地上時間、2:30PM
成層圏、輸送機内――
輸送機のウィングが雲を引き裂き、空に飛行機雲を残した。高度が下がるにつれ、窓から見える地表の景色がだんだんとクリアになる
上空から俯瞰すると、雲の下では廃墟と化した町ですらも、黄金時代の蜃気楼を思わせて賑わっているように見える
しかし近付くにつれ、複数の歪んだ細長く黒い線が町を貫くのが見えた。それは地震による地面の断層だ。皮膚のひび割れのように、鉛色の鋼鉄の森の中に縦横無尽に走っている
惑星にとってはただのプレート移動の名残にすぎないが、この星に住む人類にとっては災難の爪痕だった
断層の付近にいくつかの建物があるが、長年放置されていた建物は地震でそのほとんどが倒壊し、その一部には黒焦げや無数の弾痕すらある
指揮官、予定着地地点の被害状況は予想よりも深刻です。予定着地地点の手前で着陸するしかありません
わかりました
手動運転に切り替え、まもなく高度を下げます
エンジンの轟音とともに、輸送機はゆっくり降下し始めた。お馴染みの揺れの中でもう一度今回の地上任務の詳細を確認する
1時間前
報告が届きました。この2カ月間、地上の各地で強い揺れを伴う地震が頻発しているそうです
ですが空中庭園に使える測量機械は少なく、地震の被害を全体的に把握することが難しいので……更にほとんどの地震は保全エリアに近い場所で起きていたそうです
はい、現状報告によると、最近起きた地震の分布は広く……極めて不自然だと
保全エリアがある場所のプレート活動は活発とはいえません。しかも地震頻発帯やプレート周辺でもない。理論上、深刻な地質災害が起きる可能性は低いはずなんです
だからこそ、私たちもこれらの場所に保全エリアを優先的に建てたわけなので
セリカは地震の被害を受けたエリアに、地質マップを重ねた
ええ、それだけでなく――
偵察隊員が現地のパニシング濃度を測量したんですが、地震前と地震後では、パニシング濃度が平均2.3%上昇していました
セリカがこちらを見ながら、頷いた
地震前と地震の後では、パニシング濃度が平均2.3%も上がりました
これらのデータだけでは、有効な結論は出せません
ですが最近の地震のせいで、保全エリアの建設進捗度が大幅に遅れています。多くの建物やエネルギー設備が地震で手ひどく損傷してしまったんです
月面基地再建のための人員を除いて、工兵部隊の大部分が地上の支援に向かいました。同じような再建任務は他の執行部隊にも多く出されています
あることが原因で……私たちは今、深刻な人手不足の状態なんです
セリカはそう話すと、少しためらいながら持っていた電子ファイルを開いた
地上とこちらの通信はまだ完全に回復していません。執行部隊に現地の被害状況を調査してもらう必要があります。グレイレイヴン、これがあなたたちの今回の任務です
すでに駐屯している部隊と合流し、彼らとともに具体的な被害状況を調べてください。それから地震で破損した設備を修復し、この異常な状況の原因も調べて欲しいんです
詳細な情報は現場チームから聞いてください
セリカがタップすると、任務詳細が自分の端末に送られてきた。仔細に確認したあと、最後の参加者一覧リストに、リーの名前がないことに気付いた
何か任務に関する質問ですか?
多くのタスクを抱えるセリカの表情はかなりやつれている。しかし彼女はいつも辛抱強く対応していた
今ここでリーのことを訊ねても、前と同じ答えが返ってくるだけだろう
どうぞご無事で
指揮官、到着しました
リーフの声で我に返ると、すでに輸送機は着陸していた
マップで近くの侵蝕体及び異合生物の生体信号が安全な距離まで離れているのを確認し、ルシアとリーフに向かって頷いてから、輸送機のハッチを開いた
地面を踏みしめた途端、目眩がした。足下のアスファルトの亀裂が、地底から揺れ動く振動とともに頭の奥にまで伸びていく
その鼓動のような感覚は、一瞬で消えた。ただの幻覚だったようだ
指揮官?
