青々と茂る草の間で虫たちが鳴き、丸いライトが色とりどりに輝いている
朽ちた外壁には白いペンキが塗られ、好き放題に伸びていた芝生も絨毯のように整然と刈り込まれていた
一番目を引いたのは、いつの間にか置かれたふたり乗り用のブランコだった。そこには庭の花とは不釣り合いなカエルちゃん人形が座っている
よく知っているのにどこか見慣れないこの光景を見て、αはしばしあっけにとられた。意識の最深部に埋めた記憶が疼き出す
姉さんも今の方がいいと思う?
隣からルナの声が聞こえた。今の彼女は前よりもずっと血が通っているように見える。その名前が表すあの冷たさがなくなっていた
そうね、おそらく……
まさかここがこんな感じになるなんて……なんだかちょっと感動してる
αは再び目の前の大きなブランコを見た
やっぱりちょっと違うけど。子供の頃、ルナがブランコが欲しいってねだってたのを覚えてる
でもやっぱり他のオモチャがほしいからって諦めてたわよね
αは懐かしい気持ちを顔に浮かべると、そっとブランコに触れた。揺れるブランコが、キーキーと音を立てる
こういう音がするんだ
たぶん、だけどね。これもシミュレーションだから
会話の邪魔にならないよう、αは手でブランコを止めた
じゃあ率直に訊くわ。あなた、ルナなの?
先ほどまで見せていた優しさは消え、今のαの目には慎重さと警戒する色のみが表れていた
姉さん、私はルナよ
αは黙ったままだった。そう訊いたのにはもちろん理由がある。目の前の少女が本当にルナなら、きちんと説明をするはずなのだ
それがふたりの間を結ぶ絆だから
でも、変わった部分もある
ルナは目を閉じ、何から話せばいいのかを考えているようだった
姉さん、座ってゆっくり話さない?
ルナはそう言ってブランコに座った。αもためらわず、すぐにルナの隣に座った
誰も押していないのに、ブランコがゆっくりと揺れ始めた。その揺れに合わせるように、ルナの口調もゆっくりになった
まず、姉さんが一番気にしていることから話すわね
私はルナ、姉さんが認識しているあのルナよ
あなたの妹のルナであり、代行者としてのルナであり、そして新しい選別を受けているルナなの
新しい選別?
あの螺旋の塔の機能が逆転されて、青色になったのはもちろん覚えているよね?
あなたは昇格ネットワークが変化すると言っていた
螺旋の塔の試練をクリアし、資格に値する存在が人類の中から現れたのよ
でも選別のもう一方の昇格ネットワークはまだそこまでの進化は遂げていない
昇格ネットワークは進化を求めて、代行者と昇格者の新しい選別を始めた。たぶんその資格に値する存在を探そうとしているんでしょう
新しい選別……
αはあの血と炎だけしかない意識空間を思い出した。もしそれが自分に対する新しい選別なら、最後に自分はどうなるのだろう?
そう、あれは姉さんに対する新しい選別だった
αの考えを見透かしたように、ルナは彼女の疑問に答えた
昇格ネットワークはより強い代理人を必要としている。その意志を貫き通せる代行者をね
でも姉さんはずっと昇格ネットワークを拒み続けた。だから選別があんな乱暴で、残酷なものになったの
姉さんが早めに目覚めてくれてよかった。じゃないと私も姉さんの意識を見つけられなかったかもしれない
なら、今のあなたはどうなっているの?
選別を経て私は新しい権限を得たわ。そして以前は知らなかったことを知らされた……
私たちの認識自体が、私たちを束縛する牢獄で、考えが及ぶ限界が牢獄の壁になっていく。だから事実を知れば知るほど、この牢獄は広くなっていくの
多くの権限を得たと同時に、私と昇格ネットワークのリンクは更に密接になった
そして……昇格ネットワークにとって不可分の一部になったわ
ブランコが揺れるにつれ、ルナの声がだんだんと虚ろになっていく
ルナ!
