは逃げるのを許して
ごめんね……アリサ、姉さんを許して……
私は対峙しなかったのに、こんなことを言うのは狡いけど……
いつかこの闇夜が明ける日が来たら……
……私の代わりに、この世界を見届けてほしい