いきなり動きを止めたこちらを見て、リーフが心配そうに声をかけてきた。頭をさっと振り、彼女に心配をかけないようにしっかり背筋を伸ばした
輸送機の急激な減速が神経を刺激したことによる反射作用だろう。考え込むあまり、しっかりと衝撃に備えられなかった。今後こんなケアレスミスは犯せない
ここからは輸送機が使えません。近くの小隊に迎えに来るように依頼しました。彼らは15分後に車で到着する予定です
はい
これって全部、地震による痕跡でしょうか……
ルシアは襲撃の可能性を警戒し、リーフは渡された記録機械で地面の裂け目とパニシング濃度を計測し、それを全てマップに表示していた
カッパーフィールド海洋博物館の一戦の後、消えた赤潮と同じく、異合生物の脅威もしばらく弱まっていた
今は異合生物もパニシング異重合体も、昔のように大規模に出現することはない。衛星映像に映っていた広範囲の緋色も、跡形なく消えている
Ω武器を大量投入する必要がなくなり、ひと息ついた議会は月面基地の建設を早めた。更に最新資料を入手したお陰で、特化機体の研究も新たな進展を見せている
あの荒れ狂う嵐のような戦いを経て、人類は束の間の休息を手に入れていた
それ以降、勝利の吉報は驚くほどのスピードで民衆の間に広がり、皆に新しい希望をもたらした
これは果たして人類の未来の夜明け前なのか、それともやがて来たる嵐の前の静けさなのか……
心に広がる不安が晴れない。今までにもこれと似たような状況はあったが、相次ぐこの奇妙な地震のせいで、不気味な不安がつのっている
些細なことも見逃さないよう、心は常に張り詰めている。緊急事態にも対応できるよう、事前の準備も必要だ。自分の隊員をひとりで立ち向かわせるなど、あってはならない
指揮官……?顔色が悪いようですが
ルシアが歩くペースを落とし、心配そうにこちらを見ている
彼女に言われてようやく、自分が眉をギュッとしかめ、かなり険しい表情をしていることに気付いた
今回の任務は測量に協力するだけで、それほど心配する必要はない。本作戦が始まってからもう2度も仲間に心配されている。これ以上、余計な心配をかけてはいけない
指揮官のお体はほとんど回復していますが……まだまだ油断はできませんよ
はい、わかっています。でも指揮官の体調をずっと見ていますから
「ふん、ならいいのですが……」
ルシアが突然、しかめっつらで、いつもの彼女とは違った口調で話し出した
リーがいたら、こんな風に言うのかなと思って
ルシアの真面目そうな表情がすぐに心配そうな表情に変わった
確かにリーさんが言いそうな言葉ですね
リーフも頷き、困ったように微笑んだ
リーさんはいつもそうです。心配しているのに、まるで心配していないような口ぶりで話すんです
リーさんはいつもそうです。心配しているのに、まるで心配していないような口ぶりで話すんです
それに……いつもひとりで全てを背負い込んでしまう
ええ……リーは自分の意図をはっきり告げません。今でもその点は変わっていませんね
自分が物思いに耽っていた時、彼女たちもおそらくリーのことを心配していたのだろう
リーは言葉は少ないながら、グレイレイヴンの土台を強靭に支えてくれている。最近は機体適合で一緒に任務に出られないが、グレイレイヴンに関する日常事務を怠ることはない
今回も出発前に詳細な地形資料や敵の分析資料が送られてきた。更に基地でしっかりと手入れをしたと思しき外骨格と武器も送られてきた
どれひとつとっても、彼の細やかな心遣いを感じる
いつになればグレイレイヴンの皆で一緒に任務を遂行できるのでしょうか……
新型特化機体の研究は機密事項ですし、指揮官が得られる情報も少ないです
話そうとした時、いきなり通信音が鳴り響き、端末の画面に通信要請が届いた
このコードは、近くの保全エリアに駐屯している工兵部隊のメンバーですね
通信チャンネルを%&@――切り替えて%¥#@――
繋がった!あの、聞こえますか!
しばらくノイズが続き、それから爽やかな声が聞こえた
よおおおおっし、こちら支援部隊。そちらの位置を確認したからすぐに行くわね!