失われた記憶がようやく蘇る……
記憶の中で、銀白色の少女は赤い水晶の中に横たわっている。その姿は凍った人形のようでもあり、祭壇に捧げられる贄のようにも見えた
それが昇格ネットワークを使う代償なのだ。力を使えば使うほど、繰り返し選別の影響を受けることになる
αがどんなに呼びかけても、ルナは返事をしなかった
鎖からキィィィと不快な音をさせながらブランコが止まった。ルナも何かから離脱したように、本来の声に戻った
姉さん、心配しないで。私はまだそこまでは行ってないから
でも新しい権限を得たことで、私は義務を果たさなきゃならないの。だからしばらくはこの形でしか姉さんと会えない
私はここにいることを選択した。ここにいるしかないの
姉さんの言う通り、私は昇格ネットワークと緊密になりすぎたかもしれない
どうしてそこまでしなきゃならないの?
そうしないと、新しい可能性が見つからないから
昇格ネットワークは新しい可能性を探しているけど、自ら変化する能力は持っていない
ネットワーク自体が大きな壁になり、昇格者たちを中に閉じ込めてるのよ
私は昇格ネットワークと深く関わりすぎて、壁を乗り越えられる可能性はもうない
でも姉さんは違う。ずっと壁の縁を行き来してるわ。だからこそ最も可能性のある人選なの
どうしてそんなに新しい可能性に執着するの?
昇格ネットワークの選別に終着点なんてない。永遠に続く円環なの
その選別の先には、強さと孤独しか残らないわ
でも重要なのは私の考えではなく、姉さんの考え
私……
その瞬間、虫の声が次第に静かになり、丸いライトがだんだんと暗くなり出した
どうやらここまでが限界みたい
姉さん、私は権限を使ってあなたに対する昇格ネットワークの悪影響を軽減したけど、それができるのも今回が最後……
これからどうしたい?
昇格ネットワークはすでにあなたの自由を制限した。今、同じ方法で私を閉じ込めようとしている
そうなったら、私たちはどう頑張っても求めているものを手に入れられない
今こそ昇格ネットワークと決別すべき時よ
それなら、この研究所内に、姉さんの役に立つものがあるわ
突然、αの脳裏にひとつの座標がはっきりと浮かんだ
ここは?
ウィンターキャッスル。私たちが北極の一件以降、ずっと調査していた秘密研究所なの
どうやってここのことを知ったの?
……月に移されるまで、私はここに閉じ込められていた
一瞬だけど、昇格ネットワークは信号を2回、受信した。人間たちが創り出した新型特化機体のものだと思う
あの異重合塔が電磁波を放射していた時、昇格ネットワークは3回目の短い信号をキャッチした。それはこの研究所からだったの
だからこの研究所の中には私を通す以外のルートで、昇格ネットワークに接続できる装置があるはず
私たちにとって、それは昇格ネットワークに立ち向かえる門となりうる
その状態で昇格ネットワークに接続すれば、今の姉さんの特殊な状況が加わって、昇格ネットワークから離脱する方法を見つけられるかもしれない
αは意識がゆっくりと浮き上がるのを感じた。景色がどんどん後退し、ルナの姿も小さくなっていく
姉さん……
これからは、姉さんひとりでやり遂げてね
意識が再び体に戻り、αは短い休眠から目覚めた
水晶の中で眠っている少女の方を眺め、彼女は刃こぼれしている刀を鞘に収めた
意識海の混乱に巻き込まれる前、彼女は力ずくでルナをその中から解放しようとした
しかし脆そうに見える水晶は驚くほど堅牢だった。牢獄であると同時に、彼女の安全を守る障壁でもあるという訳だ
こんな牢獄、もう二度と出現させない――
αはそっと水晶の表面に手を添えて、声なき誓いを立てた