10分後、世界政府のマークを記した小型ビークルが現れた。熟練しているがとんでもなく乱暴な運転で廃墟と裂け目を避けながら、こっちへ疾走してくる
この感じ、どこかで見たような……
考え込む暇もなく、ビークルは目の前までやって来た
よっ!
見事なドリフトを決めて停車したビークルの窓越しに、見慣れた姿があった
お久しぶり、グレイレイヴン指揮官
とりあえず乗って。詳しいことは途中で話すから
ビークルは保全エリアへと走り出した。しかしブリギットはこちらに向かってきた時のような乱暴な運転はせず、静かにビークルを走らせている
車内にはひとりの工兵部隊の構造体が乗っており、グレイレイヴンは移動中に彼女と任務の詳細を確認した
……指揮官[player name]、隊員ルシアとリーフ、全部で……3名、確認しました
こちらが私たちが来る途中で収集したデータです
確かに受け取りました
側に座っていたリーフとルシアが記録器からデータを転送した
とても助かります。ありがとうございます
サンキュー。グレイレイヴンは相変わらず頼もしいわね
よくはないわね
地震の時は緊急避難できたから死傷者はゼロ。でも保全エリアの多くの基礎施設が被害を受けて、今はスペアの発電システムで少しずつ電力供給をしているの
あと、一部の電波塔が破損しちゃってて、工兵部隊の皆が修理してくれている。このエリアの通信が回復するのは明日らしいわ
とはいえ余震が起きる可能性も考えなくちゃ。今までの状況から見て、地震の発生に規則的なパターンはないようね
絶賛人手不足中だから、来てくれて助かったわ
午前に指揮官が構造体を連れてきてくれてたわ――おそらく臨時で組んだ小隊ね。今は他の保全エリアで任務中。そっちの方が被害が深刻で、侵蝕体反応も出ているらしいから
それにいくら申請しても……最近、執行部隊内でかなりトラブってるでしょう?
「離反者」
ずっと黙っていた工兵部隊の構造体が急に口を開いた。バックミラー越しに彼女の値踏みしているような目が見えた
……あーあ
ブリギットはサングラスを外し、ため息をついた
議会は情報統制をしているつもりだろうけど、もうすでに各部隊に知れ渡っているわ
離反者の構造体が急増したせいで、彼らが所属していた小隊は任務をストップされ、空中庭園で調査を受けているの
セリカが人手不足と言った時の複雑な表情が脳裏に浮かぶ
思わず横にいるリーフを見ると、彼女もとても険しい表情をしている
離反の原因がわかるまで、彼らは地上での作戦が許されなかったの。今、任務に来てくれている小隊の多くは隊員が急場の寄せ集めだから、なかなか連携が取れないのよね
ある情報を共有し、殺傷力の高い武器を持つ軍隊にとって、猜疑心に包まれ、士気が低いことは致命的な弱点といえる
離反したひとりの構造体が昇格者と一緒に現れ、地上の基地を襲って全員を皆殺しにしたと聞きました
その構造体のせいで、私の友人はいまだに独房から出られないんです
ブリギットは慰めるように構造体の肩をポンポンと叩いた
未然に防止しようとするのは仕方ないにしても、私たちではどうにもできないことがたくさんあるのよ
そういえば今回はあなたたち3人なのね。もうひとりの隊員……リーは?
なるほど、だから最近見かけないのか
前回の共同作戦は、海辺での決死の戦いだった。あの戦闘後、リーとは一度しか言葉を交わしていない
あれは地上作戦が終わり、休憩室でいつもの見慣れた姿を見かけた時のこと
リーは休憩室のデスクの前に座り、いつも着ている上着が綺麗に畳まれて隣に置かれていた。彼のバイオニックスキンに覆われた機体の一部が露わになっている
――リーは自分の腕を修理しており、右腕の機械構造がむき出しになっている。彼は片手で工具を持ち、一心不乱に精密パーツを調整していた
その穏やかな表情を見ていると、彼が分解しているのは体の一部などではなく、ごくありふれた一般的な機械を分解しているようにも見える
……
いつまでそこで見ているつもりですか?
リーは手を止めないまま、仕方なくといった体で話しかけてきた。こちらの覗き見はとっくにバレていたらしい
自分の機体を修理しているだけで、傷の手当みたいなものです。それにこれまでだってこんな経験はありますし、意識海が偏移するほどのことではありません
この傷は前回の支援任務で負ったものです。怪我はそう酷いものではありません、ついでに出力回路を調整しようと思っただけです
……こういうのは慣れていますから
これらは全部自分で解決できるレベルです。誰かの手を煩わせるまでもありません
確かにリーがスターオブライフのメンテナンス室に助けを求めたことはあまりないように思う。だがそれは彼は決して怪我をしないという意味ではない
彼は常に一匹狼のような存在なので、よく知らない者にとっては、冷酷な人物なのではないかと勘違いするかもしれない
しかし彼をよく知る人は皆わかっていた。彼はただ他人に心配をかけたくないだけなのだ。そのために秘密を抱えることもままある
リーは目の前の作業に集中しており、部屋には金属部品パーツのカチャカチャという音だけが響いている
そんなことはありません
ここはあなたの休憩室でもあるんですから
リーは呆れたように眉をひそめた
何か訊きたいことがあるんでしょう?
毎回、適合実験の報告をあなたの端末にも送っているはずですが
カッパーフィールド海洋博物館の一戦以来、適合実験の進捗報告と機体状況をその都度自分にも届けるよう、ハセンにしつこく頼み込んで許可を得ていた
だが、その他の一切は「該当機体は当面の間、指揮官の意識リンクによる補助は不要」という理由で断られてしまった
そして報告をいくら読んでも、疑問は解消されなかった――
何か隠し事をしているみたいだ
質問は順番にお願いします。僕は口がひとつしかないので、同時には答えられません
意識海の過負荷の問題は……今はまだ原因がわかりません。でも機体の性能や戦闘への影響は出ていません
新機体の各指標は正常を保っていますしね
僕自身も、別にどこにも異常を感じません
リーさんは……こちらが訊かない限り、黙ったまま全てをひとりで背負い込んで、誰も気付かない間に全ての問題を解決してくれています
でも考えてみれば……私たちがリーさんの問題を解決したことは、ほとんどありませんよね
リーはいつも誰よりも周到に考えています。グレイレイヴンの隊長は私ですが、ついつい彼の判断に頼ってしまうことがよくあります
なんとなく……彼に任せれば全て完璧だと思ってしまって――実際そうなんですが。彼にも助けが必要な時があると気付いていませんでした……リーは自分からは言わないので
――それこそがリーだった。いつもひとりで危険に立ち向かい、口数は少ないがとても頼もしい仲間
……
そう信じてますよ
リーのしかめっ面が緩み、慰めるように薄く微笑んだ
あなたらしい言葉ですね
安心してください。今回の適合、問題はありませんでしたから
個人的にも指揮官の責任感からも、君が心配なんだ――あの時、リーに向かってそんなことを話した
その言葉を聞いてリーは少し驚いたようだった。だがその目は自分ではなく、遠くにいる何かを見ているようだったので、手を振って彼の注意を引こうとした
……わかりました
もし助けが必要になったら……
リーは修理する手を止め、頭を上げてじっとこちらを見つめた
ちゃんとあなたに言いますから
そうは言っても彼が本当にそうしてくれるのか、ただ慰めのつもりで言った言葉なのか、真偽はわからなかった
車内は沈黙に包まれたまま走り続け、封鎖された施設を通りぬけて保全エリアに到着した
破損した建物は応急的な補強工事が施され、あちこちで工兵部隊のメンバーが忙しそうに奔走している。途中で数人がブリギットに挨拶し、彼女も律儀に全ての人に返事をした
私たちの臨時基地はそこよ。まずはそこに行きましょう
隊長!
その時、工兵部隊の構造体が急ぎ足で駆け寄ってきた
やっと戻ってきてくれたんですね。早く早く!このデータを見てくださいよ!
焦らないでよ。見せて
ブリギットは構造体から測量機を受け取ると、データログを調べ始めた
先ほど磁気嵐の数値のピークがまた高くなって……
これ、ここ2日間で最大のピークだわ……
前回のピークの時はいつだった?
2回目の余震の後です……
構造体がそう答えた瞬間、遠くから奇妙な地響きが聞こえてきた
そして、地面が揺れ始めた